心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月08日(火) 処方薬への依存について(その3)常用量依存の治療

 アルコールとベンゾジアゼピン系は、同じ鎮静系の薬物として作用のメカニズムの多くが共通しています。だからこそアルコール解毒時の離脱症状に効果があります。また、アルコール依存症者はベンゾジアゼピン系への耐性を獲得しやすいことにもあり、常用量依存になりやすいのです。

 常用量依存の何が問題なのか、前の雑記をまとめると、

 ・認知機能の低下
 ・注意力や集中力の低下
 ・反射的運動機能の低下

 こうしたデメリットがあるにもかかわらず、なぜ服用が続けられるか。もちろん反跳や離脱症状が理由なのですが、アルコール依存症者の場合には別の事情もあります。アルコールの離脱は強い飲酒欲求を呼びます。ベンゾジアゼピン系の退薬も飲酒欲求を呼び起こしてしまいます。下手に中止して「酒を飲まれるよりまだマシ」だからという理由です。

 しかし断酒が安定してきたら、睡眠薬・抗不安剤の中止も検討されるべきです。昔のAAは(いまでも?)薬を飲んでいるのはソーバーじゃないとか言って、向精神薬の中止圧力が高かったわけですが、それは常用量依存についてエビデンスがない時代でも、経験的にデメリットが知られていたのでしょう。もちろん、そのおかげで必要な薬をやめてしまい、症状が再燃するトラブルもあったわけですが。

 急激に中断しても反跳や離脱症状が起きない人もいます。しかし、多くの人は薬の飲み忘れによる不眠や不安を経験済みなので、反跳や離脱症状に対して恐怖感を持っています。だから、1/4や半量ずつゆっくりと減量していきます。それでも1週間程度は不眠気味になりますが、それは我慢せざるを得ません。そうやって漸減し、やがて完全に中止します。僕の場合には、半年以上かけ、その間に薬を減らすたびに反跳の不眠が起きて辛かったのですが、おかげさまで寝るのに薬は要らなくなりました。

 県内の古い医師が、「薬を突然止めると眠れなくなることは患者も分かっているから、中止すると『先生、薬を出してくれるまで帰りません』と言って診察室からテコでも動かない。仕方ないから別の薬、たとえば風邪薬を出しとくんだよ、あれも少し眠気が出るからさ」と経験を語っておられました。

 風邪薬を使うのは少々乱暴な気もしますが、非ベンゾジアゼピン系の薬への置き換えも行われています。不眠に対してはアタラックスとか、不安にはセディールとか。いったん別の薬に置き換えてベンゾジアゼピン系の離脱を緩和し、やがてそちらの薬も中止します。

 海外ではベンゾジアゼピン系の販売量は減ってきているのだそうです。長期服用ではメリットよりデメリットが大きいことがその理由だと聞いています。日本ではなぜ減らないのでしょうね。

 アルコール依存症とは別の病気も抱えていて、長く薬を飲まなければならない人もいます。いつ中止するかは医者と相談して決めてください。「薬が必要な患者は飲みたがらず、薬が要らない患者ほど飲み続けたがる」とは医師の弁です。

 昔と違って依存症という概念が広く知られるようになり、依存症以外の病気も同時に抱えている人や、依存症と言えるかどうか微妙な人たちも医療がすくい取るようになってきました。その結果、アディクションの世界の中に「長く薬を飲まなければならない人」の割合が増えてきました。その影響で、睡眠薬や抗不安剤の中止圧力は下がり、「薬を飲んでいるのはソーバーとは言えない」という言葉も下火になっていきました。それはそれで現実に合わせた変化だったのですが、結果として、純粋なアルコホーリクなのに薬を飲み続け、質の良くない断酒をしている人も増えてきてしまった、・・という話をすると、結構頷いてくれる人が多いんです。わかるでしょう?

