見えますか知っていますかこの胸の鼓動が私の生きるすべて
ありったけの息を頼りに
暗い夜空を仰いでいる
ちっぽけな命だとしても
見捨てるわけにはいかない
指先まで通う血は熱く
私のすべてを包み込む
失うことなど怖れない
いつだって新鮮になる
生きて生きて辿り着こう
未来の私に会いに行く

「未来」と「将来」の違いについて考える。
未来は例えば百年先のように広範囲な時間のことなのだそうだ。
将来は具体的な人物がいてそれら特定の人物が
これから訪れるかもしれない具体的な時間のことを云うらしい。
そうなると残り少ない人生において私の「未来」は在り得ないことになる。
そう自覚しなければいけない。むやみに未来を語ってはならない。
無教養なうえに軽率でもある。愚かな詩を書いてしまったものだ。
そんな私にも将来はあるだろう。欲を言えば20年後。
86歳になった自分を想像することは出来る。
杖をつきながら歩いている。そうして空を見上げる時もあるだろう。
書くことは諦めていない。無名のままであっても誇りを持っている。
この世に何も残せなくても嘆くことはしないだろう。
人生を全うするために精一杯生きているだろうと思う。
孫達が嫁いでいればひ孫を抱くことも出来るかもしれない。
その幸せにもういつ死んでも悔いは無いと呟いている。
皺くちゃの顔だとしても微笑むことは出来るのだ。
未来はどうして百年後でなければいけないのだろう。
たとえ20年後でもあっても私はそれを「未来」だと信じたい。
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