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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月09日(火) 感情の絞り器 第3章のフレッドの話のお終いのところ。
He had felt only the first nip of the wringer. Most alcoholics have to be pretty badly mangled before they really commence to solve their problems.
古い訳「それでも彼が感じたのは、感情の絞り機の最初のひとしぼりにすぎない。ほとんどのアルコール中毒者は、充分に切り刻まれてからでないと、ほんとうに問題を解決するようにはならないものである」
新しい訳「フレッドはアルコホーリクの地獄のほんの入り口を体験しただけだ。アルコホーリクの大半は、問題にやっと本気で立ち向かい始める前に、相当痛めつけられている」
wringer というのは、洗濯機についている絞り器のことらしいです。と言っても今の二槽式の洗濯機の回転ドラムではなくて、二本のゴム製ドラムの狭い隙間に洗濯物を通して絞るタイプ。と説明しても、今の若い人にはわからないか。Google で wringer をイメージ検索してみて下さい。
まあ、これに手を挟むととっても痛いわけです。
この文章は「フレッドはまだちょっと痛い目にあっただけだよ。たいていの人は、もっと痛い目にあわないと、酒の問題を解決しようとは思わないよ」というほどの意味でしょう。
感情の絞り器というのは、平たく言えば誤訳です。「AAミーティングは感情の絞り器だ」というような使われ方をする元がここにあった、というだけの話ですけど。
「小さな祈り」について、教えていただきました。
英語はともかく、日本語で<小さな>お祈りと言った場合、それは祈りが長いか短いかは関係ないのだそうです。小さいというのは、へりくだった表現で「私たちのするこのつまらないお祈り」というほどの意味です。
実際には長い熱心なお祈りかも知れず、「食事の前に小さな祈りを捧げましょう」という言葉で始まっても、食事がすっかり冷めてしまうぐらい続くのかも知れません。映画 sister's act(天使にラブソング)で、目の前の食事を悲しそうに見つめる主演ウーピーの姿が目に浮かぶようです。
short prayer に訳語をあてるときに、たまたま使い慣れていた「小さな祈り」という言葉をあてただけだったのかもしれません。
原意はともかく、言葉はいったん使われ始めると、独自の意味を帯びるものです。「やおい」だって、元はストーリーのつまらなさを表現する言葉だったのが、今や女性向け男性同性愛マンガの代名詞です。小さな祈りも、感情の絞り器も、配られたカードも、やおいと同類なわけで、そのことに文句を言ってみても始まりません。
2008年09月08日(月) 100円対ドイツ amazon.co.jp で荷物を実家の母のところに直送しました。
中身はHP製のインクカートリッジ(この場合のHPはヒューレット・パッカード)のはずでした。
10年ほど前、最初にFAXを導入したのは、いわゆるホームファックスというやつで、留守番電話にFAX機能がついたやつでした。印字の機構はサーマルヘッドと感熱紙の組み合わせでした。昔はパソコン用のプリンターにも、サーマルヘッドを使ったものが多く、NECなどがよく売っていました。ただし、感熱紙ではなく、熱転写フィルムで普通紙に印刷するものでした。
感熱紙はコストが安くて良かったのですが、保存して半年・1年と経つとどんどん変色してきてしまい、最後には読めなくなってしまいます。だから、大切なものはゼロックス・コピーしておく必要がありました。
ホームファックスを買い足すときに、電気店の店頭で「感熱紙は嫌だから、インクジェットのやつはないですか」と聞いてみたら、NECかキャノンだと言われました。NECはHP製のエンジンを使っているそうで、ならばインクカートリッジもこの先長く(HPから)供給されて安心だろうという判断でNEC製を選びました。
その後しばらくしてブラザーのレーザー複合機に買い換えてしまったので、NEC製ホームファックスはお蔵入りとなりました。部屋に置いておいてもじゃまなので、実家の母のところで預かってもらったのが5年前ぐらいでしょうか。
先日、母の使っている電話機が壊れ、しまっておいたホームファックスに入れ替えたという話を書きました。そのときに、一緒にしまっておいた新品のインクカートリッジに交換したのですが、表示がエラーになってしまいました。HPのカートリッジには賞味期限(?)があり、しかもそれが電子的にカートリッジに記録されています。あんまり古いものを食わせようとすると、本体側でそれを拒否る仕組みです。
(なので、ジャンク屋でHPのカートリッジを安売りしていても、喜んで箱買いしてきてはいけません)。
「どうせファックスなんて受信しないから、インクもいらねーだろ」
という話にしておいたのですが、機能があれば使いたくなるもののようです(母子似たり)インクの催促の電話が来ました。
というわけで、amazon でHP33というカートリッジを注文し、届け先は母の住所にしておきました。届いた荷物を母が開けてみたら、中に入っていたのはカートリッジではなく入浴剤だった、とお怒りの電話をいただきました。
おおそうか、忘れていた。カートリッジのついでにKNEIPPの入浴剤を箱買いしたのでした。HP33が品切れでメーカー発注になったので、他のものだけ先に送るというメールが来ていたのを忘れていました。母と兄一家の住む家の風呂は、循環式の24時間風呂なので入浴剤は使えないし、使ってもフィルターで濾過されてしまうでしょう。入浴剤は僕用に買ったものです。
それにしても、カートリッジはすでに生産中止なのかもしれません。HPは頼りになると思っていたけど、それほどでもなかったかな。どうしたら母の不興顔を見ずに済むものか。「もうHPなんて信じられな〜い」とか書くと問題発言ですか。
関係ない話ですが、KNEIPPの先頭のKは読むのですね(クナイプ)。KNIPEX(クニペックス)というプライヤー(工具)の専門メーカーがドイツにありますが、KNEIPPもドイツとかあそこらへんの国でしょうか。
入浴剤も工具も普段は100円ショップで購入です。でも、100円の入浴剤はあまり効かない気がしますし、100円の工具だとネジがつぶれて涙ものだったりします。
(さっきパッケージを見たらドイツと書いてありました)。
2008年09月07日(日) カードの秘密 12&12のステップ12のお終いあたりに、
He learns that he can be content as long as he plays well whatever cards life deals him.
