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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年02月12日(金) 「酒をやめる」の意味 伝統3によれば、AAメンバーになるための資格は「飲酒をやめたいという願い(a desire to stop drinking)」だけだそうです。序文にも同じ言葉が書かれています。
AAの本を読むときに気をつけなければならないのは、「酒をやめる」という言葉の意味です。
例えば、この文章を読んでいる人のほとんどは、今日は朝から酒を飲んでいないに違いありません。今日一日は酒を飲んでいないのですから、今日は酒をやめられているのです。すでに実現できていることを、願望として持つ人はいません。つまり、あなたはAAに参加する資格を失っています。
でも、そうではない。AAには酒を飲んでいない人がたくさんいます。となると、つまり(AAでは)酒を飲んでいないだけでは、「酒をやめた」ことにならないのです。例え何ヶ月、何年飲んでいなかろうと、それだけでは「まだやめてない人」なわけです。
十年ほど前に、十三年間飲んでいなかったAAメンバーが再飲酒しAAを去りました。それを聞いた人たちはこう言いました。
「彼は酒をやめられていなかったからね」
そう言われたのは、彼が十三年やめていても最後に飲んでしまったからではありません。いつ飲んでもおかしくない危険な状態がずっと続いていたからです。
AAの言う「酒をやめる」は、再飲酒の危険がない状態が実現し、それが維持されていることを意味しています。recovering(回復中)ではなくrecovered(回復した)、あるいはex-alcoholic(元アルコホーリック)という言葉を使いたがる人たちがいるのも、そのせいでしょう。僕は回復が完了したという考え方には賛成できませんが、そういう考え方を否定しようとは思いません。
その状態を維持する努力を怠れば、やがては元の危険な状態に戻り、最終的には再飲酒ってことにもなりかねません。つまり厳密な意味で「酒をやめられた」人はAAにだっていないわけです。だからこそ、やめた人にもAAへの参加資格があります。
けれど、実用上の意味で「酒をやめられた人」はAAにたくさんいます。
となると、AAには
・酒をやめられた人
・酒を飲んでいないけれど、まだやめられてない人
・飲みながらAAに来ている人
が混じっていることになります。
2010年02月10日(水) 自然とのつながり 正月明けから寒い天気が続いていたものの、一月後半は少し暖かい日が続き、そのまま暖かくなるのかと思ったら、先週後半から週末にかけてずいぶん寒い日々でした。
スポンシーから毎日電話をもらっています。
大したことは話していません。ミーティングや例会に行ったかどうか。そこでどんな話をしたか。体調や心の調子。ちょっとした相談など。たいてい数分、長くても10分ほどでしょう。
面白い(?)ことに、「今日は調子が悪いです」と言われるときは、天気図で前線が通過している日が多いのです。雨や雪が降ったか、降らないまでもどんよりと曇っている日です。体調というのは、ずいぶん天気に左右されやすいんですね。
僕自身も、天気の悪い日は体調も何となく悪く、朝起きたときに布団から出づらかったり、仕事のノリが悪かったり、かといってサボってどこかに遊びに行きたい気分でもなし、なんとなく頑張れないままに一日終わってしまうこともあります。
ところが安定剤を多めに使っていた頃は、気分が天候にあまり左右されませんでした。(それどころか雨の日の方が気分が落ち着いた気もします)。おそらく、安定剤の作用によって感覚が鈍麻していたのでしょう。もちろん酒を飲んでいた頃は、外が晴れていようが雨が降っていようが気にもなりませんでした。睡眠薬や安定剤、それになによりアルコールという「ダウナー系薬物」ってのは、人間の内部と、外とのつながりを遮断してしまうのかもしれません(だからこそ、気分が落ち着く)。
これから春になっていく季節、暖かい日と寒い日が繰り返されます。こうした寒暖の差によって体調や心の調子を崩してしまう人も珍しくありません。だがそれも「しらふだからこそ」です。スポンシーはそれになかなか気づかないようで、調子を崩すのは何か悪いことではないかと心配しがちなのです。酒も薬も断ったがゆえに乱調がやってくる。大いに結構なことです。だんだんその波も治まっていくので、心配することはありません。
