昨日は、S宮さんをナンパしまして(いつもナンパするかされるか、な我々…)「鳥歳馴れ初めの地で浴衣+花火デート」でした。 うふふふふ、素敵でしたよーS宮さんの浴 衣 ! ほっそりしたうなじに釘づけでした。(←危険人物) しかし、教訓そのいち。「下駄履きで史跡廻りはするもんじゃない。」 当り前っちゃ当り前なんですけどね…。道々、「昔の人は足の裏が強かったに違いない」と言い合ってました。
当初、「鳥歳馴れ初め=国府台」という認識だった我々なのですが、デート前日仕事帰りに葛生さんたら図書館で、どういうわけか、探してもいないのに「明治初期の市川の地図」の載った本に出くわしてしまい。見れば見事に宿場のサイズが判る素敵資料だったりしたので。探しに行った伝習隊資料そっちのけで内心喝采しつつがしがしコピってきて、一夜漬けで知識を詰めこみました。(資料集めをしていると、時折思わぬタイミング&場所で資料が向うから近づいてきてくれることがありますよな…) 地図を見ながら、うむむ…と唸って南柯紀行を引っ張り出す。圭介の文章を確認して、再びうむむ…と唸る。 あのですね。圭介、ひとっ言も、「国府台(鴻の台)に行った」とは書いてなかったです…。 「鴻の台を目指して行ったら、市川の渡で小笠原新太郎が迎えに来て、“皆市川宿にいるから早よ来いや!”と言うので“市川駅畔の小寺院”に行った」んですよ。 うわあ何か凄い勘違いしてた…!(愕) と、いうわけで、最初の予定では「国府台駅で待ち合わせて里見公園(国府台城址)までお散歩」だったのを、急遽「市川の渡しと市川宿周辺の散策」に切り替えました。「鳥歳初顔合わせは此処か…!?」と、住宅街をうろちょろ、もとい、カラコロ(下駄なので)。『圭介伝』では「大林院だと思われる」という書かれ方で、不確かっぽかったので、当時の宿場区域内に現存する寺廻りを敢行いたしました。暑かった…で、なくて、けっこう面白かったので、裏付け知識を加えて何らかの形でご報告します。…そのうちに。(裏付け取るのにちょっと手間がかかりそうです)
【市川の渡し跡・小笠原新太郎視点】 【花火(って撮るの難しい…F1マシンの方が簡単だよ…)】
先週末も思ったのですが、あれですな、三味や端唄、風鈴と一緒で、花火もやはり蒸し暑い日本の夏の、涼を取るための先人の知恵のような気がします。単に日が落ちたというだけでなく、どーんと腹の底に響くあの音が聞こえると、暑さが吹っ飛ぶ。外国でも昨今“fireworks”はイベント事につきものですが、あれは「花火」じゃありません。派手ではあるけど、風流ではない。色合いも単調だし、何より腹の底に響かない。やっぱり「尺玉」じゃないと駄目だよなあ…と、知ったかぶる葛生さんはまだ「三尺玉」は未経験ですが。(長岡に行きたいと言い続けて三年目、未だ実現せず…orz) しかしそんな風流だとか言ってるわりに、「砲声殷々たり」と呟いてみたり、 「圭介に似合う花火って何色なんでしょう?」 「…色というより、いっそ線香花火で。」 「伝習隊はネズミ花火を仕掛けて遊びそうだ…。」 「圭介は怒っても怖くなさそうですからねえ。小っちゃいし。」 「圭介の好きな花火、だったら、結構パラシュートとか面白がりそう。どんな構造なんだろう、て。」 「ああ、思わず分解したくなる系で。」 ……何の話か。 銃弾足りなくて造ってる最中に嫌気が差してつい花火を作ってみようとして本多に怒られ滝川大川に笑われる圭介とか腐れ脳内で考えてたなんてS宮さんには内緒。「こいつを敵のど真ん中で破裂さしてやったら吃驚すると思わんか?」「あーはいはい鬱憤溜まってるのは分りましたから莫迦も休み休み言いましょうねー」「ぎゃはははは…!」とか科白が廻ってたなんて口が裂けても言えない。
今日は、朝から浴衣の洗い張り。今年はあとは秋祭りに着ていくかどうか…といったところなので、そのまま片付けてもOKな状態にしておかねばー。アイロンかけるの面倒だから、寝押しにしちゃおうかな…と思って、床の掃除もしました。●週間ぶりに…(怖くて実態が明かせない)
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