ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年09月16日(日) 後からついてくる 埼玉のサービスフォーラムから帰りました。
明日は町内会のバスハイクで、三鷹のジブリ美術館であります。
「ステップは後からついてくる」と良く言われたものです。
これは、ステップは意識的に取り組まなくても成し遂げられる、という意味ではなく、AAの中で飲まない生活を続けていれば、いつか必ずステップに取り組もうという意欲が生まれるはずという約束の言葉です。言外に、AAの中にいる限りステップは避けて通れないのだよ、という脅しも含まれている気がします。ともかく、AA=ステップであるという合い言葉です。
最近その言葉が聞かれなくなった、と言う人がいました。
ステップなんぞやらなくても、とりあえず酒をやめていることはできますから。そして、ミーティング場に「回復」ではなく、「癒し」を求めて集まってくるのかも。今日こんなことがあって辛かった、でもここで話せて楽になれました、なんて話ばかりしているのかも知れません。まあ僕の想像に過ぎません。
それにしても、いつか必ずステップはやらねばならない、という覚悟というか、共通理解が失われつつあるのだったら、怖いことです。
話変わって、AAスポンサーから
「誰もあなたを縛り付けて、無理矢理口に酒を流し込んだ人はいない」
と言われたことがあります。
誰かのせいで酒を飲んできたのではなく、自分で飲んできた、ということです。
じゃあ、好きで飲んできたかというと、病気だから飲んできたわけです。
誰かのせいにしたがる、あるいは自分は酒が好きなんだと言い張る、そういう逃げ口上を防ぎ、病気と正面から向き合うための助言だったのでしょう。
仲間の訃報が届きました。僕が初めてAAミーティングに行ったときに、その会場にいた一人です。僕が知っている頃、彼はいつも「ここじゃないどこか」を探しているように見えました。その彼もついに行くべきところを見つけたのかもしれません。
「自分に正直になる能力さえあれば回復する」(第五章)
2007年09月14日(金) 疲れたのでテキトー HA、肥満アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちも肥満状態から回復するよう手助けしたい、という男女の共同体である。
HAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、肥満をやめたいという願いだけである。会費もないし、料金を払う必要もない。われわれは実質的に何も活動していないのである。
HAは、いかなる宗教、宗派、政党、組織または施設にも縛られていない。また、どのようなダイエット方法にも、治療方法にも、支持も反対もしない。
われわれの第一の目的は、肥満の解消であり、他の人たちも適正体重を達成するよう手助けすることである。
(HAは某メーリングリストミーティング上に存在する、AAメンバーの有志の会です。実質的活動はありません)
閑話休題。
ここの下のニュース検索が、またまた偏りを見せている気がします。チューニングをやり直さなければ・・と思いながらもほったらかしです。それにしても、いろいろマイナーなニュース媒体から記事を引っかけてくることに感心します。
ライブドア・ニュースが、ホリエモン騒動の時に、あちこちのニュース媒体から契約を解除されてしまい、困ったあげくにマイナーな媒体と多く契約し、その影響がまだ残っているってのが真相のようです。
次の改造では、どこの検索で引っかけたのかも表示する予定。
閑話休題。
世の中には二種類の人間がいる。片方は、世の中の人間を「〜する人間」と「〜しない人間」の二つに分類したがる人であり、もう一方はそんな分類をしない人。もちろん僕は後者。
閑話休題。
サービスフォーラムは土曜午後一時開始のようです。午前九時に出れば間に合いそう。明日は天気が良さそうですから、運動会は土曜日に済んでしまいそうですね。
2007年09月13日(木) try levitation 「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
人の不幸は蜜の味、という言葉がありました。
笑いの本質は、偏見と差別である、という言葉もありました。
他人事だから笑っていられるのであって、当事者であれば(あるいは巻き込まれていれば)笑ってなどいられません。
でもそれは言葉を変えれば、自分が悲劇の主人公である間は、笑っている余裕なんか生まれないってことです。自分が苦しいときには、自分しか見えていない、クローズアップで見ていますから。もう少し自分から離れて見てみなさい、ということです。
