心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年04月18日(月) 何に対して無力?

ステップ1で何に対して無力を認めるか?

昨年の回復研で、「ステップ1では何に対して無力を認めるのか?」という質問が出ていました。
たまたまその時ステップ1・2のスピーカーを務めていた僕に回答が振られたので、「アルコールです」と答えておきました。

回復研の集会に参加された方でこの雑記を読んでいる人は少ないとは思いますが、ちょっとここで補足を書いておこうと思います。

AAのステップ1はこうなっています。
1. We admitted we were powerless over alcohol - that our lives had become unmanageable.
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

ステップ1に取り組む人に求められていることは、アルコールに対する無力を認めることで、他のことに対する無力ではありません。

そもそも人間とは様々なことに対して無力です。例えばこの一ヶ月、僕らは大量の水(津波)に対していかに人間が無力な存在であるか思い知らされました。また別の例を挙げれば、僕は目の前の赤信号を青に変える力すら持ちません。信号を青に変えてくれるのは時間の経過であり、僕自身は赤信号に対して無力です。僕の力では津波も赤信号もコントロールが及ばないのですから。

赤本のステップ1では、人は様々なことに対して無力であることが述べられています。しかしそれは「無力であるとはどういうことか」を説明するための文章であって、様々なことに対する無力をステップ1で認めろと言っているわけではありません。「他の様々なことと同様に、アルコール<にも>あなたの力が及んでいないのだから、ともかくアルコールに対する無力だけは認めなさい」というわけです。

他の12ステップグループのステップ1はどうなっているでしょうか? たいていどこでもステップ1は
We admitted we were powerless over ○○○
となっていて、○○○の部分が対象に合わせて変更されているだけです。

アラノンではAAと同じ
We admitted we were powerless over alcohol
です。家族は酒を飲んでアルコホーリクになっているわけではありませんが、同じように病んでおり、また同じようにアルコールに対して無力です。

その他のグループも並べてみましょう
NA - addiction (薬物使用)
ナラノン - the addict (アディクト本人)
GA - gambling (ギャンブル)
ギャマノン - the problem in our family (家族が抱える問題)
OA - food (食べ物)
ACA - the effects of alcoholism or other family dysfunction (アルコホリズムもしくは機能不全家族からの影響)

powerless, but not helpless という言葉があります。自分では無力なのだが、なにかの力によってその問題は解決できるというわけです。その力は自分を越えた大きな力(ハイヤーパワー)です。僕らはステップを経れば問題を克服できます。しかし、ステップを経ても自分そのものはなお無力なまま残ります。

家族(奥さん)の立場で言えば、夫のアルコール(ギャンブル)に対して無力です。コントロールが及ばないので解決できません。また夫のアルコール(ギャンブル)によって奥さん自身が被った影響に対しても、なすすべがありません。それらを解決できるのは、ハイヤーパワーです。

自分では解決できないからこそ「無力」です。自分の力の及ぶ問題に対して無力を認めてしまうと、問題が解決できなくなってしまいます。

ステップ1の文章には続きがあり、それは僕らの人生が手に負えなくなったことを認めろと言っています。その原因はアルコールです。その真の原因は僕らの霊的な病(性格上の欠点)です。だから、ステップ1で「性格上の欠点」に対しても無力であることを認めるべきだ、と言う人もいます。さすがにそれは違うでしょう。

性格上の欠点がつまびらからにされるのは、ステップ4・5の棚卸しを経てからです。そこまで進まなければ性格上の欠点が何かは分かりません。ステップ1ではまだそれが何か分かっていません。対象が分からないものに対して無力を認めることはできません。ステップ1で性格上の欠点に対しても無力を認めるべきだと要求するスポンサーは、スポンシーにできないこと要求しているわけです。

「ステップには順番があります。あなたにはアルコール(ギャンブル)以外にもいろいろ問題を抱えていることは分かっています。けれどそれについてはもっと先へ行ってから取り組むことにして、今はアルコール(ギャンブル)のことに集中しましょう」

