心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年10月13日(月) 年数なり

僕はAAスポンサーがどんなにすばらしい人であったか、という話は滅多にしません。
どんなにすばらしい人と知り合いであっても、僕が回復するわけじゃありませんから。その人となりを話すことはありません。どちらかというと、スポンサーはダメダメな人であり、そのダメさ加減が僕に自分のダメっぷりを認めさせ、心の回復が始まったのです。(つまりすばらしい人だったんですけど)。

他の人が「○○さんはすばらしい」と話しているのを聞くと、良い感じはしません。○○さんを褒めているようでいて、実はそういうすばらしい人と知り合いである僕ってスゴイでしょ、と自慢をしているわけですから。○○さんというすばらしい人からステップを教えてもらった、というのも同様で、だから僕のステップもスゴイでしょ、という虚栄心がチラチラ見えるからです。
たぶん、人なのではなく原理が重要なのだ、ということが分かっていないのでしょう。AAメンバーは、だれでもそういう中二病に罹患する時期があるのでしょう。僕にもあったし。

焦らなくても、人は実績によって評価されます。5年になれば5年なり、10年になれば10年なりの評価がついてきます。それを1年2年で得ようとしても無理です。それに正当な評価を受けなくても、努力したことは(しなかったことも)神様はちゃんと見ているのです。それが自分の心の奥底にいる神様であってもね。

夜食/かっぷ焼きそばと付属のスープ
朝/ランチパック(中身がスパゲティ)、みかん1個
昼/ビーフカレーとドリンクバー
夕/和風スパゲティ
夜食/なし
朝/トースト1枚、レタスをちぎっただけのサラダ、チーズ1個、コーヒー
昼/海老天丼弁当、おにぎり1個


2008年10月12日(日) 死ぬことすらできない

最近無差別に人を殺す事件が目立つようになりました。
どこかで誰かが「そういう人たちは、以前の社会であったら、自分の命を絶つ結末を選んでいただろう」と書いていました。産経新聞だったかな。ちょっとあいまい。
追いつめられると自殺を選んでいた人たちが、社会が変わったがために他者の命を奪う選択をするようになった、という文脈で今の社会を嘆く文章だったように思います。

アルコール依存症は緩慢な自殺だという話があります。
逆に言えば、フツーに自殺できない人たちであります。

僕も自殺未遂の経験があります。首をつったこともあるし、手首を切ったこともあります。首つりはひもが体重に耐えきれず切れてしまって失敗、リストカットは病院に運ばれておしまい。それでもリスカのほうは、わりと派手な傷跡が残っている・・と自分では(恥ずかしいながらに)ある意味自慢にも思っていたのです。

が、兄はその傷をみて「本気じゃねぇな」と言いました。

兄の大学時代の友だちが失恋を苦に自殺を試みたことがあったそうです。その手首の傷の派手さと比べると、僕のは全然大したことはないんだそうで。「お前は本気で自殺もできない」と言われたようで、結構落ち込みましたけどね。

だいたいAAに来る連中なんて、自分で命を絶つ選択ができないビビリばっかりなんですよ。だって本気の連中はAAにはもう来れないわけだし。などと言ってからかって、意地になって自殺されても困っちゃうんですけど。

生きていれば良いこともある。と思えなくなるのが自殺する前の心理なんだとか。でもそれは病的で、正常ではないのです。だから、健康になるまで生き延びるしかありませんね。生きていればいいこともある。たぶん。

「せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高い所からこの世を見おろすような一夜があって。死ぬならそれからでもいいじゃないか。そうだろ。ちがうかい?」〜中島らも『今夜すべてのバーで』

それがあったからどうだ、ってこともあるかもしれません。でも明日という箱に何が入っているかは、開け続けなければ分からないのです。まあ、生き延びたいから酒飲んできただけなんですから、それほど心配しちゃいませんが。

