心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年07月16日(水) 3年経っても

3年経っても、5年経っても、まだ「自分のため」にAAミーティングに通っているから、仕事やいろいろが忙しくなってミーティングに出られなくなった(回数が減った)時に苦しくなって、調子を崩してしまうわけです。
ミーティングに行けば楽になる、何か得るものがある、そういう目的で通うのも最初は必要なことです。でも、そうやって「何かをもらおう」という気持ちでミーティングに通い続けていると、実はミーティングから得られるものがだんだん少なくなってくるようです。

やはりそこは「与えるからこそ与えられる」「与えるから報われる」という原理のとおり、他の人のために行くのです。ビギナーのうちはそんなことを考えなくてもいいのですが、何年か経ったら意識が変わらないと困ります。
与えると言っても、そう大げさに考える必要はないでしょう。自分はこういう経験をして考え方がこう変わったとか、ステップをこういう風に解釈してやっているとか、そういうことを話していれば、なにか伝わるものもあるでしょう。自分の考えですから、それは未熟だったり、間違っていたりするかもしれませんが、それでもかまいません。誰にどう思われたってかまわないのですから。

そうやって、伝えようとするとき、実は人の話もよく耳に入るようになってきます。自分が「よりよく伝えよう」とするとき、他者の経験にも関心が行くようになるからです。

それから、「AAそのもの」や「ミーティング」をハイヤーパワーにするのも、最初の何年かが限界ではないかと思います。AAも人の集まりに過ぎません。しかも、そこに集まる人は「アルコールに対して無力」な人たちです。無力というのはゼロだということです。自分の力で酒がやめらる力がゼロの人たちです。
ゼロをいくつ足しても、ゼロはゼロのままです。アル中をミーティングに100人集めようと、300人集めようと、ゼロはゼロのまま。やはりアルコールに対して無力なままです。

そして「どのような人間的力も、わたしたちのアルコホリズムを解決できない」とハッキリ書かれています。だから飲まないためには、人間的でない力、つまりハイヤー・パワー(神)が必要なのです。

「すべてのAAミーティングは、私たちが神と正しい関係を結ぶなら、神は私たちを健康な心に戻してくれるということの確認なのである」

健康な心に戻れば、もう酒を飲まなくてすみます。この病気の本質的な解決は、その人のハイヤー・パワーが与えてくれます。AAミーティングとは、正しい関係を築くための「手段」にすぎません。

世の中には「手段」が「目的」になっていしまっている例がいろいろあります。AAミーティングは回復のための「手段」なのですが、なぜかミーティングに通うことが「目的」になってしまっている人がいます。そして目的が達成できないから苦しいといって嘆いているように聞こえてしまうのです。

はてさて、我が家の郵便物の受け口は、ドアに開いた細い隙間でしかありません。なので分厚い郵便物は受け取れません。仕方ないので、大き目のが届く予定の日には、ドアの外にカゴを置いておきます。クロネコやら飛脚の場合には、在宅して受け取れなければ取りにいくのも当然かと思いますが、定形外の郵便を深夜の郵便局まで取りに行くのはさすがに面倒です。
こちらの都合で申し訳ないのですが、何か送ったら一言メールをいただけると大変助かりますので、少しだけご配慮くださいませ。


2008年07月13日(日) 土曜の仕事

最初はパソコンから信号がでていないというトラブルでした。
先方が(勝手に)digital I/O cardを買って入れ替えてみたところ、今度は別の信号がでなくなった・・・それだけで十分奇妙な話で、ソフトじゃなくてハードの問題だと決まったようなものです。
それでも行かないわけにいきません。

朝9時にホテルのロビーでpick upしてもらって、30分ほどで工場に到着して作業開始。精密部品を作っている工場に土足で入れるのはいかがなものか。実際、部品の交換のために床に膝をついて作業をすると、ズボンの膝小僧が埃(泥)だらけになる始末でした。

