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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年08月25日(火) アンコントローラブル 今度の日曜日はAAの集まりがあるので、選挙の期日前投票をすませておきました。場所はターミナル駅のコンコースで、結構たくさんの人が来ていました。投票してしまうと選挙報道が気にならなくなるから不思議です。手から離れたと言いましょうか、もはやアンコトローラブルというか、無力というか。いずれにせよ、心穏やかになれるものです。
なんかニュースを見ていると、薬物中毒の芸能人を裁判にかけて、実刑判決になったら刑務所にぶち込めばそれで一件落着、という雰囲気を感じます。その後どうやって病気をよくしていくか、ということは考えられていないような気がします。
アルコールの専門でない一般の精神病院では、依存症の人と他の精神病の人が混在しています。どちらも精神病には違いないのですが、アル中さんたちは「本物の精神病の連中とは一緒にしないでくれ」と言い、他の病気の人は「身から出た錆(自業自得)で精神病院に入ってくる連中と、なりたくないのに病気になった俺たちは違う」と言います。
同じ依存症の中でも、アルコールの人は薬物の人を見下す傾向があります。やはり覚醒剤や麻薬は違法で犯罪行為になってしまうからでしょうか。そんな気持ちも何年かすれば薄れていきますが、最初の2〜3年は「俺は違法なものをやってたわけじゃない」という虚勢とも言えるプライドが強い気がします。(そしてそういうプライドを早期に打ち砕くのは良い結果につながらない)。
アルコール依存症になったのは、たまたま酒が「合法ドラッグ」で、他が非合法だったからにすぎないわけです。もしアルコールが禁止薬物で、MDMAが合法だったら、どうだったでしょう?
冷戦時代、旧ソ連政府はアル中をシベリア送りにし、極寒地で強制労働させたそうです。酒は手に入らないし、逃げ出せないし。断酒率は極めて高かったとか。それでソ連という国からアル中がなくなったわけではありません。
2009年08月23日(日) 弱点のカテゴライズ、怠惰と高慢 月曜日には仕事で週報を提出する決まりです。
毎度月曜には、先週のおぼろげな記憶を掘り起こしながら、メールのやりとりや勤務時間などを参考に書いていきます。金曜日夕方に仕事を終える前に書いておけば、まだ記憶も新鮮で良いと思うのですが、「先延ばし戦術」を毎度使っています。
12&12のステップ4に、人間の「弱点」として7つが挙げられている中に「怠惰」というのが出てきます。なので、自分をチェックする際に、面倒くさいこと、やりたくないことを先延ばしする自分の癖を「怠惰」というカテゴリに入れたくなってしまいます。
でもそれは分類間違いです。だって、「できるのにしない」のが怠惰。「できないことができない」のは怠惰ではないですから。
本来できる能力があるのに「やる気がないからできない」と考えるのは誤りで、やる気のなさも含めた総体がその人の能力です。つまり、できないからできてないだけ。僕の週報が金曜日に完成しないのは、(やる気という要素を含めれば)単なる能力不足です。
やる気になれば自分はもっとできる能力がある、と考えるのは、自分の能力を高く見積もりたい気持ちの表れですから、これは「高慢」です。仕事の計画を立てる上で、この種の高慢を取り除いておかないと、突発的に仕事が飛び込んでくる可能性や、体調不良でやる気がさらに出ない可能性を無視して無理な計画を立て、結局は自分が辛い目に遭うことになる、というのが毎度の僕のパターン。
はてさて、インフルエンザが流行りだしたようなので、ネット通販でマスクを買うことにしました。高価なN95マスクが流行っているようですが、これは元々アスベスト工事に使うものです。かなり息苦しいので隙間を作って息をしてしまうと、マスクの意味がありません。日常生活で予防用に使うには無理があると思います。
今のうちにマスクを買い占めて、冬に高く売るよう店舗に指導しているネット企業もあるとか。とりあえず安価なマスクを50枚千円ほどで買っておきました。
アル中のギジェルモさんの日記、強迫的ギャンブラーのヒロさんのブログをリンク。それから、ひさしぶりに90の道具を更新しました。
2009年08月22日(土) 調子悪くて普通 53.0Kg, 8.4%