2010年02月09日(火) スポンサーの言うこと AAにはスポンサーシップという仕組みがあり、経験の長い人がスポンサーとして、新しく来た人(スポンシー)の面倒を見ていきます。
スポンサーの与えるアドバイスの質が、スポンシーのソブラエティの質を決めているのは間違いありません。だから、スポンサーはなるべく良いアドバイスを与えねばならないのは当然です。AAメンバーの話を聞いていると、ときどきスポンサーからとんでもないアドバイスを受けている、としか思えない時もあります。
けれど、僕は他の人のスポンサーシップに口を挟むことは滅多にありません。誰がどんなアドバイスをしていようと、僕に迷惑が及んでくることは滅多にありません。逆に言うと、スポンシーがよそへ行って余計なアドバイスをもらってくると面倒なことになる場合もあります。あまり誰かのスポンサーに(間接的にはそのスポンシーの回復に)迷惑をかけたくないのです。何かを言いたければ、スポンサーの方に言えばいいわけですし。
僕も回復が足りなかった頃には、共依存的に境界線を越えて人のスポンサーシップに口をはさんだこともしばしばありましたが、何度か痛い思いをして学んだわけです。
AAスポンサーがスポンシーに間違ったアドバイスをすることも、当然あります。けれど、「それは間違ったアドバイスだ」と思っている僕が間違っているのかも知れません。
それに何よりも大切なことは、正しかろうと間違っていようと、スポンサーのアドバイスに従うことです。というのも、回復は新しい考えを身につけることだからです。そのためには、自分の古い考えを捨て、新しい(他からの)考えを自分に入れる習慣を身につけねばなりません。
新しい考え方は、古い自分の考え方からすればしばしば「間違っている」ように感じられます。そう思えても、自分の中に入れてみることが大切で、スポンサーのアドバイスが本当に正しいか間違っているかは、回復にとってそれほど重要なことではありません。
とは言うものの、現実に例外はありますから、スポンサーの方に「ちょっとそれはマズいんではないか」と伝えなければならないこともあるでしょう。だから、スポンシーの人にとって重要なのは、「自分のスポンサーが誰か」ということを明らかにしておくことです。言うのが恥ずかしいスポンサーってこともないでしょう。
自分のスポンシーに「スポンサーが誰か」を伏せるようにアドバイスするスポンサーというのは、僕としては疑問の残るやり方なのですが、だからといって口を挟むこともしないわけです。
ひさしぶりに更新をしました。
2010年02月07日(日) RDPワークショップ参加 ジョー・マキュー(Joe McQ)はアメリカのアーカンソー州リトルロックのAAメンバーでした(州で最初に回復した黒人のAAメンバーだそうです)。彼は1973年にアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ちなみにチャーリーは白人のAAメンバーです。
お互いにビッグブックに関心を持っていることがわかると、二人は親しい友人になり、225マイル(360Km)離れていたにもかかわらずお互いの家を訪問しあい、ビッグブックについて自分が学んだことのメモを持ち寄り、理解を深めていきました。
彼らは各地で行われるAAのカンファレンスに参加する際にも、ホテルの一室で分かち合いを続けたのですが、ある時トニーというメンバーがそこに加わりました。そして次第に加わるメンバーが増え、カンファレンスのたびにホテルの一室でビッグブックを使った非公式のステップミーティングが行われるようになりました。
この「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」というスピーカーミーティングは年に約8回行われていましたが、1977年にこれがテープに録音されました。1980年にウェスレイという人が、このテープをAAの国際コンベンションで配ったところ、これが実に好評で、あっという間に全米に広がりました。
