心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月24日(木) まだまだ続くビッグフットの話

僕は12のステップは旅だと考えています。
ステップ1は、なぜ旅をしなければならないのか。その動機です。旅をしないということは、今のところに留まるということです。いままでと同じ場所で、同じことを続けていくわけです。それには耐えられないと思うからこそ、ステップという旅に出たいと思うのではないでしょうか。
ステップ2は、目的地に着けば、今とは違ってくると信じることです。
そしてステップ3で旅に出る決心をして、ステップ4以降で旅をします。

AAミーティングにやってくれば、たいてい小さなハンドブックを読みますから、第5章に書いてある12のステップを目にするでしょう。でもその短い文章を読んだだけで、どこへ向かってどんな旅をすればいいのか、準備はどうすればいいのか、想像できる人はまずいないでしょう。

ビッグフットというのは、この旅のガイドブックであると考えてもいいでしょう。観光ガイドブックには何が書いてあるでしょう?
まず、パスポートの取得方法、ビザ、通貨の両替、予防接種などなどです。飛行機会社の電話番号や成田空港への交通手段。出国手続き。現地の空港に着いたら、市内のホテルへどうやって移動するか。リムジンバスかタクシーか。ホテルに着いたら晩飯を食いに行きましょう。翌日はいよいよ観光の本番です。ガイドブックには名所旧跡が山ほど掲載されているでしょう。そして、旅行特有のトラブルもいろいろ待ちかまえていますから、その用心も必要です。

こうしてガイドブックによって私たちは旅に出る前に、これから何が待ちかまえているか「おおよそのところをはっきり」と知ることができます。

僕は初めて海外に行く時には、何をどうしたらよいか分からず途方に暮れました。何をしていいか、これから何があるか分からない不安だらけで、いっそのこと旅行なんか中止してしまおうと思ったものです。平たく言えば、ビビって尻込みしていたのです。

ステップという旅も同じじゃないでしょうか。初めての時は怖いものです。これから何が起こるか不安だし、目的地がどんなところかも分かりません。だから旅に対して怖じ気づいてしまい、現状が耐え難いと思っても、旅に出るのを渋る人がいるのです。

ビッグフットを経験したからと言って、ステップという旅を経験したことにはならないでしょう。それは観光ガイドだけ読んでも旅をしたことにはならないのと同じです。ガイドブックだけ読んで旅した気分になっちゃう困った人がいるのも事実ですけど。

ただ、現状には耐え難いと思っていても、未経験の旅に対する恐怖心から「旅は嫌だ。しなくても私は現状で満足だ」と思ってしまう人が少なからずいます。そして「酒をやめているだけで十分じゃないか」と言うのです。こうなってしまうと、ますます旅には出にくくなります。

そうなる前に、とりあえず観光ガイドブックを読んでみるとか、旅行会社のツアー説明会に行ってみるのはいいことだと思います。そして、やっぱりこんな旅行には行きたくないと結論することになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。

せっかくAAにやってきたのに、ステップという旅のすばらしい体験を聞くことなくAAを去っていってしまう人がたくさんいます。その現状を変えていこうというたくさんの動きの中のひとつがビッグフットだと僕は感じています。旅の方法論には賛否があるでしょうが、ステップが必要だという彼らの主張についてはAAそのものだと思っています。

(この項おしまい)


2008年01月23日(水) ビッグフットのさらに続き

そもそもビッグブックの解説本(スタディ・ガイド)とか、ワークブックとか、スクリプトとか、誰が書くものなのでしょうか。

アメリカ・カナダの常任理事会は、そのことに明確な方針を表明しています。
・その種の本を理事会が作ってGSOが売れと言うなら拒否したい。
・AA外部の人がその種の本を作ることは認めない。
・AAメンバーが書いてAAメンバーが使うのは賛成も反対もしない。

海の向こうには「俺の理解したステップを伝えてやるぜ」という熱意を持ったツワモノが多いのでしょうか。その種の本もたくさんあるようで、ネットで検索すればいくつか見つかりますし、無償で公開されているものもあります。「心の家路」で紹介しているジョー・マキューの著作も、あくまで「AAメンバーとして、AAメンバーに伝えるために」書かれたもののひとつですね。

さて、B2Bを使っていた人たちは、ワリー・Pの著作を訳して使うことが難しいのなら、いっそのこと自分たちで書いてしまったらどうだろうか、というアイデアが浮かんだのだそうです。そのアイデアが形になって、日本で初めて作られたスクリプトが「ビッグフット」です。日本のメンバーによって作られたと言うことが、僕としては画期的に思えます。

フットというのは「足」のことです。どうせステップの最初の一歩を踏み出すのなら「大きな一歩」を踏み出して欲しい、という思いがビッグフットという名前にこめられているのだそうです。なので、ロッキー山脈の大足巨人とも、ヒマラヤのイエティとも関係がありません。

