心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年10月31日(土) 小西さんのDV講座

9月末に社会病理学会の公開シンポジウムで信田さんの話を聞きました(タダだったから)。10月末は県の機関の主催するDV防止セミナーに行きました(タダなので)。講師は武蔵野大学の教授で小西聖子という人。この人は精神科医で臨床の人なのですが、学校の先生でもあるので話がわかりやすくて助かりました。セミナーといっても、小西先生の2時間の話があるだけの内容。フロアの参加者は六十数人でした(なぜこんなに少なかったのか?)。

話の前半はDVの概説、後半はDV被害が重い人に見られる解離症状についての説明でした。今回も自分へのメモ書きとして、講演の中からいくつか話題を書き留め、発展させておこうと思います。

何かと出てくる内閣府のDV調査はこちら。
http://www.gender.go.jp/e-vaw/chousa/index.html

よく言われることで、男から女へのDVだけじゃなく逆もあるのは事実で、身体的暴力・精神的嫌がらせや脅迫・性的なもののどれかを一度でも受けたという質問では、男女比は1:2になっています。国によっては1:1にもなるそうです。
しかし、介入が必要なほど重篤なケースに限れば女性が9割以上(調査では身体的暴力を複数回受けたのは男16に対し女117)。

つまり、DVは男女のパワーの差の問題であり、ジェンダー(社会的性差)の問題です。例えばもし男女間で経済力に差がない社会であれば、DVの様相はまったく違っていたはずです。けれど、小西先生はジェンダーの話に傾くことを戒めます。自分の唱えるモデルにあてはまる実例にのみ共感を示し、あてはまらない例を無視する態度では臨床家は務まらないという話でした。

これはよくわかる気がします。視野狭窄を起こしがちな社会活動家では、実際に困っている人相手の実務は務まらないということであろうかと思うのです。

しかし社会的な要素は大事です。
9月末に書きましたが、DV加害者(夫)は妻が悪いから暴力を振るう、という被害者意識いっぱいであり、被害者(妻)のほうは私が至らないからいけないのだ、という自責感(加害者意識)いっぱいです。そこには共依存のような心理的問題があるのでしょうが、妻が逃げ出して離婚しないのは、そういう理由ばかりではありません。

経済的な問題、自分の仕事のこと、子供の将来のことなど様々なことがあり、メリット・デメリットのトレードオフになってくれば、スマートな問題解決が無理なことも多いのです。

たったこれだけの文章を書くのに2時間もかかっています。守備範囲外だとそんなものでしょう。使い慣れない言葉ばかりだし、調べ物でネット検索すると読みふけってしまうし。というわけで、続きは明日(かも)。


2009年10月28日(水) 自傷行為について考える

この雑記を何のために書き出したかというと、最初は「心の家路」の集客のためでした。アクセスカウントを稼ぐには、更新頻度が高くないといけません。だから、日記形式で、日々の生活のことでも、考えたこと何でも記録していくことにしました。しかし、やがてアクセス数に関心を失ってしまい、ほとんど自分用のメモ書きとなっています。

考えたことを頭に定着させるためには、書くことが必要です。だから学校でも板書をノートに書き写すわけですし、AAのステップも棚卸しは頭の中ではなく紙に書いて行うのでしょう。この雑記は、僕が見聞きしたことを自分の頭の中に定着させるためにやっているのです。

さてお題。手首を切って自殺、大量服薬で自殺というのがあるので、リストカットや over dose(OD) は死ぬためにやっている(つまり自殺未遂)と解釈されがちです。けれど、死ぬためではなく、死なずに生き残るためにやる人の方がずっと多いのだと思います。

参考:kyupin先生のブログ
リストカット
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10040304313.html
リストカットについての私見
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10329934008.html

