心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年07月13日(月) 病院メッセージ

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2年ぶりに出身病院へのAAメッセージ活動に行ってきました。
日本のAAで「メッセージ活動」というと、病院などの治療施設を訪問してAAミーティングみたいなことを定期的に開催することを指すようです。

なんで「メッセージ」というのかというと、ステップの12に「このメッセージをアルコホーリクに伝え」carry this message to alcoholics、とあるのが由来です。実際海の向こうでは、メッセージ活動とは呼ばず、12番目のステップ活動と言うそうです。

ただ、日本のAAが病院内でやっているミーティングは「霊的なメッセージを運ぶ作業」とは違っていて、単なる「オープンミーティングの出前」というかAAの広報活動なんだと思います。広報活動も12番目のステップに含まれると言われれば、そうかもしれませんが。

AAが外部との接触を断ったら、秘密結社になってしまいます。病院メッセージは大事なリクルートの場です(でも無理な勧誘は御法度)。私たちは常に「新しい人」が必要なのです。「私たちには私たちを必要としてくれる人が必要」ですからね。

昨年の4月に作った新グループは、ミーティングは何とか続いています。施設から人が来てくれるおかげで、参加人数は常に十人を超えています。でもグループメンバーは創設時の3人のまま(減りもしないけど)増えもしません。そろそろ新しい血を混ぜないと、よどんでしまいますな。

個人的には病院メッセージでステップの話をする奴はお間抜けさんだと思っています。ステップがやりたくてAAに来る人はおらず、たいていはアルコールの問題をなんとかしたくて来るのですから、病院では酒の話をするのが相応でしょう。

一回や二回病院を訪問したぐらいで、いきなりメンバーが増えることもないでしょうから、これから地道に続けるしかありません。


2009年07月12日(日) 子供をAAに?(その3)

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子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か? という話を締めておかないといけませんね。

「子供の面倒をみなけりゃいけないのでAAには行けない」というのなら、子連れでAAに行った方がいいのだが、それは次善の策であって、会場で子供の面倒を見ているとどうしても人の話を聞くことはお留守になりがちだ、という経験が、前回までのお話でした。

では、連れて行かれる子供にとってはどうでしょうか。

お父さん、お母さんが家で飲んだくれているよりは、飲まないでいてくれる方が余程マシですから、そのために連れて行かれるのなら仕方ないか、という諦めもあるでしょう。まるで飲酒防止の監視役をやらされている気分かもしれません。

問題なのは、AAの会場にいる大人たち(AAメンバーたち)は、素面になったとはいえ、まだまだバランスを欠いたアル中さんたちである、ということです。バランスを欠いていないAAメンバーはいないし、それはAAメンバーに限らず酒をやめたアル中さんに共通の問題であります。
一般社会の中に素面のアル中さんが少し混じっている、という状態ならまだしも、自助グループというのは問題を抱えた人たちばかり集まっているわけです。当然理想の状態からはかけ離れた場所になります。AAで他の人に対する「配慮」が強調されるのは、皆がそれを欠いているからに他なりません。

小学一年生の男の子にコーヒーを勧めた人がいました。これは笑い話で済みますけど。
子供に聞かせるのはまずい話を平気でしてしまう人もいます。それも自分が飲まないために必死なのかもしれません。自分が子供に会えなくなったので、子連れの人に嫉妬を抱く人もいます。単に酒が切れて間もないので、イライラを自分より弱いものにぶつける人もいます。
ミーティング会場は自分を守れない者にとっては、けっこう厳しい場所なんですよ。

これが大人のアル中本人なら、人間関係のスキルがなくて対人関係で傷ついてばかり、だからAAに行くのが辛いと言われても、そりゃ飲まないためには乗り越えられる壁だよとか言っていられるのですが、相手は子供ですから。

それでも子連れで行くしかない時もあるでしょう。それが現実というものです。理想がすべて実現できないからと悲観する必要もありません。100か0かの白黒決着をつけないと気が済まない硬直した思考ではなく、「しょうがないよね、あはは」と笑ってすませられるグレーゾーン許容も、回復の一つの指標だと思います。


2009年07月10日(金) 子供をAAに?(その2)

子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か? の続き。

AAのイベント会場に奥さんと子供を連れてきたメンバーに、「ご家族の理解があってうらやましいですな」という話をしたら、家族と一緒に来ると、どうしてもそちらの相手で時間を取られてしまい、仲間との分かち合いの時間が減ってしまうのが難点だ、とおっしゃっていました。

前妻は僕がAAに関わることに不満たらたらでしたし、子供たちも幼かったのでAAとは無縁に育ちました。

ある時、泊まりがけのAAイベントに行ったところ、大人達がバーベキューに興じる脇で、連れてこられた子供たち十人ほどがきゃーきゃー遊んでいるのを見て、和やかな気分になりました。おそらくあの子達はお互いに面識もないか、ほぼ初対面なのでしょうが、それでも一緒に遊べるところが子供の素直さでしょう。
それは、バーベキューというリクレーションのイベントだったからうまくいったのでしょう。

別のある時、日曜の朝、隣県のステップセミナーに出かけようと準備していると、子供たちが起きてきて「パパだけお出かけするのはずるい」と言うのでした。パパは遊びに行くのではないのだが、それでも一緒に来たければどうぞ、と連れて行くことにしました。しかし、真面目なセミナーに連れて行くのは失敗でしたね。

会場の中に連れ込んでも、子供たちは長くおとなしくはしていてくれません。スピーチ一人分もまともに聞けませんでした。しかたなく、会場の外で仲間とおしゃべりしたのですが、それも1時間が限界でした。
しつけが悪いと言われれば反論の余地はありません。ただまあ、仲間の姿を見ると、子連れで会場に来てゆっくりスピーチを聞いている余裕はなかなか無いようです。会場の外で雑談をするのは楽しいけれど、何のためにセミナーに来たのかわかりゃしない。とはいえ、僕も「遊びに行くわけじゃない」と言いながら、事実上遊びにいったに等しい時もあるわけなので、本人の中で遊びに行っているという意識があるなら、それはそれということなのかも。

まあ、中には1〜2時間は子供をおとなしくさせることに成功している親もいて、うらやましい限りです。僕はダメですね。結局あの時もセミナーは諦めて、近くの公園で夕方まで遊び倒んだっけな。

(まだ続く)


2009年07月09日(木) 子供をAAに?(その1)

子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か?

