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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月05日(金) メダリストへの道 5月の自分のバースディ・ミーティングの前に「ああ、メダルは自分で注文しておくから」と言ったまま、注文するのを忘れて当日が来てしまいました。ないものは仕方ないので、メダルなしですませ、後日注文してメダルが届いたら、改めて仲間から渡してもらう約束にしました。
そのまま3ヶ月経過してしまいました。今日気がついたので、ようやく注文したところです。5年の時は、そのまま注文し忘れているうちに翌年のバースディが来てしまい、メダルは手に入れずじまいでした。いや、バースディ・ミーティング自体やらなかったのか・・、もう記憶があいまいです。
で、注文のFAXを送ろうと思ったのですが、USB接続のFAXをWindowsが認識してくれません。USBケーブルを抜き差ししたり、「やっぱりUSBの拡張ボードに接続したのがいけなかったか」とパソコンの蓋を開けてみたり・・・。30分ほどして気がつきました。FAXのコンセントがいつの間にか抜けていたのです。
メダルへの道のりは遠いのであります。
2008年09月04日(木) ネタ困り 恒例、グレープバインのオンライン・アンケートから
伝統7のバスケット(献金)にいつもいくら入れている?
・1ドル 1636 49%
・2〜5ドル 1425 43%
・5〜10ドル 183 5%
・10ドル以上 44 1%
あなたのホームグループは、ミーティングを何で締めくくっていますか?
・平安の祈り 988 24%
・主の祈り 2959 71%
・祈りなし 47 1%
・私たちの責任 87 2%
・その他 98 2%
ステップ9に取りかかっている人は、埋め合わせの相手があと何人残っていますか?
・もういない、終わった 278 22%
・1〜3人 427 34%
・4〜10人 213 17%
・11〜20人 62 5%
・数えるのやめた 265 21%
(現在投票中)
献金箱に入れるのは百円か二百円か三百円といったところでしょうか。
僕はホームグループは五百円玉。他のグループでは百円玉2〜3個と「プラスワンコイン」の十円玉1個(か2個)。もちろん、献金するのを忘れて帰って来ちゃうこともしばしばです。これで毎日100円献金している人と同じぐらいの額になると思います。
海の向こうでは、ミーティングの終わりは「主の祈り」(天にまします我らの父よ・・・)が7割、平安の祈りは2割程度。聞いた話では平安の祈りはミーティングの終わりではなく、始まりに使うところが多いとか。日本国内で主の祈りを締めくくりに使っている会場はわずかで、たいていは平安の祈りか、祈りなしです。
平安の祈りのことを「小さなお祈り」と呼ぶ人がいます。どうして「小さなお祈り」というのか、理由を知っている人がいたら教えて下さい。
2008年09月03日(水) 嫌なものは嫌 雑記を書くネタがないので、本からのネタで。
こんなグループ(人の集まり)にあなたは参加すべきで、逆にそうでないグループには近寄らない方が良い、という話。
・不参加の自由がある
欠席するとどんな陰口を言われるか分からない、というのでは安心して休めません。でも、そんな人たちの環に入ってしまうのは、ひょっとすると「不参加の自由がない家族」に育ってしまったからかもしれませんね。行きたくない家族行事にも付き合わなければ、親が意固地に不機嫌になってしまうとか。お酒を飲んでいるオトーサンと一緒にご飯を食べなきゃいけない決まりとか。
・みんなが同じである必要がない
理不尽だと感じたら嫌だといえる自由がないと苦しくなります。でも人の集まりなんて「どうせ不自由なものだ」と自分を納得させてしまうのだったら、ひょっとすると「違いが許されない家族」に育ってしまったからかも知れません。家族で同じものを「おいしいね」と食べているのに、一人だけ「おいしくない」と言ったらオトーサンがみるみる不機嫌になるようでは言論統制と同じです。
・外部に敵を作ることで結束する必要がない