 かといって、昔みたいに圧力を高めりゃ良いってものでもないし。中止すべきかどうか、見極めができる人材を増やしていくしかないのじゃないでしょうか。小難しいことを考えねばならない時代になったものです。

(抗不安剤依存の項おしまい)


2011年11月06日(日) 処方薬への依存について(その2)常用量依存

依存と中毒を説明した雑記にも書きましたが、依存と依存症(アディクション)は別の概念です。依存とは身体依存のみを示す概念です。離脱症状があるからといって依存症とは限らないし、離脱症状のない依存症もあります。

常用量依存(臨床用量依存)には「症」がついていませんから、アディクションではありません。

それを説明する前に、また言葉の説明をしなくてはなりません。

午後11時に寝て朝6時に起きる、という理想的な睡眠を必要としている人がいるとします。この人が午後11時に布団に入ってもまんじりともせず、2時間ほど経って午前1時ぐらいになってようやく眠れるとしましょう。2時間も眠れずにいるのは辛いことです。するとこの人は「眠れなくなった」と考えるでしょう。

この人が医者にかかって不眠を訴え、医者がベンゾジアゼピン系の薬(例えばハルシオン)を睡眠薬として処方したとします。そして言いつけ通り10時半頃に薬を飲んで布団に入っていると、11時頃には眠れるようになりました。1週間ほど服薬を続けて、毎晩よく眠れるようになったので、薬を飲まなくなっても、やはり11時に眠れる状態に戻っている・・・これが理想的な経過です。

ところが薬を止めてみたら、夜1時にならないと眠れない元の状態に戻ってしまった・・これを「再燃」と呼びます。薬の効果が切れたら元に戻っちゃったのでまだ治療が必要だ、という分かりやすい状態です。

薬を止めてみたら、午前1時どころか、3時4時まで眠れなくなったとすれば、これは薬を飲み始める前と同じ不眠の症状ですが、それがさらに酷くなっています。これを「反跳(現象)」と呼びます。英語では rebound。ダイエットをやめたとたんに元の体重より増えてしまうことをリバウンドと呼ぶのをご存じでしょう。あれと同じです。
薬の反跳現象は一過性のものです。ベンゾジアゼピン系の場合には1〜2週間程度。その期間が過ぎれば、不眠が治っていれば11時に眠れるようになるし、再燃するにしても元の午前1時には眠れるように戻るわけです。

元と同じ症状(この場合は不眠)が出る場合は再燃あるいは反跳です。しかし、元とは違う症状が出る場合もあります。不安感が強まったり、頭痛、筋肉痛、食欲不振、知覚過敏、知覚異常などなど。てんかんの素質を持っている場合はそれが出たりします。これを「離脱症状」と呼びます。

再燃・反跳現象・離脱症状、この3つがあります。

で、アルコール依存症の人が断酒をすると、離脱症状として不眠傾向になるのは珍しくありません。そこで睡眠薬としてベンゾジアゼピン系が処方されます。それが1〜2週間で済めばいいのですが、その後もずっと飲み続けることになる場合があります(いやむしろそれが普通?)。

だからと言って処方薬依存「症」というわけではありません。それがアディクションではないのに、なぜ飲み続けているのか? それは薬をやめるとまた眠れなくなるからです。(抗不安剤として処方されている場合は、薬を止めると不安がぶり返すから)。つまり反跳現象や離脱症状を避けようとしているだけです。それを乗り越えれば、不眠や不安は解消して寛解状態、つまり治っている場合でも、長期間薬を飲み続けている場合が珍しくありません。

これを常用量依存(臨床用量依存)と呼びます(症がついていません)。

アルコール依存症の人は、元々不眠や不安を解消しようとしたのが酒の量が増えた原因だったりします。だから、睡眠薬を減量中止することで起こる反跳現象を嫌い、時には不眠への恐怖感すら持っています。このため減量による反跳不眠に強い不安を抱えます。これは離脱症状とは違うため、偽性離脱症状と呼ばれます。

常用量依存がODや依存症に発展しないのなら、何が問題なのか?

ひとつは認知機能が障害を受けることです。ベンゾジアゼピン系の中止前と後で、記憶機能の検査を行うと、断薬後のほうが記憶機能が改善します。

少し話がそれるのですが、WISC-IIIという知能検査があります。このIQの数値は、言語性(VIQ)と動作性(PIQ)に分けられますが、それぞれにさらに下位項目があります。人によってIQは高い・低いの違いがあるのは当然ですが、VIQ・PIQも下位項目もそれなりにバランスが取れているのが普通です。グラフを描くとほぼフラットになります。ところが発達障害の人の場合、このバランスが崩れしばしば凸凹が出現します。認知機能や処理能力にバラツキがあることがわかるわけです。

ところで、定型発達の人でもベンゾジアゼピン系の薬を飲んでいると、この凸凹が出現することが知られています。おかげで薬を飲んでいると、凸凹が薬のせいなのか発達障害のせいか、これだけでは判断できなくなってしまいます。このことは、薬が認知機能や処理能力に影響を与えることを示しています。