という文章があります。
初版の訳「人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り満足できるものだ、ということを学ぶ」
現在の訳「人生がどんな試練を投げかけてきても、真剣に対応してゆくかぎり、満足のいくものだということを学ぶ」
「カッコーの巣の上で」という精神病院を舞台にした映画がありました。僕は見ていないので伝聞ですけど、ある場面で患者さん達がカードゲームに興じています。でも、頭のおかしなじいさんがゲームのルールをしょっちゅう破ってしまいます。
頭のいい別のじいさんは、そのルール破りがどうしても気に入らないので、注意するのですが、それで直るわけもありません。ついにじいさんが怒り出したところで、後で見ていた別のじいさんが「ともかくゲームを続けるんだよ」と諭すのであります。
そう。人生がどんなに理不尽であろうとも、投げ出すわけにはいきません。続けていればきっと楽しいこともあるでしょう。人生は楽しんだ者勝ちです。他の人がどんなルール破りをしているかはおかまいなしに、ゲームの本質を掴んで楽しんだほうが自分が充実するわけです。
新しい訳は正しいけれど真面目すぎて面白くありません。古い訳は直訳過ぎて、そこだけ取り出してしまうと「なんのこっちゃ」ですが、味があります(前後の文脈を追えば意味は分かります)。ただ、どちらか一つを選べと言われたら、僕は新しい訳ですね。というわけで、訳が改まっても「配れたカード」という表現は残り、時折古い人たちがミーティングのテーマに持ち出してきたりするわけです。
「そこだけ抜き出してくる」ってのは僕は好きではありません。例えば「中途半端は何の役にも立たなかった」というのは、ソーバーを確実にするためにステップ3から先に取り組んで神を探すのか、それともまた飲んでしまうリスクを取っても面倒なことはなしですませるのか、二者択一を迫る文章です。二つの道は同時に歩けない。さあ、どうする、どうする? とカルト的決断を迫る文章なんですけど、「中途半端・・・」というところだけ取り出してミーティングテーマにしたりすると、皆の話はとてもバラエティに富んだものになります。
そりゃそうだ。人間どこかしら中途半端なことを抱えているものですから。90分いろいろな「中途半端なこと」の話を聞き、ふーん人生っていろいろなんだなぁ、となんだか心が軽くなって帰るわけです。
が、ふと「僕はここに何しに来たんだっけ」ということも考えるわけですよ。
2008年09月06日(土) いびきの話 ある時若い同僚が、「いびきって治療できるのですか?」と尋ねてきました。
ちょうど地元の大学病院にいびき外来が出来たという記事を読んだばかりなので、教えてあげると喜んでいました。
なんでも奥さんが、「一緒に寝たいのだけど、あなたのいびきがうるさくて眠れないから、いびきを治して欲しい」と言ったのだそうです。
なんだかほのぼのしていい話です。
いびきがうるさいので夫婦別室で寝るようになった話を聞きます。いびきがうるさいのは事実なんでしょうが、奥さんには別室で寝たい別の理由があって、いびきは単なる理由付けじゃないのか、と思うことがあります。
ちなみに(アル中であるかどうかは別にして)酒を飲んで寝る人はいびきがうるさいものです。宿泊付きのAAのイベントなんかで、同室になって「こりゃうるさくて眠れん」と思わせる人は、寝るために薬を使っている人が多いような気がします。あるいは単に太りすぎか。先に寝るのが勝ちであり、途中で起きれば負けです。
ダンナの吸うタバコの煙が臭いから、奥さんが別室で寝ている夫婦もあるでしょう。タバコという依存物質によって夫婦が隔離されているわけです。これがアルコールになるとダンナが精神病院の中、違法薬物になると刑務所の中、とだんだん隔離度が上がっていくわけです。これは北海道の田辺先生から聞いたネタだったか。
父は母は最後まで同室で寝ていました。子供は小学校高学年になると、子供部屋に追い出されました。これは当時の田舎はそういう風習だったからでしょう。母は自分のいびきがうるさくて起きてしまうような人でしたから、父もよく頑張ったと思います。
自分のいびきがうるさいのかどうかは知りません。当面独り寝が続きそうなので、心配するまでもありません。
夫婦別室で寝るのは豊かさの証拠ですな(異論が出そう)。でもだって別に寝る部屋があるんだもの。
LUNAさん、二つの秘密については明日までお待ち下さい。