人の悪口を言うことで結束するのは簡単なんですが、いつ自分が悪口を言われる立場になるかと思えば安心できません。オトーサンが自分の職業に誇りを持つのはいいことですが、違う職業のことをこき下ろす癖がついていれば、子供はそういう職業には就けなくなっちゃいます。近所の家の悪口ばかり言っていれば、子供はその家の子供とは遊べないし。
まあ、そんなところです。
こももさん、リンクを張らせて頂きました。ブログのコメント欄にお礼を書こうと思ったのですが、なぜかうまく書き込めませんでしたので、こちらに書かせて頂きます。ありがとうございました。
2008年09月01日(月) とほほ 子供の成績が落ちてきてしまいました。
いまさらトホホとは言っていられません。離婚するときに当然予想できたことで、覚悟の上だったはず。でも、何も対策をしないわけにもいきません。
いま引っかかっているのは、最小公倍数・最大公約数・分数の通分という例のところ。一度はできていたはずなのに、勉強する習慣を失うと、やっぱり忘れてしまうもののようです。自分も小学生の時に、ここで引っかかったことを思い出しました。まず「約数とは」ってところからやり直すしかないのでしょう。
結局塾に通ってもらうことになりそうです。有名な苦悶式は家から遠いのでダメなようです。家の一番近くのコンビニの2階でやっている普通の塾に通うことになりそうです。算数国語の2教科、週に二日各1時間半で1万3千円余りのところ、母子家庭割引きというのがあって1万足らずで収まるそうです(値段で決めたな)。
普通のコースの子供たちは7時前までですが、進学コースの子供たちはその後も普段8時、週に二日は9時前まで。中学生になると週に二日は10時までというスケジュール表を見て「俺こんなに勉強したっけなぁ」と昔のことを考えてみたりしています。
勉強はできなければならない、とは思わないのですが、そこそこ勉強ができないと学校の授業の時間が苦痛になってしまいます。それが高校卒業まで続くとなると、可哀想な話です。
入塾時にテストがあるそうで、できが悪いと入れなかったりするのでしょうか。テストの日にちの案内に「300円の3割引きはいくらでしょう」という問題があって、それが分からないとメールを送ってこられると、これまたトホホであります。それ小5の問題だろう(300円の30%引きだとわかるらしい)。
やっぱり苦悶式のほうがいいんじゃないかと思うのですが、もはや選択は僕の out of control なのであります。まあ塾が苦痛だと言い出したら、再考の目も出てくるでしょう。中学生になるとさらにかかるんだよなぁ、金が。
さて、どうやってやる気を出してもらえばいいのか。なんか仕事で部下を持っていた時代のことを思い出しました。とりあえず子供だからモノでつるしかないのか。Wiiとか。
2008年08月31日(日) 帰ったら疲れたので寝た 久しぶりの晴天でしたが、やはり夏の暑さとは違います。お昼に洗濯物を干して出かけたのに、夕方までにぱりっと乾きませんでした。
小学校のお祭りで、次女の付き添いをしました。
お祭りといっても、PTAの人たちが校庭で模擬店を開き、体育館ではバザーをやっているというやつです。長女は友だちと行くそうですが、次女は友だちがいないので、パパと行くことにしたのだそうです。
次女は友だちがいない(こともないらしいけれどほぼゼロ)です。1年生の頃は友だちがいたらしいのですが、女の子より男の子の友だちのほうが多かったようです。遊びに行くのも男の子の家ばかりでした。
いろんな異性と遊んでいると同性の友だちが減るのは、大人の世界も子供の世界も変わらないようです。反省して男遊び(?)をやめても、今度はなかなか女の子の友達の輪に入れず、次女は寂しい思いをしているようです。
僕は遅刻の常習犯なので、娘との待ち合わせにも10分ほど遅れてしまいました。すると彼女は「友だちが待っているんだから急いでよ」と言うのです。おや? 一緒に行く友だちがいないから、パパの出番ではなかったのか。
というわけで、次女の友だちグループ2〜3人のあとをついて校庭を右往左往する羽目になりました。友だちいるじゃねーか。
「なあ、おい、友だちがいるんだったら、パパは来なくて良かったんじゃないかな」
「うーん、えと。パパに荷物持ってもらえばいいかなと思って」
・・・荷物持ちか!