睡眠薬や抗不安剤を飲んでしばらくは、昼間もふらつきやめまいを感じた人は多いと思います。これは反射的な運動機能に影響しているわけです。しばらくするとめまいを感じなくなるのは、耐性が形成されたためです。前述の認知機能についても、耐性の形成により影響がなくなるのじゃないか、と期待されたわけですが、影響は長期的に残ります。

ベンゾジアゼピン系を飲んでいる人は、飲んだのが前夜ですでに作用がきれていても、昼間からどよよーん、ぼややーんとしたぼやけた印象を与えることが多いものです。これは認知機能や処理能力の低下が現れたものでしょう。だからわざわざ聞かなくても薬を飲んでいることは分かります。

もう一つは不安に対して不安剤として使っている場合です。長期服用者の場合、断薬することでむしろ不安が軽減することは珍しくありません。服薬のメリットよりデメリットのほうが大きくなっているわけです。また、注意力や集中力が断薬によって向上するという報告もあります。

すでに元の症状は寛解しているにもかかわらず、断薬による反跳や離脱症状を避けようと服薬を続け、それによって様々なデメリットを被っていることがわかります。これが常用量依存のデメリットです。

もちろん薬を飲み続けることが必要な人もいますから、飲むこと・やめること、それぞれのメリット・デメリットを考える必要があります。

(続く)


2011年11月04日(金) 処方薬への依存について(その1)ODと依存症

掲示板で、抗不安剤の依存について書いてくれとリクエストがありました。

よく名前を聞くベンゾジアゼピン系の薬を列挙してみます。
ハルシオン(通称青玉)、エリミン、ユーロジン、ドラール、ソラナックス、コンスタン、セルシン、ホリゾン、ホリゾン、デパス、ワイパックス、レキソタン、セニラン、セパゾン・・・。(デパスはチエノジアゼピン系だけど)。
これ以外にもたくさんありますし、最近はジェネリック医薬品もあるので、とてもすべてを挙げられませんが、精神科にかかって服薬したことのある人ならば、たいていベンゾジアゼピン系を飲んだことがあるはずです。

現在、睡眠薬や抗不安剤を処方されている人はたいてい当てはまるでしょう(非ベンゾジアゼピン系のアタラックスP2みたいな薬の場合もあります)。「安定剤を処方されている」という人も、メジャートランキライザーではなく、抗不安剤(マイナートランキライザー)としてワイパックスあたりが処方されていることが多いものです。

ベンゾジアゼピン系の乱用・依存問題を分類すると、大きく三つに分けられます。

・OD(オーバードーズ)
・依存症
・常用量依存(臨床用量依存)

ODは、何十錠、何百錠の薬を一度に服薬する自殺企図あるいは自傷行為です。松本俊彦先生は自傷行為が嗜癖化することを指摘しています。リストカットは一時的に生き延びる力を人に与えますが、やがてその効力が薄まるにつれ、生き延びる術を失って自殺念慮を抱くようになります。大量服薬も同じ線上にあります。(リスカをやる人とODをやる人は重なる)。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/08/post-350.html

次に処方薬依存症ですが、これは他の薬物依存症と同じと考えて下さい。依存症の診断基準を満たすものです。つまり、まず耐性が形成され以前と同じ量では効果がなくなります。効果を求めて使用量が増え、薬を手に入れるために精神科医や薬局を2軒、3軒と周り、時には内科医からも薬をもらいます。量が増えたために酩酊している時間が長くなり、社会生活に影響が出てきます。

ベンゾジアゼピン系はそれ以前に使われていたバルビツール酸系に比べれば「安全」とされています。耐性ができたり、量が増えたりしにくいし、致死性も低いというわけです。しかし、依存症になる人がゼロというわけじゃありません。

特にアルコール依存症者はベンゾジアゼピン系薬物の依存症になりやすいことが指摘されています。作用機序が同じなのかどうかは知りませんが、抗不安剤のもたらす気分がアルコールのもたらす酩酊感と似ていることも関係しているのでしょう。また、アルコールとの併用によって効果が薄れ、抗不安剤の使用量増加を招きやすいこともあります。依存症者には慎重に投与するようにと注意喚起がされています。

特にハルシオンのような短期型のものを睡眠薬として使うと、すぐに効果が現れ、自然に近い睡眠が得られ、目覚めがスッキリしていることから、依存症者に好まれます。しかしこのタイプのほうが依存症になりやすいという落とし穴があります。

