心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月24日(金) 怪しい診察

スルーしようかと思ったのですが、一応書いておこうと思います。
それは横綱朝青龍のうつ診断の怪しげ度です。

事情を知らない人もいると思いますので、ざっくりと経過を説明しておきましょう。
朝青龍はモンゴル相撲の出身で、2003年に横綱に昇進しています。ちょうど貴乃花、武蔵丸が引退した頃で、その後は4年近く一人横綱を努めてきました。
大相撲は年間6場所ですが、この間の優勝回数が実に15回ですから、その強さは圧倒的です。その成績と、一人横綱の重責を果たしてきた実績には重みがあり、横綱に身勝手な行動があっても、相撲協会から大目に見られてきたのは確かです。
ただ横綱に対する批判の中には、単に外国人力士だから気に入らないという感情がこもったものも感じられました。強いからこそふてぶてしいというのも、格闘技選手としてはアリなのではないかと、僕なんかは思うのですが、それは置いておきましょう。

今年になって、もう一人のモンゴル出身横綱が誕生すると、相撲協会もくるりと態度を変えます。この夏の間、朝青龍は腰を痛めた診断書を出して、モンゴルへ帰国して静養しているはずでした・・・が、向こうで元気にサッカーをしていることがばれてしまいました。
急遽日本に呼び戻されて、協会に出頭した横綱が何を言われたのか分かりませんが、おそらくガツンと言われたのでしょう。それがショックだったのか、横綱は釈明の会見をすることもなく、自宅に引きこもりになってしまいました。

その状態を診察した精神科医は、道を歩きながら報道陣に「うつ病になる一歩手前の状態」で、すぐに帰国させて療養すべきだと話したので、これが大ニュースになりました。

この先生は横綱の友人だそうですから、横綱の身を案じての行動だったのかも知れません。ただこれが「これ以上ストレスを与えて、本物のうつ病になったら相撲協会のせいだからな」と聞こえなくもありませんでした。

だいたいちょっと1回診察しただけで、ろくに会話も出来ていないのに「うつ病になる一歩手前」だとか「今後の治療方針」だとかが判断できてしまうのも、なんだかすごく怪しい気配がします。僕の記憶が確かなら、この先生は包茎の治療をする男には精神科的治療が必要と言ってた人じゃなかったかな。

だいたいこれを聞いて、うつ病で苦しんだ経験のある人は「一緒にするなよ!」とツッコミを入れたい気分になったのじゃないでしょうか。立場を利用してわがままに振る舞っていた人間が、ガツンと言われたのがショックでふさぎ込んでしまった、そこをさらに責めらるとうつ病になる・・・うつ病がそんな病気だと世間に理解されたら、ウツで休んでいるサラリーマンの立場はどうなるというのか。

相撲協会が指定した精神科医は、いったん解離性障害という病名をつけた後で、命に別状はないので急性ストレス障害という病名に変更しました。会見した医者は「数十分の診察で正確な診断は出来ない」と言い、うつという言葉はニュースから消えました。

苦痛な出来事から4週間以内のを急性ストレス障害と呼び、それ以上続けばPTSDに名前が変わるそうです。精神科の病名は診察の推移とともに変わっていくものですが、あまりに未確定の状態で公表してしまう行為は疑問に感じます。
最初の精神科医が語るニュース映像を見たときに感じたことは、「この医者の言うことは、ひどくうさんくさい」ということでした。疾病利得を得に行っていると言いましょうか。

治療のために引退するのも仕方ないでしょうが、無事短期間で心的外傷が癒えて復帰するというのなら、それも良いことでしょう。横綱にあるまじき精神的弱さなどと責めるのは酷なことです。またふてぶてしく優勝するところを期待しています。


2007年08月23日(木) AAの源流

オックスフォード・グループ運動(Oxford Group Movemnt)というのがありました。(19世紀のオックスフォード運動とは別のものです)

アメリカ人の牧師でブックマンという人が、イギリスを旅したときに宗教的回心を経験し、その手法を伝えていくことを目的とした集まりでした。その手法というのが、罪の自己点検、告白、償い、信仰の証という手順でした。これがAAのステップの源流です。

ブックマンはこれを宗教運動と位置づけていたようで、この運動に「第一世紀キリスト者共同体」という名前を付けていました。オックスフォード・グループという名前は、彼が最初にイギリスのオックスフォード大学の学生相手に広めたことから、メディア側がつけた名前でした。

ビル・Wのスポンサーであるエビーや、ドクター・ボブもこのグループのメンバーでした。ただ、少なくともドクター・ボブの回復には、オックスフォード・グループだけでは不十分であり、ビルとの出会いが必要でした。
ビルはアル中相手に宗教を説くことに疲れていましたし、その後二人の周りに集まったアル中は大部分が無神論者だったこともあって、数年後にこの人たちはオックスフォード・グループを去り、AAという名前のグループをはじめます。その過程で宗教色は可能な限り薄められていきました。