「神の視点から見る」というのは、なかなか難しいことです。
その代わり、10メートル上から、今の自分を見下ろしてみます(try levitation)。実際それをやるには幽体離脱でもせにゃなりませんが、気持ちの上ならいつでもできます。
そうやって見てみれば、つまらないことにカリカリして、きりきり舞いしている自分が見えてくるでしょう。それが神の視点です。
ロングショットで見れば、自分自身のことだって喜劇です。つまらないプライドさえ捨てれば、昔のことを笑って話せるようになるのと同じで、今の自分のことだって、離れて見ればもっと余裕を持つことができるはずです。眉間にしわを寄せていれば、運だって逃げていきますから、緊張を解いてゆっくり寝ることです。
そんな理由で、僕らはミーティング場で気楽に自分の話ができて、また人がくすくす笑っても気にならないのです。辛いときは、自分のことを笑えるようになるために行くのでしょう。
冒頭の一行は、チャップリンの言葉です。
2007年09月12日(水) テレビとラグビー ラグビーのワールドカップフランス大会。フィジー戦を見ていましたが、途中で眠くて寝てしまいました。
国別ランキング18位の日本ですが、本大会ではもう十数年も勝ったことがありません。そもそもアジア地域でラグビーは盛んではないので、予選突破はほぼ確実なのですが、強豪国との力の差は明らかです。一つ前のオーストラリア戦は3−91の大敗でした。
起きてニュースを見たら31−35で惜敗。残念です。
NFLも開幕して、深夜の放送から目が離せない日々が始まりました。
話は変わりますが、テレビを買ってしまいました。
これまで使ってきたのは、妻が抽選で当てたものです。10年ほど前、近所に葬祭センターができたときに、見学者全員に粗品プレゼントというキャンペーンをやっていて、その粗品目当ての義父母に連れて行かれました。葬式費用を生前に分割払いしておく制度の宣伝をやっていましたが、当面死ぬ予定のない僕は契約する気などさらさらありませんでした。
が、妻がくじ引き景品一等の21型テレビデオを引き当ててしまいました。
もちろん、生前分割払いの契約もせざるを得なくなりました。もう払い終わりましたけど。
あそこが倒産しない限り、僕の葬式はあそこでやるんだろう、ということは分かります。
そのテレビ、数年前にチューナー部が壊れてビデオ再生専用機になってしまいました。
チューナーを外付けしてテレビを見ていたのですが、だんだんそれも調子が悪くなってきました。で、ジャスコの家電売り場で液晶テレビを見ているうちに、買い換えることになってしまいました。来週末に届く予定です。
さてさて、AAミーティングの参加ってのは、スポーツで言えば基礎トレーニングみたいなものでしょうか。
2007年09月11日(火) 卒塔婆携帯 先日八王子から帰ってくる際に、貨物列車の機関車が故障して立ち往生した影響で、特急電車が遅れました。JRでは二時間以上列車が遅れると、特急料金を返してくれる仕組みになっています。
僕が特急券を買ったのは午後9時過ぎで、列車が八王子駅に到着したのが11時前だったので、2時間は経過していないのですが、もともとその列車は6時半に新宿出発の電車だったことが問題で、いつ切符を買ったかは不問のようでした。
といっても、出札のところで払い戻してくれるわけではなく、切符にはんこをついてくれて、翌日以降にみどりの窓口へ持ってくるように言われました。
で、週末に自宅近くの駅へ行きまして、二千円あまりをウハウハと懐に入れたのですが、ついでに滅多に寄らない駅ビルの中を徘徊してみることにしました。
そして、ソフトバンクモバイル(SBM)の店に入ってしまいました。
SBMについて知っていたことは以下の通り、
「ホワイトプランという料金プランを使えば、月々980円の基本料金のみでSBM携帯どうしは話し放題。ただし、午後9時から1時までと、他社携帯や固定はかえって高額」
→SBM携帯にだけかける2台目にすれば980円ですむ。
「端末代は高いが、割賦制度を使えば分割で支払えて、(2年間解約できない縛りを受ける代わりに)その代金は割引になる」
→安い機種を選んで2年使う覚悟をすれば、端末代は不要。
冷やかしのつもりだったのに、いつの間にか「端末選択モード」に入っていて、毎月980円ならまあいいか、と契約してしまいました。実際には事務手数料3千円弱が必要だったり、Eメールを使うと+315円だったりして、980円ぽっきりではすみません。
