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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月23日(火) スパボ一括 娘がケータイを壊しました。
修理代金が無料になる保険は、月々の支払いがわりと高くて無駄っぽいので解約してしまい、だから「落として壊すなよ」と念を押しておいたのですが・・・。
まさか、踏んで壊すとは。
部屋が散らかっているからだよ(たぶん)。
使用不能ではないのですが、液晶にヒビが入って、黒いシミが広がってしまい、電話をかけるにもメールを読み書きするにも不便になっていました。
修理にいくらぐらいかかるかショップに尋ねてみると、1万円という回答でした。月々500円をケチって、1万円の損。いやそれよりも、娘の機嫌がなんとなく悪いのが、こちらには居心地が悪い。
1円ケータイが当たり前の頃でしたら、速攻で解約して新規契約すればすむことです。が、総務省が余計な通達など出すものですから、2年縛りが当たり前になってしまいました。中途で解約すれば1万数千円支払わねばなりません。(データ通信用に使っているPHSも、まだ1年以上契約期間が残っています)。
そこで、カウンセリングを受けに東京までいった際に、新宿駅西口のカメラ屋で「スパボ一括」の端末を14,800円で買いました。ソフトバンクの場合にはSIMカードを入れ替えれば電話番号もメールアドレスも移せます。古い端末は僕が預かって、保険をかけ直してからタダで直してもらうことにします。この番号について不要なオプションを解約すれば、月々の支払いはユニバーサルサービス料6円だけですむはずです。そして2年たったら解約の予定。
次女にも来年の誕生日が来たらケータイを買い与える約束です。でも次女は、おねーちゃんやママのケータイを勝手にいじくって、ネットでゲームを遊んだり、いろいろダウンロードして課金されまくった前科があるので、電話とメールしかできないプリペイド端末にする予定です(パソコンがあるんだからそれでやれ!)。
ソフトバンクのプリペイドはEメールができるから便利です。年末ぐらいにはiPhoneもスパボ一括9,800円で売られるとの噂です。
2008年09月22日(月) 説教をいただく ミーティングが終わった後、教会の出入り口の階段で立ち話をしていました。男たち数人が「永作博美が属していたグループは?」というような、どうでもいいような話をしていたのです。するといつものように、先生(牧師さま)が中からドアの鍵を閉めに出てらっしゃいました。
カトリックの教会では神父さまと呼び、プロテスタントの教会では牧師さまとあまり呼ばず先生と呼ぶように思いますが、実際にところどうなのか門外漢なのでよく分かりません。
最近このミーティングも人数が増えました。また翌日が祝日とあって、普段来ないメンバーも混じっていました。先生は見慣れない顔が多いことに気づかれたのか、いきなりご説教を始められました。5分ほど続いたご説教の間、真面目に聞くものあり、茶々を入れるものあり。でも先生はプロなので意に介されません。まあAAメンバー相手に説教するのは、砂丘を耕すに等しいと思うのですが、先生は熱心でした。
最後に先生は「私は79才ですが、気持ちは50才です」と締めくくられました。外見は50才は無理があるとしても、60前だと言われても信じてしまいそうです。うーむ、神の力は実に偉大です。
それにしても、ミーティングの前後に説教を受けたのは何年ぶりでしょうか。最初に通った会場の教会の神父さまが熱心な方で、ミーティングの始まる前に毎回のようにご説教をいただきました。アルコールの影響がまだまだ消えていなかった僕の頭は、ザルのようにお教えをこぼしてしまったのですが、今の僕の有り様に、何らかの影響は残しているのかも知れません。
関係ないのですが、僕のように「野球だって3割打てば大打者ですから、人生7割失敗だっていいじゃないの」などと言いふらして、自己肯定的、てゆーか自分に甘い姿勢を貫いていると、ある人々から強い反発を受けます。
それは、常に100点を取ること、満点を取ることを自分に義務として強いている人たちです。
