ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2007年10月22日(月) 続・腹が痛い、トイレと仲良し AAの集まりで本名を使ってはいけないとか、フルネームを使ってはいけないという決まりがあるわけではありません。あくまでも世間に公表するときには、つまりメディアに載るときには、本名を伏せて顔も出さないという原則があるだけです。
だから、グループの中ではフルネームを名乗ってもちっともかまいません。でも、別にそうする必要も感じないので、僕はニックネームである「ひいらぎ」を使っています。AA用の名刺には本名もちゃんと書いてあります。
先日、とある仲間から、その本名が「マンガの登場人物みたい」と言われました。そう言われてみれば、そうかも知れません。姓(名字)のほうは難しい字ではないものの、世間では珍しい姓のようで、親戚や近在以外に同姓の人を知りません。作家のペンネームでこの姓を使っている人がいますが、本名ではないようです。旅館や料亭の名前に使われていたりします。
婿養子なので男のくせに旧姓もあり、そちらは珍しい姓ではなく、サッカー選手やマラソン選手、女優や政治家などに見あたります。マラソン選手は同郷人です。
いずれにせよ、本名は生まれたときに決まってしまい、本人の選択の余地がないわけです。結婚するときに姓だけ変えられたとしても、名前で相手を選ぶわけじゃありませんので。まあ「読み間違いがない」という点は気に入っています。
ミーティングで話していて、依存するということは、依存対象に支配されるに等しいという考えが浮かびました。アルコールに依存すればアルコールに支配され、ギャンブルに依存すればギャンブルが日常を支配します。共依存というのは、その相手に支配されてしまうのでしょうか。
というあたりまで考えたのですが、本日は朝からゲリピー気味で、何事にも集中できない状態でしたので、考えるのもそこまででした。毒素が体全体に回ったのか、そこらじゅう痛くてたまりません。明日はお休みかも知れません。こういうときは正露丸で正解でしょうか。
2007年10月21日(日) 腹が痛い、トイレと仲良し はっきり約束をした憶えはなかったのですが、朝9時に起こされて「そば祭りに行こう」と連れ出されました。今回はジジババとセットであります。5人乗りの車に6人で乗っていきました。ジジの理屈だと「子供二人で一人分だから大丈夫」なんだそうですが、教習所で習った理屈では「子供3人を大人2人とカウントする」ルールだったような気もします。
この週末は、ともかく「生産的なことは何もしない」つもりでいました。頼まれているあれやこれやを放り出して、ゴロゴロ寝て、本を読んだりビデオを見たり・・。結局それすらしなかったのです。
さて、AAミーティングにも「波」があると思います。たとえば人数の波です。20人以上集まっていた会場が、3ヶ月後には7〜8人まで減っていたりしますし、その逆もあります。そこに参加する個々人にも、気分や都合の波があって、おそらくはその重なり合いが会場の波を形作っているのでしょう。
会場のいい雰囲気が気に入っている人は、雰囲気が変わると去っていったります。それはその人の目的が「いい雰囲気」なんだから仕方ないことです。そういう人に限って「以前は良かった、今の悪い雰囲気を誰か何とかしてくれ」と解決は他人任せだったりするんですが、それは別の話としましょう。
最近あそこの会場は雰囲気が良い、という評判が立てば人が集まり、暗いとかギスギスしていると言われれば来る人は減ります。
おそらく、「酒をやめたい」という純粋な願いだけで全員が集まっていれば、波は小さくて済むのでしょうが、自分だってそんなに純粋な気持ちでミーティング通いを続けているわけでもありませんから、人に文句を言えた義理じゃありません。
同じことは、ネットの掲示板やメーリングリストにも言えます。
自分の評判にも波があります。行いが悪ければ評判が落ち、善ければ評判が上がる・・・とは限りません。そこが難しいところです。「あの時、あんなに褒められるほど善いことをしたとも思えないが、今こんなに悪し様に言われるほど悪いことをしたとも思えない」と嘆いた経験はないでしょうか。
良い評判をもらえば自信がつき、自信がつけば気持ちに張りが出て、生きていくのが楽しくなる・・・それはそうなのですが、評判の善し悪しは自分がコントロールできないものである以上、良い評判を目的にすると、他者の視線ばかりが気になって、かえって辛く感じられるものです。それゆえ評判から自由になることは大切だと思います。
とはいうものの、頑張って仕事したのに、給料が上がらなくてやる気をなくしたりなどなど、人はなかなか評判から自由になれないものです。
たとえ他者が努力を認めてくれなくても、その人の中の神さまは、必ずその人の努力を認め、褒め讃えてくれるのは確かだと思います。
2007年10月20日(土) 安心して病む 午前中から家族で買い物に出ました。
僕が欲しかったのは、ワイシャツ1枚だけで、ついでに100円ショップでボールペンでも買ってこれれば十分でした。その用件だけ済ませるなら、自分一人で行動した方がず〜〜っと早いのです。
なんで女の買い物は、こんなに長いのか?