もともとAAイベントのスピーカーとして招かれることの多かったジョーですが、これ以降チャーリーと二人に「ビッグブック・スタディ」の依頼が全米から来るようになります。彼らは以降二十数年間に渡ってこれを続け、アメリカとカナダのすべての州、オーストラリア・ニュージーランド・イングランド・スコットランド・アイルランド・ドイツ・スイス・オランダ・アイスランドで週末のビッグブック・スタディを行いました。
これがAA共同体に与えたインパクトは強烈で、英語圏のAAメンバーに「あなたはどんなふうに12ステップをやったか?」と尋ねると、「ジョー・アンド・チャーリーのやり方で」という答えがしばしば返ってくるのです。
この二人のビッグブック・スタディは1999年が最後になり、しかもジョーは2007年に亡くなってしまったのですが、「もう一人のジョー(Joe McC)」というやっぱり黒人のメンバーによって、今でもジョー・アンド・チャーリーは続けられているそうです。
この二人は本も書いており、ジョーの書いた本のうち2冊はすでに日本で出版されています。
さて、ジョーはリトルロックにあった治療施設に1970年代から関わるようになり、そこでもジョー・アンド・チャーリーのやり方を応用していくのですが、施設という制約の中で12ステップをクライアントに効率的に伝える方法として「リカバリー・ダイナミクス(RDP)」という治療プログラムを開発します。
今回奈良ダルクの招きでジョーの後継者のラリー所長が来日し、RDPの講習会が行われたので参加してきました。土曜朝からだったので、金曜晩のミーティングを済ませてから車で移動し車中泊、という中年には無茶なことをしてしまい、疲れが取れず居眠りをするかも、と心配だったのですが、大変に中身が濃く、二日間集中を続けてぐったり疲れて帰ってきました。
大学ノートにこんなにたくさんメモを取ったのは何年ぶりだよ、と自分でもビックリです(それだけ勉強嫌いなんです)。それにしてもあれだけ金を払ったのにメモのひとつも取らない人って、何を考えているんだろうね。
それと英語だと通訳の品質が心配だったのですが、今回通訳をしてくださった方は回復の用語にも詳しくてとてもわかりく、本当に助かりました。
宿舎では国内の回復施設のスタッフの方と一緒になり、一時間ほど話を聞かせて頂きました。当然施設のスタッフ向けのプログラムだったのですが、いろんなグループから自分のスポンサーシップの参考にしたいというメンバーが参加していました。
得がたい機会を作ってくださった皆さんに感謝。僕は今後とも回復の分野で仕事をする予定はありませんが、今回得た知識を自分の回復と、スポンサーとしての活動に生かして経験を積み重ねていきたいと思います。
ともかくこの業界(?)は、知識と経験の少ない者が、より多く持つ者からそれを渡してもらうことで動いています。5年経ち、10年経てばもう学ぶべきことがなくなるわけじゃなくて、ますます得るべきもの、やるべきことが増えてくる感じです。回復を始めたばかりは万能感に満ちていますが、年を経るごとにいかに自分の知ることが少ないかを知っていくわけです。
いままでのスポンシーにも、改めて機会を作って今回僕が得たものを渡し直さなくてはと思っています(が、どうせずるずると先に延びるんでしょうな)。
2010年02月05日(金) ネットのabuseとうつ ブログに載せたこの記事について
インターネットの過剰使用とうつに関連性
http://www.ieji.org/dilemma/2010/02/post-241.html
どういう基準でインターネット依存症(IA)と診断しているのかは不明ですが、ネットの過剰使用とうつの間には密接な関係があるという話です。
自分のうつ病の経験からすれば、うつの酷い時にはネットどころかパソコンの電源を入れる気にもなれず、携帯電話をいじる気にもなれませんでした。しかし、そういうメランコリー型のうつばかりではなく、非定型のうつもあれば、他の病気のうつ症状もあり、先日まで書いていた発達障害に起因するうつもあります。当然、アルコールその他の依存症によるうつ症状もあるわけです。
そして、そうしたうつの中には、(メランコリー型と違って)うつの症状が酷くてもパソコンでインターネットができたり、携帯でネットにアクセスできる人もいるわけです。精神科医のブログには、精神状態が悪化するとネットのアクセス量が増える(例えば携帯のパケット代が増える)例が書かれていました。