昼/スーパーのサラダ、煮るだけの煮込みうどん
夜/白身魚のおろし煮、レタスをちぎっただけのサラダ
夜食/まだ

仲間の色紙作りが手についてないけど、もう寝ます。


2008年10月11日(土) 仲間の死

「彼には、アルコール無しの人生なんて考えられない。そしてやがてはアルコールの有る無しにかかわりなく、人生そのものについて考えられなくなってしまうだろう。そのとき彼は、誰も知ることのないような孤独を味わう。彼はまさにぎりぎりのところにいる。終止符が打たれるのを心から待ち望むようになる」〜p.220-221

2005年の春のことでした。横浜の女性フォーラムで開かれたAAイベントで、東北のメンバーの「第11章の先頭を読んで、これは自分だと思った」という話を聞いて、11章の先頭って何だっけ? とまるで理解できませんでした。

最後の入院の時、病院のケースワーカー室に古いビッグブックがあって、入院中に二度は通読しているはずです。退院後も事情があって毎日AAミーティングには行けず、かわりにビッグブックを読んでいましたから、11章だってずいぶん読んだはずです。

「ビッグブックの集い」なんてものに関わって以降、何度も何度もビッグブックは読んでいるはず・・なのですが、先頭から読み出しても11章までたどり着いた回数は意外と少なかったのかも知れません。

改めて読んで「これは自分だ」と思いました。

AAに来て酒がやめられて素晴らしい、と口では言いながら、実は再び無事に酒を飲めるようになれるんだったら、それこそ何でもしたい気持ちでした。その気持ちを無理に封じ込めていけば、やはり死にたい気持ちが浮かんできたものです。「なにがあっても酒を飲むことだけはダメだ」と思いこめば思いこむほど、死は近くにありました。

今は幸いそういう気持ちからは解放されています。まあ、することをサボっていれば、またぶり返してくるでしょうけれど。

11章の続きには「私たちはそこからどうやって脱出したのかを述べてきた」とあります。アルコールに代わる素晴らしいものはあります。けれど、それを伝える能力のない自分を情けなく思うこともしばしば。でも、それも含めて自分なのでありましょう。

ステップをやるのに早すぎることはない、という確信が強まった出来事でした。

あの春のイベントで一緒にお昼を食べた仲間と、新しいグループをはじめたのが半年前。思えば不思議な縁です。

「神さまは、運命の糸を紡いだり、チョンと切ったりする」

という言葉に思わず笑ってしまいましたが、まさにそんな感じであります。長い苦しみから解放されて良かったね、としか言いようがありません。


2008年10月09日(木) 職場の飲み会でした。

最近会社から実力のある人たちが辞めていきます。そういう人たちに限って、僕のことを前社時代から評価してくれていたので、社内で僕をひいき?してくれる人が減ることにもつながります。今回飲み会に誘ってくれた人は、そんな中でも会社に残っている営業部長さんなので、関係は大事にしなければなりません。
おまけに、その飲み会は元来6月に「離婚したHさんを励ます会」として設定されたものが、忙しくてずるずる10月までずれ込んだものなので、逃げるわけにもいきません。

部長さんは、数年前に離婚し、1年ほど後に再婚しています。離婚前から「次の奥さん」を準備していたわけではないそうです。1年で扶養家族ありに復帰したテクニックを伝授してもらう、っていう冗談を言っていたのですが、4ヶ月も経ってしまえば「そんなのどこへでもまめに顔をだせばいいんですよ」の一言でその話はお終いになりました。

話題はどうしたって、同僚の奥さんがどうとか、お子さんがどうとかいう話になりがちです。独身のやつに彼女がいるといないという話も。

4人で飲んだうち、部長を含めた若い二人は家庭持ち。僕は再婚指向。前社時代から10年以上のつきあいの同僚は、独身でおまけにしばらく前に10年以上つきあった彼女と別れたばかり。なので「で、彼女と別れて、その後どうなのよ」という話になりました。

彼曰く、「楽になった」そうです。
毎週日曜日に「どっかへ連れて行け」と言われて、一緒に遊ぶのは楽しかったけれど、しんどかったと。今は金が貯まってうれしいそうです。
寂しくないの? と聞いてみると、そりゃ別れた当初は落ち込んでいたけれど、雑種の子犬を飼ってから楽しくて、毎週末犬と遊んでいるそうです。

