心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年11月06日(火) 研修会メモ書き(霊的・宗教的・世俗)

とある若い女性に「どうしてAAの人たちって、初対面でもこうなれなれしいのか」とチクリとやられてしまいました。・・・あいかん、さっきの態度はなれなれしすぎたかと、内心反省しました。

考えてみると、初対面の女性になれなれしすぎる話し方をするなんて、自分がいかにこの10年で変わったかを感じました。10年前の自分は、女性を目の前にすると何を話していいのか分からなくなるくらい緊張していたのですから。(女好きの本性が現れてきただけじゃん、という話もありますが)。

相手が男であれ女であれ、自分がどう思われているか気にしすぎている頃は、初対面で話をするのには極度の緊張がありました。でもそういう心理的障壁を乗り越えなければ、寂しい思いをさせられるのが今の日本のAAであります。トレーニングを積まされたということでしょう(なんか絶妙な自己正当化かもしれない)。

さて、アメリカにはアルコールにも様々なグループがあります。

まず、スピリチュアル(霊的)な系統として、12ステップを使うAAがあります。

より宗教的なグループもあります。キリスト教系(Alcoholics Victorious, 1948, 150グループ)、イスラム教系(Millati Islami, 1992)、これはどちらも12ステップを使います。

宗教とも12ステップとも無縁な「世俗の」グループもあります。Secular Organizations for Sobriety(断酒のための世俗組織、1986、2万人)、Women For Sobriety(女性のためのソブラエティ、1976、150グループ)。アンチAAとして(?)有名な Rational Recovery(理性的回復)はグループを組織せず、人数も公表された数字がありません。

面白いのが Moderation Management(節酒管理、1993、20グループ)で、これは節酒を目指す人のグループです。これがなぜ広まらないのか、なんとなく分かる気もするのですが・・・。
このMMグループに参加すると、最初の30日は禁酒を言い渡されるのだそうです。が、たいていのアル中さんは30日の禁酒ができずに、諦めてAAに向かうそうです。30日後からは決められた少量の飲酒へと移るのですが、ここでも失敗してAAに向かうのだそうです。節酒を成功させる人は少ないのでしょうね。

MMが全米に広がれば、それはAAへの良いインテークになるだろう、という皮肉な見方も紹介されていました。日本でもMMグループができて広まると良いですね^^)。MMのホームページに行くと、メンバーが毎日何杯飲んだかネットに公表していたりして、中には節酒は諦めた方が良さそうな人もいて面白いです。

日本には断酒会という世俗系の大きなグループがあるので、その名前も何度も出てきました。先生は Danshukai を「デーンシュケーイ」と発音していました。


2007年11月05日(月) 研修会メモ書き(ジキル博士とハイド氏)

しばらく前に妻から聞かされたのですが、義姉(妻の姉)が「将来両親が没した後には、(今僕らが住んでいる)土地を更地にして売り、妻と義姉で折半して相続したい」という話をしていたそうです。
僕がこの家に婿養子に入る際、嫁に出ていた義姉は将来の相続を放棄するという約束だったはずですが・・・まあ義姉さんのところも、最近は経済的にずいぶん苦しいらしいので、そういうアイデアが出てくるのも理解できなくはありません。
とは言え、義姉さんもずいぶん気が早い。まだまだ義父母は健在で、この先に介護などの問題が待ちかまえていて、それがキーポイントです。その更に先の話でありますから、今心配したところでどうなるものでもないでしょう。

さて、アルコホーリクはジキル博士かハイド氏か?

酒に酔うと理性のタガが外れて本音が出ると言います。そうなると、始終酔っぱらって迷惑ばかりかけているアル中は「ハイド氏」となります。依存症は内なる悪を暴く、シラフの時は理性による制御が効いているが、酔っぱらってしまうとダメ人間ぶりが表に出てくるという捉え方です。

しかし、依存症治療の分野では「ジキル博士」と見ます。例えば12ステップの考え方では、人間性の根底には「善なるもの」が必ず存在しているという揺るぎない信頼があります。つまり本当のその人とはシラフの時であり、依存症によってその人の内なる良さが堕落してしまっただけという捉え方です。

不思議な話ですが、アル中本人は、周囲からどちらに思われているか敏感に察知する能力があります。

散々迷惑を被ってきた周囲(たとえば家族)が、ハイド氏解釈に傾くのはやむを得ない事かも知れません。結果として、酒をやめたアル中は家族の中で居心地悪く(針のむしろに)感じるでしょう。居心地が悪いから逃げ出すのか、居心地の悪さに怒りを覚えるか、本人の反応は様々でしょうけど。

