ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2009年11月13日(金) 自分が作った壁 僕はAAに来てから10年近く、スリップ(再飲酒)は飲酒欲求(渇望)に負けて飲むものだと思っていました。飲みたくて我慢できなくなった人が飲むものだと思っていました。だから、「飲みたくてたまらない」状態にならないように気をつけていればいいし、AAもそのためのものだと思っていました。
実際そのように酒を飲んでしまった、という体験もミーティングではずいぶん聞きますから、そう思って当然だったかも知れません。自分より長い仲間が「そういうのはスリップって言わないんだよ」と言っても聞き入れず、じゃあどういうのがスリップなんだよ!、と言い返すぐらいの態度でいたのです。
その仲間の言葉を今の僕の言葉で言い換えれば、それは「再」飲酒ではなく前回の飲酒の続きをやっているだけだ、という感じでしょうか。
我慢でも何でも酒をやめ続けていると、あの強迫的な飲酒欲求は次第に静まっていきます。もう酒を飲む必要はないと感じるようになります。では必要のない酒をなぜまた飲んでしまうのか? よくよくAAメンバーの話を聞いてみると、確かにそういう(真の?)再飲酒をした人の体験がきちんと話されています。10年間それに気づかなかったのはなぜか?
それは僕の耳が(実際には脳が)そういう体験談をシャットアウトしていたからでしょう。アル中の耳とは不思議なもので、自分の意見を否定するような材料は拒むようにできています。
時間はかかったものの、僕のその心のファイヤーウォールを乗り越えて、真実が脳に届く瞬間がやってきました。例のジョー&チャーリーが書いた "A Program For You" という本に書かれた内容が、僕の心の壁にひび割れを作ってくれました。ようやく光が差し込んだわけです。
でもそんな本を読まなくても、同じことはビッグブックの「医師の意見」と2章と3章あたりに、繰り返し繰り返し繰り返し、くどいほど書かれています。僕はそれまでにもビッグブックを何度も読んでいたにもかかわらず、そこに書かれた真実を見落とし続けました。それはなぜか?
自分の考えを否定する言葉は無視していたからです。疑問に思っても質問すらしてみませんでした。ここでも僕の脳にはファイヤーウォールが張り巡らされ、光が届かない状態だったのです。
僕にビッグブックを一緒に読むスポンサーがいれば、僕の10年をずっと短く短縮できたかも知れません。だから僕はスポンシーと一緒にビッグブックを読むことにしています。説明をしながら読み進めていくと誰もが「同じことが繰り返し書かれている」ことに気づきます。ビッグブックを書いた人たちが、それだけ強調する必要があると思ったから繰り返し書かれているのでしょう。それはスポンサーがスポンシーにステップ1の一部として必ず伝える必要がある中身だと思っています。
その瞬間アル中は「今度こそはふつうの人並みにうまく飲める」と考えます。その時に「前の飲酒が自分にもたらした屈辱の記憶」を忘れているわけではありません。ただその記憶も、依存症の知識も役に立ってくれません。理性による断酒が潰える瞬間です。
多くのアル中さんたちは、自分の理性を信じています。他のことはともかく、ことアルコールに関してはアル中の理性は役に立たない。そのことを認められないアル中さん達を僕は笑うことができません。自分もその一人だったからです。
人間には三種類あると思います。
一つめは、他人の失敗を見て自分の将来の危険を避けられるタイプ。
二つめは、その失敗が自分の身の上に起こってようやく学ぶタイプ。
最後は、自分の失敗からも学ぶことができないタイプ。
自分自身を一番目のタイプだと思っている人は進歩できないわけです。そう思うのがまさに「アル中的思考」だからです。僕も含め、ことアル中さん達は全員三番目のタイプだと思って間違いありません。
2009年11月11日(水) 「神」って? 先日AAの病院メッセージでのことです。
この雑記はAAメンバーでない人も読んでいるので、ざっくり説明すると、AAメンバーが病院を訪問して患者さんと話をすることです。普段のAAミーティングの形式でやる場合が多いと思います。Grapevineを読んでいたら、take meetings to hospital/rehab という一節があったので、海の向こうでも同じことをやっているのでしょう。
ハンドブックの序文・3章・5章を読んで、参加したAAメンバー全員が話をし、余った時間で患者さんに話をしてもらいました。その中の一人が、「このパンフレットに神という言葉が出てきますが、神って何ですか?」という質問をされました。
質疑応答になってしまうと分かち合いにならなくなってしまうので、質問は後回しにしてもらって、終わった後で個人的に話をすることにしています。「AAは宗教とは無関係だ」と言っても、そういう人の疑いは晴れません。そこで、手短にこんな話をすることにしています。
どうして人は教会や神社で結婚式を挙げるのでしょう。どうして人が死ぬとお坊さんを呼んで葬式をするのでしょう。七五三や受験のお願い、あるいは初詣に神社仏閣に行きます。それはなぜか?