よくしつけられて、言うことを聞く犬に慣れてしまうと、また今度人間の女を相手にするときに、とってもしんどいんじゃないかと周りの3人は心配したんですけど、彼は「もう女いらないかも」と言います。

若いときに感じた、あの女に対してムラムラする気持ちが戻ってこないそうで、要するに中年の坂を転がり落ちていると、性欲も次第に減退してくると言いたいのでしょう。「確かに、もうアダルトビデオとか見るのがめんどくさくなってるもんな」とか誰かが言って、皆で自分の中にもそういう部分を見つけて暗くなっていました。

沖縄料理の店で、烏龍茶がなかったので、ウコン茶2杯、ジャスミン茶1杯を飲みました。締めにソーキそばを食べたら味が薄いのが気になりました。七味をかけようとおもったら、瓶の中身が液体です。珍しいと思いつつ、念のため匂いを確かめたら、ぷ〜んとアルコール臭がしました。唐辛子を泡盛に漬け込んで七味の代わりにしているんだそうです。
味気のないそばを食べて帰ればすでに11時でありました。


2008年10月08日(水) そう思わないとやってられない

お風呂は僕の毎日の楽しみです。
しかし、さすがに今日は遅くなったので、シャワーにとどめました。
それでも毎日自宅のお風呂に入れるって素晴らしい。とゆうか毎日自宅に帰れる仕事って素敵。これで自宅で誰かが待っていてくれたら、とか言い出すと、途端にグチっぽくなるので、それはおいといて。

シャワーを浴びながら、今日あった一つひとつのことを思いだし、はたして「その出来事に意味があったか」と考えてしまいます。有意義なことをしたのか、無為に過ごしたのか、あるいは害になっただけか。いろいろ考えても結論は「分からん」です。

無駄な時間を使ったようでいても、意味があったのかも知れません。
人の役に立ったと思っていても、実は足を引っ張っていただけかも知れません。
そう思うと、自分の行動、自分の毎日、自分の人生に、意味があるのかどうか、それすらも疑わしくなってしまいます。

でもたぶん、ずっと上の方から、大所高所から見渡して、いろいろと考えて意味を与えてくれる存在があるのでしょう。だから自分で意味が分からなくても、神さまが考えてくれるから大丈夫。てゆーか、そう思わないとやってられません。

自分でもっと努力すれば意味が分かるかも知れない、と頑張ってみることもできたわけですが、もうそれに疲れていたわけです。酒をやめたかったと言うより、飲むことに疲れていた。だから酒をやめたというのに似ています。

「AAはそれを必要とする人のためにあるのではない、AAを求める人のためにあるのだ」という言葉がありました。

○○はそれを必要とする人のためにあるのではない、それを求める人のためにあるのだ。

○○にテキトーな言葉を入れてみると、なんとなくそれっぽい警句になりますな。

信仰とか、

お金とか、

おっぱいとか。

最後は下世話かつ意味不明になってしまいました。きっと僕は疲れているに違いありません。


2008年10月07日(火) アル中になって

アル中になって良かったか悪かったか、という話をしました。
そりゃまあ、アル中になって職も金も人間関係も失ったし、知らぬ間に若さも失ったし、精神病院にも入院しましたから、アル中になったことは損でした。

でもその一方で、それなりの恩恵もいただいているのは確かで、それは他に代え難いものです。

良かったか悪かったかと言われれば、「アル中でない人生は生きてみたことがないので比較のしようがない」としか答えようがありません。あのままアル中にならなかったら、今頃ボストンあたりに住んでパツキンの妻との間に可愛いハーフの子供をもうけていたかも知れません。あるいは、地元に残って中学校の先生になり、妙に若い奥さんをもらっていたかも知れません(なんだか奥さんにこだわるな)。
それに比べて今の生活が惨めというわけでもないし。なんとなく、いろいろと愛されているという実感はあります。妄想と現実を比較して、自分を自分で惨めにする必要もないのです。