とすれば、ブログや掲示板で「うつだ」と書いている人の中にも、実際に重いうつ状態の人がいても不思議じゃありません。けれどその人たちが(定型の)うつ病だとはちょっと信じられません。その人たちはネットや本で調べた「うつへの対処法」を実践して、仕事を休んだりしているのでしょうが、その割には何年経っても良くなっていません。遷延性のうつがそんなに大量に存在するとは思えないのです。
ともかくヘビーなインターネットユーザーには精神を病んだ人が多い、ってことは分かりました。断酒板も含めたメンヘル系掲示板では、ともかく具合の悪そうな人が多いわけです。どう見ても、ネットの掲示板にいる人たちよりも、断酒会やAAに通っている人の方が精神的の健康度が高いのは確かです。それは、具合の悪い人は人と接したがらず、でも寂しいからブログや掲示板には出てくる、ってことを考えれば当然なのかも知れません。
ネットで対人トラブルを起こしている人も、リアルで接すれば「悪い人じゃない」こともあります。けれど、それは期待される社会的役割を「演じて」いるので、人間関係が苦手だったり、人と接すると疲れてしまうわけです。だとすれば、ネットでトラブルを起こしている姿が、その人の「仮面の下の本当の姿」なのだと思われます。
2010年02月02日(火) 酒類販売管理協力員 昨年の5月に市の広報誌を見ていたら、酒類販売管理協力員募集という記事を見つけました。募集元は国税庁。何をするかというと、酒の売り場に行って「ここは酒の売り場である」「未成年に酒は売らない」という表示がきちんとされているかチェックする仕事です。
ちょうど会社から賃金カットが提示され、それに応じて休日が支給され、減収分のアルバイトを許可するという話があったところなので、税務署に電話をかけて応募の手続きを尋ねました。ウェブから申込用紙をダウンロードし、記入して郵送するだけでした。
一ヶ月ほどしたら、税務署から電話で採用の通知があり、説明会をやるので来てくれと言われました。念のためネクタイを締めて出かけることにしました。
会場に着くとすでに20人ほどの人が集まっており、定年後のおじいさんや主婦らしいおばさんがメインでした。署長の挨拶の後、一人一人に依頼書が手渡され、説明が始まりました。自分が選んだ酒類販売場(酒屋やコンビニやスーパーの酒売り場)に行って、注意書きが正しく書かれているかチェックするのが仕事です。チェックポイントは、酒の売り場がちゃんと他と区分けされているかどうか(酒以外の商品とのごちゃまぜは不可)、そこにはお酒の売り場と表示されているか、年齢確認をして未成年には売らないと表示があるかどうか。そういう表示の大きさとか、商品で隠れてないかとか。あとは酒の自動販売機のチェック。説明書を捨てちゃったので、細かいところはうろ覚えですが、ざっとこんなところです。仕事はチェックと報告だけで、是正指導は税務署の仕事なのでやってはいけません。
説明が終わると、管内の酒売り場から自分の調査したいところを選びます。みんな自分が買い物にいくスーパーなどをチェックするので、選ぶ順番が後になると、遠くのコンビニなどを選ぶ羽目になります。選び終わるととっとと帰ってしまう人がいましたが、きっと毎年やっていて手慣れているのでしょう。
調査一件あたり報酬は千円。そして一人あたり11件だから、僕の実入りは11,000円。件数は税務署によって違うようですが、国がこの調査員に用意した予算が2,000万円、募集する調査員が2,000人ですから、平均すれば一人あたり1万円ということになります。ちょっとしたアルバイト感覚ですね。
僕はスーパーを4件、ドンキとヤマダ電機とドラッグストア各1、残りはコンビニを選びました(ヤマダ電機で酒を売っているとは知らなかった)。店を回ってチェックして、調査票に書き込むだけだから簡単な仕事です。店に入って何も買わずに出てくるのは、ちょっぴり強心臓を要求されるかも知れません(なにせ1件あたり千円ですから、下手に買い物をすると報酬が減ってしまいます)。
どの店も非常に真面目にルールを守っていらっしゃる。たまに表示が商品で隠れちゃっている程度です。・・・ところが、近所のドラッグストア1軒だけは、全然違っていました。商品は酒と酒じゃないのが混じって展示され、表示も何もなし、まるっきりルール無視なのです。当然×印ばかりの調査票を提出しました。