世の中には人間の力ではどうにもならないことがたくさんあります。日本人は古来から、生きている人が幸せになるためには(死んだ人が安らぐためにも)、人間の努力だけでは足りないことを知り、神や仏を頼ってきました。あなたもそれを強く意識しなかったかもしれませんが、初詣には行ったことがあるでしょう。それが信仰心というものです。
ただ、日本人の多くは信仰の「ブランド」にこだわりをもたないので、七五三は神社、結婚式はチャペル、葬式はお寺なんてことになります。AAも同じで、あなたがどのブランドの信仰を持っているか、あるいはなにも持っていないか、まったく意に介しません。どこか特定のブランドに押し込められるのじゃないか、と心配する必要はまるでありません。
ただ、酒をやめていくのに自分の力だけでは足りない、と考えはAAの基本です。あなたが反発を感じているとしたら、そちらのほうではないのですか?
2009年11月09日(月) 解離の話(その3) 小西さんの話の後半、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害について。
もし動物が恐怖を感じることができなければ、危険な場所に留まり続け、生き残ることができないでしょう。恐怖は必要な生存本能です。人間も、例えば高い場所や暗い場所は怖いし、ナイフを振り回している人からは逃げようとします。これは動物的な脳の機能です。
そして危険や恐怖は、人間の心に強く残るようになっています(その方が生き残れる確率が高まるから)。恐怖を感じる危険は暴力だけではなく、恥をかく、大きな力の前に無力感を感じるのも恐怖体験になり得ます。
恐怖感は時間が経つと次第に減衰していくのが普通です。しかしそれは危険を離れて安全な場所にいるからです。逃れられない暴力にさらされ続けると、恐怖が「学習」されてしまい、その過剰な恐怖に対応するメカニズムが成立します。それが解離です。
道路にはセンターラインがあり、日本ではその左側を走ることになっています。車を運転する僕らは、反対車線を走る車がいきなりセンターラインを越えて飛び越してこない、と信じています。だから、かなり気を抜いて運転しています。人間の社会には、そのように無条件に信じなければならないことがあり、信じなければ生きていけません。
例えばセンターラインを越えて飛び出してきた車と正面衝突して重傷を負ったとすると、その恐怖でセンターラインが信じられなくなります。いつ反対車線の車が飛び出してくるか分からない、とても緊張した状態を強いられます。そういう事故が、その人の身に繰り返し起こったらどうなるでしょう。もうハンドルを握ることすらできなくなって不思議ではありません。
家庭という密室の中で、繰り返し暴力、無力感、屈辱を味わってきたDV被害者の解離症状を理解するキーワードは「学習された恐怖」です。
僕らは「いきなり人が殴りかかってきたりしない」ということを信じています。けれど、それが信じられなくなれば、駅でいきなり殴られるかもと思えば電車に乗れなくなる、というような行動の障害となって現れます。
トラウマを持つ人は、明日が来ることを信じられません(明日を信じられないのはトラウマを持つ人に限りませんけど、それはともかく)。例えば地雷が埋まり、銃弾が飛び交う戦場で育った子供は、親しい人がいきなり死ぬ経験を繰り返します。とんでもないことがいきなり起こる暮らしを続けてきた人は、「自分は早死にする」「先のことを考えても無意味」という確信を持つようになります。
明日がないのであれば、計画を立て努力しても無駄です。それが、何事にも真剣味が感じられない無気力な姿勢となって現れます。しかしそれは、やる気のなさではなく、脳が恐怖を学習した結果です。
小西先生の講座は、どちらかというと援助職向けでしたので、回避的で無気力な姿勢が、やる気のなさではなく、解離の症状であることを理解することが大事だ、ということが強調されていました。
治療者向けの話ではないので、どのように対処するかはごく簡単に触れられたのみでした。恐怖や不安を否認したり避けたりすることから、認識すること、コントロールすることへ。恐怖から逃げる方向ではなく、行動の制限を減らし自由を獲得していくことが、自己評価を上げることにつながるのだそうです。
例えば車の運転の例で言えば、運転は無理でも、自宅の車庫でハンドルを握ることから始めたり、夫が包丁を振り回したせいで、包丁が怖くなって料理ができなくなった女性が、小さなナイフを使うことから始めるなど。専門家向けの集中講座への言及もありましたが、さすがにそこまでの興味はありません。
解離の症状を、やる気のなさと誤解しない、というのが今回学んだポイントでした。
