心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2015年01月25日(日) 翻訳企画:AAの回復率(その2)

さて、まず最初のセクションでは「AAに参加した人の1年後の回復率は5%である」という誤解が生じる原因となった、AAのメンバー調査(メンバーシップサーヴェイ)についての基礎情報からです。

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a) 3年おきのAAメンバー調査

1968年、アルコホーリクス・アノニマスはメンバー調査という棚卸しを行った。AA共同体についてより詳しく知る必要性が認められたため、地方選出常任理事によりいくつかのAAグループに対して小規模で試験的な調査が行われた。その目的は、メンバーが自由意志で無記名式調査票にどう返答するか見極めるためだった。

その結果が良好だったので、委員会を設置して、アメリカ・カナダ国内で登録されたグループの5%を対象とした調査を行うことになった。後のパンフレット『アルコホーリクス・アノニマス・サーヴェイ』(過去にP-38という番号が振られていた)は以下のように説明している。

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最初にAAとそのメンバーについてより正確な情報の必要性を指摘したのは、当時のAA常任理事会議長でノン・アルコホーリクのジョン・L・ノリス博士だった。
ノリス博士はアルコホリズムを研究・治療する医学的・科学的コミュニティに対して、AAの効果を示す多数の実例を紹介することができたが、しかし正確な情報を提示することはできなかった。
彼は常任理事会の方針委員会の席上でこの問題について述べ、AA共同体がより正確な情報を提供するための方法を検討するよう依頼した。
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ノリス博士は「調査を企画したのには、二つの大きな理由がある」と述べている。
1.AA共同体とその有効性について、より正確なデータを、現在増加しつつあるアルコホリズムの分野で働く医師、精神科医、ソーシャルワーカー、法律家などに提供できるようになる。
2.AA自身についてより多くの情報を提供することにより、AAメンバーが、この世界でまだ苦しんでいる何百万人ものアルコホーリクをより有効に手助けできるようになる。

1968年に行われた最初の調査では、アメリカ・カナダ国内の11,355人のAAメンバーが抽出された。この調査が好評かつ有用であったため、アルコホーリクス・アノニマスのゼネラル・サービス評議会はこれを定期的に行うこととした。AAによるこの「3年次調査」は1968年の最初の調査以来3年ごとに続けられている。1996年の調査はゼネラル・サービス評議会が調査の内容について議論したため1年遅くなった。P-48と番号がつけられたAAのパンフレットが調査のおおむね翌年に発行され、その結果を報告している。

これまでに出版されたAAメンバー調査のパンフレット(P-48)
 1971年AAミーティングの統計データ
 1974年AAミーティングの統計データ
 1977年AAメンバー
 1980年AAメンバー
 1983年AAメンバー
 1986年AAメンバー
 アルコホーリクス・アノニマス1989年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1992年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1996年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス1998年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2001年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2004年メンバー調査
 アルコホーリクス・アノニマス2007年メンバー調査

2004年のメンバー調査は2004年8月1〜14日に行われた。あらかじめ700のAAグループがランダムに選ばれた。その前年に、選ばれたグループのゼネラル・サービス代議員(GSR)あるいは連絡員に調査票が配られた。

直近の調査は2007年の夏に行われた。その結果は2008年に出版され、本論の「更新版」に反映されている。調査は定期的に開かれているAAミーティングで行われた。選ばれたグループは、メンバー調査を行うために特別なミーティングを開催しないように求められた。

定期的に開かれているミーティングに参加したすべてのメンバーは、調査票を手渡され、全項目に記入するように求められた(すでに他のミーティングで調査に応じている場合を除く)。調査票は無記名式で秘密が保持されるようになっており、記入済みの調査票はゼネラル・サービス・オフィス(GSO)の広報担当者宛に返送された。

成功を計る基準としてソブラエティの長さを用いる
回復の「成功率」を比較するにあたっては、「成功」という言葉の意味が多くの研究者や評論家の間でまったく定まっていないことを理解しておかなければならない。

あるAAメンバーが5年間アルコールを口にしていなければ、ほとんどの評者はそれを成功と判定することに異論はないだろう。その場合、ソブラエティ(断酒)が最初にミーティングに参加した日に始まったのか、それともそれより相当後になってからであるかは問われない。5年間しらふでいることが重要なのである。

現在ではどこでもAAを見つけることができる。そのため多くの人たちが、アルコホリズムの下り螺旋の底に達するよりずっと早くAAにやってくる。彼らが最終的にAAを必要としAAを求めるようになる頃には、AAが何であるかすでに知ることとなっている。そのことは、1970年に出版されたパンフレット「AAサーヴェイ(The Alcoholics Anonymous Survey)」にも記されている。これは1968年に行われた最初の調査について報告している。(注:引用中にある表3および表4は本論に含まれていない)。

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ソブラエティ(断酒)期間の長さ
表3:最後の飲酒から経過した期間
ほとんどの人は、AAにやってきてから後のある時点から酒をやめている。それは最初のAAミーティングへの参加より後になる。酒をやめるのは、最初のミーティングの一週間後かもしれないし、一ヶ月後、一年後ということもありえる。しかしいったん断酒が達成されると、その大多数は飲酒に戻らないことが経験上示されている(強調は引用者による)。

AAは、しらふになった後に、飲酒することなく正常な生活に戻り、一杯の酒も飲まずに一生を終えたアルコホーリクの統計を取ってはいないが、私たちはこれがAAプログラムを受け入れた人の標準的なパターンであると推定してよい。

AAはこのように継続したソブラエティ(断酒)を成功と見なしている。ソブラエティとはアルコホーリクが飲酒することなく普通の生活を送ることである。しかしながら、医学・科学のコミュニティにおいては、成功の判断にあまり多くを求めない基準がしばしば用いられる。頻繁に用いられるのは、完全断酒1年という基準である。

この標準を用いれば、アメリカおよびカナダ国内のAAミーティング会場ではどこでも多くの断酒成功例に出会えるだろう。

AAミーティングで調査票を記入した11,355人のメンバーのうち60%が、1年以上アルコールを飲んでいないと回答している(強調は引用者による)。次に示すデータによれば、残りの40%の多数はニューカマーであって、すでに酒をやめているか、最初のミーティングからそう長くない後に酒をやめると想定される。

...