ストレスコーピング(精神的緊張を乗り越える手段)としてのリストカット。抜毛癖もこのたぐいかもしれません。

それが外に向かえば暴力癖(間欠性爆発性障害)になるのかも。DV夫は職場では評判が悪くない場合が多いのだそうで、外で受けたストレスを妻に暴力をふるうことで解消しているふしがあります。勉強のストレスで放火癖がでる受験生とか。窃盗癖のある人は、ストレスがかかるとつい万引きしてしまう話を聞いたことがあります。
病的賭博や性的放縦にもストレスコーピングの要素があるのかも。

アル中さんやうつの人もふくめてメンヘル系のブログを数十眺めていますが、子供の頃の虐待(特に性的虐待)の話を読むとげんなりします(精神的ブラクラだから)(でも読む)。そんな風に読む側に覚悟を求めてくるブログの一つがこれです(それに比べればアル中さんたちのブログはヌルい)。

解離性同一性障害(多重人格障害)40余りの人格と共に生きる
その中のエントリで、
大好きだった彼女が
http://ameblo.jp/rin3718/entry-10334698938.html

「300錠以下の量でODしたとは言えない」

というのもすごい話ですが、これはリストカットに Delicate cutter と Coarse cutter があるように、delicate なODと coarse なODの違いなのでしょう。

アルコール依存症は「慢性的自殺」とか「緩慢な自殺」と言われますが、それは自ら臓器にダメージを与え続ける行為からそう言われるのだと思います。実際には、死にたくて飲んでいるのではなく、ストレスに負けずに生き残るために飲んでいるわけです。

自傷行為(時に他害行為も含む)は、何かのメリットがあるからこそするのでしょう。ただそれが局所解(local minimum)であることに気づけずにいる、と思うのでした。


2009年10月27日(火) アル中になりやすい人・なりにくい人

依存物質にはそれぞれ、毒性の強さとは別に、依存のなりやすさの違いがあります。
私たちはコーヒーや紅茶やコーラからカフェインを日常的に摂っていますが、カフェイン依存症になる人はわずかです。カフェインは依存になりにくいのです。一方、タバコを習慣的に吸う人はほぼ全員がニコチン依存になります。ニコチンはきわめて依存になりやすい物質です。アルコールは中間で、習慣的に酒を飲む人の中で依存になる人は約一割とされています(この数字はアメリカの話なので、日本ではもっと少ないかも)。

では、アルコール依存になる人・ならない人の違いは何か?

慢性アルコール中毒が病気だと考えられるようになる前は、酒に溺れるのは不道徳の証だと思われていました。そのころでも「酩酊という不道徳は遺伝する」ことが知られていました。つまり、アル中の子供はアル中になりやすいのです。これは、アルコール依存症に遺伝性があることを示しています。

ただ間違えてはいけないのは、遺伝するのは「病気になりやすい体質」で病気そのものではありません。血友病みたいな遺伝病とは違って、アル中は予防が可能です。酒を飲むから依存症になるのですから、飲まなければ予防できます。
つまり、親がアルコール依存症の人は酒を飲まない方が良いし、自分が依存症本人だという人は子供が成人しても酒を飲まないように教育すべきです。そうすればアルコール依存症は予防できます(他の依存症になる可能性は残りますが)。酒が飲めないのは不憫な気もしますが、どうせ依存症になれば飲めなくなるのですから、最初から飲めない方が苦労が無くてすみます。

遺伝の要素以外に、ストレス耐性という要素が言われています。
それは 1950年に書かれたこの文章 にも書かれていますが、将来アル中になる人は酒を飲むことで「際だった解放感」を得ます。つまり普通の人より「酔いの快感」が大きいと考えられています。人より気持ちいいので、人よりハマりやすいわけです。

酒が好きだから依存症になったという人もいますが、人より酒の快感が強かったので快感物質にハマってしまっただけの話で、その点では覚醒剤でラリっているのりピーと大差ありません。

