心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年07月06日(月) バースディ

自宅に一番近いAA会場にひさしぶりに顔を出しました。
バースディミーティングであることは、すっかり忘れていました。来週病院メッセージに行くことになっており、その病院が遠いので、できればそのグループの人の車に同乗させて貰おうと考えたのです。その頼む相手のバースディの日でした。(行けて良かった)。

他のバースディの人の中には、最近始めた仕事がうまく続かなかった人もいました。そこで僭越ながらこんな話をしてしまいました。

AAメンバーにとって働くことは大切なことだと思います。ただそれは、金を稼ぐということが一義的に大事というわけではありません。世の中には金を払ってもらえない仕事も沢山あるのはもちろんのこと、労働には稼得以外の意味があるからです。

今の世の中で働くことは、すなわち「他の人と関わる」ことを意味します。他人と関われば人間関係が出来てきます。人間関係ができれば、人間関係の悩みもできてきます。この悩みから完全に解放された人はいないでしょう。

仕事という、おいそれとは逃げられない環境で人間関係の悩みと向き合うことがAAメンバーにとって意味があることだと思います。ビッグブックでも12&12でも、私たちのトラブルはいつも人間関係をベースに書かれており、性格上の欠点も人間関係の中で明らかになってきます。すると棚卸しが書きやすくなります。

だから飲まない期間がそれなりに長くなったら、働くのがいいと思うのです。例え仕事がうまく続かなくても、その中で(相手の問題ではなく)自分の問題に気がつくことができるでしょう。

ちょこっとそんな話をした後で、その晩のトピックである「気づき」の話にうつりました。時間は4分ほど。帰る前に同乗の承諾は無事もらえました。


2009年07月05日(日) vs.ソフトバンク

52.9Kg, 8.0%

別の体重計で測ると、体脂肪率は13%でした。

ソフトバンク携帯のパケット代がいきなりかさんでしまいました。携帯を使っているのは下の子(小学生)であり、教育上ウェブ閲覧は禁止してあるのでパケットは余り使わないはず、と思ってパケット割引に加入していなかったのが間違いでした。

ふくらんだパケット代を何とかできないものか。パケット割引を申し込めばいいのですが、最近は「適用は申し込みの翌月から」などと言うので、すでに使った分については割引いてもらえません。

それでも調べてみると「かんたんミュージック」なるサービスに同時に申し込めば、当月にさかのぼってパケット割引が適用されるのだそうです。

かんたんミュージックは、おすすめの楽曲販売へのリンクをメールで勝手に送りつけてくるサービスだとか。そのリンクをクリックしてしまっても、ウェブ閲覧が禁止してあるので実害はないだろうと踏みました。

本社に顔を出したついでに、すぐ近くにあるソフトバンクショップで「かんたんミュージック」の申し込みをしました。美人で足が細くて親切なおねーさんが対応してくれたのはいいのですが、親切すぎるおねーさんは「ついでにS-1バトルも申し込んでおきました」と言うではありませんか。S-1バトルというのは、かんたんミュージックと似たようなもので、ただ音楽ではなくお笑いがネタのようです。

(勝手なことをするなよ!)と思ったのですが、ここでモメて時間を食うと職場に戻るのが遅くなります。それはまずいので、ぐっとこらえて矛を収めることにしました。ま、ウェブ閲覧は禁止してあるから大丈夫だろう、と。

その後も、下の子の携帯は日々着実にパケット数をのばしていきます。そもそものパケット大量消費の原因は取り除かれているのですが、なぜか日々パケットが大量消費され続けています? どうも「かんたんミュージック」や「S-1バトル」のメールがHTMLメールになっていて、画像などで飾り立ててパケットを消費する仕組みになっているようです。
相変わらずソフトバンクは小汚い商売をしているようで、ショップのおねーちゃんも片棒を担がされているのでしょう。スパボの誘惑に騙されてソフトバンクと契約した僕が悪いとはいえ、端末の残債がある以上、まだまだ携帯を解約できないのが悔しい。

ネットで検索してみると、ソフトバンクのこうしたサービスは、とっても解除がやりにくいらしいのです。
http://netlog.jpn.org/r271-635/2009/03/softbanks1.html

子供は養育係(前妻)のもとにおり、いつでも会えるわけではありません。端末にアクセスできないとなると、僕もソフトバンク157との熾烈なバトルを展開せねばならないのか・・・。と暗澹たる気分になりました。

しかし、性悪なソフトバンクも今回は対応を改めたと見え、サポートセンターのおねーさんは、素直に「かんたんミュージック」と「S-1」の解除に応じてくれました。それどころか「他にも二つメール配信が行われているのでそちらも同時に解除しましょうか?」と言うではありませんか。どうもご親切にありがとう。
知らないうちに、二つも勝手に契約させられていたのね。油断も隙もならねぇな。