良く誤解されるのですが、僕はビッグフットの著作にはまったく関わっていません。ただビッグブックのやり方全般を advocate(擁護)するなかに、ビッグフットも含まれているだけです。延々と毎月繰り返されるBFミーティングにも一度も出たことがありません。

ひとつ確信していることは、それまでのAAには足りないものがあったからこそ、ビッグフットによってそれを補おうという人たちが現れた事実です。

ビッグフットを好ましく思っていない(ほとんど敵視している)AAメンバーが居ます。それはその人の自由ですから僕がとやかく言うことではありません。けれど、反対者の意見ばかりが大きくなっていって、ビッグフットがAAから排除されてしまうのは好ましくないと思っています。
向こうの理事会は「個々のAAメンバーのステップの伝え方に、賛成も反対もできるわけがないじゃないか」というサービスの原則に沿った良心を示しているわけです。
ただ一方の声が大きければ、ときどきその原則が壊れてしまうのも経験していますから、ビッグフット関係者以外にそれを擁護する人間が少し居てもいいだろう、と思ってその立場を取っているわけです。スクリプト・ミーティングが存在する余地のない、不寛容なAAになってしまうことが、一番恐ろしいと思っています。

で、この文章は、そうした全体的視野とは関係なく、個人的にビッグフット・フォーマットに対してどんな感想を持っているかを書きたくて始めたのですが、ずいぶん長くなってしまいました。

(さらに続く)


2008年01月22日(火) ビッグフットの続き

昨夜は衛星放送でNFLのリーグチャンピオンシップの試合を見ていました。9月以降の僕は深夜のフットボール中継で睡眠不足が続きますが、それももうすぐ終わりです。マニング兄弟の弟がスーバーボウルに行けるかどうか興味津々でした。録画中継ですから、ネットで調べれば結果はわかるんですけどね。
第4クォーター残り4秒で、キッカーががフィールドゴールを外し、延長に突入したところで、もうそれ以上見るのを諦めて寝てしまいました。

試合の行われたパッカーズのホームスタジアムは、温度がマイナス4度であると画面に出ていました。Lambeau Field はこの前の試合の時は雪が積もっていました。グリーンベイという都市がどこにあるのか知りませんが、きっとアメリカでも北の方だろう、ぐらいにしか思っていませんでした。まだくそ暑い9月から、氷点下の2月まで試合をするなんて、NFLの選手は大変だなって。

帰宅後にケーブルテレビで続きを見ていて、途中で気が付きました。アメリカの気温表示は摂氏ではなく華氏です。華氏のマイナス4度は、摂氏に換算すると−20℃です。いやはや、その温度であれだけ激しいスポーツをするとは。

さて、ビッグフットの続き。

スクリプトとして最も有名なのは、おそらくワリー・Pの Back to Basics(基本に帰れ)でしょう。彼はニューヨークのAAオフィスの書庫から、1950年代に行われていたビギナー教室の記録を発掘し、それをもう一度広めようという運動を始めました。バック・ツー・ベーシックス(B2B)がどれぐらい広まったのかは知りませんが、シカゴにいた経験のあるアメリカ人メンバーに聞いたところでは、B2Bのミーティングはごく普通に存在していたそうです。

B2Bはビッグブックを使うのですが、中身はAAの源流となったオックスフォード・グループの原理を色濃く残しています。ですから、絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛という四つの信条も出てきます。

で、B2Bを日本語に訳し、日本でスクリプト・ミーティングを(おそらく初めて)やった人たちがいました。そしてそれを広めていこうとするときに、B2Bの版権問題が障害になってしまいました。B2Bはあくまでもワリー・P個人の著作で、彼の出した条件と、日本人メンバーの要望がかみ合わなかったのです。

(まだ続く)


2008年01月21日(月) ビッグフット

ビッグフットとは、アメリカのロッキー山脈一帯に生存すると言われる身長3メートル全身毛むくじゃらの巨人の一族です。UFOを目撃した人に限って写真を撮るのが下手でどれもピンぼけだったり、宇宙人に会った人に限って絵が下手だったりするわけですが、その原則はビッグフットにも当てはまります。

という話じゃないですね。

ビッグフットというのは、いわゆるスクリプト・ミーティングのひとつです。ビッグブックを下敷きにした台本(スクリプト)を用意し、それを読むのがミーティングの中心です。ビッグフットでは4回のミーティングでステップ1〜12までを一通り体験することになっています。
僕が体験した一泊二日のセッションでは読むだけでなく、祈りや黙想、棚卸表への記入、埋め合わせの計画作りなどもしましたが、なにぶん4回のミーティングという限られた時間の中ですから、深いところまで掘り起こすのは難しいことです。