では、なぜ「人より強く解放感を感じるか」。前の文章によれば、その人の受けているストレスが

「その社会のほかの人々よりはるかに強いか、あるいは彼が、ほかの人たちのようにその緊張をうまく調節する方法を学んでいないか、どちらかの理由による」

というわけです。しかし前者(他の人より強いストレスのせいで依存症になった)という人はまずいないと思います。例えば仕事のストレスが依存症の原因だ主張する人がいますが、ストレスになるほどの激務を毎日大酒を飲みながらこなせるわけがありません。
つまり、ほとんどは後者。ストレスの量は社会の他の人と変わらないものの、ストレスに弱いか、ストレス解消が下手だったわけです。そこへ酒を飲んだら大きな解放感を味わったので、病気になるほどハマってしまったというわけです。

重大なことを目の前にしても、人と夕食を楽しんで熟睡できる人がいます。当然こういう人はストレスに強い。一方、大したことでないのに心配して眠れなくなり、騒がなくてもいいことを騒ぐ人もいます。ストレスに弱く、アル中にもなりやすい人と言えます。

断酒する人の中には、酒に変わる楽しみが欲しいという人もいます。けれど、アル中さんの酒の快感は普通の人より強いのですから、酒より気持ちいいことなんて、そうそう見つかりません。ストレス解消の手段を追求するよりも、なぜ自分は人よりストレスに弱いのか、そのことに取り組むべきなのです。


2009年10月26日(月) リベンジ?

あれは16日の金曜日のことでした。
その日僕は神奈川にある本社にでかけ、帰路はいつものとおり小田急から横浜線に乗り、さらに特急に乗るために八王子で乗り換えたのでした。
八王子駅エキナカ、コンコースのトイレ前に Montly Sweets という名の売店があり、いろんなスイーツのアンテナショップが月替わりで入っています。10月は「王様からのご褒美」という店です。この店はロールケーキがお勧めなようで、真ん中にミルクプリンと生クリームが入っているジャージープリンロールと、季節限定のマロンロールの二種類がショーケースの大半を占めていました。

秋だからマロンがおいしそうだが、プリンが入ったロールケーキも捨てがたい。

迷った挙げ句にジャージープリンロールを選択しました。自宅まで3時間近くかかるので、保冷用のバッグ(100円)も購入。

金曜日とあって列車は混み合っていました。町田の駅で指定席を取るのに、いつも窓際のA席かD席を取るのですが、通路側の席しか取れなかった時点で悪い予感がしたのです。実際ほぼ満席で、網棚(といっても網でできてるわけじゃないけど)の上は新宿から乗った客の荷物で占められていました。仕方ないので、かなり座席から離れた場所にケーキを置きました。

特急の終点でローカル私鉄に乗り換えです。乗るのはわずか2駅、数百メートルにすぎませんが、どうせ会社が交通費を支給してくれるので乗らなければ損です(乗らなければ支給されない)。

携帯で調べると、乗り換え時間はわずか3分しかありません。実際は見間違いで、私鉄の乗車時間が3分で、乗り換えは10分以上余裕があったのですが、それは後でわかった話。無論、慌てた僕はケーキを忘れました。

それに気がついたのは私鉄の駅を降りてからでした。JRの駅まで歩いて戻り「先ほど到着の特急に忘れ物をしたのですが」と駅員に伝えると、彼はため息をつき「たいていの特急はこの駅で清掃作業をするのですが、あの列車は他の駅まで行きそちらで清掃されるのです」と言いました。その駅まで往復二千円以上使って自分で取りに行くか、明日荷物が回送されてくるのを待つか・・・。いくら保冷バックに入っていても、ロールケーキは明日まで持ちそうにありません。

諦めて駅前のデパートでショートケーキを買って帰りました。予定より1時間弱遅れて帰宅すると、楽しみにしていたイーグルスのプレーオフ試合は、もう決着がつく頃でした。

そしてこの月曜日。再び本社にでかけた僕は、しっかと紙袋を抱いてJRの特急から私鉄に乗り換えました。その紙袋の中には、ジャージープリンロールと季節限定マロンロールが両方とも入っていたことは言うまでもありません。こうして僕のリベンジはなりました。・・・が、なんか金銭的消耗が大きい気がするのは気のせいでしょうか。
(その間にイーグルスはプレーオフ敗退しているし)。