子供の服を買って、100円ショップによって、ソフトクリームを食べて、本屋によって、食料品を買って帰ると、もうすでに2時間経過していました。買い物だけでぐったりと疲れてしまいましたが、それに付き合うことになんか意味があるのでしょう、きっと、たぶん。
さて、妻はうつ病であります。
最近彼女はゴロゴロ寝てばかりですが、以前は元気でした。でも、病気は結婚前からのもののようです。結婚前後、僕が飲んでいた頃、そして酒をやめた後の数年は、妻は元気で、僕は彼女がうつだなんて気が付きもしませんでした。だがそれは仮の姿で、酒飲みの亭主と結婚し、旦那を「何とかする」ためには、自分が「一生懸命頑張らねば」と、元気を必死で演じていたようです。
やがて、その緊張の糸がぷつんぷつんと切れだしたらしく、次第にうつで寝込まれるようになりました。僕は自分の健康に自信がないだけに、健康な女性と結婚したつもりだったのに、すっかり当てが外れてしまいました。二人とも病気のことは正面から話さずに結婚したので、そりゃもうお互い様なんですが。
困ったなあと言いながら生活しているときに、ある人からこんな事を言われました。要するに、ある程度旦那の酒が止まり続ける見通しが立って、彼女も安心してうつを病んでいられるようになったのではないか、ということです。僕が酒をやめているから、社会で暮らしているから回復しているというわけでもなく、安心して病気を病むこともできない、緊張が続く生活を強いてきたのだと考えると、妻の病気を恨む気持ちも薄らぎました。
おそらく、僕が酒を飲んだりすれば、妻の鬱なんて吹っ飛んで消えるでしょう。妻が元気なときは、こちらの状態が良くないサインであります。
主婦に寝込まれると外食が多くなって、経済的にも、栄養的にも大変ですが、ともかく家族が餓死せずに暮らしているのですから、安心して病んで欲しい・・と生暖かく(?)見守っております。
それにしても・・・、東京のカウンセラーに行くって話は、またどこかへ行っちゃったのか? なんだかんだ言っても、アラノンに行ってもらうのが良いと思うのですが、思うようにはならないのであります。
2007年10月19日(金) こたつ こたつを出しました。パソコン部屋用には電気ヒーターを出しました。
10月の始めにこたつを出すのが通例でしたから、今年はずいぶん遅く、おそらく気候が暖かかった(夏が暑かった)のだと思います。実家では9月の終わりに秋祭りがあり、それにあわせてこたつを出すのが習慣でした。
昔は秋祭りと言えば、盆暮れと同じように、親戚が集まる機会でした。おじさんおばさんから小遣いをもらって、神社の夜店に行くのが楽しみでした。田舎の小さな神社ですから、派手な祭り行事があるわけでもなく、夜店もせいぜい数軒でしたが、楽しみなものでした。
近年、母が秋祭りも帰省してこいというので、子供二人を連れて行ったことがあります。子供たちもお祭りだというので、楽しみにしていました。しかし田舎の祭りはますます寂れ、誰もいない神社の境内に、一軒だけの屋台をテキ屋のおにーさんが守っているという状態で、子供たちは「これがお祭り?」とメガテン状態でした。
彼女たちにしてみれば、道の両側にずらりと夜店や屋台が並んでいるのがお祭りですから、無理もないことでしょう。
話変わって、僕の誕生日は6月の終わりなんですが、小学生の頃に描いた誕生日の絵日記には今にこたつが描かれていました。地球温暖化以前は、6月後半にもこたつがいるぐらい寒かったのだ・・という話ではなく、ずぼらな母が片づけなかっただけの話です。
当時を思い起こすと、居間などはかなり散らかっていました。母も祖母も片づけませんでしたから。新聞などが散乱していて、父が新聞を読み終えてから「今日の新聞だと思って読んだら、3日前のじゃないか」など怒り出したりしていました。。
そんな環境で育ったので、僕もなかなか片づけができない人間になってしまったのです(言い訳?)。
この頃実家へ顔を出すと、母が部屋をきれいに片づけてあります。まあ、それは年寄りになってヒマができたからなんでしょう。しかし、そのきれいな部屋を見ると「過去のあの散らかりようは何だったんだよ!」とツッコミたくなるのであります。
2007年10月17日(水) ひいらぎQ&A ・ホームページ左上の葉っぱは柊か?