というのがステップ1をガイドするときのスポンサーが取るべき態度だと思います。


2011年04月15日(金) ビッグブックのやり方分類

AAテキスト(ビッグブック)を使ったステップのやり方について、分かる限りで分類を試みてみました。

1) 「バック・ツー・ベーシックス」
Wally P. の "Back to Basics" や、第1回ビッグブックの集い研修会で使われた「バック・ツー・ベーシックス」(ワリーさんとは別著者)。このフォーマットが日本で一番流行ったのは2003年。これを使っている人たちは、その多くが後述のビッグフットに移行してしまいましたが、一部にはこのフォーマットを使い続けている人がいるそうです。

2) 「ビッグフット」
AA四谷ビッグブックグループのメンバーを中心に作られた「ビッグフット」フォーマット。2004年前半は会場に毎回100人近くを集めるほどの人気を博しました。AAミーティングでフォーマットを使うことの是非が議論を呼びましたが、常任理事会はフォーマットの利用には反対しないものの、一部のAAメンバーの解釈がAA全体の意見だと誤解されかねないので、AA外部での使用(病院メッセージなど)は謹んで欲しいという要請が出されました。その後このフォーマットの利用者は減ったものの、現在でも水曜日のメリノール宣教会での会場で地道に使われています。

3) 「ドゥー・ザ・ステップス」
アメリカから日本に戻ってきたメンバーSさんが広めたやり方。ドクター・ボブからの流れを汲むという。2泊3日程度で集中的にステップの受け渡しと実践が行われる。使われるテキストはビッグブックのみ。終わった後に棚卸し表を燃やしたり、伝承者以外に内容が知らされないなど秘儀的な要素がある。前述のビッグフットがビギナー向けのフォーマットだったのに対し、それを終えた人が本格的にステップに取り組むために、両者を組み合わせて使う人が多かった。現在でもこのやり方を愛する人々は一定数います。

4) 仙台方式
米軍三沢飛行場に勤めていたメンバーが受け取ったステップ。その後この人が仙台に移って広まったためにこの呼び名があります。東京のアラノンメンバーの一部にも広がっているとか。中身について知りたければスポンシーになるしかないという秘儀的な要素があり、内容についてはよくわかりません。

5) 大崎(東北)
東北のRさん、大崎在住の英国人Jさんが中心となり、毎年「ビッグブック・ラウンドアップ」という一泊二日の研修が行われていました。2003年の資料で第7回とあるので、ずいぶん前から開かれていたようです。その後スタッフ不足で第8回を最後に開かれていません。内容については僕は行ったことがないのでよくわかりませんが、資料の一部を入手して僕のスポンシーの一部に試したことがあります。どれほど広がったかわかりませんが、その後日本のBBムーブメントの屋台骨を支えた人の多くが、一度はこの大崎BBラウンドアップに参加した経験を持つことは特筆に値します。

・4) 仙台方式と5) 大崎を分けて書きましたが、この二つは同一のものだというご指摘を頂きましたので追記しておきます。

6) Sさんのやり方
ステップがない日本のAAに絶望してアメリカに渡ったというAAメンバーSさんが、日本に持ち帰ったやり方(彼は東京タワーグループを設立している)。基本は後述のJ&Cですが、彼独自の視点が加えられ独特のものになっています。また琉球ガイヤから現在大阪に戻っているPさんの寄与も大きいとか。♭代々木や神奈川のつくし野グループを中心に、池袋のウェルカムグループあたりにこれを受け継ぐ人が多い。四谷BBから始まった流れと双璧をなす、大きな流れの一つです。