何点取ったら自分が満足するかなんて、自分で決めればいいことです。満点取って聖人になりたい人は、どうぞ聖人を目指してください。僕は卑しい人間で結構です。どうやって生きるか人に説きたいなら、牧師先生ほどとは言わないまでも、説かれる生き方にご自身が納得されてないと言葉が虚しく聞こえます。
牧師先生は「愛されて私は幸せです」と言いながら、実に幸せそうなご表情でした。そのご表情もご職業のうちでしょうね。もし、辛そうに説教されたら、こちらも辛くなってしまいます。
2008年09月21日(日) スピーカー AAのセミナーなどで、聴衆に向かって話をさせていただいた経験はあまりありません。地区のセミナーで一回、他地区で一回。他のグループに頼まれて一回。ビッグブックの関係で5分か10分の短いのが何回かあったかな。そんなものです。
話すのは得意ではありません。頻繁にスピーチを頼まれて上手な話をする人をうらやましいとは思いますが、それは僕の役割ではないだろうと思っています。
でも、頼まれて断るのも変なので、今回はスピーカーを引き受けました。
左手に原稿を持って、というスタイルは相変わらずです。
どんな話をすればいいのか分からなかったので、ステップの話を7つぐらい持っていきました。現場でステップ10〜12と言われたのですが、もったいないので結局7つ全部話してしまいました。
それぞれのステップの話をしながら伝えたかったことは「そのままの自分でいいんじゃないの?」ということです。性格的欠点を取り除くうんぬん言ったところで、人間そうは簡単に変わりはしません。そうである以上、欠点丸出し、問題いろいろ抱えたままで生きていくしかありません。「そんな自分で仕方ないよね」としか言いようがありません。周りにとって見れば、はた迷惑でうんざりな人なのかも知れませんけど、申し訳なさそうに小さくなっていたところで何にもなりません。
ともかく自分はそういう肯定感がもらえたので、ステップにはそういう効果があるんだよという話と、その上で、やっぱりそのままでは生きづらいから、ちょっとずつ直して行くのじゃないかな、と言いたかったのですが、ま、そんな良いスピーチができる人じゃありません。
ところどころ笑いも起きていたし、皆がわらわらと席を立ってタバコを吸いに行くこともなかったようなので、悪くなかったという自己評価にしておきましょう。人の評価ばかり気にしていると賞賛乞食になっちゃいますから。
休憩時間、廊下で。
ひ「いやあ、緊張して手に汗握っちゃいましたよ」
某「そうは見えませんでしたよ。たった50人相手に俺に話をさせんのかよ、と思ってませんでした?」
ひ「そんなまさか。にしても、前のほうに女の人が多くてうれしかったですよ」
某「ひいらぎさん、ほんと女の人好きですよね」
あまり舞台裏を見せるものではありませんね。
僕の後のスピーカーの話が印象的でした。忘れないうちにメモ代わりに書いておきましょう。
ステップ10は、問題を自分の手の中に持っている状態。
ステップ11は、問題を神の手に預ける状態。「どうかこの問題を持っていてください」と神さまにお願いする。
さすが、ステップ10〜12と言われて、ちゃんとそのステップの話ができる人は違いますね。
一泊二日、疲れましたが、いろいろ良い経験をさせていただきました。
2008年09月19日(金) 読み方 雑記は「正しい道を指し示す」という意図で書いてはいません。
ただ、たまには誰かが雑記にに触発されて、なにか考えたり、行動してみたりするきっかけになればいいかな、という思いはあります。
触媒は化学反応では主役ではないですね。でも触媒のあるなしで違いがある。雑記も、そんな違いを作り出していけたらいいな、と目指しているのですが、理想は理想、現実は現実であります。
雑記をネタにして、掲示板で意見交換?があると、掲示板のスレッドが雑記のネタになったりします。なので、雑記と掲示板は有機的に結合しているとも言えます。だったら、ブログとコメント欄でもいいのかもしれませんが、ブログが流行る前からの仕組みが残ってしまっているだけです。