AAが効果を示すまでの期間
表4:最初にAAを訪れてから酒をやめるまでの期間の長さ
AAの機能を示すもうひとつの指標は、調査回答者の41%が最初のミーティングの直後に酒をやめ、また23%が1年以内に酒をやめている(合わせて64%)という事実によって示される(強調は引用者による)。

女性の調査回答者の68%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、男性は63%である。また30才未満の回答者の74%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、30才以上では63%となっている。

調査対象者の中にはまだ断酒に成功していない人もかなりいるが、彼らの回復を絶望的だと見なすAAメンバーはまずいないことも述べておかなければならない。ほぼ、あるいはまったく酒がやめられないまま何年間もAAに出席を続け、最終的には断酒を達成した、という人をAAメンバーの多くは少なくとも一人は知っている。(酒がやめられないアルコホーリクがいても)その人がまだ生きているうちは、まだAAが効果を現していないだけだと、AAメンバーの大多数は考えるだろう。
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(続きます)


2015年01月24日(土) 翻訳企画:AAの回復率(その1)

AAでの回復率や断酒率は、いったいどれぐらいでしょうか・・・。つまり、AAに行く人の何割が酒をやめられるのでしょうか。

これについては、様々なことが言われています。高い数字を挙げる人もあれば、低い数字を言う人もいます。どの話もだいたい根拠が怪しいものです。単なるヨタ話で済ませておけばいいものを、それをネットに掲げられたり、出版物に掲載されたりすると、なんとなく信憑性を帯びて広がることもあります。

怪しげな数字として挙げられる第一のものは、「AAにおける回復率は数%だ」というものです。代表的な例は5%です。例えば、

Why People Drop Out of AA
https://rational.org/index.php?id=56

上のサイトでは、AAの新人の5割は30日未満でドロップアウトしてしまい、1年後に残っている率は5%に過ぎない・・と主張しています。仮にその5%が全員酒をやめていたとして、ようやく回復率5%ってことになりますね。

まあ、このサイトは「ラショナル・リカバリー(理性的回復)」という、非AAの断酒団体のものですから、AAに対する自分たちの優位性を示そうと、こういった数字を出しているのでしょう。(ただ、後述しますが、この5%という数字の解釈には恥ずかしいほど大きな誤りがあります)。

反対に、こうした数パーセントの回復率という数字を鵜呑みにした上で、数十年前のAAは7割とか8割の回復率を誇っていた、という主張をする人たちもいます。こちらの数字はウソではないのですが(ビッグブックにそう書いてあるしね)、回復率というのは分数で表されますから、分母と分子に何を置くかで数字はいくらでも変化します。そのあたりの事情を酌まないとなりません。

ともあれ、「(少なくとも今の)AAは断酒に有効ではない」という、何を根拠にそう主張しているのか怪しい話に対して、それなりの反証が必要ですね。

そのあたりをじっくり書こうと思っても、ちゃんとしたことを書こうとすれば調べ物に時間がかかりすぎます(それこそ「研究」になっちゃいます)。なにか雑記の良いネタはないか・・と探しているうちに見つけたのが、この論文です。

Alcoholics Anonymous (AA) Recovery Outcome Rates
Contemporary Myth and Misinterpretation
http://hindsfoot.org/recout01.pdf

2〜3年前にここで紹介しようと翻訳を進めていたのですが、忙しくて他のことをしているうちに、どんどん先に伸びてしまいました。特に引っ越し前後からは手がついていなかったのですが、それなりの形になったので、掲載することにしました。

著者はアメリカ在住の3人のAAメンバー。丹念な調査をもとに、5%の回復率の誤解を明らかにし、7割・8割の回復率の謎を解き、今の(アメリカ・カナダの)AAが持っているデータを元にAAの有効性についてどのような主張が可能なのかを検証しています。彼らの主張にまったく偏りがないとは言えませんが、AAの回復率についてこれ以上しっかりした調査は他には見あたりません。

長いので何回かに分けての連載になります。では、お読みいただきたい。

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アルコホーリクス・アノニマス(AA)の回復率
 〜現代における神話と誤解〜

2008年1月1日

(2008年10月11日――2007年のメンバー調査の結果を反映)

はじめに

この論文はAAメンバーのために書かれたもので、AAの歴史的な記録を調査した結果を内外に伝達することを目的としている。AAにおける回復率について広がっている誤解や誤った評価についての情報を、AAメンバーや学術的研究を行う人々に提供する。

アルコホーリクス・アノニマスの共同体は、外部の議論への参加や公の議論を避けるという原則を長年にわたって確立し実践してきた。筆者たちはAAを代弁していないことを強調しておかなければならない。私たちはAAの歴史に関心を持ち、その歴史の解釈の誤りや(根拠のない)神話の蔓延を正す必要性を確信するものである。