7) ジョー・アンド・チャーリー(J&C)
ジョー・マキューとチャーリー・Pの二人によって、ビッグブック・スタディという週末2日のセミナーが開かれており、これを録音したテープが広まったことがジョーの名前を皆に知らしめました。このセミナーによって影響を受けた人は30万人以上と伝えられています。ジョー・マキュー(オールド・ジョー)亡き後は、ジョー・マッコイ(ヤング・ジョー)がその代わりを務めて継続していましたが、ヤング・ジョーが病に倒れてからは開催されていないそうです。アメリカ人メンバーのDさんあたりが日本に持ち込んでいるようです。このやり方をしている人は「自分はジョー・アンド・チャーリーのやり方だ」と言わないところが特徴かも。

8) ジョーのステップ
前述J&Cの片方ジョーのステップのやり方。J&Cとは細かいところが違っています。依存症からの回復研究会(回復研)はこのやり方を広めることを目的としています。AA内部では意外と広まっておらず、AA以外の12ステップグループへの展開が目立っている気がします(それがジョーのステップそのものであるかはわかりませんが)。このやり方を依存症の施設のプログラムとして体系化したものが「リカバリー・ダイナミクス(RD)」なので、AAなどのグループの中で使う場合はRDとは呼びません。

ざっと見渡しただけでもこれだけのバリエーションがあります。しかし知らない人にとっては、みんな一つのやり方に見えるようで、「ビッグフット」も「バック・ツー・ベーシックス」も、♭代々木も回復研も、区別はつかないようです。しかし、中身はかなり違っています。共通点は、みんな12ステップのやり方をビッグブックに求めることであり、同じようにスピリチュアルな目覚めを体験することでしょう。

「うちでもビッグブックをやっている」という声を聞くことがありますが、その多くはミーティングでビッグブックを読み合わせて普通のテーマミーティングをやっているに過ぎません。バリエーション(違いが)あると言っても、ビッグブックに従う以上欠かせない共通要素はいくつかあり、それを欠いてはビッグブックのやり方とは呼べなくなってしまいます。また自分のやり方がどれか分からない人は、スポンサーからさらにスポンサーへとたどっていけば、上の八つのどれかにたどり着くと思います。もし僕の知らないやり方をやっている人があったら教えてください。訂正情報も歓迎です。

今、日本のAAでビッグブックのやり方が広がっているのは関東だけと言っても良い状況です。東北や僕のいる長野、京都や中四国で、回復した人が小集団を作っていますが、それだけです。全国展開はこれからでしょう。また、AA以外の団体の状況については詳しく知りません。当然AAでのバリエーションが、AA以外のところにも反映され、いろいろなやり方が伝わるでしょう。

バリエーションごとの細かな違いを気にする人もいますが、僕はやり方の違いについてはそれほど気にしていません。


2011年04月14日(木) 科学的とは

疫学調査とはどういうものか。

1960年にアメリカのダールという研究者が、塩分摂取量と高血圧症の発症率に正の相関があるという疫学的調査の結果を発表しました。この相関はきれいな直線を描いていたために、強い説得力がありました。


成人病(現在の生活習慣病)という概念を確立させたのはアメリカの保険会社です。それまで高血圧は体には悪くないと考えられていたのですが、彼らは高血圧の人が早死にする(従って保険金もたくさん払わねばならない)ということを発見したのです。業績を上げるためには高血圧の人を減らす必要があり、高血圧の原因探しが行われていました。そんなところにダールの論文が登場したのです。

このため、高血圧や脳卒中を減らすために「減塩」が言われるようになりました。

さらにダールはラットを使った動物実験も行いました。ラットに塩分を大量に与えると、一部のラットは高血圧になります。そのラット同士を掛け合わせると、さらに重症の高血圧になる子孫が作り出されました。そんなラットでも減塩の食事療法をすると血圧が正常に戻りました。

この結果、高塩分→高血圧(→脳卒中による死)という図式がなりたつと見なされました。

しかし、現在ではダールの業績のかなりの部分は否定されています。ダールの用いた塩分摂取量のデータの信頼性が低かったこと。塩分摂取量が低い未開民族の平均寿命が40才にすぎない例もあること。ラットを使った研究は塩分感受性(塩分を摂取すると高血圧になりやすい体質)が遺伝することを示したのみと解釈されています。

