みみずのたはごと

2004年11月09日(火)  祝!問題解決ーvv

五稜郭の窓は、連子窓であることが判明しました★

情報源は、本日自宅に届いた『季刊大林 No.499』。建設大手・大林組のPR誌(半分以上業界内向けとみた)でして、毎回プロジェクトチームが様々な建築の想定復元と未来構想を研究発表してるのですが、この号ではなんと五稜郭の復元プロジェクトに取り組んでまして。それと知るなり発作的に広報室に手紙書いてました。「幕末期の函館について研究している者ですが」と銘打って(爆)
…う、嘘じゃないもん(たぶん)研究してるもん幕末の箱館(ある意味では)…!←本当にすみません広報室の○○さん、騙すつもりはありませんでした。ただほんのちょびっとだけ説明を端折っただけです…(屠腹)
しかしこれ、すごい資料でした。期待以上。何せ、平面図の詳説に加え、立面図・俯瞰図、屋根や窓の形状、建築技法、建材、はては壁の色まで、発掘調査された遺構の状況と当時の図面・文献資料を裏付けとし、現存するたった二枚の写真の一枚を元に、最先端の技術(CGとか)を駆使して再現してます。さらには土木工事の施工にかかった技術と経費を弁天台場のそれと比較してみたり、五稜郭の立地を検討してみたり、細かな数字データを並べて様々な方角から検討していて、単純に研究成果としても素晴らしい出来。さすがは大手ゼネコンのプロジェクトチームです。
戦国の城郭建築の常識からみると五稜郭の位置というのは非常に不自然な印象をもっていたのですが、それも明快に解説してくれました。プロジェクトチームでも、やはりあの位置は戦闘を想定しているようには思えないという議論が起こったそうですが、資料を研究した結果、あの位置は、箱館港と外洋とを一度に見張れ、いざというときに各藩の陣屋や箱館の町への応援もしやすい距離で、左右は泥沼に囲まれているから堀さえ作れば守りも堅い、という見立てによるものだと判ったとのこと。ついでにいえば、あれだけ内陸に造っておけば艦砲射撃も当たらない予定だったらしいですが(笑)←思いっきり命中しとりますがな;;
いやいやいや…しかしおいしい資料でした。ざっと目を通しただけでも涎が止まりません(汚い)。笑いも止まりません。稜堡式築城の歴史なんかも解説されてるので、じっくり読むとします。ぐふ、ぐふふ…(怖)

●進行状況
『朝明』のときもそうだったんですが、「土方と大鳥を同時に登場させると夫婦漫才を始めちまうので話が進まない」法則がそこかしこで進行中。手綱を取り戻すのに躍起になってます。


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]