さらに使い勝手をよくしようと、様々オプションサービスを追加していくと、実はずいぶん高額になる・・というYahoo!BBの時に見せた「孫さんマジック」は健在であります。
電話番号は、090-6000-XXXX、メールアドレスは xxxxxxx@softbank.ne.jp です(伏せ字部分は現在のau携帯と同じ)。鞄に入れっぱなしで、ちっとも使っていないのであります。
2007年09月10日(月) 続きものである自分 人間は過去から未来へ向かって生きる連続体ですから、過去を無視して今日を生きるわけにはいきません。
精神病院に入院中のアル中患者さんで、「依存症ということを意識しすぎると、自分は苦しくなってまた飲んでしまう。だから酒のことは忘れて生きてゆきたい」と言う人がいます。
気持ちはよくわかるのですが、人間そう簡単に過去を忘れることはできません。気持ちの上では過去を忘れられても、心の奥深い部分、脳みその特定の部分には、過去がしっかりと刻まれています。
僕は小学校の1年生の時に自転車に乗る練習をしました。毎日練習し、よろけて藪に突っ込んで怪我をしたりしながら、2週間ぐらいで何とか乗りこなせるようになりました。一度乗れるようになってしまえば、最初になんであんなに苦労したのかと思うぐらい、すいすいと乗れるものです。
大人になって、もう何年も自転車に乗っていなくても、体(つまり脳)は自転車の乗り方を忘れません。久しぶりに乗れば、しばらくヨタヨタするかもしれませんが、あっという間に昔のカンを取り戻して、上手に乗れるようになるでしょう。自転車の乗り方を忘れることはできないのです。
お酒も同じことで、たくさん飲めるようになるまでには、多少の苦労もあったことでしょう。でも練習の成果があって、ぐいぐい飲めるようになったわけです。そして断酒を決意しても、酒の飲み方を脳は忘れてくれません。
何ヶ月、何年か酒をやめていて、久しぶりに飲み出せば、なるほど最初は「コントロールされた飲酒」だとか「節制された飲酒」という、へなちょこな飲酒をしているでしょうが、アル中としての本格的な飲み方を取り戻すまで、そう時間はかからないでしょう。
酒の飲み方だけじゃなく、人間関係の反応の仕方とか、感情や考え方の偏りも、子供のころから積み重ねてしまったものを、忘れようとしても簡単には捨てられません。
だからこそ「棚卸し」や内観をして、過去の行動が現在の自分にどう影響を与えているか分析しなくてはいけません。このときに大事なのは、罪の意識や自責を持ち続けないことです。罪の意識を持ち続けることは、それを行った過去の時点での自分を回復させたいという気持ちの現れです。
過去が回復すれば、現在の苦しみも消えてくれるでしょう。でも、過去を変えることができない以上、現在を変えていくしかありません。
(できるはずのない)忘却を望んだりせず、罪の意識で自分を律しようともしない。それが今の自分に責任を持つということでしょう。
2007年09月09日(日) 一人では気づけないかも AAミーティングにやってきた頃、僕は「酒の飲み方がひどくなったのは、ここ1〜2年のことだ」と言っていました。実際には10年以上アル中ライフを送ってきたのですが、そのころの自覚は「悪くなったのはここ1〜2年」という感じ方でした。
それももっともな話で、それ以前には僕の酒の飲み方を、毎日とがめる人はいなかったのです。いつも体調が最悪で、飲んだ酒ですらゲロゲロ吐いている状態でも、それは単に酒を飲んだ結果だという言い訳が成り立ちました。酒は好きで飲んできたのだし、ひどい生活ではあったけれど、サラ金にも手を出さずに生活費を工面してこれたという自負もありました。
それでも行き詰まって、自殺未遂を機に実家に戻り、精神病院への通院、入院、依存症という診断、と1〜2年でドタバタ進んでいきました。
そうなると、いままで詳しいことを知らずにいた良心も、なんとか僕の酒をコントロールしようと、口やかましくもなりましたし、酒の匂いがしないかチェックしたり、持ち物検査をしたりと、いろいろ小うるさいことを始めました。
飲むのをとがめられるようになって、初めて「飲み方がひどくなった」と認識できたわけで、一人で飲み続けていたら、なかなか気づかなかったでしょう。家族がいても、飲むのをとがめられなかったら、同じように気がつかないと思います。
家族がとやかく言ったから病気が進行したのではなく、ずいぶん前に病気になっていたのに、自覚がなかった(病識がなかった)だけの話です。ずいぶん前からアルコールに対して無力だったのに、認めてこなかっただけの話でもありますね。
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