「家路」の読み方を強制することはできませんが、雑記と掲示板の両方に目を通していただけると、話題の流れが追いやすい(こともある)かもしれません。雑記から掲示板に、掲示板から雑記に、それぞれアンカーが張れるようにすれば便利かも知れません。いつか実現したいものです。
埼玉の嵐山に行ってきます。
帰りは日曜の夕方になります。
2008年09月18日(木) ろくなな アクセス数が減って落ち着いてきたところで、真面目な話でもしましょうか(多いときにするとロクなことがない)。
昨日のステップミーティングがステップ6で、今日誘われて行ったミーティングがステップ7でした。
僕はAAに来て最初の6年間ぐらい、性格上の欠点は自分で直すものだと思っていました。「欠点ぐらい自分で直せる」という思い上がりもありました。でもやはりそれは<思い上がり>でした。
酒が止まらないとき、僕は酒は自分で止められると思っていました。でも、そう思っている間は酒が止まらず、AAに来て以降「自分以外の何かの力」によって飲酒へのとらわれ(obsession)から解放されました。
ステップ6では、飲酒からの解放と同じように、性格上の欠点からも解放されると期待しても良いとあります。欠点を取り除いてくれるのは神さまであって、自分ではありません。でも意固地な僕は、自分以外の存在が自分の長所短所を勝手にいじるのを良いと思いませんでした。何でも自分でコントロールしたがっていたのです。
もちろん、努力せずに、自動的に短所が取り除かれるとは思っていません。酒をやめられたのはハイヤー・パワーによるものだったとしても、自分だってそれなりの努力をしたはずです。ミーティングに通ったりとか。短所についても同じで、自分の努力も必要でしょう。
けれど、僕はもう「頑張っているのに、ちっとも欠点が減りません」などと嘆くことはしません。自分では取り除くべき欠点だと思っているものが、実は(神さまの目から見たら)生きていくのに必要な長所かもしれません。また、本当に欠点だとしても神さまが「取り除くのはまだ早い」と判断しているのかも知れません。
その人のハイヤーパワーが、その人に必要なときに、欠点を取り除くのでしょう。だから僕は誰かの欠点を憎んでみても仕方ありません。自分についても同じです。
大切なことは「欠点を抱えながら生きていく」ということに尽きると思います。欠点がなくなった自分が本当の自分だと幻想を抱いても仕方ない。いまは(たまたま)堕落しているだけだと言い訳してもしかたない。欠点の多い自分も、神さまの御意志によって今存在しているということで。
2008年09月16日(火) 内田春菊 時間があったのでB○○K ○FFに立ち寄りました。
県内のB○○K ○FFは県内資本がやっているのじゃなかったかな。
ここで10年以上前の本を見つけるのは、意外と難しい。お目当ての本が見つからなかったので、内田春菊の本を手に取りました。絵柄は好きなのですが、まとめて読んだことは一度もありません。たまたま見つかったのが『こんな女じゃ勃たねえよ』。これをピカレスクロマンと呼ぶのは格好良すぎで、主人公がひたすらいろんな女を食い物にしていくだけのストーリィです。一冊105円だったら買ったのに、と思って棚に戻しました。
内田春菊は性的な描写もあけすけですし、「男なんてそんないいもんじゃねーよ」というメッセージも直裁です。『ファザーファッカー』が自伝的マンガだと知ったのは、ずいぶん後になってからです。
はてさて、いま勤めている小さな事務所を束ねている部長が、来月末で辞めると伝えてきました。末端の社員にまで伝えるってことは、もうやめるのは確定しているのでしょう。
この会社からは人材の流出が続いています。ここ2年ほどの間に、研究開発部門のトップ、その懐刀、メイン部門の本部長、営業本部長と、重要人物といわれる人が次々に辞めていきました。皆さん言われる言葉は同じで「ここではやりたいことができない」。この傾向が続いて、いずれ社長と、イエスマンと、あとは下っ端だけになったら、会社はどうなるんでしょう。
部長が辞めることで、この小さな事務所も閉じられてしまう可能性が高まってきました。その場合、辞めたくなければ本社勤務ってことになるかも。毎日厚木の飛行場の音を聞いて過ごすのか・・・。