睡眠薬として使う場合には就寝30分ぐらい前に飲めば良く、すぐに布団に入っても構いません。しかし、アルコール依存症の人はこれを夕食後に飲んで薄い酩酊感を味わい、アルコールの代用にしたりします。短期型の場合には就寝前に効果が薄れて不眠になったり、中途覚醒でも服用して、耐性が形成され、使用量が増えてきます。やがてはより強い酩酊感を常時求める・・という依存症へと発展してしまいます。

きちんと服薬指導が行われればいいのですが、依存症に理解のある医者ばかりではありません。

例によって話が逸れるのですが、未断酒のアルコール依存症者の場合には飲酒量が増加するという指摘もあります。ベンゾジアゼピン系薬物にはアルコールへの欲求を強化する効果があるのでしょう。(アカンプロセートで飲酒欲求を低減しても、睡眠薬で飲酒欲求を強化したんじゃ意味がないのでは?)。確かになかなかきちんと断酒できない人は、抗不安剤や睡眠薬の服用が続いているものです。

ここまでODと依存症という二つの問題を取り上げました。ベンゾジアゼピン系は「安全」と言いますが、それはそれ以前の薬に比較しての話で、リスクは確かに存在します。医師や薬剤師はきちんと服薬指導して欲しいものです。過剰に心配しろというのではなく、正しい使い方を心がけねば、という話です。

アル中が睡眠薬や抗不安剤を飲みながら年単位で断酒を続けることはよくあることです。その全員が処方薬の依存症かといえばそんなことはありません。処方どおりに正しく薬を使っています。では問題ないのか・・・、実はそこに依存症とは言えない依存、常用量依存とか臨床用量依存と呼ばれるものが存在しています。

(続く)


2011年11月02日(水) さらに、依存と中毒について

前の雑記で、アディクション(嗜癖)は、依存と中毒の組み合わせであると説明しました。

中毒とは毒に中(あた)ることで、アルコールという毒性のある物質を摂取することにより、健康が害されることです。健康が害されるのは肝臓・腎臓といった内臓ばかりでなく、脳にも影響を及ぼします。

依存という言葉は、身体依存にのみ着目していました。これは血中濃度が下がってくると現れる離脱症状がある状態です。離脱症状には不眠・振戦・頭痛・吐き気・抑うつ・てんかんなど様々なものがあります。身体依存という言葉を使っていますが、これは中枢神経系の異常で、中毒の結果です。

中毒が依存を引き起こし、その離脱症状の不快を避けようと摂取を続けて、さらなる中毒を引き起こす、それがアディクションです。

さらに、身体依存のハッキリしないコカインにおいて精神依存が着目されるようになりました。コカイン依存には身体依存がないのに、強い欲求があります。いや、アルコールなど他の依存にも、離脱症状下にないのに「飲みたい」という欲求があります。それを精神依存もしくは渇望と呼びます。

話は脇に逸れます(この雑記は話がしばしば脇に逸れるので長くなる)。
ビッグブックにも渇望という言葉が出てきますが、そこでは渇望を最初の一杯を飲んだあとに引き起こされる欲求に限定して使っています。最初の一杯を飲む前の欲求は、とらわれ・強迫観念・狂気という別の言葉で表現されています。しかるに、医学においてあるいは一般的には、渇望という言葉は、再飲酒を引き起こす前の欲求と、最初の一杯を飲んだ後の欲求の、両者に区別なく使われています。その意味の違いが混乱を招くこともあるようです。

あへん(モルヒネやヘロイン)には極めて強い身体依存があり、自律神経嵐と呼ばれる強烈な離脱症状が起きます。アルコールの離脱症状はそれに比べればやや弱いとはいえ、AAが始まった頃の医療が発達していない時代には離脱症状による死がありました。一方、コカインなどの覚醒剤や大麻(マリファナ)には目立つ離脱症状がありません。

精神依存は、あへん系とコカインが極めて強く、アルコールと覚醒剤は強く、マリファナにも弱いながらもあります。

中毒についても、身体毒性と精神毒性に分けられます。

身体毒性の強いのはアルコール。内臓は言うまでもありませんが、先日は30代で大腿骨頭壊死になって手術した人の話を聞きました。

精神毒性とは精神に対する影響のこと。つまり脳への影響。覚醒剤やコカインやLSDで極めて強く、これらが法律で厳しく禁じられているのも精神毒性の強さゆえです。アルコールにもかなり強い毒性があります。