午前中いっぱいかかって出力の問題を解決すると、今度は入力信号が入ってきていないことが判明。いや、信号は入ってきているのだけれど、割り込みのトリガがかからない。それもまったくトリガしないのではなく、2回トリガがかかって、2回かからないの繰り返し(業界用語ばっかりでごめんなさい)。

原因がさっぱりわかりません。割り込みがかからないのなら、ポーリングすればいいわけです。それはどんなタコ(初心者)でも分かることですが、問題がハードにあるのに、ソフトを直してどうするのだ。最後までスジを通さなくては。

パソコンの電源ユニットのスイッチを入れたとたんに、ショートサーキットして漏電ブレーカーが落ちる現象が3回ありました。でも、パソコンを入れ替えてみても、トリガの問題は解決しません。どうもこれは「こちら側」の問題ではなさそうです。

おつきあいで休日出勤してお昼にビールを飲んだ連中は、午後頭が痛くなって帰ったようですが、かわりに社長さんが難しい判断をするために登場しました。問題が解決しないのなら、スケジュールを延長したらどうか、という圧力を受けて、しかたなく午後4時半ソフト修正に入りました。午後8時に「いくつかの問題を解決したが、未解決の問題が一つ残り、それは解決もしてないし、原因すら分からないが、ソフトの修正でとりあえず稼働するようにはなった」という報告を了承してもらって作業終了。それから食事に連れて行かれました。

通訳の女性に「何歳ですか?」と聞かれたので、正直に答えたら「え〜」と驚かれました。じゃあ何歳に見えますか? と尋ねてみたら「絶対40にはいってない。38ぐらいだとずっと思ってました」だそうです。まあ、若く見えるのにこしたことはありません。
ホテルまで送り届けられたのは10時半でした。

それから夜の街に散歩しに出たのですが、もう閉まっている店ばかりでした。一週間で落ちるヘアマニキュアというのを安売りしていたので一つ購入しました。ブラウンとかアッシュが欲しかったのですが、ピンクしかありませんでした。
「黒髪は発色しないことがある」と書いてあったのですが、そのとおり全く色が付きませんでした。その代わりと言っちゃあなんですが、素手で使ったら爪がみんなピンク色に染まってしまいました。素手でやっても大丈夫という説明を信用したのがいけませんでした。これじゃあ爪にマニキュアしたみたいです。
幸い石鹸で何度か洗ったらかなり落ちましたけど。

すっかり寝るのが遅くなりました。

うーん、交換したcardもまた壊れそうな気がする。


2008年07月08日(火) たったの90分でしかない

自宅パソコンの12cmファンが寿命になったので、ファンだけ買い換えました。シンルイリアン製1,380円なり。4年使った会社のパソコンも、ようやく買い換えてもらえることになりました。

さて昔、当時のスポンサーに言われたことがあります。

「AAミーティングなんて、一日24時間の中でたったの90分だからな」

何が言いたいかというと、ミーティングで何を聞き、何をしゃべっているかよりも、それ以外の大部分に何をしているかのほうが大事なんだよ、ということです。

僕はAAプログラムの本質は、AAミーティングでもなければ、AAのイベントでもなく、AAのサービス活動でもないと信じています。AAの本質は12のステップであり、それは「仲間と一緒にやる」部分は少なく、たいていは一人で孤独にやるものです。

埋め合わせを例に挙げるならば、過去に迷惑をかけた誰かに頭を下げに行くときに、AAメンバーの誰かに一緒について行ってもらおうとか、一緒に謝ってもらおうとか考える人は「甘えん坊」です。祈りも黙想も孤独な作業です。そして、一日を生きていく中で「わがまま、不正直、恨み、恐れ」をチェックしていく作業も、やはり一人です。

ではミーティングは何のためにあるのか? それはきっと、飲まないで生きていくための考え方、感じ方、ステップのやり方などを交換して学んでいくための場でしょう。いわばAAプログラムのドアであり、窓です。ドアや窓は建物の重要な構成部品ではありますが、窓が建物の本質ではないのと同様です。

「12ステップは3年で一回り」と昔は言いました。3年もかかったのでは、3年間苦しみ続けることになるので、長すぎて賛成できません。でも、この言葉にも汲むべきものがあると思います。