アーサー・S、テキサス州アーリントン
トム・E、ニューヨーク州ラッピンガー
グレン・C、インディアナ州サウスベンド

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この論文の出版は、アルコホーリクス・アノニマスおよびその世界的なサービス機構のいずれかが、この内容について提携したり、承認したり、支持していることを意味しない。この論文に示された見解は、すべて筆者らのみによるものである。
AA、Alcoholics Anonymous、The Big Book、Box 4-5-9、The Grapevine、GV、Box 1980およびLa Vinaはすべてアルコホーリクス・アノニマス・ワールド・サービス社(AAWS)およびAAグレープバイン社の登録商標である。
AAWSおよびAAグレープバイン社の出版物からのこの論文への引用は、合衆国著作権法の批判・批評・学識および研究のためのグッドフェイス・アンド・フェアユース条項によるものである。
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前書き

「ひどい思い出ではなく、良い日々の思い出が(トラブルの)原因であるものさ」
  〜フランクリン・アダムス(1881-1960)

この論文は、現在のAAが経験している5%(あるいはそれ以下)の「成功率」と、それとは対照的に1940年代・1950年代にAAが享受したとされている50%、70%、75%、80%あるいは93%(どうぞお好きなのを選んで)の「成功率」についての誤った神話に焦点を当てる。ここで「神話」という言葉を用いるのは、(現在の)低いとされる成功率は想像やねつ造によるもので、事実に基づいた調査によるものではなく、無関心の産物にすぎないことを強調するためである。

一方、注目すべきは(過去の)神話的なパーセントの数字の由来である。それには系統だった調査や、他者による追試や、引用出典の確認という確立した手法の欠如が見られる。こうした神話を広めようとしている者の中には自らを「AA歴史愛好家」を名乗るAAメンバーが少なくない。彼らがフィクションを真実として、また風聞を歴史的事実だと主張しているのは、実に残念なことである。

AA共同体には口伝(述べ伝え)の伝統が強くある。多くの情報は口から語られた言葉として手渡されていく。これには良い面と悪い面がある。神話と真実をどう見分けたら良いのか? AAメンバーは心から何かを真実だと信じていると表明することはできるが、それが正確であるとは限らない。これが神話と真実の違いである。であるがゆえに、本論では確実性を期すため、内容が信頼できる独立した文書の情報源によって確認するという多大な努力が払われた。情報源については脚注および本文中に示してある。

インターネットにおいても、また出版物やAAメンバー個人の話、あるいはテレビにおいても、初期から中期のAAを描写する際に、その典型的な回復率を50~75%としている。こうした高い数字は、しばしば続いて現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという描写を伴っている。この(高率と低率の)二つの数字の組み合わせは、牧歌的な過去のAAと、現在の荒涼たるAAとを対比させるために使われる。

・現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという主張は誤りである。それは、AAのゼネラル・サービス・オフィス 1 が「AAメンバー調査」について1989〜1990年に作成した内部報告書を間違って解釈した結果であり、それが誤ったまま広められたものである。

1. アメリカ・カナダのゼネラル・サービス・オフィス(GSO)はニューヨーク市にある。本論ではしばしばAAWS/GSOと表記する。

・AAの(初期における)50~70%の回復率という主張はAAのさまざまな書籍やその他の出版物を出典としているが、たったひとつの例外を除いてその根拠を示していない。その根拠はビッグブック 2 初版に収められたAAメンバーたちの個人的な経験談に帰せられる。

2. 「ビッグブック」という言葉はAAの基本テキストである『アルコホーリクス・アノニマス』という本のタイトルの代わりに使われている(どちらもAAWSの登録商標である)。

50~70%の回復率という数字は、1941年に最初に出版物に登場してから現在に至るまで、変更されることも妥当性を検討されることもなく、引用され続けている。

1989~1990年のゼネラルサービスオフィス(GSO)の内部報告書は、過去5回のAAメンバー調査を分析したものだが、これに含まれた手書きのグラフが、AAの「回復率」が5%あるいはそれ以下(もしくはAAの失敗率が95%以上)であるという誤った解釈をしつこく作り出している。 3

3. “AA’s Triennial Surveys”(AAの3年ごとの調査について)というタイトルで、1977~1989年の5回の調査についてのものである。

AAについてのこれほど重大なしかも否定的な推定が、不用意に流通され、それが「確実」であると主張され、しかも、どこで、いつその「確実性」が確立されたのかが示されることがないのは驚くべきことである。過去の文献からの引用があっても、それは注意を欠いたおざなりなものにすぎず、多くの場合、誤りのある他の出版物を(無批判に)信用して参照・引用しているのみである。誤りを含んだ引用が、他の誤りを含んだ引用を補強するために使われている。

さらに不幸なことは、そうした執筆者(あるいははAAの歴史愛好家たち)の中に、引用元の統計的な信頼性や正確性について、引用元のオリジナルデータを、批判的にかつバイアスを持たずに調査した者は明らかにいない。メンバー調査に示された基礎的なデータから「失敗率」と見なされている数字を単に複製しているに過ぎないのである。その基礎的データとデータの示す意味は、この節の後半に示す。

近年、インターネットを使うことで、誰でも参加できる国際的な討論の場を設けることが容易になった。「回復」、「AAの歴史」、「AAアーカイブ」などと呼ばれるウェブサイトの数も激増した。それらは個人的な不平や長話で溢れかえっているが、AAの歴史やAAの回復のプログラムについても極めて幅広く(修正主義者のものも)扱われている。学術的・医学的な興味を満たすサイトも同様に大量に登場している。

