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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月10日(月) Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑する 昼/五目炊き込みご飯(コンビニ弁当)
おやつ/玄米パン
夕/ホタテのクリームスパゲティ(サイゼリア)
夜/クラムケーキ
炭水化物ばっかり。
朝/コーヒー・バナナ・ケーキの残り
昼/こだわり和風御膳(コンビニ弁当)
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Suggested Topics #5, Contempt prior to investigation 調べもしないで頭から軽蔑する
「人間を永遠に無知にとどめておく力をもった原理がある。それは、調べもしないで頭から軽蔑することである」ハーバート・スペンサー (p.268)
僕の生まれたところは、ここから20キロほど離れた田舎ですが、高校はこの市内の学校に通いました。この市はアメリカのソールト・レイク・シティと姉妹都市になっています。ソールトレイクには、モルモン教というキリスト教傍系の本山があり、姉妹都市の縁でたくさんの教徒さんが、わざわざ日本語を勉強して、この田舎都市に布教にやってきました。
交差点で信号が変わるのを待っていると、金髪青い目で背の高い外人さんが、「アナタハカミヲシンジマスカー」と話しかけてくるのです。それを無視しながら「はぁ〜、ウザ!」とか内心思うわけです。
当時から、成人して酒におぼれる頃、宗教について何を考えていたかというと、「神に頼るやつは弱いやつだよ」という軽蔑です。その軽蔑はどこからやってくるか。それは「俺は神頼みは不要な強い存在である」という、強烈な(でも根拠のない)自信です。でも、本当は自分に自信がないので、頼るもの、信じるものを持たずに生きていくことが、しんどくてたまらなかったのですが、それは口にできませんでした。
神頼みが不要な強いはずの自分が、なぜ酒に頼るのか。
素直な人間であれば、酒に溺れることもなく、自分の弱さを認めて助けを求めることもできるでしょう。また、僕がもしそこそこ素直であったなら、精神病院1回の入院で、その後自助グループに通い続けて酒が止まり続けたかもしれません(昨日のバースディ・ミーティングの人はまさにそんな感じの人でした)。だが、否認の強い僕は、何度も入院を重ね、こてんぱんにされるまで、自分の弱さを認め助けを求めることができませんでした。
助けはどこから来るのか? 「どのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを解決できない」とあるわけですが、僕はいまでも自力救済して強さを誇りたかったり、人に甘えたがったりします。でも、結局は自分も他も、人は弱いものであり、比類なく強いものに頼るしかないのだと思います。
神を頼る人たちへの軽蔑は、自分の強さへの妄執から来ていました。それは自分に自信がないことの裏返しだったのです。軽蔑によって自分を守っているようでいて、実は最初から負けていたのです。イタい奴だったわけです。
SUGGESTED TOPICS FOR DISCUSSION MEETINGS
http://aa.org/en_pdfs/smf-56_en.pdf (PDF)
過去のトピックス
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/search?idst=19200&key=Topics/a>
2008年11月09日(日) ハンドブックぐらい読めよ 昼/豚バラとトマトのパスタ・小松菜のピッツァ・コーヒー
夕/お湯で温めるハンバーグ・謎の鍋物(実家)
朝/コーヒー・バナナ・チーズ
AAメンバーであれば、おそらく黄緑色の「ミーティング・ハンドブック」という薄い冊子を手にしたことがあるでしょう。ふだんのミーティングでもあれを使っているところはたくさんあります。
その11〜12ページに「12の概念」が載っていて、12番目にはこうあります。
概念12:
評議会は、
1) 危険な富と権力の座に決してなることはなく、
2) 財政原則は十分な運営基金と準備金とをもった慎重なものとし、
3) 評議会のだれひとりとして、他のメンバーに対して絶対的な権威の地位に着くことはなく、
4) その重要な決定はすべて、討論と投票とによって、できる限り事実上の満場一致に至るようにし、