しかし、ろくに荷物もない姫君に20〜30分もかしずいていると、なんだかバカらしくなってきます。
「やっぱりパパはいらなくないか?」
「うん、やっぱり、パパいらない」
将来男を振り回す大人になりそうで、パパは怖いよ。いったい、どんな男を連れて来るやら。結局コーラ一本飲んで帰りました。
長女からは「女の子になったかも」とメールが来ました。以前『セイリの味方スーパームーン』という本をあげておいたので、それを探して読むように伝えておきました。小さく産まれただけあって、ちょっと人より遅いかも。
最近子供に定期的にお小遣いをあげるようになりました。服よりも、食べ物よりも、おもちゃよりも、なによりお金をもらうときに一番うれしそうな顔をされると、父親としてはトホホなのであります(しかしそこで不機嫌になってはいけない)。
メールをいただいていても、ろくに返事も出さずにすみません。明日からの仕事中にサボって出しますね(業務専念義務違反)。
2008年08月30日(土) 桃李不言 下自成蹊 本人から聞いた話ではないので、正確でない情報も混じっていると思います。
もし本人からこんな話を聞かされたら、僕はかえって「やなヤツだ」と思ったかも知れません。「あの人は言わないけど、実はこんな人だよ」と教えてもらったからこそ、尊敬の念と共に僕の心に残っているのだと思います。
いずれにせよ、聞いたのはずいぶん前の話で、いまは違うかも知れません。
その人は生活保護も受けられると思うのですが、ハンバーガー屋で働いているそうです。一日7〜8時間、一週間に5日、月に20日あまり、時給は求人広告に書いてあるから計算すれば月の収入はだいたいわかってしまいます。それは単身者の生活保護受給額と大して違わないと思います。
いや、生活保護なら免除される健康保険や年金を払っていれば、かえって貧しくなるはずです。おまけに、年のせいか、過去の酒のせいか、体があちこち痛んでいるそうnなので、医療費もかさむはずです。家賃も払わねばならないし。
昼間働いているのは、夜のAAミーティングに出たいから。平日しか働かないのは、週末はAAのことをやりたいから、という理由。年を取って選べる仕事も多くなく、働き方に条件も付けると、その仕事しかなかったという話です。
あえてそんな働き方をしている、という話は、本人の口から聞いたことはありません。スタンドプレーヤーではないけれど、なんとなく周囲の尊敬を集めている人だということは分かります。かといって、禁欲的でもないらしいですけど。
さて、僕は楽をしたい人ですから、同じ立場だったら、辛いほうは選ばないでしょう。いつも落ち着いた話しぶりで、その人なりのしっかりしたAAプログラムの解釈があり、安心感があります。日本のAAもまだ捨てたもんじゃない。
まあ、勝手に作り上げられた虚像かも知れません。でも、あえて真実を知って虚像を壊すまでもないと思っています。僕は、ミーティングでは分かったようなことを言っていても、実生活で甘えたことをやっているヤツが大嫌いです。鏡で本当の自分の姿を見せられているようですからね。
2008年08月29日(金) アンビバレントな気持ち 小雨の降るなか、高速バスのバス停駐車場に車を入れようとしたら、整理券発券機に「新宿行き運休中」という張り紙がしてありました。待合い室内の切符売り場で事情を聞くと、昨夜からの雨の影響で山梨県内東部の高速道路が通行止めになっており、復旧の見通しは不明だと言います。
JRの特急も運休中と聞いたのですが、念のため駅まで行ってみることにしました。みどりの窓口の前に、午前中の全便が運休という知らせが張り出してあったので、すごすご自宅へ帰ることにしました。
カウンセラー宛に行けない事情をFAXで送信し、布団を引きなおして二度寝することにしました。起きてみると、既にお昼過ぎでした。
さて、人の心には「変わりたい」という心と「変わりたくない」という心が同居しています。例えば、禁煙したい気持ちと、やっぱり禁煙したくない気持ちが両方あるものです。
禁煙すればいろいろ良いことがあるのは分かっています。健康になるとか、ご飯がおいしくなるとか、女房の機嫌が良くなるとか、タバコ代が他のいろいろ楽しいことに回せるようになるとかね。一方、禁煙にもデメリットがあると感じているはずです。イライラするとか、太るんじゃないかとか。
変わるデメリットよりメリットのほうが大きく感じられたとき、人は変わろうと努力を始めます。
しかし、単純にメリット>デメリットだけで人の行動が決定されるわけでもありません。「自分は変わることができる」というある程度の自信がなければ、人は変わる努力を始めようとしません。何度も禁煙に失敗している人は、また今度もダメじゃないかと諦めてしまいます。そういう状態の人に禁煙を説いてみても、意固地にさせてしまうのが関の山で、「タバコを吸うメリットの大きさ」を力説されたり、「タバコは自分には何の害もない」とか否認が始まったりします。
この状態を打破するには、「自分は変われる」という自信が必要です。たとえば、断酒に何度も失敗している人も、断酒会で自分より重症な人が立派に断酒している姿を見れば、自分もやればできるかもと思ってくれるかも知れません。過去にはいろんな苦境を努力して乗り越えてきた体験だって持っているはずですから。
単にサッカーが好きだというよりも、自分も将来Jリーガーになれるかもという期待のほうが、大きな動機付けになるのもこれで説明できます。
禁煙とか断酒だけでなく、カロリーコントロールとか昼夜逆転とか、借金返済などなど、何でも自分の抱えている問題に当てはめてみれば、変わりたい気持ちと変わりたくない気持ちの両方があることに気づくはずです。
たぶんこれもカウンセラーの仕事の一つでしょうね。
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