あれは柊(ひいらぎ)の葉ではありません。素材データ集から拾ってきたもので、元は夏の草の葉をスキャンしたものだそうです。本物の柊の葉っぱは、周囲にトゲトゲがあります。「ひいらぐ」という言葉は、ずきずき痛む様子を示します。柊とは、人を傷つける痛い葉を持つ木という意味です。
・心の家路ってどんな意味?
人生という旅を終えた後に、魂が「家」へと帰っていく行路です。なので、人が亡くなると、その人の心の家路が安かからんことを、という祈りの言葉が雑記に出たりします。
・もっとおじさんかと思った。
なぜか文章でだけ僕を知る人は、50代だと思うようですね。
・どれぐらいAAミーティングに出ているんですか?
現在は週3回です。
・AAが嫌になったことは?
そりゃもう何度もあります。
でも本当に嫌になったら、もう続けていないと思います。
AAでもなければ、家と職場の往復の淋しい人生ですよきっと。
2007年10月16日(火) 謙虚以前の問題 小学校から中学へ進むときには、同級生がみんな一緒でも、高校になるとバラバラです。いや、小学校から中学への進学でも、慣れた場所を離れる辛さはあるでしょう。
僕は18で親元を離れ、大学を中退した後は、仕事は転々と変えてきました。AAのホームグループも、今のところが延べで5カ所目(実数だと3カ所)。来年はまた別のグループでバースディをやりたいと思っています。父親はすでになく、母親も老齢、夫婦といってもどちらかが先に死ぬのが通例です。
かように人生とは、誰かと親しくなっては別れ、場所に馴染んではそこを離れるという、別離と喪失の連続です。どうにも孤独であるのが人生の実態だと思います。
自分を愛せない人は、その孤独に耐えられないと思います。耐えきれず辛いからこそ、人を愛してみるものの、そもそも自分を愛せず、尊敬できず、信頼できない人間が、他の人を愛し、尊敬し、信頼できるわけがありません。結局、自分を満たす道具として相手を利用したあげく、喪失の嘆きを真の愛と勘違いしてみたりします。
孤独の人生にも、最初から最後まで自分につきあってくれる友人がいます。最も近しいその友人、つまり自分自身を最良の友として、愛し、尊敬し、信頼する。謙虚だ謙遜だなどという話は、それができた後の話であります。
世の中には自分を愛することが自然にできる人がたくさんいますが、アル中さんには少ないように思います。自分を愛する能力のない者が、その能力を獲得するのは大変です。でも、その能力の有無が人生の質を大きく左右するのですから、意識的な努力をしてみる価値はあると思います。
ニュース検索を更新しました。MSN毎日→毎日.jp、産経新聞→MSN産経への対応。検索元が空欄になるバグ修正。Googleニュースのチューニングなどです。
2007年10月15日(月) 300:100000000 初めて300bpsのモデムを買ったのは1985年だったと記憶しています。
値段の記憶は曖昧ですが、5万円と10万円の間だったと思います。それでも安くなったからこそ手が届いたのでした(bpsはビット/秒)。
ちなみに、初めて買ったプリンターは信州精器製で15万円ぐらい。初めて買ったパソコンは、本体20万・フロッピーディスクドライブ30万・白黒モニタが10万でした。だんだん年寄りの昔話になってきたので、ここらへんで止めておきます。
300bpsだと、調歩同期で1秒間に30文字。全角だと15文字伝送できます。読むのが早い人なら、秒間15文字は読めるでしょう。だから当時の電子掲示板システムには、記事を伝送表示ししている最中にスペースキーを押すと、その記事の表示をスキップする機能が付いていたりしました(つまらない記事を読まずにすますため)。
その後に1200bpsと4倍になり、2400bps、9600bps、14.4Kbps、28.8Kbps、33.6Kbpsとどんどん高速化していきました。電話回線がディジタルになって64Kbps。ADSLが1.5Mbpsあたりから始まってどんどん高速化。現在光回線を使っている人は100Mbpsでしょうか。
100Mbps=100000000bpsです。300bpsと比べるとものすごく高速で、ビデオ映像をリアルタイムで伝送できたりします。
でも、なぜかその高速回線を使って、300bpsの時代と変わらない電子掲示板という仕組みを使っていたりします。不思議と言えば不思議な話です。
疲れたので早く寝ます。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()