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どんぐり国の門番日記
団栗七衛門
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2001年04月23日(月)
どんぐりの国の門番

そうそう、今日はつばめを見かけましたな。
気持ち良さそうに飛んでおりました。

はじめまして。
小生の名は、団栗七衛門。
もちろん、本名ではござらん。職名である。
天国がそうであるように、団栗(どんぐり)の国にも12の門がある。

そして、その七番目の門の門番、すなわち門衛を預かっておるゆえ
こういう名なのである。








2001年04月24日(火)
真珠の門

今日は雨の一日でありました。

小生が毎日番をしているところの門のことでありますが、
そう、何とも言えない白さで輝いている門のことであります。
この門は、天国の門と同じく、
ひとつの大きな真珠から出来ておるのであります。

真珠の輝きは、おそらく、真珠を生み出すために苦しんだ
あこや貝に贈られた神さまの賜物だろうと考えております。
苦しみの分だけ、深い輝きを放つのではないだろうか。

なんだか人生のようであります。

これだけ大きな真珠が造られるためのあこや貝の苦しみとは
いったいどれ程ものでありましょうか。
そう考えると、
この門の輝きがいっそう増していくように感じられるのであります。

雨の中の真珠の門は、雨の中に輝く新緑に
負けず劣らず素敵なものであります。



2001年04月25日(水)
立っている

今朝方は雨が降っており少々肌寒くも感じましたが、
昼頃にはすっかり上がり心地よい風が吹いておりました。
今日も一日、門のところに立っておりました。

時折、思い出します。
小学校、中学校の頃はよく廊下に立たされたものであります。
職員室前に立たされたり、時には正座なんていうのもありました。

今となっては何が原因であったのか
ひとつひとつ正確には思い出せませぬが、
いい思い出であります。



2001年04月26日(木)
目に見えないものどろぼう

今日もいい天気。心地よい風が吹いておりました。
洗濯物もよく乾いたのではないでしょうか。

毎日門番として立っておりますと、いろいろな人に出会います。
もう何年も前のことではありますが、不思議な少年に逢いました。
話を聞くところによると、
自分は目に見えないものを盗むどろぼうだというのです。
はじめはからかっているものだと思っておったのでありますが
どうもそうでもないらしい。
こちらも興味が湧いていろいろと質問してみたりもいたしました。
するとますます、その少年の話が真実味をおびて聞こえてくるのであります。

目に見えるものを盗んだなら、警察のご厄介にならねばなりませぬが、
目に見えないものとなると、これは難しいかもしれませぬ。
目に見えるものに価値を置く世界では、立証が難しい。

よくよく考えてみますれば、本当に大切なものというものは、
目に見えるものよりも、目に見えないもののほうが
大切なものが多いことに気づかされるのであります。
私はその少年からそんな目には見えない大切な事を
教えてもらったように思います。

これでは、彼は「どろぼう」というより・・・・。
あれ、ちょっと待てよ、でもやはり何か盗まれたのかもしれませぬ。



2001年04月27日(金)
のがれの街

ところで「のがれの街」この名を聞いたことがあるでしょうか。聖書にも登場いたしますが、このどんぐりの国にもそう呼ばれる街が存在するのです。聖書に登場するその街は誤って人を殺してしまった者が復讐するものの手から逃れるために用意された街。このどんぐりの国のこの街は、自らの罪に責めさいなまれる者たちが集まる場所なのだそうであります。

悲しいかな、人というもの、生きている限り、罪とは無関係ではいられない。知ろうと知るまいと誰かしらを傷つけて生きていくのであります。たといひとつひとつの罪を誠実に償おうとしても、おそらくそれは不可能なこと、また償いきれないといって、自分を責めて生きたからとてそれがいったい誰の何の益となるのでしょう。

おそらく自らの罪を深く認める人は心の奥底では赦されたがっているのです。のがれの街の人々も赦されることを待っているのです。罪を認めるわけではありません。あくまでも罪は憎むべきものでありましょう。だが間違ってはいけません。罪は赦されるためにあるのです。



2001年04月30日(月)
天使のつばさ

天使を見たことのある方はおられるますか。かく言う小生もないのでありますが、天使のことを話にはよく聞くのであります。一般的に天使の翼というと、鳥のように一対の翼、すなわち二枚の翼を思い起こす方が多いのではないでしょうか。
度々、聖書の話を持ち出して申し訳ないのでありますが、聖書にセラフィムと呼ばれる天使のような存在が描かれております。そして、そのセラフィムは三対の翼、そう六枚の翼を持っているというのであります。

このどんぐりの国では、天使の翼はそのセラフィムのように三対あると信じられております。そしてその三対の翼には役割があるというのです。一対の翼は、より高く高く舞い上がる鷲の翼。もう一対は、より遠く果てしなく飛んでゆくため渡り鳥の翼。そして最後の一対はより深く深く人々の心に届き、人の弱さを包み込む母鳥の翼だといわれるのであります。



2001年10月17日(水)
加害者なのか被害者なのかそこが問題

団栗の国には傷を負った人達がやってこられます。その人たちを暖かく迎え入れるのが、小生の門番の仕事なのであります。前にもお話ししたのでありますが、この国の入国にあたっては一つだけ条件があるのです。それは自分が負い目のある存在だと認識しているかどうかということなのであります。傷つけられた、裏切られた、顔に泥を塗られた等、「〜された」ことに対しての怒りや恨みで心がいっぱいで、自分が相手を傷つけてしまった可能性をまったく考えられない人はご遠慮願うことになっているのです。ただ、そういう人がお出でになった際には、小生としても折角来ていただいて、そのまま追い返すのも忍びないので、いろいろお話しするのです。条件に適う側面を見いだせないかと試みるのですが、「お前は俺に説教するつもりか!」とお叱りの言葉を頂くこともしばしば。仕事とはいえ、つらいものであります。