まあ、まだ未来のことは分かりません。確実に分かっていることは、僕は来月からフルタイム勤務を始めるってことです。
2008年09月15日(月) ネタがない 雑記も書くネタがないので、トラックバック がわりで。
佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の口語訳ってのは、僕も読んだことがありません。この詩を解釈するには、まず「細君譲渡事件」について知らなければ。
谷崎潤一郎は、乳母日傘で育ったお坊ちゃんでしたが、父親の事業の失敗で貧乏になるものの、天が与えた才能で作家になり、耽美的というか破滅的な小説を書くようになります。その生活は彼の書く小説同様に派手なもので、金遣いが荒く常に借金にまみれていたといいます。
谷崎は自己主張の激しい派手な女が好みだったようで、ある芸者が好きになるのですが、彼女にはすでにパトロンがあったために、代わりにその妹(千代)を紹介され結婚します。ところが千代は姉と正反対のおとなしく貞淑な女性でした。全然タイプじゃない女と結婚してしまったことに気づいた谷崎は、千代を徹底的に邪険にします。借金取りの相手を千代にさせて、自らは放蕩な生活。せっかく娘鮎子が生まれたものの、夫婦仲は冷え込むばかりでした(でもやることはやってたのね)。
そんな頃、谷崎に師事したのが佐藤春夫でした。佐藤はすでに女優と一緒になっていたものの、著作のために東京の片田舎に引っ越し不便暮らしをしたりしたために、女優と破局。谷崎の家に出入りするうちに、不遇な千代と知り合うことになります。
その後、谷崎は千代のロリな妹が好きになり、千代が邪魔になります。ますます千代が邪険にされるようになると、佐藤の千代への同情は愛情へと変わりました。
そこで、佐藤春夫は谷崎潤一郎に対し「妻を譲れ」と迫りました。いったんはオーケーを出した谷崎でしたが、後に気が変わって返事を翻してしまいます。(人のものになると思えば悔しい気持ちはよくわかる)。
断られちゃった佐藤は、失意のあまり故郷の和歌山に帰ってしまいます。そこで発表したのが『秋刀魚の歌』です。
一人淋しくサンマを焼き、和歌山の特産品ミカンの絞り汁をかけて食べているのは佐藤春夫。東京での「いけない団らん」を思い出しているのです。
「人に捨てられんとする人妻」は谷崎に捨てられそうな妻千代。「妻にそむかれたる男」は女優に逃げられた佐藤。「愛うすき父を持ちし女の児」は谷崎夫妻の子の鮎子。それが小さい箸を使って、父でない佐藤に「サンマの腸は苦くていらないから食べてね」とあげているのです。
「世のつねならぬかの団欒」のメンバーは佐藤・千代・鮎子の3人。男の好みに合わせて千代はわざわざミカンを手に入れたりと「らぶらぶ」なわけですが、世の中からは指弾を受ける団らんには違いありません。
「あの団らんは夢じゃなかったんだよねー」と、徴兵試験に不合格だった貧弱君で陰々滅々な性格の佐藤君は、えつえつとサンマの上に涙を流すのでした。ミカンと涙のダブルソースで、サンマがしょっぱいやら酸っぱいやら。ああ、秋風よ、まだ愛していると伝えてくれよ。サンマに涙をかけて食うなんて風習はどこにもねーよ。
という詩を、わざわざ文壇に発表するのは、佐藤が谷崎に圧力をかけているわけですが、その甲斐あって、最後には谷崎も承諾せざるを得なくなります。恋の駆け引きって素敵ですね。
「このたび3人で相談した結果、千代は潤一郎と離婚して春夫と結婚することになりました。娘鮎子は母についていきます。みなさん、潤一郎・千代・春男とは、これまでどおりのおつきあいをお願いします」
と発表し「細君譲渡事件」としてスキャンダルになります。まだ姦通罪があった時代ですからね。
谷崎の『蓼喰ふ蟲』は千代と春男の密通を描いたものだと思われていましたが、実は千代の「前の男」大坪砂男との関係を書いたものでした。千代もそれほど貞淑ではなかったようです。
その後、春男と千代は夫婦仲も良く、幸せに暮らしたそうです。苦労して手に入れたものほど価値が高く感じるのが人の心か。ブログに口語訳を載せれば、ヒット数が稼げるかもね。
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