5) その決議はいずれも個人を罰するものであったり、公の論争を引き起こすものではなく、
6) 政府の役をするどのような行為もなく、
評議会が奉仕するこの共同体と同様に、その思想と行動において、常に民主的であり続ける、ということに留意してAAの伝統の精神を必ず順守すべきものである。
とあります。この6つは「6つの尊守事項」と言われ、評議会を始めとしたAAサービス組織の行動を規制しています。
来年の評議会の議案のひとつに「こういうことをさせないように規制して欲しい」という議案が出ていました。こんな議案が出てくること自体が、かなり恥ずかしい。
評議会は「政府」ではないので、命令もできないし、取り締まりもできないし、もちろんAAメンバーやグループが何をするのか規制もできません。もちろん評議会は、実行機関である理事会やJSOに対して「勧告」を出すことはできますが、JSOのスタッフにお役人みたいな仕事をさせようというのは、いかがなものか。
しかし、この議案が通ってしまわないか心配だ、という声が聞こえてこないのは、結構みんな評議会の良心を信じているからなのかもしれません。(あるいは単に無関心なだけか)。余計な心配は無用でしょう。
ただ、ミーティング・ハンドブックぐらい読めよ、と言いたいわけです。たいして厚い本じゃなし。
2008年11月08日(土) ツー・ステップ・サービス活動 昼/和風弁当(コンビニ)
夕/牛焼肉定食(松屋)
夜/バナナ・チーズ
朝/コーヒー
昼/カップラーメン(野菜タンメン)
おやつ/パインブロックカット
夕/回転寿司(8皿)
夜/バナナ・チーズ
53.0Kg, 10.4%
朝・昼/コーヒー・スパゲティ(野菜クリーム)・ツルヤの99円サラダ
夕/エビフライ・メンチカツ・うず玉フライ・アサリのみそ汁・ツルヤの99円サラダ
夜/カレーうどん
52.5Kg, 11.4%
朝/コーヒー・トースト・チーズ・メンチカツ(昨夜の残り)
雑記をサボると食事の記録が長くなってしまいます。さて、3日ぶりの雑記なので少々気合いを入れて?参りましょう。
こと回復の現場においては、自分の世話をするより、人の世話をしていたほうが楽です。
たとえば子供が不登校になってしまった場合、たいてい問題は親、とくにお父さんにあるわけです。「原因がお父さんだから、お父さん自分の問題を見つめ直してください」と言われるのがお父さんにとって一番辛いわけです。そこから逃避して、一生懸命子供の世話をしてみたり、あるいは母親に押しつけて自分は仕事にかまけてみたりします。
自助グループでも、自分の回復をしているより、人の回復を手助けしていたほうが楽です。例えばステップ4・5(棚卸し)でも、人のステップ5をいくらたくさん聞いても自分は回復しません。自分が4の表を書き、5で人に話さないと「自分が」回復しません。スポンサーシップはスポンシーを回復させるけれど、スポンサーは回復しないのです。
自分の回復より、人の世話を焼いているほうが楽だから、ついつい易きに流れてしまうのです。人から褒められたり、感謝されたりする機会も増えて、回復したような気にさせられるのも、世話焼きの魔力です。実は回復してないのにね。
さて、AAのサービス活動は、ステップ12の一環です。サービスというのは、日本語にすれば「奉仕」です。つまり、人の世話焼きです。
AAのサービス活動をやって「忙しい、大変だ」といっている人は、実は人の世話焼きに充実感を感じてしまう困ったちゃんたちです。自分がステップに取り組んでいる時間を削って、サービスをするのは、そのほうが回復作業にくらべて、楽で楽しからに他なりません。
「人の世話はいいから、自分の問題に取り組んでいなさい」と言われるのが、こういう人たちにとって一番辛いのです。ツー・ステップに陥りやすい、それがサービス活動のわなです。
というわけで、僕も地元の委員会で来年の役割を仰せつかってしまった「困ったちゃん」の一人なのであります。
2008年11月05日(水) すっぱいぶどう? 夕/マッシュルームバーガー+オニポテセット(モスバ)
夜/バナナ・カップうどん
朝/コーヒー・トースト・バナナ
さすがにハンバーガーひとつではお腹がすいて、夜カップ麺を食べてしまいました。反省。
金曜日のミーティングを終えたあと、仲間と夕食をともにするのが通例です。
その日もファミレスで食事をしていました。すると、どこからかかすかにテレビの音声のような音が・・・。隣のテーブルで、ワンセグのテレビを携帯電話で見ている人たちがいました。
あれ? 隣って確か、平日デートらしい男女のカップルじゃなかったっけ。うん、確かにそうだ。二人は携帯の小さな画面をのぞき込んで、黙ってドラマかなにかを見ています。