2009年10月23日(金) ミーティング休み

教会の人から電話があったのは、ミーティングの二日前でした。
葬式になるのでその日は会場の部屋を貸せないという連絡でした。教会を借りていると時々そう言うことがあります。結婚式は事前にわかっても、葬式はいつ発生するかわかりません。
そこで、その日のミーティングは中止にすることにしました。うちのグループのメンバーには、ホームグループしか出席していないビギナーはいないので、休みにするとミーティングの間隔が開きすぎるって心配はありません。これは他のグループから来ている連中も同じです。同じ日に別の場所でもミーティングはやっているのですから、そちらに行けば大丈夫。なので、悩まず中止を即断しました。

中止にして困るのはメンバーへの連絡です。あらかじめ休止がわかっていれば、前の回の参加者に伝えることもできるのですが、急な話ではその手は使えません。AAは会員名簿を作らないので、こういう時は個人的な連絡だけが頼りです。女性のメンバーなど連絡先を知らない場合には、わかりそうな人に伝言を頼んでおきました。

あとは、セントラルオフィスにFAXで連絡をし、車に乗り合わせて来てくれる施設の人には電話で伝えました。

それでも中止を知らずに来てしまう人もたまにはいます。当日の30分前には教会隣の駐車場で葬式を眺めながら事情知らずのAAメンバーが来ないか見張っていました。開始時間10分過ぎても、そういう人は現れなかったので、トラブルがなかったことに感謝して帰路についたのでした。

仮スポンシーは病院近くの会場に行き、入院患者の人がたくさん来て新鮮だったと電話をくれました。別のスポンシーは、また別の会場に行き旧交を温めたそうです。休んだら休んだで恵みはあるものなのでありましょう。


2009年10月22日(木) 嫌悪療法

中国に暮らす人が、妙にマズいタマゴを買ってしまい、調べてみると人工的に作られた偽卵であった、という話がありました。
その偽卵ではなくて、擬卵というものがあります。こちらは食べるものではなく、小鳥に抱かせるプラスチックの丸い塊です。文鳥やカナリヤのメスは交尾しなくても無精卵を生んで暖めてしまうことがあり、それを取り上げるとまた生んでしまいます(ニワトリ状態)。そこでニセ卵を抱かせて卵を産むのを防ぐのに使います。

ヘビは飼ったことがありませんが、生卵が大好きなのだそうです。与えてやると丸飲みし、食道内の突起を使って器用に割ります。ヘビに擬卵を与えると飲み込んでも割ることができず、非常に苦労して吐き出し、もう二度とタマゴを食べようとしなくなる、という話をかなり以前に聞きました。ヘビにもそれだけの知能があるわけです。

同じ理屈をアル中さんの治療に使えないか、と考える人がいるのは当然です。
催吐薬と酒を同時に飲ませます。これを何度も繰り返せば、酒を飲む→吐き気がするという条件反射が作られるはず、という理屈です。嫌悪療法と呼ばれて広く行われた時期もありましたが、現在ではあまり行われていません。ヘビやサルなら効き目があっても、人間は条件反射以外の余計な知恵を使うので役に立たないのです。

けれど、同じような治療は現在の日本でも行われています。
アルコール病棟の入院患者に主治医が「酒を飲ましてやる」と告げます。意地悪な医者だと、患者の酒の好みを聞いてウィスキーやらビールを用意し、おまけに若い看護婦に酌をさせたりします。もちろん酒を飲ませるのが治療ではなく、事前に抗酒剤(アンタビュースやシアナマイド)を処方し、医師が観察しながら飲ませます。
抗酒剤服用後に飲酒すると、アセトアルデヒドの効果で血圧が下がり、動悸が激しく、顔面が硬直、視野は狭窄します。この場合は医者がついているから大丈夫ですが、外でやれば救急車騒ぎになります。