(それらにより)現在のAAにおける回復率が10%、5%、あるいはそれ以下という誤った神話は、その正確性について疑問を投げかけられることも、また根拠を調査されることもないまま、広く伝搬することとなった。AAの回復率あるいは失敗率という話題は、逸話的な誤伝、誤った解釈、主観による大きな影響を受けているのである。

AAにおける回復率についての議論、調査、分析を、この論文では二つのカテゴリに分けた調査として報告する。

最初のカテゴリは、現在のAAが5%あるいはそれ以下の回復率しか成し遂げていないという(極めて誤りの多い)主張についてである。このがっかりする成功率の主張は間違いなのであるが、AAメンバーの中にはこれを躊躇なく信じるばかりでなく、個人的な意見を補強する材料として使おうとする一派がある。彼らはAAの歴史の修正主義者であり、初期のAAプログラムの優越性を誇大に主張して宣伝している。

二番目のカテゴリは、50%の人がAAですぐに成功し、「スリップ」した者の半分(25%)が戻ってきて成功することで、全体として75%の回復率を示したという、広く信じられかつ繰り返し表明される見解についてである。これは1930年代後半にAAが始まって以来、「最善の推定値」として流布している。
この論文では、これを「50%+25%の成功率(トータルで75%の成功率)」と表現する。

現在までの研究成果によれば、この「50%+25%の成功率」はAAの(初期から現在までを通して)さまざまに見積もられた成功率の中でも最善の値であろうと考えられる。

・この「50%+25%の成功率」という数字には、「真剣にAAに取り組んで努力した対象者について」というただひとつの条件が付けられているが、この条件は極めて重要であるにも関わらず無視されることが多い。(つまりはAAに十分時間や労力を割いた上でなおAAを出ていくかどうか、ということ)。これには、この治療方法に努力して取り組んだ対象でないと、「成功」したのか「失敗」したのかを判定することはできない、という単純かつ明白な前提がある。

重要なことは、過去であれ、現在であれ、この(真剣に取り組んだ人という)カテゴリに当てはまる対象者は、対象者全体の20%あるいは40%(5人に1人か2人)と見積もられることである。

本論のこれ以降では、AAの成功率あるいは失敗率の由来となった情報源を特定し、また除外、ねつ造、誤解を受けた関連情報にも光を当てる。最初に関心と分析の対象となるのは、大きな誤解を受けてきた、GSOによる1989~1990年のメンバー調査の報告書である。

(続く)

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というわけで、今回は序論だけ。続きは次回になります。


2014年12月31日(水) それでもなお・・・

人は不合理、非論理、利己的です
 それでもなお、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
 それでもなお、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
不実な友だちと本物の敵に出会うでしょう
 それでもなお、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
 それでもなお、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたへの攻撃を招くでしょう
 それでもなお、正直で誠実であり続けなさい

何年もかけて作り上げたものが、一晩で壊されるでしょう
 それでもなお、作り続けなさい

本当に助けを必要とする人たちも、
助けたあなたに恩知らずの仕打ちをするでしょう
 それでもなお、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
 それでもなお、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

−−−−

マザー・テレサによるとされる詩ですが、調べていくとアメリカの元官僚ケント・M・キースによる「逆説の10ヵ条」が元になっていることが分かりました。なぜそれがマザー・テレサのものとされたのか調べ、それをネタに久しぶりに「心の家路」の更新をしました。こちらです。

それでもなお - ANYWAY
http://www.ieji.org/archive/anyway.html

マザー・テレサのものは「人を助けることについて」、キースのものは「リーダーシップについて」と、この二つはかなり趣が異なりますが、相通じるものだと再認識しました。

詳しいことは省きますが、今年ほど「人を助けることについて」また「リーダーシップとは何か」について考えた一年は過去になかったように思います。

今年は仏教の本を読みましたが、「人間の本質は自己中心である」だと説くのは仏教も他の宗教も変わりありません。ならば一人で生きていければ楽なのでしょうが、(数少ない例外を除けば)人間は一人では生きていけず、群れて社会を作って生きていくしかありません。自己中心的な存在が群れて生きていかざるを得ないところに難しさがあるのでしょう(ヤマアラシのジレンマ)。

12ステップの3番目で、私たちは「意志と生き方」をゆだねます。「生き方」とは人生そのものです。つまり、ステップ3を伝えるためには、伝える側が「人生とは何か」を知っていなければなりません。

そんなことも含めて、年の最後に、すべての援助者の人と、すべてのリーダーのために、「それでもなお(ANYWAY)」を紹介させていただきました。

今年も1年ありがとうございました。

今年一年の統計データ(Webalizer出力データ)
送出バイト数 227.0Gbytes
訪問者数 106万7千
リクエストページ数 1191万
リクエストファイル数 1283万
リクエスト数 1347万
一日あたりの訪問者数 2923人/日
(FC2ブログはカウンターを設置していないので不明)。

滅多に更新しなくなったせいで、アクセスもやや減りました。更新のために久しぶりにHTMLエディタを開いたら、使い方を忘れていて戸惑いました。最近は wikiのほうばかりいじっています。来年以降は完全にwikiに移行するかもしれません。

紅白にサザンが出ていましたね。ではではまた来年。


2014年12月11日(木) 人に属する

関東に越してきて、こちらのAAミーティングに多少なりとも顔を出しています。いろいろ忙しくてたくさんのミーティングには出席できていないのが残念です。それでもいくつかの会場を覗いてみて、数年前とは雰囲気やミーティングの進め方が変わっているところが多いことに気づかされました。