もっとも養育係が勝手にパケットを使わなければ、こんな面倒ごともなかったはずです。「女房の悪いは六十年の不作」と言いますが、離婚しても不作は止まらないのか。あるいは「悪妻は百年の不作」とも言い、夫だけでなく孫子まで三代に渡って悪影響が残るとか。やれやれであります。


2009年07月04日(土) オープンスピーカーズ

53.3Kg, 8.3%

県内最初のグループの25周年集会にお邪魔してきました。
内容的にはオープンスピーカーズ・ミーティングでした。
お昼休みに参加人数を数えたら三十数人。これは、最近のAAイベントとしては淋しい人数でしょうね。けれど、オープンスピーカーズは人数うんぬんではないと思っています。

ステップセミナーと言われるAAイベントはステップの経験の分かち合いですから、対象はAAメンバーです。だから、参加したAAメンバーの数でイベントの成功度を計りたいと言うのなら、僕は反論しません。

でも、オープンスピーカーズは「AA以外の人にAAの中身を知ってもらうためのイベント」です。そこでは、いかにたくさんのメンバーが集まったかとか、遠く(県外とか)からメンバーが来てくれたか、という基準は意味がありません。あまりそこにこだわってしまえば、マスターベーションになってしまいます。
やはり、AA以外の人がどれだけ来てくれたか、が一つの大きな基準になると考えます。

あいにく隣県で二つAAイベントが開かれていて、AAメンバーの集まりは悪かったのですが、会場には見慣れぬ(雰囲気の)人も多かったので、おそらくAA以外の人も多かったのだろうと思います。

その場でスピーカーを依頼されたので15分話をしました。順番が何人目かだったので、人の話を聞きながら話の中身を考える余裕がありました。先頭とか二番目にいきなり話す人は大変だと思います。事前に頼まれれば、前の日までにちゃんと考えておくんですけどね。
なので、その場での依頼は断ることにしているのですが、断れない相手もいるわけです。


2009年07月02日(木) 階段

52.9Kg, 10.6%

ねんきん定期便というのが郵送されてきました。今年3月までの年金加入の記録が細かく報告されています。経費のかかることでしょうが、いままでこういう報告書がなかった方が変だったわけで、これが普通なんだと思います。

年金というのは25年払ってないともらえないのだそうです。40代後半の僕はそろそろその条件を満たしてもよさそうですが、まだ数年かかります。僕らの世代は学生に加入義務がなかったので、その年数分減っているのですが、僕はそのほかにも未加入期間があります。

20代の頃は飲んだくれて年金払ってませんでした。それどころか、地方税や健康保険も払ってなくて、保険証をもらえなかったし。水道代も払えなくて、トイレ流せなかったりして。身分証明書がなかったので借金できなかったのは、かえって幸いだったかも。本を古本屋に売った金で酒を買ったりしていました。

そんな半引きこもり、半無職状態で自殺未遂をして、実家に戻る羽目になりました。それから田舎でアルバイトを始め、親の金で運転免許を取って、小さな会社に正社員で潜り込みました。それから転職やら倒産やら。

今の会社に移って本社に挨拶に行ったとき、玄関前に社長のベンツが駐めてありました。それを磨いている人は縁故採用の運転手なんだ、という話を聞いて、僕はなんだか腹が立ちました。社長の贅沢が、まるで社会的不正義か何かのように思えたのです。後日、その憤りを実家の母に話したところ、聞いていた母がいきなり泣き出しました。

「飲んでどうしようもなかったお前が、社長が運転手を雇うような会社にようやく入れたんだねぇ。こんな日が来るとは、かあちゃん思わなんだよ」

返す言葉もありませんでした。

それを意識していたわけではありませんが、無職の状態から一歩ずつ階段を上ってきたのだと思います。経済的安定を目指して、三段とばしでその階段を駆け上がりたいと思ったこともありました。でもたとえば、自分勝手に考えて転職を試みても、結果は失敗でした。仕事も、なるようになるし、なるようにしかならないことなんだと思います。
今後少しは楽になるという保証はありませんが、経済的なことも「それが必要であれば与えられる」と思っています。そのために必要なのは、目の前にやってくることを、次々と片づけていくことでしょう。

もちろん、今でも時々三段とばしで上りたくなるときもあります。そんなときに、思い出す言葉があります。最近もまた、その言葉に出会いました。

「私は完璧にはほど遠いが、完璧になることを求められているわけではない」

とはいえ、宝くじは買うのであります。


2009年06月30日(火) ハートをつなごう、つづき

NHKの番組「ハートをつなごう」の摂食障害の二日目。
女性の本人の人が、自助グループへ行ってみたものの、メンバーが語る内容が自分よりずっと激しい症状でどん引きしてしまった、という体験を話していました。