AAグループがきちんと機能していれば、メンバー同士はお互いに「霊的な病気」であり、性格上の欠点ばかりが目立っていたとしても、それぞれの人の奥底には善(その人のハイヤー・パワー)が宿る事を認めているでしょう。それが仲間意識です。
だからこそ、AAに行ったときに「ふと気の休まる思い」を得ることができるのだと思います。

お互いの善性を信じることができないグループは機能不全状態であり、ミーティングは続いていても「ヨロイを着て風呂に入る」ような不自然が行われているわけです。メンバー一人一人が、ハイヤー・パワーへの信頼を持つことが「ひきつける魅力」につながるのでしょう。


2007年11月04日(日) さすがに疲れました

二日続けて「アディクション・カウンセリング」という分野のセミナー(研修会)に参加させてもらいました。おまけに宿泊は仲間の家に泊めてもらいました。

カウンセラーを職業にする予定は、今後も一切ありません。カウンセリングというのは、あくまでもプロフェッショナル対クライアントの関係です。一方、AAのスポンサーシップはアマチュアの関係です。しかし、AAのスポンサーシップを大事にしていくために、今回は何か得るものがあるかも知れないと思って行ってきました。

アメリカのアディクション治療250年の歴史を振り返るところから始まり(その本の出版記念も兼ねていました)、アディクション回復者がその分野のプロとして働くことの意味、現実にその分野で働いている人たちによるパネル、アメリカの現状の問題点とそれを克服する動きと続きました。

今は自分の頭の中に知識ばっかり詰め込まれた状態です。
この知識を何かに生かしていけるかどうかは、今後の自分次第です。

パンパンにふくれた頭の中で、ちゃんと残って使われていく知識はわずかだと思います。それでもすべてを経験から学んでいけばいいほど、人生は長くありません。経験という教師は「授業料」が高すぎるのであります。

久しぶりにメモをたくさん書いたので、右手が痛くなりました。その中身についても、折々取り上げていきたいと思います。

酒をやめた後も「気分を変える薬」の乱用が続くなら、それはシラフとは呼べません。不要な薬は使わないのが一番です。しかし、様々な精神科の薬が必要な人はたくさんいます。質問の機会があったので、そこらへんを尋ねてみました。
アメリカでもそういう「薬を使いながらのソブラエティ」という人は増加傾向で、それは世界的な傾向なのだそうです。またそういう人たち専門のグループも複数あるのだとか。
薬が必要な人もいますが、一方で不要な薬を処方されている危険な状態の人もいます。それをどうやって見わければいいのか・・という素人丸出しの質問に対し、高名な先生は簡潔に答えてくれました。
「それは解毒してみなけりゃわからんね」(とかなんとか)

どういう意味なんでしょう、とほかの方に解説を頼みました。
「薬も断ってみて、それで問題が起これば、やっぱり薬が必要だったんだって分かるんじゃないですか」

なるほど、まずいったん薬も断ってみなければ分からないということですか。考えてみれば当然ですね。


2007年11月02日(金) アンコン(とは略さないか)

早く寝たいので、ネタはテキトー。
テレビをつけたらアンガー・コントロール(怒りのコントロール)についてやっていました。

物をつかんでいたら離す
 →それで叩いたり、投げつけたりするのを防ぐ。

握っている拳を開く
 →殴らないようにね。

手を後ろ手に組む
 →同じく。

おしりに力を入れる(尻の割れ目で鉛筆をはさんでいるかのように)
 →前のめりにならない。

ともかくその場から離れる 10分避難する
 →現場から離れる。

叩かなかった自分を褒める
 →これは大事。

しゃがみ込む
 →もはやどうしようもない時の緊急対処法。

相手より目線が上(見下ろす感じ)なのは、怒りをコントロールする側にとって不利。例えばしゃがむことで、子供と同じかより低い視線にする。

土日と、代々木で研修会に出てくるので、更新はお休みです。


2007年11月01日(木) また仕事に救われる

6時間はぐっすり寝たはずですが、7時半に目が覚めたものの、そのまま10時半まで起きられずにいました。死んでしまった人のことよりも、生きている人間のドタバタのほうが、どうにも心に引っかかっていけません。

よっぽど仕事を休みたいと思いました・・が、客先に行ってデバッグするという約束があったので、仕事に出ないわけにはいきません。11時半に出社し、車に機材を積んで出かけたものの、どうにも集中力がありません。抑うつ状態というやつです。

この車で自宅へ帰って、布団で寝たいと心底思いましたが、おそらくそうして寝ていても、いろいろな事がぐるぐる頭の中を回るだけで心が安まらないでしょう。そうこうするうちに、車は客先の工場に着いてしまいました。