塩分量と高血圧の関係を調べる疫学調査はダール以降も続けられました。そのうち最大のものがINTERSALT研究です。これは32カ国にまたがった大規模な調査でした。その結果、塩分摂取量と血圧には相関があるもののそれは弱く、高血圧症に対する塩分の重要性は低いことがわかりました。国が大規模な政策を行って国民全体に減塩を呼びかける効果は否定されました。

しかしながら、塩分を取ると高血圧になりやすい(塩分感受性の高い)体質の人がいるのも事実で、逆に高血圧症の人の90%はこの体質であることもわかっています。高血圧予防のためには、この体質を持つ人を発見し集中的に減塩指導した方が効果的であることから、この体質を発見するための検査方法へと関心が移っています。

現在では減塩政策推進派の人たちの主張は「高血圧予防」ではなく「動脈硬化予防」など他に力点を置いたものになっています。減塩政策そのものは現在も続いており、アメリカのFDAは食塩を「食品添加物」として扱って食品に塩分量の表示する政策の準備に入っていると伝えられました。塩分感受性の高い人は自ら塩分摂取量を気にしなければならないので、この政策は間違いでありません。

言いたいことは、疫学が「高塩分→高血圧」という図式を発見し、さらにそれを「高塩分+塩分感受性→高血圧」に修正するのに30年ほどの時間を要しているということです。その30年のあいだに「高塩分→高血圧」という図式が広がってしまい、簡単には修正が効かなくなってしまいました。

全国民に低塩分を求める政策は成功していません。薄味の料理が体によいことが分かっていても、やっぱり濃い味のほうがおいしく感じるものです。塩分を気にしながら料理するのは面倒です。こうしてベネフィットが少なくコストが大きい努力は嫌われ、それが減塩の価値を軽んじさせます。実際に減塩する人は少なくなり、結果として塩分感受性の人が早死にすることを防げていません。それよりは選択と集中を行った方がいい。

若い頃に「高塩分→高血圧」という教育を受けた人は今でもそれを信じています。それを「高塩分+塩分感受性→高血圧」に修正することは容易ではありません。

疫学というものはとても役立つ学問ですが、結果の解釈によっては大きな間違いにつながることもあります。例えば初期のAIDS患者にはたまたま同性愛者が多かったため、AIDSと同性愛の関係が想定されました。このため異性愛者に対する対策が遅れ、AIDSの蔓延が防げなかったという反省があります。また、エイズは同性愛者がかかる病気という偏見はなかなか取り除けませんでした。

疫学を扱う人は言うことが世間に大きな影響を与えると分かっているために、とても慎重な物言いをします。確定的なことを言うには膨大なデータの積み重ねと長い年月が必要とされることが分かっているからです。

「ただちに健康への影響はない」というのはデータから言えることがそれだけだからです。しかし学問というものは、それ自体がなかなか金を生み出さないだけに、食っていくために確度は低くても確定的な物言いをしなくちゃならない学者さんもいるのでしょう。そうしてテレビ向けに絞り出された「危険だ」「安全だ」という話が一人歩きしています。それにみんなして振り回されて楽しんでいるのが、この非常時の国民の娯楽なのかもしれません。


2011年04月11日(月) 震災への反応と自閉性

大地震から一ヶ月経ちました。
今回の震災報道に対する反応と、自閉的特性との関係について、すこし気がついたことを書いてみたいと思います。

この一ヶ月、テレビでは被災地の悲惨な状況が繰り返し繰り返し放映されました。新聞や雑誌も同様です。それを見る側が二次的な精神的被害を受けるぐらい、たくさんの悲劇が伝えられました。