物質系のアディクションは、依存(身体・精神)・中毒(身体・精神)の四要素の組み合わせということになります。それぞれに対して個別の援助が必要になってきます。

前の雑記で書いたように、日本では慢性アルコール中毒症→アルコール依存症という病名の変更が起きたわけですが、依存という言葉が強調されることによって、中毒という要素が軽視される結果になったのではないでしょうか。長年の飲酒の影響は脳に深く刻まれ、断酒してもすぐには元に戻りません。回復には年単位の時間が必要です。なのに、その事実がしばしば軽んじられ、それによって最も損をしているのは当事者です。それは中毒という言葉を廃したゆえではないかと思います。

いずれにせよ依存という言葉を使う不都合が考慮され、アディクション(嗜癖)という言葉が復活し、病名すら変更されようとしています。歓迎すべきことだと思います。


2011年10月31日(月) 嗜癖・依存・中毒(用語の整理)

さらにデパゲンは誤りで、正しくはデパケンでした。重ねてのご指摘ありがとうございます(とほほ)。

まず中毒という言葉から始めましょう。

毒に中(あた)ると書いて「中毒」です。中毒とは、何らかの物質摂取により健康が損なわれた状態を示します。ここでの健康には身体と精神の両方が含まれます。

フグ毒にあたればフグ中毒、ガス自殺未遂はガス中毒、大量のアルコール摂取による意識障害は急性アルコール中毒、慢性的なアルコール摂取で健康が損なわれれば慢性アルコール中毒です。僕は慢性アルコール中毒者、略してアル中です。

次に依存という言葉を取り上げます。

アルコホーリク(アルコール中毒者)やアディクト(薬物中毒者)を観察すると、突然断酒・断薬をすることで様々に不快な症状が現れ、それを避けようと摂取を続けています。これを禁断症状と呼びます。さらに、急に止めるだけでなく、徐々に血中のアルコール濃度や薬物濃度が下がってきた場合にも同じような症状が現れることを離脱(退薬)症状と呼びました。

そしてこの離脱症状が現れる状態を「依存」と呼ぶことにしました。ここでは身体依存にのみ注目しています。その後依存概念は精神依存にまで拡大されますが、依存という言葉が単独で使われる場合はあくまでも身体依存(離脱症状が起きる状態)を示しています。

1956年、WHO(世界保険機構)は、身体依存を伴った慢性的な中毒状態を嗜癖(addiction)、伴わないものを習慣(behavior)と呼ぶことを決めました。つまりアディクションとは中毒と依存の組み合わせです。

しかし、この定義だといろいろと不都合が出てきました。まずコカインや覚醒剤は離脱症状がはっきりしません。にもかかわらずコカインを使いたいという強い欲求がある。それには何らかの生理的変容が伴っているはずで、それを精神依存と呼ぶことにしました。

さらには、アディクト(薬物中毒者)という言葉は蔑視的な意味合いが強かったために嫌われました。

そこで1973年、WHOは嗜癖という言葉を廃し、その後はもっぱら依存(dependence)という言葉を使うことにしました。DSMやIDCという診断基準も変えられていき、それに合わせて日本でも若干蔑視的雰囲気を帯びた(慢性)アルコール中毒というそれまで使われていた病名が嫌われ、アルコール依存症という言葉に徐々に切り替えられていきました。こうしてアディクションという言葉は医学からいったん消え去ることになります。

ところがこの依存という言葉にも不都合が出てきてしまいました。

依存という用語は離脱症状という生理学的・身体的な現象に着目していたわけです。研究が進むに連れて、嗜癖的な薬物に限らず、その他の薬も離脱症状を引き起こすことが分かってきました。例えばSSRIという種類の抗うつ剤では離脱症状がしばしば起こりますが、それをアディクションとするのは不適切です。

そもそもWHOの定義では、依存を病気であるともないとも言っていません。アディクションに対して依存症という名前は与えたけれど、依存と依存症(嗜癖)とは別の概念です。

前述のように身体依存のハッキリしないコカインのような依存症もあります。一方で末期ガンの疼痛にモルヒネを投与すれば身体依存は形成されますが、精神依存にはならず依存症には発展しません。

