心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月20日(木) ナラティブ

朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/こだわり和風御膳(コンビニ弁当)
夕/豚レバー炒め・オムレツ・100円サラダ・インスタントの豚汁・ご飯一膳
夜/オーザック半袋

食パンを買い忘れているので、朝トーストを食べられません。帰りに外食して帰ろうと思ったのですが、出来合いのおかずを買って帰ることにしました。で・・、外食よりコスト高の結果に。

ナラティブ・セラピーという言葉があります。ナラティブは narrative。ナレーター、ナレーションという言葉が示すとおり「物語る」ということに主眼が置かれた手法です。自分の過去を物語にすることで把握し直したり、あるいは未来に向かって伸びる物語の途中を生きているのが現在なら、物語は生きる目標を設定することにもなります。
ナラティブ・セラピーでは、治療者とか援助者は一段上に立った指示者ではなく、経験を物語化する援助をする脇役になります。

では、AAはナラティブ・セラピーなのでしょうか?
そう考える人もいます。まじめにそう主張する援助職の人もいます。
でも僕は違うと思います。

AAはあくまでスピリチャル・ケア(霊的治療)だと思います。ミーティングは一見ナラティブ・セラピーに見えたりしますが、それはスピリチャル・ケアの手段としてナラティブな(物語る)要素を大事にしているにすぎません。

ミーティングがナラティブ・セラピーだとすれば、会場の人数が増えてしゃべる機会のなくなった人たちは回復のチャンスを失いかねません。でも、会場で話せなくても回復には大きな差し障りがないと僕は思っています。司会をしていて、人数がだいたい12〜3人を超えれば、もう全員に話してもらうことは諦めます。それが残念だとは思いません。

回復グループの中で物語ることが重視されすぎると、仲間に「良い物語」を提供することがメンバーの優劣になってしまいます。そこに話すことの技巧や演出が加わり出すと、もう回復の本質から離れていってしまいます。

言葉に出そうが出すまいが、自分の過去を物語として再構成することは、AAのプログラムとして大事なことだと思います。しかし、さらにその先に、その物語にどんな意味があったのか「意味づけ」を行うことが大切です。

しかし、どう考えても理不尽すぎて意味づけできない過去の物語も当然あるでしょう。やはりそのときに、自分の人生に対する無力を知り、「自分より偉大な力」に頼ることを望むのだと思います。

AAをナラティブ・セラピーに留め置きたい人は、たぶんスピリチュアルなもの(人間以上の存在)が嫌いなんじゃないでしょうか。


2008年11月19日(水) 言葉の定義と文脈の理解

夕/サバの塩焼き・海藻サラダ・オクラの和え物・おみそ汁・ごはん(小)
夜/カップ天ぷらそば
53.1Kg, 10.1%

朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/冷やし天おろしそば
夕/バースディミーティングのケーキ・帰宅後インスタントラーメン
夜/オーザック半袋
53.3Kg, 11.3%

いろいろ苛つくことがありまして、憂さ晴らしにミーティング前にモスバーガーでちょっと贅沢に食べて行こうかともくろみました。でも、ミーティングは仲間の2年のバースデイでしたから、なにかプレゼントを持参したいと思いました。

しかし、うつ気味の頭ではプレゼントのアイデアも浮かびません。だいたい男性用のプレゼントに雑貨屋ブルドッグに寄ったのが間違いだったのでしょう。あきらめて本屋に寄り、加藤諦三の本を2冊買いました。一冊はこの日の仲間のため、もう一冊は前日に2年を迎えた仲間のためです。加藤諦三の本はどれを取っても「金太郎飴のように同じ」と評されるぐらい同じである安心感と、今時文庫本が500円しないというメリットもあります。

この人の考え方の基本は「心に植え付けられた<親の考え方>を聞くことをやめ、より奥深い自分の希求に従って<自分の考え方>を得ていけば自由になれる」とでも表現できるでしょうか。

AAでよく「自分の考えを使わない」と言い、また「祈りや黙想によって神の意志を知る」とステップにあります。ここで、「自分の考え」を心に植え付けられた<親の考え方>に、「ハイヤー・パワーの意志」を<最奥の自分の望み>と言葉を置き換えてみれば、加藤先生もAAも同じことを言っているのだと分かります。