仕事を休んで、あるいは極端な話だと仕事をやめて、現地にボランティアに行くという話を聞くようになりました。そうしたい気持ちは僕にもよくわかります。けれど、いろいろな責任を引き受けている以上、日常生活を放り出して被災地に駆けつけるわけにも行きません。だから「俺はボランティアに行く。だから現地に持っていく救援物資を提供してくれ」と言われると、その行動力に拍手するとともに、多少の嫉妬も感じてしまいます。

阪神の時と違い、今回の震災は平日昼間に起きたため、学校にいたおかげで自分は助かったものの親を失った子供たちが多かったそうです。あるいは、捜索活動では幼い子供たちの遺体も次々見つかっています。そこから距離も遠く安穏とした生活を送りながら電力不足や不景気の心配をしている僕も、そうした報道に接すると、思わず胸がぎゅっと締め付けられ、なにもできない自分が無力で無意味な存在に感じてしまいます。(そしてその無力感は著しく自己評価を下げるものです)。

だから、いてもたってもいられずにボランティアに飛び出していく人たちの気持ちもよくわかります。それができない自分は、(金がないにもかかわらず)思わずコンビニの募金箱に札を突っ込んでしまったりするわけです。

おそらくそれは(人に対する思いやりの気持ち以上に)自分にたいしての自己治癒の試みなのだと思うのです。効力感を求めての行動なのではないかと。人を助けることが相手以上に自分自身を救うことは、改めて指摘するまでもないでしょう。

苦難を伝える報道に接する一方で、多くの人は日常生活を続けざるを得ません。被災した人たちのために大したことができない自分をみれば、決して明るい気分にはなりようがありません。さまざまな「自粛」は、決して強いられた結果ではなく、人の心の自然な反応だと言えます。

AS(自閉症スペクトラム)の人たちが多い施設では、入所者の人たちが震災の報道にあまり興味を持たず、淡々と変わらぬ生活を送っていると聞きました。また、ASという診断を受けるほどではないものの多少その傾向があると自覚している人たちからは、ボランティアに行く人の気持ちに共感しづらいことや、いくら募金したらいいのか悩んでしまう心情を吐露してくれた人もいました。ボランティアに行く人の気持ちはおそらく上述のとおりだし、募金というのは気持ちを金銭に換えたものなので「相場」なんてものはありません。人が募金するから自分もする・・というのは、ASの人が学習によって身につけた社会性のひとつでしょう。

震災(報道)への反応を見れば、その人の自閉性が見えてくると思います。ネットを見回してみれば、様々な例に出会います。

例えば、震災直後はテレビやラジオのCMも自粛されて公共広告機構のCMばかりが流されていました。「ぽぽぽぽぉ〜ん」ばかりでガマンならずテレビ局ばかりかACにまで抗議した人の姿は、普段と違う避難所の環境に慣れずに騒いでしまい自家用車で過ごさざるを得ない自閉児の姿に重なります。(おかげでCMの終わりの「えぃすぃ〜」が消えちゃったよ)。

「自粛」の影響で自分が営業的被害を受けたわけでもないのに、自粛に抗議している人たちもいます。自閉の人たちは日常の枠組みがしっかり保たれた生活が続くことに落ち着きを見いだすのですが、人々が急に普段と違った行動を取りだしたことで混乱している姿が見えてきます。

もちろん、自閉的であることがいけないことだ、と言っているわけではありません。共感性が強い多数派とは違った苦労があると言っているだけです。

繰り返して言いますが、募金はしたくてするものであって、したくなければしなくてかまわないものです。けれど、ASの人たちにとって、他の人がすることにあわせて自分も同じことをするという社会性を身につけるのは大切なことです。学習と思考によって、共感と同じ効果を狙えばいいのだと思います。


2011年04月08日(金) 原発と霊性

日本の交通事故死者数は長らく1万人/年を越えていましたが、09年は5千人を割るまでに減りました。これには安全技術の進歩や飲酒運転の厳罰化が寄与しているのでしょう。交通事故死というのは事故後24時間以内に死亡した人をカウントしています。だから救急医療の進歩によってこの24時間を生き延びる人が増えたことも死者数減少に寄与しているに違いありません。現に事故後1年以内に亡くなる人をカウントすると1万人を越えたままです。実のところ事故死はあまり減っていないのかも知れません。