変化が起きたグループは、数年前とはメンバーががらりと入れ替わったか、古いメンバーが残っていたとしてもグループの運営が(ソーバーの長さが)若いメンバーに任されています。グループの雰囲気やミーティングの指向性は、運営を主に担っているメンバーの意向が反映されるものです。個人のリーダーシップに任せずいろいろなことを皆で話し合って決めていくのがAAですが、現場で運営に当たっている人間次第の要素もあります。

考えてみれば、僕も長野で3つAAグループを立ち上げましたが、どれも僕がグループを離れると、僕がいた頃とは違った考え方、やり方を取るようになりました。それについて、僕は干渉して元に戻そうとは思いませんでした。その理由は、アルコホーリックは人から干渉を受けることを好まない、ってこともありますが、むしろ、責任を負っていない人間の勝手な発言は現場に迷惑だというのがメインです。AAグループを存続させていく責任は、そのグループのメンバー以外には背負えないからです。

僕はあくまで僕自身のために一日一日、より素面になろうと生きてきたに過ぎません。何らかのパワー(例えば人への影響力とか)を身につける事を目的にしてきたわけではありません。しかし、どこの団体でもそうでしょうが、一つの団体の中で10年、20年と過ごしていくと、経験の長さがその人の言葉に何らかの重みを与えるようになります。それはAAとて例外ではなく、無責任なことは言えなくなってくるものです。(そのことに無自覚な人もいるし、自分の言葉に影響力がないのを恨む人もいるけどね)。

同じグループに長く留まりながら、新しい人たちにグループの運営を任せ、やり方が変わって行くのを口出しせず、静かに見守っていられる人はたいしたものだと思います。それができないのなら、別のグループに移るべきだとも思うんですけどね。

ともあれ、現実面でのやり方や方向性は、運営している人間次第ということです。そういったものは「人に属している」というわけだ。だから、人が入れ替われば、どんどん変化していって当然です。

AAは変化することが良いのでしょう。人が入れ替わっても、変化させずにとどめようとすれば、自然な変化を押しとどめるための強制力が必要になる。その強制力を「規則」を作ることによってもたらそうとすれば、AAは妙なことになってしまうでしょう。

だからといって、どんな変化が起きていっても良いわけではなく、AAがAAであるために必要な原理は受け継がれていかなければなりません。人から人へと手渡していく、述べ伝えていく、というやり方はうまく働きません。伝言ゲームと同じことが起きるだけです。だから、AAはビッグブックのようなテキストを用意し、一人ひとりがそのテキストから学ぶことで、原理が変わらずに受け継いでいけるようにしているわけです。

どんなにAAを愛する人であっても、いつかはAAを離れねばなりません。自分がAAを離れた後も、自分の考え方ややり方を受け継いでいって欲しい、と思うのは単なる利己主義でしょう。であるものの、AAがAAであるための原理は受け継がれていって欲しいものです。人は必ず滅ぶし、人の集まりであるAAグループもまたしかり。でも、AAという共同体は未来へと続いていって欲しいと願っているのです。共同体にも、テキスト本にも同じ「AA」という名前を付けたのは、そんな意図が込められているのかもしれませんね。


2014年10月11日(土) 一人ひとりの自由な解釈

最近は「心の家路」を更新する時間もあまり取れず、更新したとしてもwikiの方ばっかりでした。おかげで、この「日々雑記」は何ヶ月も更新されないままになっていました。ほったらかしにするのも良くないのでは、というご意見もいただきましたので、これからは月に何回かの更新を心がけたいと思います。

さて、AAプログラムをどのように解釈しようと、その人の自由である、とビル・Wは述べています。ここで、AAプログラムとは、たいていは「12のステップ」のことを指しているわけですが、当然同じことは12の伝統や、12の概念にも当てはまります(ただしその話は後回しにしましょう)。

ステップ4・5の棚卸しのやり方を取り上げてみても、たくさんの種類のやり方があります。どのやり方が正しく、どのやり方が間違っている・・と言うことはできません。

あえて言えば、人間は、自分に役に立ったやり方が「良いやり方だ」と評価する傾向があります。先日、AAのラウンドアップに参加しましたが、招かれた医師がこんな話をしていました。

「アルコール依存症の人で、私の病院を良い病院だと言ってくれる人がいる。それは、その人がこの病院に入院したことが、酒をやめるきっかけになったから、そう評価してくれるわけで、きっかけにならなかった人たちは違った評価をするだろう」

自分に利があるものを良しとする・・人は実にシンプルな評価基準を持っています。同じことは12ステップについても言えるでしょう。12ステップにいろいろな解釈があるなかで、自分を回復させてくれたやり方が「良いやり方」だと人は評価するでしょう。

試したやり方が一つだけの人は、そのやり方がベストだと言うでしょう。いくつか違ったやり方を試した人は、その中からどれかをベストに選ぶでしょう。人によってベストが違っている。だから、ステップをどのように解釈しても良いという自由がAAにはあるのでしょう。

僕はビッグブックをベースにしたやり方を自分で試し、人に勧めてもいるわけですが、それは僕がそれがベストだと信じているがゆえです。しかし、その気持ちが行き過ぎて、「このやり方が、他のどんなやり方よりも優れている」などと言いだしたとしたら、それは傲慢の極みでしょう。別の解釈があり得るということも認めなければなりませんし、時には積極的に今まで自分が試していなかった考えを取り入れ、いままでの自分の考えを否定していくことをしないと進歩がありません。

AAのプログラムは自由に解釈して良い・・同時に、自分の選んだ解釈が自分に回復をもたらすかどうか、それも自分の責任です。自分の選んだ解釈で回復できなかったとしても、それはその人の責任に帰されることになるでしょう。