世代の違いを感じてしまいました。
2008年11月04日(火) ETCは必需品? 朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/シャケ弁当(前の日のスーパーの見切り品)
夕/トンカツ弁当
夜/ケーキの残り
入浴前 53.5Kg, 11.2%
入浴後 53.2Kg, 9.4%
体重の減少は「汗をかいた」で説明できるにしても、体脂肪率の減少は湿り気による電気抵抗の低下が原因でしょう。
朝/コーヒー・トースト・バナナ
昼/高菜明太ご飯(弁当295円)
商標権の問題でほっかほっか亭が、ほっともっとになりました。略称はやっぱり「ほも」なんでしょうか。愛らしい略称ですな。
マクドナルドの略称は、関西の一部では「マクド」、そのほかでは「マック」です。個人的にはマックはパソコンの名前でもあるので、ハンバーガー屋は「マクド」を使っています。パソコンは昔はマッキントッシュと呼んでいましたが、オーディオと紛らわしいのと、製品名がMacになったので「マック」と呼ぶようにしています。
ちなみに、ケンタッキーフライドチキンは「ケンタ」、ミスター・ドーナッツは「ミスド」。ロイヤルホストは「ロイホ」。
さて、高速道路のETC割引きですが、従来は通勤時間帯の割引きと、深夜早朝の割引きだけでした。そのうちに、社会実験と称して、平日昼間の割引きをすることで、国道から高速道路に大型車を誘導する試みも始まりました。
しかし、休日(土日祝日)の昼間の割引きはありませんでした。仕事で高速道路を使う連中はともかく、レジャーで使う連中に割引きしてやる必要はない・・という考えなのでしょうか。
しかし、今年の春から夏へかけてのガソリン価格急騰によって、休日に高速道路を使って遊びに行く人はだいぶ減ったようです。それどころか、都市部では車を手放してしまう人も増えたのだとか。日本の屋台骨である自動車産業の将来に暗雲が広がるばかりか、未来永劫高速道路を造り続けるための大前提「交通量が増え続ける」が崩れてしまいます。
そこで、休日昼間の割引きが9月から始まりました。ああ泥縄。うれしいけど。
ガソリン価格は下がっても、今度は不景気で仕事で車を使う人が減ってきました。そこで、某与党では「休日は千円で高速道路乗り放題」という公約まで掲げました。一日に何度使っても千円ぽっきり。すると、野党の方は「高速道路無料」と言い出しました。それはちょっと無理かも。
いずれにせよ、割引きを受けるためにはETC装置の取り付けが必要で、最近の週末のカー用品店のピットサービスは待ち時間がやたら長いそうであります。
2008年11月03日(月) 怒りや吐き気による否認 夜/カップワカメそば・ウィルキンソンのジンジャーエール
朝/コーヒー・ヨーグルト・バナナ
昼/五目チャーハン
夕/焼きそばパン・五目焼きそば
夜/ケーキ一切れ
「だからといって、今さら年老いた両親に育てなおしてもらうわけにも、いかないじゃないですか!」
とスポンシーが気色ばんだとき、僕は内心手を叩いて祝福しようかと思いました。実際パチパチと手を叩いてもよかったのですが、嫌味にしかならないのでやめておきました。
「親に育てなおしてもらうこともできないし、いったいどうすればいいのか」
という悩み方は、親に充分育てられてこなかった、という自己認識が生まれたからです。いままでそういう自己像を持っていなかったものが、酒が抜けて素面になって、いろいろ気づく(aware)ようになってきたわけで、回復の一つの段階です。スポンサーとして進歩を喜ばないわけにはいきません。
実をいうと僕も、ソブラエティの最初の何年間かは、自分は親に充分愛されて育って、そんなに出来は悪くない大人になった、という自己像にしがみついていました。大人になったあとで、自分でひねくれてアル中になってしまった、という解釈の方が「楽」でよかったのです。しかし、自分の実像は元来が出来の悪い大人です。両親なりに子育てしてくれた結果なのですが、いろいろ足りなかったのは確かです。
しかし「親が悪い」と言うと、気分を悪くする人が(世の中にもAAの中にも)いっぱいいます。他人の親が子供をどう育てようと、子供が親をどう責めようと、他の人には関係ないはずなのですが、なぜか「親が悪い」話を聞くと気を悪くする人がいます。
おおむねそういう人は、「自分の親は悪くない」という理屈にしがみついている人です。「悪くない親に育てられた自分も、そう悪くないはず」という展開で、自分を守っているのです。でも、本心ではそう思っていません。親への恨みや、生きづらさの原因に気づいているはずです。それが、「親が悪い」話を聞くと、抑圧していた本心が刺激されて落ち着かないのです。