自動車というのは危険なシステムです。

自動車事故は運転技術が未熟な人が起こす、と思っている人がいます。初心者に事故が多いのは事実ですが、経験走行距離と事故発生率の関係を示したグラフは懸垂線を描いています。つまり走行距離が伸びるほど事故は減っていきますが、どんなに経験を積んでもある程度以上は減りません。これは人の技量ではなく、自動車というシステム自体が危険を抱えていることを示しています。

危険と分かっていても、経済や生活のために自動車は欠かすことができません。これが自動車社会の抱えるジレンマです。そのことは社会的なコンセンサスが得られています。だからこそ、年1万人という死者を(社会的には)許容しつつ、メーカーにはより安全な車を作るように圧力がかかり、運転者には事故を減らすように(例えば飲酒運転をしないように)圧力がかかります。

これらはすべて「危険と分かっていても、欠かすことができない」というコンセンサスの上に成り立っています。これは極めて現実的な解決策です。

話が少し逸れますが、ビル・Wは「霊的(スピリチュアル)であることは、現実的であることだ」と述べており、その方針をAAの運営にも適用したことがAAの成功要因の一つとなりました。僕も「霊的であることは現実的であること」という考えには深く共感しています。この自動車に関する社会のコンセンサスも霊的なものです。

さて、今回の原発事故の背景には、原子力産業や行政が「原発ムラ」とでも言うべき閉鎖的な社会を作ってきたことが挙げられています。閉鎖的社会は外からの批判を受け付けないもので、それが必要な安全策が講じられない原因となったという指摘です。

原発ムラの人たちは、原発は絶対安全だと言い続けてきました。しかし装置産業に関わる身として、絶対安全な機械なんて人間には作れないことは断言できます。トヨタのような日本最高の企業にすら絶対安全な自動車は作れていません。「絶対安全」というほど白々しいウソはなく、そのウソは想定外の事態によってあっさり暴かれてしまいました。

元東大総長の小宮山宏という人(原発ムラ住民)が新聞のインタビューに答え、そうした原発ムラの閉鎖性が形成された原因に、原発反対派の存在を指摘しています。原発反対派の人たちもまた意固地であり、彼らは原発をゼロにするという回答以外を受け付けません。公開した情報が原発叩きのネタにしかならないのなら、どうして原発ムラの人たちが情報を公開したいと思うでしょうか。そうして情報が隠蔽され、外部からのチェックを欠いた状態で危険は温存されてきました。原発ムラの人たちが責められるべきだとするなら、原発反対派の人たちも同様に今回の事故に対する責任を感じるべきです。

原発ムラの人たちも、原発絶対反対の人たちも、等しく非現実的です。つまりどちらも霊的でないということです。原発も自動車同様に「危険だけれど受け入れざるを得ないもの」です。他の様々な技術同様に、そうした社会的コンセンサスが形成される必要があります。その上で、どうやったらこの危険なものを少しでも安全に使えるかという議論がようやく成り立ちます。

福島第一原発では、非常用のディーゼル発電機が二系統とも原子炉の海側に設置されていて、両方とも津波で破壊されました(燃料タンクも津波でさらわれた)。信じられない設計です。片方を山の上に設置するぐらい誰でも思いつきます。外部電源も二系統用意されていたのに、直近の鉄塔が倒壊したために両方失われました。どちらも原子力の問題とは言えません。原子力の専門家ばっかり集まってやっているから、こういうマヌケなことが起こるのです。しかし、そういうオープンな議論ができる下地ができていないことが背景にあります。