(この話は今回でおしまい)
2009年11月08日(日) 解離の話(その2) 小西さんの話の後半、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害の続き。
パワポの資料を丸写しですけど。
「よく誤解される解離症状の表現形」
・人ごとのようで、真剣みが感じられない/へらへらしている
酷い暴力を受けたにしては真剣に悲しんでいるように感じられず、診察室でもへらへらしている。→ショックを乗り越えたわけではなく、真剣味がないのは危ない状態。
・淡々と合理的にしゃべるが、行動が合理的でない/感情がないようにぼうっとしている
・(事件に関する)大事なことなのに覚えていないという/都合の良いことだけ覚えているように見える。
・事件について話し合おうとすると、具合が悪くなってしまう/別の話になってしまう/話せない
→事件の話をしているのに別の話にすり替えてしまう。あることに全く触れられない。しかし知的能力はまったく損なわれていない。
・約束の当日、具合が悪くなる/電車を乗り過ごしたと言うが重大さが感じられない
→それが無意識に行われる。離婚調停で家裁に行かなければならないのに、「忘れて」いたりする。それが極端に心証を悪くすることも。
・重症感があり、ヒステリー様の症状(歩けない、手が動かない、被害に「意味がある」痛みが感じられるなど)がある。
→転換性と言われるゆえん。
解離が疑われた場合には、それが解離症状か確かめるのが鉄則で、それを自分ではどう感じているか確認する。感情がない(事件を怖いとか怒りを感じない)、記憶がとぎれていることを自覚している、自分が自分でない感覚や自分を別のところから眺めている感覚(離人感)、事件を思い出そうとすると記憶にふたをされた感じ、あるいは体の不調が起こる。
2009年11月07日(土) 回復研究会の集会 中央道始点の高井戸インターには入り口がないことを毎度忘れてしまいます。気がついて、第三京浜→環八→世田谷通り→狛江通り→調布インターと走りました。横浜から効率的に中央道に出る道があったら教えてください。
で、集会の感想。
「ひいらぎさんは、長野から高みの見物でいいですね」と言われましたが、離れているから見えてくることもあります。関東の連中の喧噪に巻き込まれたら、見えることも見えなくなったりするかもしれません。
ビッグブック・ムーブメント、あるいは基本に返ろうという運動は、2003〜04年ごろから盛り上がってきました。その頃からやっている人たちは、もう5〜6年やっているわけです。今回もその人達の姿を見て感じたことは、あの頃の力みや焦りが消え、自然体でやっているという印象です。
あの頃は、日本のAA(を含む12ステップグループを)今すぐ全面的に変えちゃろうという、大それた夢をみんなが心の中のどこかに秘めていたような気がします。それは、
「歯車を一度に全部逆回転させることはできない」(12&12 p.96)
という、当たり前のことが分かっていなかった、ということかもしれません。個人の回復の途中でも同じことが起こりがちですけど。
現実はそんなに簡単には変わらない。地道に実績を積み上げるしかありません。そろそろ、その「実績」がそれなりに積み上げられてきて、ゆっくりだけれども確実に広がって定着しつつある。「ああこの路線でいいんだ」という手応えをみんなが感じ始め、それが気負いを消してくれたのではないか。そう思いました。
今はビデオをDVDに録画する時代で、ディジタルなので何度コピーしても劣化しませんが、僕らの若い頃はビデオテープをダビングするしかありませんでした。先輩がナイスなビデオを持っていれば、頭を下げてそれをダビングしてもらいました(おたくがビデオデッキ2台持つのは珍しくなかった)。そうやって人から人にダビングが繰り返されていくと、次第に映像が歪み、色が乱れ、「写っているのが日本人かガイジンか分からない」ような状態になってしまいました。
おそらく日本のAAのステップの伝達に起こったのも、同じ現象ではないか、と僕は推測するのです。人から人に伝えられていく過程で、ずいぶん違ったものに変貌してしまったのではないかと。三十数年前に始まった頃はそれなりに原形を保っていたものが、伝えられているうちに歪んでいった。役に立つ変化もあったけれど、総じてAAは魅力を失っていったのではないかと、問いたいのです。
だから研究会の集会は、ビッグブックうんぬんよりも、「ステップをきちんとやりましょう」とか「12ステップグループはステップで問題を解決する人の集まり」という、とても基本的なことの再確認の場になっていた、と思いました。