3年も5年もたっても、まだ「自分のために」ミーティングに通っているから、いざミーティングに通えない事情ができると、とたんにソーバーが苦しくなるのだと思います。24時間の中でミーティングの90分以外にどうAAプログラムをやっているかが大切でしょうし、「3年で一回り」でもいいからステップ2〜11をとばさずにやるのがプログラムだと思います。そうすれば、ミーティングへ通う目的が「新しい人にプログラムを渡すため」になり、回数が減ってもそう極端に脆くなることもないはずです。

そうは言っても、ステップをやらずにミーティングに通い続けているほうが「楽」だから、みんなそっちを選ぶわけです。僕もその一人です。

昨日参加したバースディミーティングで、この話もしようと思っていたのですが、するのを忘れたのでここに書いておきました。


2008年07月06日(日) 週末の過ごし方

あああ、amazon に使うはずの金を uniqlo online に使ってしまいました。

半日スポンシーのステップ5を聞いてました。
感想「麦茶がおいしかった」
我が家でも麦茶を作ろうと思いました。

どうしたらその時「相手から傷つけられる立場に置かれずに済んだのか」ということばかり考えると、欠点が見えなくなります。だって、避けようのないこともありますから。だから、傷つけられることは避けられなかったとしても、自分の「この欠点」がなければ「それを恨みに発展させずにすんだ」かもしれない、というチェックをするわけですよ。

さて、話は変わって、とあるお母さんから
「息子がもう借金できないようにするには、どうしたらいいでしょうか」
という相談を受けました。

それですね、お母さん。息子さんが返せない借金を、かわりにお母さんが返すのをやめれば良いんですよ。金を貸す業者は、本人が返してくれても、お母さんが返してくれても、別にどっちだってかまわないのです。
今まで息子さんが借りて返せなかった借金を、かわりに全部お母さんが返してきたからこそ、まだ息子さんが借りられるのです。これが一度でも返せなかったとなれば、話は全然違ってきますから。返せない人は、とたんに借りられなくなります。
何とか息子さんに傷を付けないようにしながら、回復のチャンスを掴んで欲しいという気持ちは十分分かるんですが、「息子の借金で困っている」と言いながら、また借りられるようにしてあげてるのはお母さんなんですよ。

と、人に言うのは簡単なんですが、我が身のこととなると難しいですな。自分の心配が、相手の回復の役に立つわけじゃない・・てことは分かっているのですが。

もっと自分のために時間を使わなくちゃいけないよなー、と思いながら、どたばた週末は過ぎていきました。


2008年07月04日(金) 選曲

アポロ(ポルノグラフィティ)/空と君とのあいだには(中島みゆき)/Groovy!(広瀬香美)/Jupiter(平原綾香)/そばにいるね(青山テルマ)/家に帰ろう〜My sweet home(竹内まりや)/アゲハ蝶(ポルノグラフィティ→リタイヤ・・マイク入ってなかった?)/年下の男の子(キャンディーズ・・これもマイク入ってない)/恋のダウンロード(仲間由紀恵 with ダウンローズ)/DEAR...again(広瀬香美)

お疲れ様でした。

AAの共同創始者であるビル・Wとドクター・ボブ、この二人の書いた文章は、ほかのAAメンバーの書いた文章とは違う「特別なもの」として扱われています。例えば英語以外の言語に翻訳するときには、ほかより慎重にチェックが行われる・・という具合です。

ビルの著作はたくさんありますが、主だった本はビッグブック、12&12、『AA成年に達する』、『ビルはこう思う』でしょうか。ビッグブックは当時の40人のAAメンバーの考えが反映されているものですが、書いたのはビルであり、ビルが(彼の死後は遺族が)印税を受け取っています。

ビッグブックが1939年、12&12が1953年、成年に達するが1957年、ビルはこう思うは1967年。その4年後にビルが没して、彼の著作は増えなくなりました。そして、ドクター・ボブが書いた本というのを僕は知りません。僕はこの4冊は特別重要な4冊だと考えています。