AAでも同じことはしょっちゅう起きている気がします。
以前、禁煙外来に行ったとき、内科の先生が「明らかにアルコール依存で肝臓を壊して入院している人で、家族も困っているというので断酒会を勧めてみたのだが、ナタで鶏の首を切り落とした話などを聞いてきて、続けて通うことを拒絶されてしまった」と話していたことも思い出します。

確かに自助グループでは、(自業自得とはいえ)自分がいかに酷い有様になったか、という話が語られます。人間らしくない生活という程度の話ならまだしも、人を騙したとか、物や金を盗んだとか、人間性を欠いていく過程が語られます。

そういう話はビギナーを遠ざけるから良くない、と言いたいわけではありません。必要な話だと思います。大切なことは「話す態度」なのだと思います。

「正直な自己開示」であるべきものが、「露悪趣味」や「病気自慢」になっていやしないだろうか? と思うのです。

回復には底付きが必要です。けれど、底付きとは、社会的地位や金銭や家族や若さを失ってぼろぼろになることを意味しません。アル中さんはいつだって底付き可能です。「下り坂に加速がついていて自分じゃ止められない」と気がつけばいいだけの話です。

「自分はこんなに酷い有様になった。というのも、自分が意固地で人の話に耳を傾けるだけの素直さを欠いていたからだ。だからあなたは、いろいろなものを失う前に、率直さを取り戻した方がいい」

という思いやりの態度が必要なのだと思います。

ある女性の比較的若いメンバーは、自分は若くしてAAにつながって回復したためにジジババ連中の嫉妬を受ける、と嘆いていました。

僕も自分の中の嫉妬心に気をつけなければなりませんね。「飲みたければ、飲みたいだけ飲んでみればいい」と言いたくなる気持ちの陰に、嫉妬心が潜んでいないかとか。


2009年06月29日(月) 努力して

52.9Kg, 9.8%

NHK教育で摂食障害を取り上げた番組を見ていました。
オーガーラ先生が「ふつうダイエットは成功しないものだが、摂食障害の人はそれを成功させてしまう」という話をしていました。

一ヶ月半で10Kg落とした二郎さんは努力家として飛び抜けていると思います。けど、薬でもアルコールでも依存症になる人、摂食障害になる人は、誰でも努力家だと思います。

最初から気持ちよく酒が飲める人は少数派です。大酒が飲めるようになるためには、相当な訓練が必要です。二日酔いで激しく苦しんだこともあったに違いありません。なのに、それでめげて酒をやめることなく、気持ちよく飲むためにと、酒の種類を変えたり、店を変えたり、飲む時間帯を変えたり、いろいろ考えたことでありましょう。お金も時間もたくさんつぎ込んで、他の楽しいことを犠牲にして、立派な大酒飲みになったわけです。ついでにアル中にもなりましたけど。
(そうやって「大酒飲みになる」のに大きな努力をしたのに、「大酒飲みをやめる」のには努力は要らないという心理がどこから来るのか?)

薬だって上手な使い方が出来るようになるには、かなりの努力が必要です。

努力して依存症になった、ということは見落とされがちな視点なのかもしれません。


2009年06月26日(金) 適正飲酒?

53.0Kg, 7.2%

さて、節酒というか適正飲酒の話。
アル中さんは飲み過ぎるからいけない。ほどほどに飲めば良し。
それが出来ないから病気であって、飲み過ぎないためには「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込まねばなりません。例えその欲求が飲酒再開後それほど強くなかったとしても、何ヶ月、何年と飲酒を続けるうちに制御できなくなってしまいます。
アル中ではない普通の酒飲みたちは、飲んだくれを見て「なぜ、ほどほどにしておけないのか?」という疑問を持ちます。

では、アル中でない普通の酒飲みは、適正飲酒をしているのでしょうか?

酒席で普通の酒飲みと一緒になったら、酒をもっと飲むように勧めてみてください。勧めに応じて多く飲む人もいるでしょう。その場合には、もっとしつこく勧めてみてもいいです。いずれ必ず「もうこれ以上勧めないでくれ」とか「いらない」と言い出すでしょう。

つまり普通の酒飲みは「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込んではいません。彼らは飲みたいだけ飲みます。これ以上いらないというところまで飲み、満足して帰って行きます。その満足の量が、人によってはビールたった一杯だったりもします。彼らは「ほどほどに飲む」ために、意志の力もいらないし、努力もいりません。

つまり飲みたいだけの量を飲んでいる、という点では、普通の酒飲みもアル中さんも変わらないのです。結果が違うだけ。

結局の所、アル中さんを普通の酒飲みに戻すためには、トラブルが起きない程度の少量の酒で十分満足できる陶酔感が得られるよう脳を戻す必要があるのでしょう。

適量の飲酒に戻れたとしても、それを保つために努力や気配りが必要なら、それはアルコール依存症が治癒したことを意味しません。単に症状が小康状態を保っているだけなのでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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