では、12の伝統はどうか? こちらも12のステップと同じように、一人ひとりが自由に解釈することになります。12の伝統についても、ある一つの解釈を人に押しつけ、他の考え方を否定するようなことをすれば、それは傲慢の極みです。

しかし、12の伝統は、一人のAAメンバーはもちろんのこと、集団に対して使われるものでもありますから、人によって解釈が異なって良い、とばかり言っていられません。人によって解釈が違っていては困る場合も出てくるでしょう。皆で共有できる解釈を作らねばなりません。そこでメンバーが集まって民主的に話し合い、決める必要があります。あるグループが決めたことと、別のグループが決めたことが違っている場合もあるでしょう。それで当然ですし、違っていても差し支えなければ、そのままにしておけばよいし、なにかの関係で共有する必要があれば、議論していけばよいでしょう。

AAでは、どんな集団でも、そのメンバーが時間の経過とともに入れ替わっていきます。また、集団を構成するメンバー一人ひとりの考え方も時間とともに変化していきます。だから、伝統の解釈にも変化が生じます。

例えば、僕がAAにつながったころは「AAがコマーシャルを流す」なんてことは考えられませんでした。そのような宣伝行為はAAにはふさわしくない、と多くの人が考えていました。しかし、インターネットを通じて諸外国の事情が触れられる時代になると、海外のAAのなかには広告を出したり、CMを作って流しているところが結構たくさんあることが分かってきました。そんなことも影響したのでしょう、やがて日本のAAもCMを作って流すようになったわけです。

これは12の伝統を変えてしまったのではありません。以前の解釈が間違っていて、それが正された・・・というわけでもありません。同じ「CM」という一つの事柄に対して、違った判断が示されうる、ということです。それはAAのプログラムの性質を考えれば当然のことで、何か一つの絶対的な基準があり得る、と考えるべきではないのです。

(よく言われるように、12の伝統は基準ではなく、一人ひとりが考えるための判断材料です)。

このように、12の伝統についても、自分で自由に解釈して良いものです。しかし、集団として共有できる解釈を議論しているときには、自分の考えが否定されることもあるでしょうが、それはそれで良いのではないでしょうか。

ところで、12の伝統を「人を非難する道具」に使う人もいるのが残念なことです。AAのプログラムは人を非難したり攻撃したりするためのものではないのですが、人はその誘惑に負けることがあります(僕にも当然その経験があります)。人間は誰しも完璧ではあり得ないのですから、そのような不完全さを受け入れ、理解するように努めていかなければなりません。


2014年07月22日(火) 変化への備え

依存症の人たちは「回復」という言葉を使います。回復とは何かを定義するのは難しいのですが、少なくとも「回復には変化が含まれる」ことは確かです。何も変えないで回復を得ることはあり得ないわけで、自分の中の何かが変わることが必要です。

「自分は、自分のままでいい」と言ってくれるやり方もありますが、そう言いながらも(中身を良く読んでみれば)自分を変えることを求めていることが分かります。

では私たちは、どうやって自分を変えたらよいのでしょうか?

Joe and Charlie の中に、「車を買い換えようと思うときに、あなたが一番最初にすることは何か?」という例え話が出てきます。車を持っていない人は、携帯電話でも、パソコンでも、冷蔵庫でも、何でもいま自分が持っているものを思い浮かべて、それを買い換える場面を想像してもらえばよいです。

多くの人の答えは、お金を用意すること(そのために宝くじを買う?)だったり、お店に行って車種を選ぶことだったりします。しかし、それよりもっと前にしなければならないことがあります。

それは「いま乗っている古い車を諦めること」です。オイルやタイヤを換えてみたら、まだまだ大丈夫じゃないか・・と思っているうちは、人は新しい車を買うことはありません。いまの車に乗り続けることをギブアップしてから、ようやく違うものを手に入れる行動が始まるのです。

同じことは自分自身についても言えます。自分が変わるためには、今のままの自分でいることにギブアップする必要があります。そのためには、過去に自分が積み上げてきた何かの価値を否定する必要も出てきます。

アルコホーリクが酒をやめるときについても、同じことは言えます。「まだまだ俺は酒を飲み続けても生きていける。大丈夫だ」と思っているうちは、酒をやめようとはしませんし、やめることによって得られる新しい幸せを得ることもありません。酒の種類や飲む場所を工夫して飲み続けることでしょう。その人にとって飲むことは価値があるのでしょうが、その価値を諦めることがまず必要です。

僕は年に何回か、ビッグブックに書かれた12ステップを1〜2日かけて説明するという企画に参加しています。ビッグブック(つまりアルコホーリクス・アノニマスという名の本)に書かれた12ステップにはいろいろな特徴がありますが、その一つはステップ4の棚卸表を「表形式」で書くことです。具体的にはp.94〜95にサンプルがあります。

このやり方が日本で広がる前には、「ライフストーリー形式」と呼ばれる書き方が定着していました(もちろん今でもある)。こちらはノートに自分の人生の物語を書いていくものです。思い出せる限りの昔から現在に至るまで、出来事を書き連ねていきます。

なぜ日本でライフストーリー形式が広がったのか、正確な事情は分かりません。もともとアメリカで始まったAAには表形式の棚卸しのやり方しかなかったものが、時代が下るに連れて多様化していったようです。例えばネットで検索してみれば カリフォルニア式 なる棚卸しガイドが見つかります。5年以上回復を続けてから、この180個ぐらいの質問に答えていくのだそうです。これはハードルが高いですね。