自分も含めてうつの人にありがちなのが、「自分は調子の良い状態を維持しなくちゃ」という強迫観念じみた思い込みです。
調子の良いときってのは、例えば朝から気分がスッキリで、仕事がバリバリこなせて、忙しい中で趣味も楽しめて、人間関係もトラブルを防いで良好で、メシもうまく、いろいろ悩みはあっても未来に向かって解決していけそうな気がする・・って感じでしょうか。
その理想を自分の毎日に課してしまいます。理想の状態になってないと、自分はまだ調子が悪いとか、回復してないとか思ってしまう。
でも、アルコールの問題やうつがない人だって、気分が乗らなくて仕事の効率が悪い日があるものです。せっかくの趣味が面白く感じられなかったり、なんか人間関係がうまくいかない時だってあるでしょう。悩みも取れなくて。
なのに、それ以上を求めると苦しくなります。
不眠の悩みにしても、病気じゃない人だって眠れない夜はあるものです。ところが、自分は毎晩ぐっすり良質な睡眠が取れなければならない、という強迫観念があると、ちょっと眠れなかったぐらいで悩んでしまいます。
それは自分に高すぎる理想を押しつけるからでしょう。そして人にも社会にも高い基準を期待する。理想の基準を平凡なレベルまで下ろすしかありません。
苦しみや悩みがあると飲んでしまうから、という理屈で問題から逃げることに懸命になると、逃げ切れなくなったときに酒に逃げ込むしかなくなります。それではまさに「酒をやめているだけ」。
「本当はもっと楽な人生のハズなのに」という言葉で自分に高すぎる理想を押しつけないよう、いつも自分を戒めているのです。苦しみや悩みと共存して生きることを理想に置かなくてはね。
2009年08月21日(金) ダウナー・アッパー 53.5Kg, 9.6%
子供の夏休みの宿題用に天気を記録してきましたが、それも無用になりました。
「アルコールはダウナーなんですか? アッパーなんですか?」と聞かれました。
ダウナーとは沈静系の薬の俗称です。アヘン、コデイン、モルヒネ、ヘロイン、処方薬では精神安定剤や睡眠薬など。アッパーは覚醒系の薬のこと。アンフェタミンやヒロポン、カフェインなど。
アルコールはダウナーです。飲むと気分が落ち着いてほぐれるはずです。飲み過ぎれば眠くなります。ただ、人間の脳は不思議なもので、ダウナーによって抑え込むと、その分興奮してバランスを取ろうとします。そこでダウナーの重しが取れると(酔いがさめると)には、かえって覚醒した状態になります。
普通の酒飲みが、二日酔いしない程度に適度に酒を飲むと、翌朝スッキリしてバリバリ仕事ができたりするのは、この覚醒効果によるのでしょう。
大量飲酒によりアルコールで抑制された状態が続くと、脳は興奮状態が続き、各種センサーの感度はとても敏感な状態になります。そのくらいでなければ、麻酔薬を連続投与されている状態で日常生活を送ることができません。
そこで一気に断酒をすると、抑えが外れて敏感になりすぎたセンサーが、あるはずのない信号を感じ取ってしまいます。その結果、幻視、幻聴、幻臭が起きる、というのがひとつのモデルですね。
そこまでいかなくても、酒の量が多すぎて(脳の興奮が取れなくなり)不眠になるのはよくある話です。
アッパーの薬は使うと覚醒作用で過活動になります。そして効果が切れるとぐったりと無気力になります。だから、カフェインの摂りすぎは「うつ」の外乱要因となって良くないのですが、アルコールもニコチンもやめてしまって、甘いものも制限して・・・せめてコーヒーぐらい自由に飲めなきゃ、やってられねーぜ、という気分はありますな。
2009年08月20日(木) オールドパワー 53.8Kg, 8.5%
晴れ。
前日より2℃低く、わりと過ごしやすい。
断酒会に出席した彼に「どうだった?」ときいたら、答えは
「野菜をいっぱいもらいました」
でした。よかったね。
以前に病院のOB会で、院長が「県内の断酒会では高齢化や後継者不足が深刻化している」という話をしていました。確かにジジババばかりです。40代で断酒してもう10年になるという会員さんが、「俺なんか若いからまだペーペー扱いだよ」と嘆いていました。まあそれはたぶんにご本人の問題かもしれませんが。
一生懸命やっている会長さんが引退されたり、亡くなったりすると、会が衰えて消えてしまうこともあるとか。後継者の育成が急務だと聞くと、まるで農業や林業の話のようです。アメリカのアディクションの歴史を書いた本によれば、かの国の19世紀にも後継者の不在によって消えていったグループはたくさんあったとか。