スクリプト・ミーティングの源流は、六十数年前のアメリカ、クリーブランドにまで遡ります。地元の新聞がAAの事を取り上げたのが発端となり、クリーブランドのAAにたくさんのアルコホーリクが寄ってきました。ところがそれを受け入れる地元のAAグループはまだ小さなものでした。しかも、12ステップはスポンサーからスポンシーへ一対一に渡されるのが基本でした。
結果として、多くのビギナーがスポンサーにありつけない状態になりました。窮余の策として、教室形式でビギナーを生徒役に、経験者を先生役にして、ステップを「教える」ことをし、一対多の伝達を試みました。教科書には出版されたばかりのビッグブックが使われました。
これがうまく行って、クリーブランドのAAは爆発的な成長を遂げました。そのおかげでAAはクリーブランドで始まったと思っていた人も多かったようです。

その後のAAで、こうした形式が主流になることはなかったのですが、その経験をスクリプトに集約して使うやり方は受け継がれてきました。

(続きます)


2008年01月20日(日) 妙に長い雑記

妻が商店街の福引きでiPod shuffleを当てたのですが、我が家に届いても長いことほったらかしでした。が、この休みに引っ張り出して、ようやく使ってみた次第です。iTuneのソフトはもともとインストールしてあって、曲を買っていたりしたので、あとはiPodをつないで、曲を転送すればいいだけでした。

iTuneがまともに動作せず同じ曲が3回転送されてしまったりとか、トラブルがありながらもなんとか転送成功。付属のイヤーカナル型ヘッドホンにはまったく期待していなかったのですが、結構いい音です。iPod君には得手不得手があり、平原綾香のJupiterや坂本教授のMerry Christmas Mr. Lawrenceあたりは最悪、大塚愛のCHU-LIPはご機嫌という感じです。この傾向は昔から使っている5千円の密閉型ヘッドホンを使ってみても変わりませんでした。

ともかくアップルの製品を見ていつも感心するのは、安い部品を使って実に「それっぽく」仕上げるのがうまいということです。日本のメーカーの場合には、安い製品で高級感を醸してはいけないという縛りでもあるんでしょうね。例えばDSって、どうしてあんなにデザインがダサいんでしょう? アップルを見習って欲しいと思います。

さっそくiPodは子供たちに取られてしまいました。彼女たちの手でDS並の「耐久テスト」にかけられたiPodが、いつまで無故障でいられるか・・・。

さて、上の子が学校でスキーに行く前に、一度スキーをやっておきたいというので、親子でスキー場に行ってきました。我が家は朝寝坊が揃ってますから、お昼ご飯を食べてからお出かけです。スキーはレンタル。ウェア類は10年前のを引っ張り出してきたり、昨日フリーマーケットで買ってきたちぐはぐな寄せ集めです。半日分のリフト券とレンタル費用、家族4人で1万5千円ぐらいでした。
子供たちはスキーは初めてなので、とりあえず平地を2〜3分滑ってみて「スケートと同じ要領だから」と納得してもらい、早速リフトに乗ってファミリーゲレンデに出ました。ボーゲンとか教えてないので、二人とも直滑降であっという間に下って行ってしまい、止まり方を知らないので自ら山に突っ込むことを選んでいました。2回目はハの字と体重移動の練習。昔のスキーと違いますから、滑るだけなら難しいことはありません。
3本滑って売店で肉まんを買って小休止。その後は面白くなってきたみたいで、親を置いて子供たち二人だけでどんどん先にリフトに乗っていってしまいました。夕方までに計10本ほど。

第3日曜日は子供優待の日だそうで、ほんとに小学生ばかりでした。子供だけで滑っているのもまったく珍しくありませんでした。パパ・ママが休憩室で漫画を読んでいて(スキーの格好はしていない)、子供だけが滑っているという家族もみかけました。節約ですね。子供ばかりのゲレンデだったので、うちの子供たちも臆しなかったのかもしれません。
ともかく骨折しなくて良かった。年末に二人とも骨折しているので(上の子は階段落ち、下の子はスケートで転んで)。

最後に、雑記っぽい話をしましょうか。
日々少しずつ回復するなんてのは幻想です。人間の心の変化は、数時間とか数分の短い時間に起こるのだそうです(良い方にも悪い方にも)。だから回復も、長い停滞の期間と、短期間の変化の組み合わせでしょう。例えばAAでされる「気づきが与えられた」という表現も、気づいて行動が変わるという変化が、その瞬間に起きたと解釈できます。停滞ばかりの日々が続くのが当然ですが、そこは根気強く。


2008年01月19日(土) ネット上での無名性とは

『アノニミティをご存じですか?』 - Understanding Anonymity

というパンフレットに、インターネットに関する記述が追加されたので転記しておきます。訳はテキトーにでっちあげたものです。

Q. I maintain an Internet Web site and also belong to an online meeting. At what level should I protect my anonymity on the internet?