多様化したやり方の中の一つがストーリー形式で、アメリカにもストーリー形式の棚卸しがあった(ある)のだそうです。そして、そのやり方「だけ」が日本に伝えられ、それ以外のやり方が伝わってこなかった、ということだと思われます。

僕もストーリー形式の棚卸しをやった経験がありますが、もちろんそれにも良い点があります。そのことは否定すべきではないと思います。では、表形式と同じ効果が得られるか、と聞かれれば、答えはノーです(キッパリ)。

ビッグブックのステップを扱ったイベントに来る人たちは、12ステップによる回復を求めている人たちなのだと思います(少なくとも回復に関心はある人たちです)。ではあるものの、その後、その人たちがそのやり方の12ステップに取り組むとは限りません。

それまで12ステップの経験の無かった人の場合には、その後に取り組んだという話を聞くことが割りと多いように思います。しかし、すでにストーリー形式で棚卸しを経験した人で、改めて表形式で棚卸しをやってみる人は実はなかなか少ないのです。その理由はやはりすでに自分が経験した棚卸し(ストーリー形式)の価値を否定できず、捨てきれないからでしょう。

誰にとっても、それまで自分が積み上げてきたものの価値を否定するのはたやすくはありません。それが変化に対する抵抗を生みます。その抵抗が、回復の足枷となることもしばしばです。

12ステップに限らず、世の中には何かを伝える催しがたくさんあります。依存症の領域にも動機付け面接やCRAFTのような新しい手法が導入されつつあり、セミナーや研修が行われています。そうした研修に参加するのは新しい何かを手に入れるのが動機でしょう。参加して「目からウロコが落ちた」という感想を言う人がいます。こういう人は、自分がそれまで積み上げた何かの価値を(いったんは)さらりと否定する能力を備えています。一方、せっかく新しい手法の研修に来ているのに、「これまで自分がやってきた方法は間違いじゃなかったんだ」という感想を言う人もいます。こういう人は実に多いのですが、せっかく参加したセミナーや研修から何も得ないこと間違いなしです。実にもったいない。

何かを手に入れるためには、別の何かを手放さなければならない。人はこれから手に入れることのことばかり考えますが、むしろ何を手放すかを考えることが自分自身を変える始まりになるのです。

アルコホーリクはとりわけ変化に対する抵抗が強い人たちのようです。何かを変える必要があったとして、その必要を頭で(理屈で)分かっていたとしても、感情の面で「その気になれない」、というタイプが多いように思います。自分自身の過去の経験を振り返ってみても、そう言えます。

なぜ変化に抵抗するかと言えば、未経験のこと対して恐れ(不安)の気持ちが強いからでしょう。

ところが12ステップを経験した人の場合には、変化への抵抗が小さくなります。なぜなら、回復を経験したということは、即ち自分自身に起きた変化を経験したということです。執着のあった何かを手放して、別のもっと良いものを手に入れた経験を持っているからです。

もちろん回復しても不安はゼロにはなりません。なぜならもっと良いものが手に入るという100%の保証はないからです。けれど、こう考えることができるようようになります。変えてみて、ダメだったら元のやり方に戻せばいいし、もっと別の第三のやり方を試しても良い。ともあれ、もっと良いものを手に入れたかったら、いまのものを諦める必要があることを経験から納得し、変化への準備が整うのです。

新しい車の本当の価値はカタログの写真を眺めているだけでは分かりません。手に入れて使ってみてこそ実感できるものです。生き方もそれと同じこと。知識だけ得てみても、それに従って生きてみなければその良さを実感することはできません。

AAのサービス活動の現場でも、回復した人は何かを変えることに対して抵抗が少なく(ないとは言わない)、不安の強いままの人は抵抗が強いです。例えば「12の伝統」は、どんどん変わっていく世の中にAAが柔軟に対応していくために作られたものですが、不安の強い人は「12の伝統」を変化に抵抗するための道具として使ってしまいます。

あるノン・アルコホーリクの人に言われました。「今の日本のAAの中には非常に強い同調圧力が働いている。それは今の日本の社会を反映したものだ。もし日本のAAがその壁を打ち破ることができれば、多くの人がAAに魅力を感じてくれるでしょう」と。

確かに、今の日本のAAには、慣例と違ったことをすることに対して不寛容の雰囲気があり、人と違っていたり、何かを変えることに対してかなり強い拒否が起こります。だがそれは、何もAAに限ったことではありません。社会学者たちが指摘しているように、最近の若い世代の人たちの中に、人に認めてもらわなければ自分を愛することすら難しい人が増えています。友だちづきあいにしても、学校のクラスにしても、社会に出てからも、同調圧力に従い、集団から排除されないように(不安の中で)腐心しているのです。

だがそれは若い人たちの責任というより、そうした社会をつくってきた上の世代の大人達に原因があるのでしょう。そうした世の中は、革新が起こりにくく、ぬるま湯が冷えるように徐々に衰退していってしまうものです。

人の承認を得られるように常に気配りしながら生きていれば気疲れします。そんな妙に気疲れする集団(や社会)の中に生きていると、「自分は、自分のままでいい」という言葉に魅力を感じるのでしょう。なんか無条件で何でも承認してくれそうな感じがしますからね。

ただ強調しておきたいのは、同調圧力そのものが悪いのではないということです。むしろ同調圧力は必要なものです。問題なのは、私たちが承認欲求を暴走させ、満たされない不安を抱えたままで、周囲の同調圧力に過剰に反応して振り回されてしまっていることです。つまり問題は社会にあるのではなく、私たちの内側にあるのです。(そこが社会を扱う社会学者と、内面を扱う僕らの着目点の違いです)。