原発は危険なものです。そのことは現在多くの人たちが生で感じ取っています(その生々しさは交通事故で親しい人を亡くした人の感じ方と同様です)。一方で、自動車同様に原発も現在の僕らの生活に必要なものです。東京電力の原発依存度はたかだか2割ほどですが、その2/3が止まっただけでこの騒ぎです。関西電力は5割(その原発は大阪京都奈良神戸から100Km以内にあったりする)、九州や北海道でも4割です。関東では電力不足で夏のエアコン使用を遠慮しなければならず、経済活動の停滞で今年のGDPはマイナス成長になるという予測もあります。就職戦線はいままで以上の氷河期となるでしょう。僕らは原発がない生活を次第に生で感じ取りつつあります。

ビル・Wは「アルコホリズムで死ぬ人をゼロにする」という目標を掲げませんでした。なぜならそれは現実的ではないからです。そのかわり、一人でも多くのアルコホーリクを助けるという理念を掲げました。霊性とはそういうものでありましょう。

「私たちの頭が神と共に雲の上にあったとしても、両足はしっかりと大地に着いていることを、神は望んでいるのだと、私たちは信じるようになった。それこそが私たちと仲間のいるところ、私たちの活動が行われるべき場所である。それが私たちにとっての現実なのだ」(AA p.189)


2011年04月07日(木) ACと発達障害

アダルトチルドレン(AC)とは何か? 単純に言うと、子供時代に養育者からの虐待を受けて育った大人たちのことです。この概念が出てきたのは1970年代アメリカです。親がアルコール依存症の子供たちが成人して社会に出たときに、共通したある種の「社会適応の悪さ」を経験することがわかり、それに対して Adult Children of Alcohocis (ACoA) あるいは Children of Alcoholics (CoA) という概念が提唱されました。

この概念が、親がアルコーホーリクばかりでなく虐待的な子育てをする家庭にまで拡大され、Adult Children of Dysfunctional Family (ACoD) という概念や「機能不全家庭」という言葉を生み出していきました。

日本にAC概念を紹介したのはクラウディア・ブラックです。そして西尾和美や斎藤学といった人がそれを日本で広めていきました。1990年代前半にはメディアが火付け役となって「ACブーム」が起き、日本各地にACのグループが誕生しました。ほぼ同時に「親のせいにするな」というACバッシングも起きました。その後ブームは下火になったものの、ACのグループは確実に存在を続けています。

依存症の世界にいる人なら「AC」という言葉を知らない人はいません。依存症医療の大家斎藤学先生は依存症の専門家である以上にAC問題(家族問題)の専門家でもあります。依存症に関する一般解説書を開けば一章はACのことに割かれているものです。ただし、僕はあまりACのケアには詳しくありません。クラウディア・ブラックの本もあまり読まずに手放してしまいました。僕自身のAC性には気がついていたものの、アルコホーリクとしての12ステップにどたばた取り組んでいるうちに、あっという間に十数年経過してしまいました。AC的な問題があるにしても、アルコホーリクとしてのステップで「何とかなってしまった」というのが正直な感想です。

しかしながら、やはり人の人格形成に最も影響を与えるのは養育者(親)です。だからスポンシーとステップをやるときには、生育歴・家族歴をなるべく詳しく聞き取ることにしています。最近では親がどんな人生を歩んだかということも聞くようにしています。(たいていの人は親がどんな人生について詳しく知らないので調べてもらわなくてはなりません)。その人の性格は親からの遺伝的あるいは養育方針による影響を多大に受けているでしょうから、生育歴・家族歴を聞いておけばステップ5の分析に役に立つだろう・・ぐらいの気持ちで始めたことです。

そうして何人かのステップ5につきあい、また自分のスポンシーではないものの他の人のステップ5の経験を聞いて、ひとつ分かってきたことがあります。

自分がAC概念に当てはまると思っている人は少なくありません。少なくとも自分の中にいくぶんAC的要素があることは認めています。身体的暴力が日常化していたってほどではなくても、適切な養育が受けられず愛情が不足していたと感じているわけです。しかし、それが「虐待的」と言いえるかどうかは疑問です。