このように「自分の考え方」という言葉も、その原点によって正反対の意味を取るわけで、前後の文脈を無視して言葉だけに反応してしまうと、とんちんかんな議論が始まってしまったりします。

あるコミュニティ(例えばAA)には、そこで使われる単語の定義だとか、話の流れ(文脈)などが生まれ受け継がれていきます。コミュニティを理解することは、そこで使われる定義や文脈を理解することでもあります(それに賛成するかどうかは別)。コミュニティの継続は、これらの考え方を次の人に伝達していくことでもあります。

例えば「無力ってのはこういう意味」だとか、「自分の考え方が病んでいるからこそ、祈りと黙想によって正常な自分の考えを知る必要がある」とか。

本屋を出たら、目の前の道がえらく混んでいました。先の方で軽トラが故障していたのが原因です。ミーティングに遅刻しそうだったのでモスは諦め、帰りに寄ろうと決めました。こういう時に限ってバースディご本人が遅刻だったりするのです。

ミーティングでは「(わたしが|あなたが)助かったのは、つまるところ運が良かったからである」という話をしました。AAにいろんな人がやってきますが、誰が助かるかは僕にはまるでわかりません。それは神様が決めることです。助かったのは神様に選んでもらえたからで、その人の努力は実は小さな違いしか作り出していないものでしょう。

ここで「神様に選ばれた」というのはAA流の表現です。一般には「運が良かった」という表現でいいと思います。運が良くて酒が止まったからこそ、また飲んだ時に次もやめられるとは限らないのです。だからこそ今回のソブラエティを大切にしなければならないわけで、そのために努力しましょうということです。

空きっ腹にバースディのケーキをいただいたら、食欲が失せてしまって結局モスには寄りませんでした。帰宅後インスタントラーメン。とほほ。


2008年11月17日(月) 家事記

昼/炊き込みご飯・野菜サラダ
夕/牛焼肉定食(松屋)
夜/おせんべい2枚
53.1Kg, 10.8%

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト
昼/ミニチャーシューご飯(弁当)・エッグマフィン

お風呂の天井にはシロッコファンが取り付けられているのですが、これを回しておくとずいぶんうるさいのです。なので、自宅にいるときは、入浴直後以外は換気していません。外出するときに、ファンを回すのを忘れてしまうと、帰宅したときにお風呂の天井に水滴がたくさん付いていて、入浴中に「ぴとーん」と背中に冷たいものが落ちてくる仕組みになっています。背筋に冷たいものを感じる瞬間ですね。
それはいいんだけど、お風呂がカビるんるんになってしまうのは、かないません。ブラシで壁や天井を擦るのは疲れます。

毎週土曜日は掃除の日と決めていて、ダスターでほこりを払って掃除機をかけ、フローリングを雑巾がけして、トイレと流しの掃除をするのが習慣です。ところがこの前家事の案内書きをいただいたのですが、フローリングは毎回水拭きすると反ってしまったりするのだとか。あわててフローリング・ワイパーを買いに行きましたとも。
でも、流し周りの床は水滴が飛び散るので、やっぱり雑巾で拭かないとダメかも。

掃除機は、押すときよりも引く時に吸引するので、引きはゆっくりとか。

洗濯機に放り込んだまま、乾燥までやってしまうと、しわしわになっちゃうので、洗濯終了後にいったん取りだして、軽くしわを伸ばしてたたんでから、また放り込んで乾燥させるとか。

それよりも、半袖のTシャツが出っぱなしのなので、それをしまって、かわりにトレーナーとか冬の上着を出さないといけません。このまま春になっちゃうかも。アイロンの要らない服ばかり着ています。アイロンかけるのはハンカチばかり。

ヘヤカラーをやったときに、フローリングの上にすこしこぼしてしまって、色が付いたのが取れません。何を使えば落ちるのか。退去するまでに消しておかないとヤバいです。

ああ、今日はコーヒーのフィルターと、ゴミ袋と、シェービングジェルを買うのを忘れないようにしないと。

日々修行でございます。


2008年11月16日(日) FGでいこう

朝/コーヒー・トースト・チーズ・ヨーグルト
昼/冷麺とミニビビンバ・上タン塩
53.1Kg, 10.9%
夕/ミニ串カツ(残り物)・ブナシメジのみそ汁・99円サラダ
夜/ミスドのフロッキーシュー×2
朝/コーヒー・ミスドのスティックパイ・フランクパイ