この「飲酒テスト」は名目としては、抗酒剤服用後の飲酒をあらかじめ実体験することで、退院後の危険を減らす目的があります。もう一つは、抗酒剤の処方量の決定のためという名目があります。抗酒剤にも副作用があるので量は少ない方がいいのですが、人によって効き方が違うので少なすぎれば効果がなくなります。

中には飲酒テストを繰り返しやる病院もあるようで、名目はともかくとして実質は嫌悪療法を試みているのだと思います。アルコール病棟に入院しても依存症が治るわけもなく、退院後にすぐ飲酒してしまう患者さんもいます。中には退院直後に酒を買い、酩酊しながら帰宅するツワモノもいます。家族としては高い金を払っての入院なのに、オトーさんが酔って帰ってきたのではたまりません。病院も苦情を避けるために嫌悪療法を試しているのでしょう。

そういう病院を経験した人の話を聞くと、どうやら数ヶ月くらいは効果がありそうな感じです。やはり人間はヘビとは違うのであります。


2009年10月21日(水) hit bottom

「AAの誰もが、まず底をつかなければならない」(12&12 p.33)

回復には底つき体験が必要だと言われます。
では「底つき」とは何なのでしょうか?
僕はこのことに長い間明確な答えを出せずにいました。

「ほかの人と比べると極限まで行き着かなければ底つきの経験ができないアディクトもいる」(NA p.8)

AAの中には、仕事も家族も住む家も失った経験のある人がいます。彼らの経験は壮絶です。健康を極端に害してしまい、薄いお粥のようなものしか食べられない人もいます。福祉施設に暮らし、自分のものはバッグ一つに収まるだけの人もいます。まさに「底」というにふさわしい体験です。

しかし、回復に必要な底つきは、そういう種類とは違うようです。なぜなら、いろいろ失っていないうちから回復を始める人もいるからです。

では「底つき」とは何なのか、もう一度その問いに戻ります。
AAの本の中で「底つき」という言葉は、12&12のステップ1に出てきます。ステップ1はアルコールに対する無力を認めるステップです。「底つき体験」とは「無力を認める体験」そのものです。

ではアルコールに対して無力とはどんな意味なのか?
無力とは「力がゼロ」ということです。自分は酒をやめる能力がゼロであって、自分の能力を頼っていれば(現在は飲まないでいても)いつかは必ず再飲酒する、というのが無力の正体=底つき体験です。

自分は酒をやめる能力がゼロである。この大問題を解決するためには、自分以外の「力」が必要です。その力=自助グループとすれば、AAや断酒会に通い出すことが「底つき体験」ですし、ステップの場合には力=神とするわけです。

はしょって言えば、自力での断酒を諦め、自助グループを信じ出す(あるいはステップを始める)のが「底つき体験」そのものです。(通っていても信じていない場合もありますが、それはまた別の話)。

社会的などん底まで行き着かなくても、まだ失うものが少ないうちに回復が始まることを「底上げ」と呼びます。そりゃ仕事や家族を失わないうちに回復が始まった方が良いに決まっています。ずいぶん前から底上げの必要性が叫ばれていますが、はたして成果が出ているのでしょうか。自己流の断酒をしている人が増えただけの印象です。

AAにいる人たちの多くは自己流の断酒を試み、やがてそれを断念して「底つき」した人たちです。自分には自己流の断酒期間が必要だったと言う人もいますが、単なる時間の無駄だったと言う人もいます。自己流の期間を節約し、早く自助グループにつながることができれば、そのぶん「底上げ」につながります。

医療機関による依存症の早期発見・早期治療によって、断酒を始める人は増えていると思われます。けれど彼らの多くはまず自己流の断酒を試みます。自己流は底つきの時期を人生の後ろにずらす効果しかありません。アル中さんの平均寿命を延ばす効果はあるかもしれませんが、回復時期が後ろにずれるのは人生における苦しみの総量を増やしてしまいます。

早期発見・早期治療が「底上げ」につながっていないのが現状です。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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