| 2008年11月25日(火) |
その莫迦さ加減が大事 |
これはもうお約束として見ねばならんだろう、と母とふたり爆問W大特集を見ていました。(父は外せない仕事を持ち帰っており泣く泣く外野に)(あー言い忘れてましたが兄貴は9月から別居中です) うんなんていうか。 早稲田精神て何だというやりとりがあったけど、それは莫迦正直に莫迦を貫くことであるんであるんではないか。と思った次第です。(笑) 在学中はわからなくていいと思うよ。社会に出れば否応なく思い知るから。 まあ私が卒業してもう8年過ぎてるから構内の雰囲気も学生の在りかたも私の頃とは全然ちがうだろうけど、ただン十年の開きがあるうちの両親と私や兄貴の間に、大学で培われたと共通して感じる部分は意外なほど多いので。そういう、コアな部分はちゃんと黙ってても受け継がれているだろうと。 隈公がどうというよりは、隈公を立てて建学した梓やら早苗たんやらの精神は、ちゃんと残ってると思うよ。あの、常軌を逸した愛校精神として(…) そしてその洗脳のおそろしさを実感するのは、卒業してからです。OBOGって自然とわかっちゃうんだよねえ、話してて。(怖)
大隈重信というひとは決して成功した人物ではなくて、むしろ出世街道では敗北者であるわけで、政変の後は微妙に覇気もやる気も見えないし、歴史を紐解くとちっとも恰好いい航跡を残したひとではないんだけど、彼を慕う人々は沢山いて、そんなアンバランスさが逆に魅力になっている。 「在野」という言葉は、単に時の権力に対抗するという意味ではなく、自主独立ということ。大勢に流されず、常に自分はどうあるべきかを自問し続けること。それは、帝大卒・薩長が支配する世間へのアンチテーゼであり、精神的にそこから自由になろうとした大隈の悪あがきでもあっただろう。 それを、時代背景を反映せず字面だけで捉えてしまったら、だめなのじゃないか、とか。 その意味で、莫迦でも愚かしくても自分の信念に従うことが、在野であること、なんじゃなかろうか、とか。 そんなことを思ったんですが、決して世間の負け犬街道を邁進している自分への言い訳ではない、はず、です。ええ。(フリーランスという名の半分ニートです)(今年の年収とか恥ずかしくって口にできないぜ)
そんな隈公のお言葉。 「諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ」
………「百敗不屈」といい、私が嵌る相手ってわかりやすいなー…。
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