ツルヤの99円サラダは僕のお気に入りです。ご飯の量は記述していませんが、基本的にお茶碗軽く一杯か、2/3ぐらいです。

先日西友で買い物して、ふと見ると出口に
「KYでいこう」
と大書されたポスターが貼ってありました。なんだなんだ。
ローマ字で大きくKとYの文字、そして「でいこう」のひらがな。よく見るとKの中に(カカク)、Yの中に(ヤスク)の小さな文字。
よくこんなコピーが通ったものです。僕は内心「西友終わったな」とつぶやいて、その場を去ったのでした。
http://www.seiyu.co.jp/
空気が読めないのも困りものですが、読めたつもりで実は全然読めてないのはさらに難物です。

半日お出かけしていて、帰ってみると留守電やらメールやらたまっていました。
・元妻から「ビデオの予約ができない」と留守電→放置。
・友人♀から「アパートの隣の住人がうるさい」→明日返事を書くことにして一晩放置。
・見慣れぬ番号で着信。薬でラリラリのおばさんから「携帯電話紛失したので自宅からかけています」→それと僕となんの関係があるかイミフなので放置。夜の薬は必要なんでしょうから、飲むのが悪いとは一言も言いません。でも飲んだら朝まで電話やメールを出したり、ましてやネットに投稿したりは謹んだほうが良いと言っているのに。まあ、酒を飲むと寂しくなって夜の電話魔になるに似ているかも。
・友人♂から電話→入浴中だったので留守電応対で放置。

FG(不義理)をして申し訳ない。「ごめん疲れてるんだ」ってやつ。


2008年11月15日(土) これが趣味かな

おやつ/お汁粉缶
夕/みそラーメン
52.9Kg, 10.2%

夜/レンジで温めるかに雑炊
朝/コーヒー
昼/回転寿司5皿・バナナクリーム
夕/ツルヤのミニ串カツ5本・アサリのみそ汁・99円サラダ
52.6Kg, 9.6%

ミッコ・ヒルボネン
セバスチャン・ローブ
ペター・ソルベルグ
クリス・アトキンソン
マーカス・グロンホルムは?

今年はWRCになんの関心も払わないまま、ラリー・ジャパンすら終わってしまいました。エントリ・リストを見ると、フォードとシトロエン、スバルとスズキしかありません。プジョーの名前がないのが淋しいし、ミツビシも不祥事以降モータースポーツに本気でなくなってしまいました。ヒュンデやシュコダは長く続くとは思いませんでしたけど。

昨年末に長女にソフトバンクの携帯電話を買ってあげました。ソトバには「あんしん保証パック」という修理保険があり、もし端末を壊してしまっても無償で修理を受けられます。が・・、月々数百円ずつ払っているのがバカらしくなったので、この保証を4月に解約してしまいました。

娘には「修理が高いんだから、落として壊すなよ」と言っておいたのですが、8月に踏んで壊されてしまいました(そう来たか)。修理保険に入り直してから、修理に出そうと思ったら、保険解約後半年は再追加できないのだそうです。

しかたないので、長女にはスパボ一括14,800円の端末を買って与えました。近頃ではスパボ一括0円で販売されているのも珍しくないので、その時は焦りすぎていたのかも知れません。

晴れて半年経ったので、手元にあった壊れた端末を、保険を使って修理しました。手元にソトバ携帯があっても滅多に使わないのですが、割賦がまだ18ヶ月も残っているので解約できません。来年1月には次女の誕生日があり、携帯を買う約束になっているのですが、これで我慢してくれないだろうか・・無理だろうな。ケータイまでおねーちゃんのお下がりだったら泣いちゃうかも。

ちなみにPHSもあって、こちらは割賦が来年末まで続く予定。


2008年11月13日(木) Dependence - 頼みにする(依存)

夕/和風ハンバーグおろし定食
夜/男前クリーム
53.4Kg, 9.4%
朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・チーズ
昼/四川風麻婆豆腐丼(コンビニ弁当)

体重は増加中なるも、体脂肪率減少中。

さて、

Suggested Topics #6, Dependence - 頼みにする(依存)

「つまり、仕事があるかどうか、妻がいるかどうかにかかわらず、神をではなく、誰かを頼みとしているうちは、私たちは決して飲むのをやめないということだ」p.142

最初にAAにつながったとき、僕には「酒をもう飲むな」という強い圧力が加わっていました。なにしろ3回も入院しているのに、ちっとも酒の飲み方はマトモにならず、会社では安心して任せられる仕事もなく、家では両親が「こいつがまた何をやらかすか」という心配ばかりしている状態だったのです。