「愛されなかった」とは言っても、それは「親の信条を押しつけられた」とか「親の決めた進路に従うことを強制された」といったレベルの話で、身体的精神的虐待が日常化していたというレベルとはかけ離れています。多くの親は子供を大学にやりその学費を払ってやっているし、子供がアルコールでぐだぐだになれば家に引き取って面倒も見ています。多少不適切な養育があったにしても、それは「誤差の範囲内」と言ってもよく、親としての社会的責任も引き受ける愛情あふれる親たちです。

であるのに、自分の成人後のさまざまなつまずきやアルコールの問題を「親の育て方が悪かった」という原因に帰着させたがる人がいる。(それはアル中特有の何でも人のせいにしたがる態度もあるのでしょうが)。

愛情あふれる親に育てられながら、その愛情を受け取ることができなかった子供たち。

いったいこれは何なのでしょうか。おそらくそれは「認知」の問題、愛情を受け取る能力の問題でしょう。

実はスポンシーにはAQのスクリーニングテストをやってもらうように頼んでいます(自閉症のスクリーニング)。これが皆さんそこそこ高スコアをマークしてしまうのです。皆に発達障害のクリニック受診を勧めるほどではないものの、決して低くはない。ここから、AQの信頼性はともかくとして、

「アルコール依存症の人、あるいは自分をACだと思っている人の中に、自閉的特性を備えた人が多い」

という考えが生まれます。

付け加えると、客観的な(というか第三者からの)視点で証拠を示して「これだけのことをしてくれたんだから、やっぱり親はあなたのことを十分愛して養育してくれてたんじゃないかな」と指摘すると、割とすんなり(とはいかなくても数週間数ヶ月かけてすんなり)受け入れます。客観的証拠を示せば割とすんなりこだわりがひっくり返るのも自閉的と言えます。おそらくはその特性に従って、子供の頃から被害的認知が強化されてきたのでしょう。

一方、親がアル中であっても定型発達の人は、自分がACだという自覚があまりありません(これはこれで問題なのですが)。これでは話があべこべです。

もちろん世の中にはバッチリ虐待を受けて立派な?ACになっている人もたくさんいるはずです。だからAC概念そのものを否定するわけではありませんが、自分がACだと思ってACの問題に取り組んでいる人の多くが、実は親の養育姿勢よりも子供の側の発達障害のほうが大きく影響しているんじゃないかと思っています。その人たちが元々のAC用に用意されたプログラム(ミーティングでの分かち合いや、スポンサーとの親子関係の棚卸し)を何年やってもなかなか良くなってこない・・ということは現実に起きているわけです。

考えてみれば、クラウディア・ブラックは医師でも心理学者でもなくソーシャルワーカー(SW)でした。SWというのは「治す」のではなく、そのままのその人をなんとかうまく社会に適応させる方策を考えるのが仕事です。それはまさしく発達障害の人たちが必要としている福祉的支援です。ブラックの見ていたACの人たちは実は発達障害の人たちではなかった、と思ったりします。

依存症と発達障害の関係を考えている人が増えてきているように、ACと発達障害の関係を考える人も少しずつ出てきていると聞いています。


2011年04月05日(火) 人々が聞きたがらないニュース

Dr.林の提言。
http://kokoro.squares.net/HanshinAwaji.html

糖尿病や高血圧の薬が手に入らないとか、透析ができずに苦労しているという話はニュースで取り上げられますが、統合失調の人の薬が手に入らず症状が悪化して避難所にも入れないという話は取り上げられません。同じことは依存症についても言えます。

人々が聞きたがらない、目にしたくない話は、新聞でもテレビでも週刊誌でも取り上げられません。逆に言えば、メディアに出てくる話は、それがどんなものであれ、その話題を歓迎する人がいるからこそ取り上げられているのだと言えます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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