良かったか悪かったかは分からないのですが、この世の中に自分はたった一人である以上、アル中でない自分は存在しません。アル中である自分しかいません。つまり「アル中である」ということは、自分と分かちがたい一つの個性であり、それがなくなってしまったら僕が僕ではなくなってしまいます。それは「片目が見えない」とか、「遷延性うつ病」とか、「血液型AB型」と同じ、僕の大事な特質です。

はてさて話は変わって、神さまは(ハイヤー・パワーは)、その人の回復のステージに見合ったものを与えてくれます。回復の度合いに見合った仕事とか、人間関係とか。見合わないものは、例え間違って与えられても、いずれ失うことになっています。
異性についても同じで、その人の回復のステージに見合った異性しか与えてもらえないのです。ろくでなしの相手を嘆いてみたところで、その相手を選んだのは(というか与えられたのは)、自分の回復がそこまでしか進んでいなかったからです。要するに釣り合いが取れているわけですよ。

と言う話は、現在進行形のカップルにはなかなか言えないものです。破局が訪れた後で、その片割れに「あなたがきちんとステップをやって、もっと回復すれば、あれよりずっと良い相手が与えられるよ」と言って励ましてあげるのがせいぜいでしょうね。

要するに、自分が満足できていれば、それでいいって話ですよ。


2008年10月05日(日) アルコールとセックス

ネタがないので、適当な話題を拾っておきます。

アルコールを飲むと性欲はどうなるか。アルコールには前頭葉(理性)による抑制を取り除く効果があるので、飲めば男女ともに性欲が昂進します。ひらたく言うと、より「やりたい気持ち」になるわけです。

男性の場合、さらに血中のアルコール濃度が高めていくと、勃起中枢が機能しなくなって、ペニスの勃起力が急速に低下していきます。やりたい気持ちはあっても、できなくなってしまうわけです。デートの時にお酒を飲み過ぎちゃって、後で彼女に叱られた、という話はアル中さんに限らず、一般の人にもありがちな話です。

女性の場合には、アルコール濃度が高まっていくと、テストステロンという男性ホルモンが増加することが知られています。テストステロンは性興奮を高めるホルモンなので、当然性欲は高まります。しかし飲み過ぎれば眠く無気力になるのは男女同じで、「やりたいのにその気になれない」という結果になります。

結局のところ、過剰なアルコールは性衝動を高める一方で、性活動を抑制してしまい、フラストレーションが高まる結果となります。まあ、単純に飲みすぎは体に良くないと言っているだけなんですけど。

さて、肝臓がアルコールを分解するには、アルコール脱水素酵素が必要です。実はこの酵素は男性ホルモンの合成にも使われています。アル中さんのように毎日たくさんのお酒を飲んでいると、肝臓はたくさんアルコールを分解しなくてはなりません。すると、男性ホルモンの合成に必要な酵素が不足してきます。

結果として男性ホルモンが減ってくると、精巣が萎縮し他の男性ホルモンの分泌量まで減り出します、女性ホルモン優位の体になっていきます。筋肉は落ち、体毛が薄くなり、胸の脂肪が乳房化し(女性化乳房)、なによりも性欲が低下し、最後はインポテンス(勃起不全)になります。無精子症も。

「うちのダンナはアル中じゃないけれど、毎晩飲み過ぎて夜の生活ができないので、子供ができない」という話は、まずアル中さん間違いなしでしょう。

もちろんすべてのアル中男性がそうなるとは限りません。だいたいもともとのテストステロンの量には個人差があります。酒を飲みながら活発に性活動を行っていたという人もいますが、やっぱりテストステロンが多いせいなのか、頭髪が不自由な方が多いように思います。逆に「ホテトル嬢を呼んだんだけど、できなくて、金だけ払って返した」というような話をしている人は、ふさふさとした髪の毛を維持している、という傾向を感じます。

いずれにせよ、酒をやめれば精巣の機能は徐々に元に戻るようで、酒をやめて半年1年と経てば(個人差はあれど)男たちの顔は脂ぎってくるわけであります。もちろん煩悩も戻ってくるわけです。

そうならない場合には、うつ病などのアルコール以外の問題が隠れていないか調べてみるべきでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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