私たちの内面にある問題ならば、それは12ステップで解決できる可能性がありますし、実際に解決できるのです。同調圧力に怯えながら生きるのでもなく、集団からはみ出て孤立して生きるのでもなく、集団(社会)と自分の要求をバランス良く満たしながら生きていく。そうした生き方を12ステップは提供できるのです。

途中から話が変わっちゃいましたね。ではまた。


2014年07月07日(月) アダルト・チルドレンを理解するために

日本には、ある程度の数のミーティング会場を持つACのグループが3つあります。

ACA(アダルト・チルドレン・アノニマス)
ACODA(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリーズ・アノニマス)
ACoA(アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス)

どれも12ステップを使っているグループですが、このうちACAとACODAは(おそらく)日本で始まったグループです。wikipedia によると、日本におけるAC文化の歴史は、1989年のクラウディア・ブラックの講演に端を発しているそうです。

とすると、ACAやACODAの誕生はおそらく1990年代ということになります。ACAが使っている12ステップの本の奥付には日本語版の初版が1998年に出版されたとあります。(ちなみに原著の英語版初版は1987年)。

回復の分野に20年以上いる人は、1990年代のアダルト・チルドレン・ブームを憶えていると思います。テレビで「アダルト・チルドレン」の言葉が使われ、ACバッシングまで起きたのでした。詳しい経緯はわかりませんが、ACブームと相前後して1990年代に日本でACAとACODAが誕生したと考えて差し支えないでしょう。(なんか資料を持っている人がいたら教えてください)。

さて、アダルト・チルドレンはアメリカから輸入された文化ですから、アメリカではすでに1980年代にはいくつもACのグループが存在したそうです。何種類の団体がどれぐらいの規模で活動していたのか僕の手元に情報はありません。ただ一つ知っていることは、その中の一つACoA(アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス)が今でも世界的に活動している、ということです。

ACoAが日本で活動を始めたのが数年前からです。

ACA・ACODA・ACoAという三つのグループがあると、比べてみたくなるのが人情というものです。それぞれのサイトを見ると、「ACの特徴」を表した文章が載ったページが見つかります。

ACA - 問題 - http://aca-japan.org/docs/problem.html

ACODA - 機能不全家庭で育ったことにより共通して持つようになったと思われる特徴 - http://www.acoda.org/problem.htm

ACoA - ランドリーリスト - https://sites.google.com/site/acoajpn/acais/laundry_list

この三つの文章はどれもよく似ています。ランドリーリストは、ACoAを作ったTonny A.が1978年に書いたものだそうですから、ACAとACODAの文章は、ランドリーリストを参考に日本で作られたのだと思われます。

見比べてみると、違いに気がつきます。ACODAとACAは13個、ACoAは14個あります。最後の項目を見ると、

ACA - 13. わたしたちは、自ら行動する人ではなく反応する人である。
ACODA - 13. 自らの意図で行動するより反応する傾向がある。
ACoA - 14. パラアルコホーリックは、自ら行動する人というよりも反応する人である。

そして、ACoAには(他にはない)13番目の項目として、

ACoA - 13. アルコール依存症は家族の病気である。私たちはパラアルコホーリックになり、たとえ自分は飲まなくてもその病気の特徴を受け継いでいる。

というのが含まれています。

ACoAでは、アダルト・チルドレン(AC)はパラアルコホーリックだとしています。para というのはこの場合は「擬似」という意味ですから、擬似アルコホーリクという意味です。ACは依存症にならなくても、その特徴を親から受け継いでしまっている、と自らを規定しているわけです。

AC=擬似アルコホーリクと捉えることで、シンプルになります。アルコホーリクが12ステップで回復できるのなら、擬似アルコホーリクであるACも同じ12ステップで回復できる、という理屈が成り立つのですから。

では、日本のACAやACODAは、なぜパラアルコホーリックという言葉を削除し、ACを擬似アルコホーリクと規定することを避けたのでしょうか。その事情を、ACAやACODAを作った人たちに聞いてみたい気がしますが、今のところ機会に恵まれていません。

ACの概念は、日本に渡来して早々に、「アルコホーリックの子」という概念から「機能不全家庭の子」という概念にシフトしてしまいました。この変化の影響を受けたのではないかと思います。親がアルコホーリクではない人たちが「自分はACだ」だと名乗りだしたときに、

「あなたは擬似アルコホーリクです」

と伝えることは、役に立たないと思われたのではないでしょうか。アルコホーリクは否認が強いとされますが、それを言うならACも否認が強いのです。その否認の強いACにとって「アル中もどき」というのは、なおさら認めがたいから、パラアルコホーリクという言葉を避けるという配慮だったのではないか・・・と想像するわけです。あくまで想像ですけどね。

ただ、ACの特徴から「擬似アルコホーリク」を抜き去ってしまったおかげで、シンプルさが失われた部分もあります。

ACはアル中とは違うから、違う12ステップが必要なんだ・・みたいな話が出てくるのも、シンプルさが失われて複雑化してしまったせいではないかと思うのです。

もちろんACはアルコホーリクではないんです(だってアルコール依存症ではないでしょ?)。でも、アルコホーリクの特徴を受け継いでいるからこそ、アルコホーリクと同じ部分に同じ12ステップが効く。AC=擬似アルコホーリクである。そう考えてみたら、視野が広がり、回復の道も見えてくるのじゃないでしょうか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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