この二人が「AAメンバーではなかった」と言われるほどに特別視されていたのには、僕は二つ理由があると思います。まず、最初の20年間のAAの急成長は、この二人のリーダーシップなしにはあり得なかったことでしょう。それほどまでに二人の能力は傑出しており、それがあったからこそ(似たようなほかの団体と違って)AAが分解も分裂もせずに成長できたのでしょう。
もう一つは、この二人を特別視することによって、ほかのメンバー全員が「特別視されない=無名でいられる」という効果があったということです。ほかのメンバーは、この二人のメッセージをコピーする役割だったという位置づけです(だから特別でない)。

日本でも、M神父とP神父という二人を特別視することで、他のメンバーの無名性を保つ効果が得られていたのではないでしょうか。こちらの二人も能力の高い人たちであったのは疑いないところですが、日本のAAがこの二人の特別視を続けることは良くないことだと思います。だって、二人とも(アメリカから日本に)メッセージを運ぶという役割を果たした「特別でない」メンバーだったのですから。

ビッグブックの翻訳はもう直さないことになっていますが、誤訳の訂正は可能です。この際ですから、徹底的に誤訳を直した改訂版を出すべきだと思います。そして新しい版が出るときには、後半の個人の物語も時代に合わせて入れ替えられて当然だと思います。
入れ替えるとなれば、古い物語のなかには外されるものもあるわけです。そして僕は「ピーター神父の物語」を外すこともアリだと思います。個人的にはとても気に入っているストーリーですし、無理に外せと言うわけじゃありませんが、でも外してもかまわないと思います。

もちろん、AAの外で二人がどんな評価をされるかは別の話です。AAの外部の団体が、その施設の名前に二人の名前を冠して功績をたたえることについて、僕は口を挟むつもりもありません。苦労されたのだから、それぐらい顕彰されてもいいかと思いますけどね。

でもAAでは別ですよ。


2008年07月03日(木) 燃費

100ドルを超えただけで大騒ぎだった原油価格が、もう140ドルを超えています。
毎月ガソリン代の値上げが続いていますから、レギュラーが200円突破するのも時間の問題でしょう。

さて、ハイオク(プレミアム)ガソリンと、レギュラーガソリンでは、10円弱の価格差があります。製造コストがそれだけ違うとは思えないのですが、付加価値に高い値段を付けて売ることで利益を追求するのは商売の基本ですからね。

僕は(ターボではなくNAの)ハイオク指定車に乗っています。そしてたいていのハイオク指定車はレギュラーガソリンを入れても大丈夫になっています。ターボ車でないのなら、普段乗りからレギュラーを入れ続けても問題ないのではないか、と思ったのが昨年の夏の終わりでした。
レギュラーを入れることで点火マップが変わり、そのせいで燃費が落ちたとしても、やっぱりレギュラーを入れたほうがお得なのではないか。これは試してみなくては。

というわけで、あれから9ヶ月。レギュラーを入れたりハイオクを入れたり、燃費の記録を取り続けてきました。その詳細は別途ブログに書きますが、ざっくり一言でまとめてしまうと、<僕のNA車>(ここお間違いなく)の場合、レギュラーとハイオクがどのような比率で混じっていようとも、約10Km/Lという燃費はほとんど変わりませんでした。
なんだ、ハイオク入れているだけ損じゃん。

しかし、レギュラーによるパワーロスも感じます。高速の合流で思ったように加速できなくてパッシングされたりとか。

ガソリンの種類よりも燃費に大きく影響をおよぼしたと思われるのは、例えば気温(下がると酸素密度が上がって燃費向上)、高速道路か一般道か(定速走行が多い高速のほうが燃費がいい)、雨(抵抗の上昇)、乗車人数などでした。

ガソリンが高ったせいで、費用を少しでも減らそうと、燃費のいい小型車に乗り換える人が増えているそうです。しかし、燃費グッズなどに手を出すのは愚の骨頂というもの。そんなもので燃費が向上するなら、自動車メーカーが莫大な費用をかけて燃費向上の研究をするわけがありません。