先日東京から来たAAメンバーの話を聞きましたら、都会のAAは若者と年寄りが多く、中年のおじさんたちは少ないのだそうです。他からは都会の断酒会は中年男性が多いという話も聞きました。都会と田舎ではずいぶん違うものです。
老年のアル中には二つのタイプがあるのだそうです。
ひとつは若いうちに依存症になったタイプ。若くて依存症になった人は、中年の坂を上るうちにバタバタと死んでいくのですが、中には飲みながらしぶとく生き残って、老人アル中になる人がいます。
もう一つは、退職後に暇をもてあまして酒に溺れるタイプ。こちらは比較的予後がよいのだそうです(へえそうなんだ)。
団塊の世代は田舎の断酒会の救世主になるのでしょうか。
2009年08月19日(水) ぐつぐつ 54.7Kg, 10.0%
晴れ
便秘っぴ。
煮詰まっていたので、前のホームグループのミーティングに行ってみました。
ある人と話をしていて、肝臓の数値がなかなか下がらないと聞いたので、それは睡眠薬や安定剤の副作用だろうと言いました。安定剤を多めに使っている人には独特の雰囲気があります。抗酒剤にも肝臓の数値を高止まりさせる副作用があります。
ただ、精神科医が何年も薬を処方し続けるにはそれなりの理由があるので、素人がむやみにやめろとは言えず、医者に相談してくださいと助言するのがせいぜいです。
ミーティング後に東京から久しぶりに来た人と立ち話をしました。
僕らの来た頃には、AAは本当に酷い状態の連中ばかりでした。退院後にほうっておけば一ヶ月もしないうちに飲み始めて当然で、だからこそ毎日のミーティングが当たり前、仕事より断酒優先というのも理にかなった助言でした。
その後、この病気も早期発見早期治療とか、「底付きの底を浅くする」とか言われ、いろんな人の努力で、それほど酷くなっていない人たちもAAに来るようになりました。おかげで、早めに断酒できる人たちも増えました。
彼らは月に数回程度のミーティングでも十分飲まないでいられるし、AAを離れてもすぐに飲むわけじゃありません。(将来はともかく)彼らが現在困っていない以上、僕らにできることはない、という話をしました。
それから、田舎ではAAと断酒会を掛け持ちするのが当然なんだよね、という話もしました。片方だけにしたくても、回数が少ないのですから。
何年かぶりにミーティングに戻ってきた仲間に、「ステップをやる正式なスポンサーが見つかるまで臨時のスポンサーをやろうか?」と聞いたら、Yesという答えだったので、やることになりました。木曜日に行くミーティングが近くにない、というので保健所に電話してたずねたら、隣町で断酒会の例会があるので、それを紹介しておきました。
会長さんの名前は僕が退院したころと変わっていないようでした。
2009年08月18日(火) ACの親として? 53.2Kg, 9.3%
晴れ
あ、いかんいかん、雑記を書いてなかった。
ACというのは成人した人のことだから、僕の子供はまだACではないわけだ。
まあそれはともかく、「アルコール依存症の親を持った子供」の親として(つまり依存症本人として)、子供のために特別何かできるでしょうか?
答えはたぶん「何もない」でしょう。
子供の問題は子供の問題であり、親の問題とは違います。人様の問題に首を突っ込んで結果が良かったためしはありません。つまり、親だから子供の問題を代理解決できるわけじゃありません。よく言われるように、子供は子供のハイヤーパワーが何とかしてくれるのであって、親のハイヤーパワーに代理は務まりません。
ただ今は依存症じゃない人たちでさえ、子供に何が出来るか悩んでしまう時代です。そういう意味ではフツーの親としてやるべきことはたくさんあるでしょう。
女に生まれるのが不幸な時代がありました。今でもそうかも知れませんが、それはともかく。「私は女に生まれたかったわけじゃない」と言ってみたところで、誰も責任を取ってはくれません。女に生まれたからには、女としての幸せを求めて生きるしかない。ACもしかりです。
親としては、回復に努める自分の姿を見せるぐらいのものでしょう。
それから、依存症は遺伝の要素が大きい病気ですから、子供が依存症になる確率は高いし、子供がならなけりゃ孫に出たりします。回復の資源を次世代に残すのも、親としての役割でありましょうな。
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