報酬は忘れた頃に銀行に振り込まれました。最初に申込書を書くのに1時間、説明会に2時間、調査に3時間、調査票の提出に1時間、合計7時間とすると時給千五百円ぐらいの仕事でした(当然その収入は税務署に捕捉されるでしょう)。
それから例のドラッグストアに行くたびに、酒売り場を覗いてその後どうなったか確かめているのですが、数ヶ月経った現在もルール無視のまんまです。未成年の飲酒を防止するには、未成年に酒を売らないのが一番で、警察よりも国税庁がその施策の中心を担っているだとか、酒類販売管理協力員制度を活用して販売店を強力に指導している、などとどこかに書いてあったりしますが、この例を見る限り実際にどれだけの指導が行われているのか大いに疑問です。事業仕分けで消えていっても構わない施策だったりして。
本気で未成年者の飲酒を減らしたければ別のことをしなくちゃね。
今年も募集があるでしょうから、時間がある方はチャレンジしてもいいかも。でも、酒売り場に出入りするのはお薦めできないか。ま、奥様にやってもらえばいいのでは。
2010年02月01日(月) たまには共依存について 共依存というのは、依存症の家族に見られるある種の傾向を示す言葉です。
本来アル中本人が取るべき責任を肩代わりしてしまうことによって、本人の回復を遅らせてしまい、家族も不幸になってしまうのに、それがやめられないのです。
共依存は(ACと同じで)医学的な意味での病気ではありません。しかしなぜそれに「依存症」という名がついているのでしょうか。それがco-dependency(共依存症)と呼ばれる前は、co-alcoholism(コアルコホリズム)と呼ばれていました。共依存の人というのは単なる「世話好き女房」ではなく、アル中本人に似た行動の特性を持っているのです。対比してみましょう。
(本人)酒を飲み続ける自分の行動がどのような結果を招いているか考えない。
(家族)本人を世話する行動が、どのような結果を招いているか考えない。
(本人)アルコール以外のことへの関心が薄い。
(家族)誰かの問題で頭がいっぱいで、他のことへの関心が薄い。
(本人)酒なしの生活では落ち着かず、酒のある生活に戻りたがる。
(家族)トラブルのない平和な生活だと落ち着かず、トラブルを起こす人の元へ戻りたがる。
この他にも、ノーと言えない、怒りをうまく表現できない、被害者意識に取りつかれている、そのくせ罪の意識が強い、辛抱強く待てない、ほどほどではなく極端になりやすい・・などなど、依存症本人と共依存の人の行動パターンは似たところが多いのです。
では共依存の人はどうすればいいのでしょう。本人が「酒を手放せば良い」ように、家族も「本人を手放せば良い」わけです。そこで、僕らは相談を受けると、ついついこんなことを言ってしまいます。
「あなたが旦那さんの病気を治そうと思っても無理です。世話をしたり、尻ぬぐいをするのはやめて、本人に責任を取らせなさい。あなたは時間を自分のために使って、自分の楽しみを見つけて下さい」
二郎さんの掲示板なんかでも、僕もこんなことを書いていたことがありました。そして、また尻ぬぐいをしてしまいましたという告白があると、それをしているから旦那さんが回復できないのです、と責めてしまったりしたわけです。
しかしこれは、依存症の本人にこう言っているのと同じです。
「酒をやめなさい。酒を手放しなさい。酒以外のことに時間やお金を使って、別の楽しみを見つけるのです」
あげくに再飲酒を責めているのと同じことです。アル中本人が酒をなかなか手放せないように、家族もまた本人を手放せず、また世話を焼くという再発を繰り返します。なぜなら、酒を飲まない本人がイライラ落ち着かないように、世話をしない家族もイライラ落ち着かないからです。
アル中さんが周囲から酒をやめるように圧力を受け、自分だけの力でなんとかやめようと無駄な年月を過ごすように、共依存の家族も関わることをやめるように圧力を受け、なんとか自分の力でやめようと再発を繰り返してしまいます。
自分の力では再発を防げない、その点でまったく無力なのだ、と認めることから「回復」が始まるのは、本人も家族も同じです。
ある施設からのニューズレターの記事を読んで、その原点を思い出しました。
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