そういえば昔「アーシング」というのがありました。車のあっちこっちに銅線を取り付けると、燃費が良くなったりパワーが増したり良いことがいっぱいあることになっていましたが、パチものです。あんまり流行ったので、○ッサンとかの車メーカーも純正のアーシングキットを売って儲けていました(悪徳商法だね)。まあ、カーオーディオの音が良くなるぐらいの効果はあったかもしれません。

燃費グッズにしてもアーシングにしても、「あれは車に効果があるのではない」と言われます。買った人が「あれだけ高い部品を買って付けたのだから、効果が出ないはずがない(出て欲しい)」という願望を持つために、客観的に物事を見れなくなってしまうわけです。オカルトグッズは車にではなく、人間に効果を及ぼすものであります。

まあ、燃費やパワーは数値で効果を否定できても、音の良さは数値化できないから否定できないだけなんだけど。


2008年07月02日(水) 幸せになる義務

「自分は幸せになっちゃいけない」と自分で自分を縛っているんじゃないですか?
という問いかけを与えられて、僕はすごく悩んでしまったのであります。

離婚という不幸な経験をしたからには、次こそは幸せな家庭を作りたい、という希望を持つのは当然のことです。たとえば、年若のそこそこデキの良い奥さんをもらって暖かい家庭を作り、それを守るために自分もこつこつ努力できる幸せ・・・というような夢を見るのが心の健康な男じゃないですか。

でも僕の場合、一度失敗した人間が、次は自分だけ晴れがましい幸せに浸ることは許されないのではないか・・・とついつい思ってしまうわけですよ。だって、その陰には残してきた元妻とか、子供たちの存在があるわけですから、「パパだけ幸せになってずるい」という恨みをもたれるのもヤダなぁと思いがちなんです。
それがイヤなら別れなければいいわけで、別れたあとにそんなことを考えるのが変です。

ここで逆のパターンを考えてみます。後ろめたさから「またまた」ダメな人を選んでしまって不幸になり、不毛な家庭に自分も投げやりになってしまって、挙げ句に3年か5年ぐらいで耐えきれずにまたまた離婚なんて事になったら、その時こそ僕は心身共にぼろぼろです。そんな父親の姿を見たら、娘たちはいったい何を思うでしょう。きっと「私たちいったい何のために不幸になったの?」と言うでしょう。

自分たちを見捨てて幸せになった父親を恨めるのならまだいいでしょう。けれど、その父親が不幸になっていたら、もう誰を、何を恨んでいいのかわからない、やりきれない気持ちになってしまうでしょう。さすがにそれは、あまりに可哀想です。だから僕には幸せを目指す義務があります。てゆーか、人間誰しも自分の幸せを目指さなくてはならないものでしょう。

僕の気のせいかも知れませんが、AAのなかは「アル中になって散々人様に迷惑をかけた俺たちは、人並みの幸せをつかんじゃいけないんだ」みたいな雰囲気がはびこっている気がします。でもそれは病理ですね。家庭とか子供とか仕事とか、そういう社会的なことのなかで役割を果たし、そこに幸せを見つけるのが回復の目標です。AAとか12ステップは、そこに至るための「手段」ですから、手段が生きる目的になったのでは本末転倒です。

「ひいらぎは独身になったのだから、AAのために尽くさなくちゃ」などと言われましたが、AAのサービス活動に再度のめり込むつもりなんてありません。AAのために尽くす最善の手段は何かと言えば、12のステップという道具をつたないながらも使い、それで自分が幸せになってみせることです。そして「なるほどAAにはアル中を幸せに導く力があるのか」と人に納得させることです。なにぶん、持っていないものを手渡すことはできないのですから。

幸せ目指して頑張るぞ〜!

・・・と言いながらも、ひいらぎの病理はすぐにぶり返すんですけどね。困ったもんだ。

(夜遅くまで電話やら話やら、付き合って頂いてありがとうございます)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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