僕のやっている仕事は(野球で言えば)エースピッチャーや四番バッターの仕事ではありません。どちらかと言えば、守備固め要員、ピンチランナー、バント職人みたいなもんであります。取引量の多い客によっては、わがままで無理っぽい注文を出してくるところもあります。主要メンバーが本来の仕事に集中できるよう、嫌な注文を片づけるのが僕の仕事です。

手渡された防塵着に着替え、エアシャワーを何度かくぐって、工場の奥へ奥へと潜っていきました。騒音の中で、持参したノートパソコンを開いてデバッグを始めると、不思議と気持ちがプログラムに集中されるのがわかりました。絡まったスパゲティーを解きほぐすように、ひとつひとつの問題を解決していく、この過程が一番好きです。

3時間後にそこを退出する頃には、昼まで僕の頭を支配していた様々なことは、僕の頭の中で本来あるべきサイズまで縮んでくれたようです。「今回は仕事に救われたな」とつくづく思います。

出社があまりに遅かったので、夜9時まで働いても1時間の残業にしかなりません。まだ働いている人もいましたが、僕は携帯電話で話ながら職場を出て、AAミーティングに出ていた仲間と落ち合って一緒に食事をしてから帰りました。僕はいろんなものに恵まれています。

そんなわけで、日本シリーズは全く見ていませんでしたが、帰ってニュースを見て「やっぱり落合ってすげえ」と思いました。やはり勝つために全力の野球が素晴らしい。

1996年のオールスターゲーム、すでに点差が大きく開いていたため、全パの監督仰木は9回裏ツーアウトの打者松井秀喜に対して、投手としてイチローを登板させました。これは仰木の遊び心だったのでしょう。しかし、これを勝負に対する侮辱と受け取った全セの監督野村は、高津臣吾を代打に送りました。これで高津がヒットを打っていたら人々に名勝負と記憶されたかも知れません。が、結果はショートゴロ。

もちろん、松井がイチローからホームランを打っても、イチローが松井を三振に取っても、どちらも名勝負にはなり得ないわけです。


2007年10月31日(水) めげめげ

仲間の奥さんから、ご本人が亡くなったという電話を受けました。
連絡に忙殺されました。ミーティングの日で、普段より自由な時間が短く、さらには自分の心のケアもしないといけません。
昨日から、失踪する人、ODする人、顔がむくんでいる人、足を引きずっている人などなど、いろいろな現実を突きつけられて、少々メゲていたところへ、さらに追い打ちです。みなさんお酒は止まっている(いた)人たちです。
ちょうど今日のミーティングは第3章の後半でした。3章最後の文章。
「その力は、ハイヤー・パワーだけが与えてくれるのである」

仲間の笑顔に依存して酒をやめていてはいけない、と自分に言い聞かせる夜であります。


2007年10月30日(火) Windowsと同じで・・

感情の乱れを物理現象として捉えれば、それは脳のバランスの乱れです。
つまり感情が乱れている時は、脳内の化学物質の比率や、神経細胞の興奮ぐあいが偏っているということです。「心」の実体とはそういうものです。

人間の体には恒常性(ホメオスタシス)があって、崩れたバランスはある程度自動的に修正されるようにできています。脳も体の一部なので、脳内の偏りも時間が経てば元に戻っていきます。

人にはたまたまどこかの器官の復元力が弱いってことはあり得ます。私は胃が弱いとか、腸が弱いとか、肩が凝りやすいとか、人によって違いはあるでしょうけれど。

で、うつ病の人というのは、脳の復元力が弱いのです。脳内のバランスが崩れやすく、元に戻るまでに時間がかかるので、復元前にまた新たな乱れが加わって、さらにバランスが(つまり心の乱れが)増していきます。結果がうつです。だから積極的に脳の乱れをリセットし、バランスを取り戻していく必要があります。

その具体的な行動の提案が「祈りと黙想」です。これを朝晩、あるいは日中のどこかで行うことを習慣として身につけると、やがて違いが明らかになってくると思います。心を静かに落ち着ければ、どんな方法でも脳のバランスは戻ると思いますが、自分の経験からすれば「祈りと黙想」ほど効果的な手段は他にありません。しかも無料。
ですから、薬を飲み続けてもなかなかうつ病が良くなってこない、という人にはこの手段がお勧めであります。

また、うつでなくても、アル中の人たちは、脳のバランスの乱れを翌日に持ち越しがちです。「感情の二日酔い」というヤツで、昨日の怒りや恨み、自己憐憫を今日も引きずって悩む癖があります。これにも「祈りと黙想」は有効です。

ともかく、「祈りと黙想は脳に効く」「バランスのリセット」ということは憶えておいて損はないと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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