原則論から言えば、AAはアルコール本人の集まりなので(子供がアルコホーリクでないならば)クローズドに連れてきてもらっちゃ困るわけです。でも、原則は原則として、小さい子供を預けられる人がいないとか、子供だけで留守番はさせられないならば、連れて来ちゃうしかないと思うのです。これが現実論というもので、原理原則ばかり語っていたって、現実問題を克服できなきゃしょうがないわけです。

アメリカの某所のミーティング会場リストを見せてもらったら、"cc"という記号があちこちに書かれていました。child careの略で、親がミーティングに出ている間は、別室で子守をしてもらえる印だそうです。子守役はメンバーが輪番でやったり、高校生をアルバイトで雇ったりするとか。グループがそういう子連れの需要に応えられるまで成長しているのでしょう。

以前県内で泊まりのイベントをやったとき、ミーティングの間は子供を別室に集めてみたことがありましたが、子守役のメンバー(♂)はへとへとだったようです(さもありなん)。

日本では、個々のグループがそうしたサービスを行うところまで進んでいないでしょうから、ミーティング会場内に子供が座っているのも仕方ないと思います。本を読んだり、DSをやったり、宿題をやったりして、おとなしくしていてくれればありがたいのですが、まあ子供ですから多少ドタバタするのはガマンしなくちゃならないでしょう。

ただ会場に子供を連れて行くのは、あくまで現実問題に対処するための次善の策に過ぎません。とーちゃん、かーちゃんが家で飲んだくれているよりは、子供と一緒にAAに行った方がいいというレベルの話です。

「ときとして善は最善の敵となる」というのもAAの言葉であり、これにも当てはまると思うのです。

(続く)


2009年07月08日(水) ステップ1

ビッグブックから

「彼は率直に、自分にはもう何の見込みもないことを認め、そう信じていた」
He frankly admitted and believed that for him there was no hope.

「その患者は自己診断をして、自分にはもう見込みがないと決め」
The patient had made his own diagnosis and deciding his situation hopeless

12&12から

「これらの「死にかけた」人たちでさえ、自分が実際にどれだけひどい状態であるかは、なかなか理解できなかった。しかし、それを認めた人たちがいた。」
Even these "last-gaspers" often had difficulty in realizing how hopeless they actually were. But a few did

ステップ1を表現する言葉に、共通している単語は hopeless か。
自分の前途にはもう何の希望もない。酒がやめられずに死んでいくだけだ。という認識でしょうな。

まだ、自分は酒がやめられるし、働いて稼いで真面目にやっていれば、奥さん子供も帰ってくるかも知れないし、また人生が楽しくなるかも知れない・・・と思っているうちは、まだステップ1の無力を認めたことにはならないのだろう。

とそんなことを考えました。

今日飲んでいないからといって、やめられたことを意味しないのだとも。


2009年07月07日(火) ニュース検索更新

ずいぶんほったらかしでしたが、ようやくニュース検索を更新しました。

大きなところでは Google と livedoor の表示形式が変更されていたので、それに対応。それから、マイクロソフトの検索が bing というものに変わったのに対応。

あと、実験的にNHKを検索対象に加えてみました。ただ、ニュース配信だけでなく、番組データも区別なく検索されちゃうので、ハートをつなごうのブログまでひっかかっています。


2009年07月06日(月) バースディ

自宅に一番近いAA会場にひさしぶりに顔を出しました。
バースディミーティングであることは、すっかり忘れていました。来週病院メッセージに行くことになっており、その病院が遠いので、できればそのグループの人の車に同乗させて貰おうと考えたのです。その頼む相手のバースディの日でした。(行けて良かった)。

他のバースディの人の中には、最近始めた仕事がうまく続かなかった人もいました。そこで僭越ながらこんな話をしてしまいました。

AAメンバーにとって働くことは大切なことだと思います。ただそれは、金を稼ぐということが一義的に大事というわけではありません。世の中には金を払ってもらえない仕事も沢山あるのはもちろんのこと、労働には稼得以外の意味があるからです。

今の世の中で働くことは、すなわち「他の人と関わる」ことを意味します。他人と関われば人間関係が出来てきます。人間関係ができれば、人間関係の悩みもできてきます。この悩みから完全に解放された人はいないでしょう。

仕事という、おいそれとは逃げられない環境で人間関係の悩みと向き合うことがAAメンバーにとって意味があることだと思います。ビッグブックでも12&12でも、私たちのトラブルはいつも人間関係をベースに書かれており、性格上の欠点も人間関係の中で明らかになってきます。すると棚卸しが書きやすくなります。

だから飲まない期間がそれなりに長くなったら、働くのがいいと思うのです。例え仕事がうまく続かなくても、その中で(相手の問題ではなく)自分の問題に気がつくことができるでしょう。

ちょこっとそんな話をした後で、その晩のトピックである「気づき」の話にうつりました。時間は4分ほど。帰る前に同乗の承諾は無事もらえました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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