問.私はインターネット上でウェブサイトを維持したり、オンラインミーティングに参加しています。ネット上では私のアノニミティ(無名性)をどの水準に保てばいいのでしょうか?

A. Publicly accessible aspects of the Internet such as Web sites featuring text, graphics, audio and video ought to be considered another form of “public media.” Thus, they need to be treated in the same manner as press, radio, TV and films. This means that full names and faces should not be used. However, the level of anonymity in e-mail, online meetings and chat rooms would be a personal decision.

答.公共からの利用しやすさを考えると、インターネット上で文字、グラフィック、オーディオ、ビデオを扱うウェブサイトなどは「公のメディア」の一種と考えられる。したがって、新聞、ラジオ、テレビ、映画、ビデオと同様に取り扱うべきである。つまり姓名(フルネーム)や顔を出すべきではない。一方、電子メール、オンラインミーティング、チャットルームおいてアノニミティ(無名性)をどの水準に保つかは、個人の判断にゆだねられるべきである。

The arrival of new media technologies such as the Internet has offered new vehicles to carry the A.A. message to the public. A.A. members continue to preserve their anonymity in these new public media.

インターネットなどの新しいメディア技術の登場は、AAメッセージを広く一般に運ぶ新しい伝達手段を提供しつつある。こうした新しい公共メディア上でも、AAメンバーはアノニミティ(無名性)を保ち続けている。

press, radio, TV, films(新聞、ラジオ、テレビ、映画)という従来からの言い習わしに加えて、new media technologies such as the Internet(インターネットなどの新しい技術メディア)が続くようになっています。


2008年01月18日(金) 遺伝と環境

病気の原因には、遺伝と環境が挙げられます。
もともと高血圧になりやすい体質を親から受け継いだ上に、塩分の多い食事やストレスの多い職業を選ぶなどという条件が揃うと高血圧になります。同じように味の濃い食事を食べても、高血圧にならない人はなりません。なりやすい体質を持って生まれた人でも、食事などの環境に気をつければ、高血圧になりません。

アルコール依存症の人の子供が、親と同じように依存症になりやすいことは知られています。ただこれが、遺伝によるものか、環境によるものか、という話がありました。

機能不全の家庭で育った子供が、大人になっても満たされない心を抱え、その満たされない心をアルコールで満たす習慣を深めた上でアルコール依存症になってしまう、というひとつのモデルがあります。親がアルコールに溺れていては、家庭がうまく機能しないのも当然です。たとえ親の飲んだくれ期間が比較的短かったとしても、子供の心に不全感を植え付けるには十分です。なので、依存症が親から子に受け継がれるように見えるのは生育環境によるもので、遺伝は関係ないと考えることもできます。

何年か前、アメリカと北欧で、これを確かめる調査研究が行われました。遺伝的に同じ一卵性双生児で、なおかつ養子になった(ならなかった)人を調査したのです。結果は、遺伝上の親がアルコール依存症である子供は、そうでない人に比べて10倍以上依存症になりやすかったのです。これを聞いた頃にネットで探したらアブストラクトが見つかったので、いまでも見つかるかも知れません。

そういった研究が重ねられるにつれ、依存症の人の子供は、大人になっても酒を飲まないのが最善であるという主張がされるようになりました。なにしろ、酒さえ飲まなければアルコール依存症は予防できるのですから、いわゆる生活習慣病に比べればはるかに防ぎやすいのです。(もちろん、ギャンブルとか買い物とか、セックスとか薬などの依存症にならないとも限りませんが)。

もちろん、他の病気と同じように、遺伝するのは病気そのものではなく「なりやすい体質」ですから、アル中の子供が飲んだからと言って全員アル中になるわけじゃありません。親も親族も誰もアル中でないのに、なぜか当人だけというケースもあります。だから、子供の自由だと言ってしまえばそれまでです。

でも、酒など飲まなくても、世の中を生きていくのに不自由しないのは多くの「飲めない」人が証明しています。お父さんはお酒でこんなに苦労した。その体質をお前も受け継いでいるのだから、飲まないのが一番いい、と言ってあげるのが親の責任であるように思います。

アメリカには「じいちゃんも、とうちゃんも、AAメンバー」という3代続けてのAAメンバーもいるそうです。そこまで極端でなくても、「俺は親父を憎み、親父のようにならないと言いながら、大人になったら親父とまったく同じことをしていた」という、笑っていいのかどうかわからない話も結構あります。そんなリスクを負ってまで飲むべきものだとは思えません。

ただ、もう酒の味を覚えちゃった成人した子に酒をやめさせるのは、まだアル中になっていなくても難しい、とはよく言われることでもあります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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