2008年09月05日(金) メダリストへの道 5月の自分のバースディ・ミーティングの前に「ああ、メダルは自分で注文しておくから」と言ったまま、注文するのを忘れて当日が来てしまいました。ないものは仕方ないので、メダルなしですませ、後日注文してメダルが届いたら、改めて仲間から渡してもらう約束にしました。
そのまま3ヶ月経過してしまいました。今日気がついたので、ようやく注文したところです。5年の時は、そのまま注文し忘れているうちに翌年のバースディが来てしまい、メダルは手に入れずじまいでした。いや、バースディ・ミーティング自体やらなかったのか・・、もう記憶があいまいです。
で、注文のFAXを送ろうと思ったのですが、USB接続のFAXをWindowsが認識してくれません。USBケーブルを抜き差ししたり、「やっぱりUSBの拡張ボードに接続したのがいけなかったか」とパソコンの蓋を開けてみたり・・・。30分ほどして気がつきました。FAXのコンセントがいつの間にか抜けていたのです。
メダルへの道のりは遠いのであります。
2008年09月04日(木) ネタ困り 恒例、グレープバインのオンライン・アンケートから
伝統7のバスケット(献金)にいつもいくら入れている?
・1ドル 1636 49%
・2〜5ドル 1425 43%
・5〜10ドル 183 5%
・10ドル以上 44 1%
あなたのホームグループは、ミーティングを何で締めくくっていますか?
・平安の祈り 988 24%
・主の祈り 2959 71%
・祈りなし 47 1%
・私たちの責任 87 2%
・その他 98 2%
ステップ9に取りかかっている人は、埋め合わせの相手があと何人残っていますか?
・もういない、終わった 278 22%
・1〜3人 427 34%
・4〜10人 213 17%
・11〜20人 62 5%
・数えるのやめた 265 21%
(現在投票中)
献金箱に入れるのは百円か二百円か三百円といったところでしょうか。
僕はホームグループは五百円玉。他のグループでは百円玉2〜3個と「プラスワンコイン」の十円玉1個(か2個)。もちろん、献金するのを忘れて帰って来ちゃうこともしばしばです。これで毎日100円献金している人と同じぐらいの額になると思います。
海の向こうでは、ミーティングの終わりは「主の祈り」(天にまします我らの父よ・・・)が7割、平安の祈りは2割程度。聞いた話では平安の祈りはミーティングの終わりではなく、始まりに使うところが多いとか。日本国内で主の祈りを締めくくりに使っている会場はわずかで、たいていは平安の祈りか、祈りなしです。
平安の祈りのことを「小さなお祈り」と呼ぶ人がいます。どうして「小さなお祈り」というのか、理由を知っている人がいたら教えて下さい。
2008年09月03日(水) 嫌なものは嫌 雑記を書くネタがないので、本からのネタで。
こんなグループ(人の集まり)にあなたは参加すべきで、逆にそうでないグループには近寄らない方が良い、という話。
・不参加の自由がある
欠席するとどんな陰口を言われるか分からない、というのでは安心して休めません。でも、そんな人たちの環に入ってしまうのは、ひょっとすると「不参加の自由がない家族」に育ってしまったからかもしれませんね。行きたくない家族行事にも付き合わなければ、親が意固地に不機嫌になってしまうとか。お酒を飲んでいるオトーサンと一緒にご飯を食べなきゃいけない決まりとか。
・みんなが同じである必要がない
理不尽だと感じたら嫌だといえる自由がないと苦しくなります。でも人の集まりなんて「どうせ不自由なものだ」と自分を納得させてしまうのだったら、ひょっとすると「違いが許されない家族」に育ってしまったからかも知れません。家族で同じものを「おいしいね」と食べているのに、一人だけ「おいしくない」と言ったらオトーサンがみるみる不機嫌になるようでは言論統制と同じです。
・外部に敵を作ることで結束する必要がない
人の悪口を言うことで結束するのは簡単なんですが、いつ自分が悪口を言われる立場になるかと思えば安心できません。オトーサンが自分の職業に誇りを持つのはいいことですが、違う職業のことをこき下ろす癖がついていれば、子供はそういう職業には就けなくなっちゃいます。近所の家の悪口ばかり言っていれば、子供はその家の子供とは遊べないし。
まあ、そんなところです。
こももさん、リンクを張らせて頂きました。ブログのコメント欄にお礼を書こうと思ったのですが、なぜかうまく書き込めませんでしたので、こちらに書かせて頂きます。ありがとうございました。
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