ジョー・Mに言及すれば、彼は「スポンシーにビッグブックを使ってステップを伝える」ことを強調しています。ダビングを繰り返すのではなく、マスターのビデオテープから直接ダビングすれば劣化しない、当たり前のことです。日本のAAは「AAは伝言ゲームになってはいけない」という経験を得たということでしょう。
基本に忠実に取り組む、というこの当たり前の動きが、アルコールだけでなく、ギャンブルや薬物や感情のグループ、さらに家族のグループに広がっている現状は、とても頼もしく思えます。
あと細かな感想は、年数のファクターは無視できないな、ということ。ステップに真面目に取り組めば回復は早まるけれど、それでも十年分の回復を一年で成し遂げるってわけにはいきません。十年分回復するには十年が必要、と思いました。(けれど、十年経っても一年分しか回復していないってことはあるかも)。
12ステップのプログラムは、スポンサーからスポンシーに直接手渡されていきます。会場では伝える相手(スポンシー)を求めるスポンサー達が手を挙げていました。
「ひいらぎさんは手を挙げないのですか?」と聞かれ、
「今手一杯なんです」と答えました。
まあ田舎で地道にやっています。
田舎は静かで、いろんなことに巻き込まれずに済んでいいのですが、刺激が足りないとせっかく渡してもらったものもさび付いてしまいます。いろんなスピーカーの人の話が良いrefreshになりました。
2009年11月04日(水) 解離の話(その1) 乖離の話ではなくって。
小西さんの話の後半は、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害の話でした。
解離性障害は、逃れられない暴力的な被害を受けた心が、その耐え難いストレスを、記憶や感覚の異常に「転換」したものと考えられています。DV被害者、虐待された子供、犯罪被害者などの話には定番とも言えます。
DSMの解離性障害の項目には、
・解離性健忘(以前は心因性健忘)=外傷やストレスに関わる記憶がなくなる。
・解離性遁走(以前は心因性遁走)=突然生活の場から離れ、その間の記憶がない。
・解離性同一性障害(以前は多重人格性障害)=いわゆる多重人格。
・離人症性障害=自分のことをまるで外から傍観しているように感じる。
さらに、IDC-10には、
・解離性昏迷、トランスおよび憑依障害、解離性運動障害、解離性知覚麻痺が載っています。
なんとか連合とか協会を、英語で association といいます。これは associate (連携する、関連する)という言葉の派生です。dissociate はその反対で、分離している、切り離されているという意味です。解離性障害の「解離」は dissociative で、本来人間は過去の記憶や、自分の体の感覚やコントロールは、全部が一体となって感じているものですが、その一部が「切り離されて」しまっていることを示します。
例えば解離性健忘であれば、子供の頃虐待を受けていた人で小学校の頃の記憶がすっぱり抜けているとか、性犯罪の被害や銀行強盗の人質になった人が、その間の記憶をまったく失っている、ということが起きます。DV被害者の場合には、DVを受けている間の記憶を失うことが起こります。
小西さんのセミナーで配られたパワポの印刷と、その書き込みを元に、解離の勉強のために、メモの清書が次回も続くのであります。
2009年11月03日(火) テレビで聞いたネタ 古今亭志ん生の言葉にこんなものがあります。
『人間には、うぬぼれてぇものがあります。
他人の落語を聞いて「こいつは下手だ」と思う時は、
その相手は自分と同じくらいなんです。
「こいつは俺と同じくらいだ」と思ったら、
相手の方が自分より上手いんです。
ですから「こいつは自分より上手い」と思うようだったら
もう天と地ぐらいの開きがあるってぇことです』
さすが噺家だけにうまいことを言います。
同じことは、人生のいろいろな分野で、数値化できない何にでも当てはまります。
例えば家路っぽくするならば、「他人の落語」を「他人の回復度合い」に置き換えてみれば、もうそれで、それっぽい言葉のできあがりです。
同じアル中の言葉を聞いて、「こいつ回復してないな」と思う時は、
その相手は自分と同じくらいなんです。
ほらね。
数値化して比較できないからこそ、うぬぼれの入り込む余地がある、というわけか。
まあさすがに「いくらなんでも、こいつより俺の方がマシだ」ってのも、あることはありますが。まあ、それはそれ。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()