なので医者に勧められるままに、自宅で何とか解毒の苦しみを乗り越え(30過ぎの男が母親に手を握ってもらっていたのはナイショ)、毎週AAミーティングに通うようになって、飲酒欲求をこらえつつ、なんとか断酒生活が始まりました。

すると、飲まないで仕事に行って、素面で帰ってきただけで、家族が褒めてくれるようになりました。帰宅早々「飲まなかったか?」と聞かれるのは嫌なものですが、「そうか偉いな、よく頑張ったな」と言われるのは少し気持ちがいいのです。断酒の苦しみは、普通の人はする必要のない苦労です。それを引き受けて耐えているのだから、せめて褒めてもらえないと割が合わない、これは当然であると思っていました。

しかし、数週間もすると、本人が酒をやめているのは家族にとって「当然のこと」になってきます。本人は周りにたくさん迷惑や苦労をかけたのですから、酒をやめたぐらいで一生褒め続けろというのも無理な話です。アル中本人さんが、よく「自助グループとか医者とかの特別なことをせずに、自然に酒をやめたい」と言いますが、家族だって「褒めるとか気を遣うとか特別なことをせずに、本人にやめ続けてもらいたい」と思うのが当然でしょう。

でも僕は、褒められなくなってとても寂しい思いをしていました。辛さだけが残った格好です。それが原因で飲んだわけじゃないですが、再飲酒の言い訳の一つになりました。

僕は外からの圧力で酒をやめ、褒めてもらう(努力を認めてもらう)ことで断酒を継続しようとしました。それは「誰かを頼みにする」断酒そのもので、結局酒をやめられていなかったのです。酒をやめるのが良いことだと自分が思い、やめている自分の価値を自分で認めてあげられることが必要で、それを人に依存してしまうと、断酒の基盤がすごくもろくなると思います。

しかし、僕はソブラエティの価値をしょっちゅう見失ってしまう人です。だからこそ、酒をやめる人の集まりに参加して、「やっぱり酒をやめているって良いよね」と再確認する必要がいつもあります。それはきっと、より健全な依存でしょう。

でも、所詮AAも人の集まりで完全ではありません。やはり完全無欠な存在への依存が欠かせないと思うのです。


2008年11月12日(水) ××禁止例

夕/牛丼並+サラダセット(すき家)
夜/カップ天ぷらそば
53.4Kg, 10.4%

朝/コーヒー・ツルヤの99円サラダ・ヨーグルト・チーズ
昼/かき揚げ天そば

AAの評議会・理事会であれJSOであれ、グループやメンバーに対して、何かを禁止できないのははっきりしています。でも、なにかトラブルが発生するたびに、○○会やオフィスに「権威」を期待して、××を禁止してくれという要請が出されたりします。

どうしてそういう要請が出てしまうのか、原因の一つは過去の経験だと思います。

十数年あるいは二十年以上前、日本のAAは『スツールと酒ビン』とか『一日24時間』というAA以外の本を出版し、ミーティングでも使っていました。また、日本独自のAAメダルを作って、プレゼントに使われていました。

ところがある時点で、方針を急展開させ、それまで使っていた本やメダルを「禁止」してしまったのです。オフィスはそれを売らなくなり、在庫は処分されました。それどころか『一日24時間』を使っているミーティングに対しては、「それはいけないよ、やめなさい」という指導?まで行われたと聞きます。
まさにそれは「禁止」でした。

東南アジアや南米などには、しばらく前まで独裁政権がうようよ存在していました。民主国家ではなかったのです。しかし中には独裁が国の発展に寄与した例もあります(インドネシアとか)。これを開発独裁と言いますが、権限を集中した方が経済成長にはプラスだったのです。とはいえ、そうした国々も徐々に民主化が進んでいきました。

AAも過去の発展の途上では、強権的なことも必要だったのかもしれません。そのときに命令的に行われたことが、10年経っても20年経っても人々の記憶に残り、AAでも「上から何かを禁止できる」という幻想が残ってしまったのかも知れません。

しかし評議会もできて10年以上経っているのですから、AAの本則に立ち返るべきだと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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