さらには、依存概念が広がるに連れて、インスリン依存性糖尿病や依存性人格障害のようなアディクションとは関係のない使われ方もされるようになってきました。

そこで2013年から使われるDSM-5では依存症という病名が消え、アディクションで統一されることになりました。いままでのアルコール依存症に相当するのは Alcohol Use Disorder(アルコール使用障害)という名前になります。
http://www.dsm5.org/ProposedRevisions/Pages/proposedrevision.aspx?rid=452

今後、おそらくはDSM-5の変更が国際疾病分類に反映され、日本にも影響してくるでしょう。40年前に、英語で addiction という言葉が捨てられ、日本語では中毒という言葉が捨てられ、依存症という言葉に置き換えられていったように、今度は依存症(dependence)という言葉が廃れ、嗜癖(addiction)という言葉が復活することになると思われます。

ついでに言えば、DSM-5では行動嗜癖が新設されます。とりあえず正式に採用されているのはギャンブルのみですが、インターネット嗜癖やセックス嗜癖も appendix に追加されています。

ここまで書いてきて強調しておきたいことは、依存と依存症(嗜癖)は別である、ということです。

(ただし、依存症でない依存は問題なし、というわけでもありません、それは以降)


2011年10月28日(金) ソーバーの非数値的な評価

まず最初に、昨日の雑記で抗てんかん薬の例としてルボックスを挙げましたが、デパケンに訂正しておきます。ルボックスは抗うつ剤(SSRI)であり、抗てんかん薬ではありません。(えんぴつとFC2は修正済み)。ご指摘いただいて、ありがとうございます。

・・・

さて、AAではソーバー(断酒)が10年続いたとしても、再飲酒してしまえばそのカウントはリセットされ、ワンデイ(最初の一日)からやりなおしです。

その時点で、10年飲まなかったことは評価されず、なかったことになる・・・その事に疑問を感じるという話を聞きました。他でも同じ主旨の話は聞くことがあります。

僕は、飲んでしまうとカウントがリセットされる仕組みの正当性を説明しようとは思わず、なぜその人が疑問を感じるのか、と考えてみるのです。

実際、10年以上飲まなかったのに、再飲酒してしまったAAメンバーを何人か知っています。もちろん皆がワンデイから数え直しです。しかし、それ以前の10年間への評価が失われる、というわけではありません。ただその評価が、ソブラエティの年数という数字に反映されていないだけです。

10年以上過ぎての再飲酒からのカムバックは「ぜひ耳を傾けるべき貴重な体験」であり、経験と力と希望の分かち合いという価値観の中で、とても高く評価されています。

また、AAメンバーは年数だけで評価されるわけではありません。人を評価するには様々なモノサシが使われます。その点は一般社会と変わりありません。まめにミーティングに出席しているかどうか。日の当たらないサービス活動を引き受けているか。ステップをやっているか。新しい人の世話をしているか。話は上手かどうか。献金をしているか。人には様々な能力があり、得意不得意があるのですから当然です。

AAはお互い助け合うことを目的とした団体ですから、自分を回復させ人を手助けするステップを軸とした評価が主になりがちではあります。ですが、「俺はステップとか難しいことは興味ないが、ともかくミーティングの始まる30分前には来て会場を開けておくぜ」という人が感謝されて当然なのは言うまでもありません。

10年のソーバーをふいにしたとしても、別の評価が消えてなくなるわけではありません。数字にこだわってしまえば、他の評価基準を軽んじることにもなります。ただ、年数以外の評価は数値化されていないで、あいまいで捉えにくいものではあります。いずれにせよ、AAメンバーはソーバーの長さだけで尊敬を得るわけではないし、再飲酒してもすべてが失われるわけではないということです。

という説明をしても納得してもらえるとは限りません。その背景には「数字へのこだわり」があるのでしょう。

発達障害に親しんだ人は「数字への関心」「こだわり」と聞いただけで、それが何を意味するかピンと来るのではないかと思います。

ちなみに、直近この疑問を僕に投げかけたのは、発達障害を自認している人でした。その話を聞いて、少数派というのは、こんなところにも悩ましいものなのかと思い至った次第です。


2011年10月27日(木) ADHDとASD(PDD)の重複

ブログのコメントで、発達障害の診断の国際問題の指摘をいただきました。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/10/post-359.html#comments

・ADHD(注意欠陥・多動症)
・ASD(自閉症スペクトラム障害)/PDD(広汎性発達障害)

