ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月04日(木) 四万十川のみかりん

小春日和でないのなら「冬晴れ」なのだろう。

青空であったが気温は10℃に届かず冬の寒さであった。

国道沿いの皇帝ダリアは10輪ほど咲いておりほっこりと見える。

この先雪のチラつく日もあるだろう。逞しく咲いて欲しいものだ。


峠道を越えたところだった。ラジオからメッセージが流れる。

昨夜送信していたのだが誕生日のメッセージであった。

ラジオネームは「四万十川のみかりん」である。

アナウンサーの二人が「おめでとう」を連呼してくれて

とても嬉しくうきうきしながら職場に向かう。

これまでずっと封印していたのだ。私にとっては特別な日で

誰かから祝ってもらおうなどと考えたこともなかった。

そんな私が「誕生日です」と自分からよく云ったものだと思う。

60代最後の歳である。お祝いの言葉がとても心に沁みた。



仕事は車検の予約があったが待てども待てどもお客さんが来ない。

同僚は待ちくたびれてスマホで遊んでしまう有り様である。

お昼前にやっと来てくれて午後は順調に忙しくなった。

義父は明日また高知市で会議があるため焦っており

今日はどうしても田んぼに行きたいと子供のように云う。

一般修理は完了していたので機嫌よく田んぼへ送り出す。

何と嬉しそうなことだろう。まるで子供の遠足のようである。

明日も明後日も車検の予約が入っているので

私もカーブスどころではなく土曜日に出勤することにした。

忙しいのは本当に有難いことで嬉しい悲鳴を上げるばかりである。


定時で退社しサニーマートで「サイコロステーキ」を買って帰る。

娘達がご馳走を楽しみにしているかもしれないと思ったのだ。

一緒に食卓を囲むことはないが家族の誕生日には恒例のことである。

めいちゃんが学校から帰って来て娘と何処かに出掛けて行った。

まさか私の誕生日を覚えているとは夢にも思っていなかったが

帰宅しためいちゃんが「ポインセチア」の鉢を抱えている。

「おばあちゃんお誕生日おめでとう」と感激の一瞬であった。

覚えていてくれただけで嬉しい。それなのにプレゼントまで。

何と思いがけなかったことだろう。嬉し涙が出そうだった。


今朝は母の遺影に手を合わせ「何処にも行かんといてね」と声を掛けた。

あの日からもう56年の際月が流れてしまったのだ。

どれほど忘れようとしたことだろう。

けれども誕生日が来る度に思い出す悲しい記憶であった。

母が生んでくれたかけがえのない「いのち」である。

波乱万丈な人生であったがそれもきっと「運命」だと思う。

母は亡くなってから母になりずっと私を守ってくれている。

そんな母をどうして今更恨めようか。

心から赦すためにこの先の人生があるのだと思う。


お母さん生んでくれてありがとう。私はしっかりと生きています。


※以下今朝の詩


    ひよこ

うまれたとき
あかいひよこだった

確かに母がいたようだ
直ぐに抱かれただろう

ぴよぴよとないた
よちよちとあるいた

おとなになんか
なりたくはなかった

かなしいことがいっぱい
つらいことがいっぱい

母は私を捨てる時
涙を浮かべていただろうか
ごめんねの一言が聞きたい

あかいはねがあったけれど
そらをとぶことができない

もうぴよぴよとなけなくなった
ははをうらんではいけないとおもう

うんでくれてありがとう
母の魂に手を合わす朝のこと


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