そこで「親のせいにしているやつは回復しない」などと言って、「親が悪い」話をする人を責めたりします。抑圧を取り、徹底的に自分に正直にならないと、回復しないプログラムなのにね。要は気分が悪くなる方が回復していないのです。
前のAAホームグループは、完全オープンで、アル中さん本人だけでなく家族の人もほぼ毎回ミーティングに混じっていました。それだけでなく、順番を回して話してもらっていました。
当然のことながら、家族の人の話には(意識的に・無意識的に)アル中本人から「いかに傷つけられたか」という話が混じります。別に目の前にいるアル中さんを責めているわけじゃないのですが、その話を聞いてまるで自分が責められているように感じ、居心地の悪くなるひともいました。
要するに、自分がいかに家族を傷つけてきたか、から目を背けている人は、被害者の立場の人から話を聞くと、抑圧に成功していた?罪悪感がぶり返して苦しくなるのです。
こちらも、気分が悪くなる方が回復していないのです。
酒や薬の影響が脳から抜けるには3〜5年かかります。自分のしたことに向き合えるようになるのも、それぐらいはかかるでしょう。それまでずっとミーティング場が「針のむしろ」状態でも辛くなってしまうでしょう。ということで、グループは方針を変えて、クローズドは本人だけというAA本来の姿に立ち返ることになりました。家族の人は家族のグループに通われています。
AさんがBさんの話をしているのに、なぜか自分の気分が悪くなったり、腹立たしい気分になるのは、たいていは自分の恨みや罪悪感を抑圧していたのが、刺激されて表に出てくるからです。それは否認の態度の一つ。自分の問題なのです。
2008年11月01日(土) 天然さん 夜/スタバのポテトチップス・ヨーグルト・ミニッツメイド
朝/コーヒー・おにぎり×1
昼/さんま塩焼き・おくら・みそ汁
夕/おにぎり×1・ホイップロール
53.3Kg, 11.4%
土曜の午後はチョコレートをいくつか食べたら、夕方にはお腹が空いたのに食欲がない状態になってしまいました。
夜/スープ春雨(えびワンタン入り)
朝/コーヒー
昼/レトルトのビーフカレー
夕/アジの開き・フランクフルト・ツルヤの99円サラダ・シジミのみそ汁
52.6Kg, 11.0%
昨年の今ごろに一泊二日で受けたセミナーの資料を斜め読みしています。
アメリカには、AA以外にもアルコール依存の自助グループがたくさんあります。あるものは宗教的(キリスト教やイスラム教)であり、別のあるものはまったく世俗的で、AAはその両者の中間とも言えるものです。
あちらでは、自助グループで本当にたくさんの人たちがお酒を止めていますが、調査の結果、逆にまったく自助グループに通わずに酒を止めている人たちも結構たくさんいることがわかってきました。自助グループどころか、依存症の治療もカウンセリングも受けておらず、まさに「自力」で酒を止めています。これを Natural Recovery (自然的回復)と呼ぶのですが、こういう人が意外と多いわけです。
自然的回復をする人は、そもそも依存症じゃないんじゃないか、という疑問もありますが、診断基準は満たしているのだそうです。
では、なぜすべてのアル中さんが自然的回復をなし得ないのでしょうか?
というか、自助グループに通う人は、なぜ自然的回復を遂げられないのか。観察によれば、自助グループが必要な人たちには、ある種の弱さがあると言います。その弱さとは、例えば家族歴(家族の他のメンバーも依存症である)とか、若いころから酒を飲んできたとか、子供のころに虐待を受けたなどなど、遺伝、環境、社会経験に脆弱性があるわけです。
こういう人は、回復の内的資源の不足を、外的資源(自助グループや治療やカウンセリング)で補う必要がある、というのが観察結果です。
これを読んで「では、私も自然的回復を目指そう。そうすればうっとうしい自助グループに関わらずに済む」と思った人もいるかもしれません。でも、僕はそれには懐疑的です。なぜなら、自然的回復を遂げられるほど内的資源が豊かな人が、わざわざインターネットで依存症のサイトを読んでいるとは思えないからです。もう、この雑記を読んでいる時点であなたの負けです。諦めてください。
まあ、家族親戚に依存症の人がおらず、親に程よく愛されて育ち、酒を飲み始めたのはずいぶん年がいってからで、それまでに十分社会経験を積んで危機に強くなっていたのなら、酒の問題ぐらい自力でなんとかなるかもしれませんね。
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