ADHDは「行動のコントロール」の障害、自閉症スペクトラム障害は「社会性」の障害です。ブログに掲載した概念図にあるとおり、この二つの障害は併存しうるものです。

二つの障害が重なっていると考えるよりは、一つの障害像を、行動のコントロールを軸に診断した場合にADHDと診断され、社会性を軸に診断した場合にアスペルガーやPDDNOSと診断される、と考えた方が分かりやすいです。

じゃあ重なっていた場合どう診断するのか。ルールは決まっていて、国際的な診断基準では自閉症スペクトラム障害が優先されます。つまりアスペルガー症候群やPDDNOSということになります。(実際に僕の知る人もそういう診断になっています)。これは、社会性の障害のほうがより深刻だからです。

しかしながら、アメリカにおいては話は違っていて、ADHDと診断されることが圧倒的に多いのだそうです。だから、同じ人がアメリカで診断を受ければADHD、日本で診断を受ければアスペルガー、となってしまうこともあるわけです。

この違いはどこから来るのか。ブログにコメントをいただいた方は、日米の文化の差を理由に挙げてらっしゃいました。

実は、杉山登志郎先生の「発達障害のいま」を読んでいるところです。この本はここ数年の新しい知見が紹介されているのですが、その中に診断の国際差のことも取り上げられていました。それによると、この違いは日米の健康保険制度の違いに起因するのだそうです。

ご存じのように日本は国民皆保険ですが、低負担低福祉の国アメリカはそうではありません。低所得者向けに最低限の医療を提供する保険制度はありますが、ふつうはおのおのが民間の保険に加入することになります。オバマ政権は国民皆保険を目指して制度を改革しようとしましたが、議会の反対で頓挫しました。

民間の保険会社は、長期にわたって保険金を払い続けることを嫌います(それが増加すると保険会社が潰れるから)。治療薬があるなら、それを使ってとっとと治療して欲しいわけですし、結果として治療薬がある病名が好まれることになります。

自閉症スペクトラム障害の薬物治療の研究も行われていますが、まだまだ良い薬は出てきていません。一方、ADHDは抗多動薬がよく効いてくれます。塩酸メチルフェニデート(リタリンやコンサータ)。またデパケンのような抗てんかん薬も使われています。

アメリカにおけるADHDの大発生(?)にはそのような背景があるというのです。

さて話は変わって、アメリカのアディクション治療施設では28日間や30日間のプログラムを組んでいるところがたくさんあります。これに対して日本の施設では入所期間が数ヶ月から、ときには数年にも及びます。これを比較してアメリカの施設は実力があり、日本はダメだ、と言う人もいます。しかし、この28日間というのも保険会社の支払いの都合でそうなっているだけで、施設側としては数ヶ月から数年やりたいという意向を持っているそうです。実際ドーン・ファームのような有名施設でも年単位でプログラムを組んでいるわけです。短けりゃ良いってもんじゃありません。

話を元に戻して、アメリカのようにADHDが優先診断になると社会性の障害が軽視されないか心配です(そのかわり服薬が促進されるメリットがあります)。一方、日本では服薬が忌避されているんじゃないかと心配になります。

参考リンク:
(10/24)新ADHDガイドライン、就学前児童と十代後半も診療対象に
http://health.nikkei.co.jp/hsn/index.aspx?id=MMHEb1000024102011

小児の現場ではADHDが目立つのですが、小学校高学年になると落ち着きが見られるようになり、成人後は目立たなくなります。(ただしADHD特性は残る)。成人の相談を受け付けている各都道府県の発達障害者支援センターの相談内容を見ると、ADHDは少なく、自閉圏ばかりが目立ちます。

これはADHDでは、情動をつかさどる扁桃体などの成長が先行し、大脳皮質の成長がやや遅れているものが、思春期あたりに大脳皮質の成長が追いついてくるからではないか、という説を聞いたことがあります。

ガイドラインでは薬物治療を勧めていないのは、就学前の小児だけです。述べてきたように、日本では多動を伴っていても、診断名はアスペルガー症候群やPDDNOSになります。重複の場合には、ADHDの部分には薬が効くので、服薬も検討されるべきです。

素人意見なので鵜呑みにしないでいただきたいのですが、成人にはサインバルタやトレドミンのようなノルアドレナリンの再取り込み阻害薬も良い感触です。表情がスッキリし、集中力がやや増す印象。コンサータはお値段が高いので(自立支援医療が使えなければ)本人負担が大きいのが難点。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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