その後オックスフォード・グループのほうは、道徳再武装(Moral Re-Armament)運動と名前を変えて全世界に広がっていきました。その性格は平和運動へと変化して、人種や宗教の壁を越えた道徳的集合を掲げるようになります。その後下火になり、現在ではまた名前を変えて活動しているようです。

このグループは「四つの絶対性」というものを信条にしていました。絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛の四つです。この四つの絶対性は、直接にはAAに受け継がれませんでした。かわりにAAでは、絶対性に相対する「四つの性格的欠点」という考え方を選びました。わがまま・不正直・恨み・恐れの四つです(P121)。


2007年08月22日(水) 淋しくなる

当然のことですが、僕がAAにやってきた時には、まわりのAAメンバーは全員僕より長いソーバーの人ばかりでした。周りの人はみなが「先ゆく仲間」だったわけです。

飲まない期間が長くなるにつれて、「後から来た人たち」が次第に増えていきました。一方で「先ゆく仲間」は、様々な理由でその数を減らしていきます。飲まないままで県外に移った人もいれば、飲んで県外でやり直している人もいます。もちろん、飲んでしまった人もいます。

やがて「先ゆく」と「後から」の比率が逆転し、地元のAA共同体の成長とともに、僕も相対的にソーバーの長い方へと移っていくことになりました。

AAでは長く飲まないからといって「偉くなる」ことはありません。基本的に、ソブラエティの長短というのは、いつAAにつながるチャンスを得たかの違いに過ぎません。回復の度合いも、年数の長さだけで計れるものではありません。たとえ経験は浅くても、熱心にステップに取り組んだ結果、僕よりはるかに回復しているメンバーだってたくさんいるでしょう。現にきらりと光るものを見せるメンバーはたくさんいます。

ではあるものの・・・。やっぱり10年の経験をするには10年を要し、20年の経験をするには20年を要します。これは変えられない事実です。「年数が長くても回復が足りない人はたくさんいる」という主張もあるかも知れません。でも、努力しても20年が2年にはなってくれないものです。

だからこそ、自分より「先ゆく仲間」の経験は貴重なものです。僕のスポンサーは、「ひいらぎも5年になれば分かる」「10年になれば分かる」という言葉を使いました。その時に何を意味していたかは分かりませんが、なるほどその地点に到達してみなければ見えないものがあることは納得しました。
だから、この先も15年、20年、30年と続けていけば、きっとその時にならなければ見えないものを、神様は明らかにしてくれるだろうと思っています。

でも、そこまで待ちきれないので経験を分けて欲しい時もあります。そういうときには「先ゆく仲間」しか頼るものがありません。だんだん離ればなれになって、会いに行くことすら思うように出来ないわけですが、心情的にはとても頼りにしているのであります。(その割には悪口ばかり言ってないかって?)

ソーバーが長くなるにつれて偉くなるのではなく、長くなるにつれて淋しくなるのです。


2007年08月21日(火) 日常の出来事

職場のトイレの水タンク内で、配管が破れたらしく、トイレ室内が水浸しになってしまいました。運悪く(?)その時トイレを使っていたのが僕だったので、雑巾で掃除をする羽目になりました。
配管は応急処置をしておいたのですが、しょせんその場しのぎに過ぎず、夕方にはまたトイレが水浸しになってしまいました。同僚が絶縁テープでもって補修してくれました。その同僚によれば、ホームセンターなどに行くと、タンク内部用のビニール管を売っているのだそうです。いつもながらに変なことを知っているので驚くのであります。
僕はと言えば、キッチンシンクの排水のところにあるゴミキャッチャーが、交換可能な部品で、やっぱりホームセンターで売っていることを、この年になるまで知らなかった人間です。

残業した後、まっすぐ家に帰らずに、職場近くの総合病院で開かれていたアルコール依存症のセミナー(?)に行ってみることにしました。前回のAAミーティングの時にチラシをもらっていたのです。
なにしろ2時間のセミナーに1時間半遅刻していったので、確かなことは分かりませんが・・おそらくそのセミナーは、依存症が専門でない一般病院の医療スタッフに、依存症者への対応方法(つまり初期介入の方法)を伝える主旨だったようです。

介入の手法として「この方法は2/3の成功率だった」と言われると、2/3というのはすごい数字だと思ってしまいます。が、そもそも介入の成功という概念が、治療の成功とは違っている事に気が付きました。断酒に到達するのが成功ではなく、アルコール依存症の専門治療に結びつけるところが目標なのでした。

考えてみると、依存症の治療にはまず「初期介入」というフェーズがあって、次に専門機関での「治療」のフェーズがあり、最後のところで自助グループでの「断酒維持」というフェーズに到達するのでしょう(こうきっちりとは分割できないでしょうけど)。

いつの間にやらAAは「酒をやめる気のある奴だけ相手をする」という姿勢になってしまった感じがします。僕は「よくまあ飲んでいるスポンシーの相手なんかしますね」と感心されることがあります。そんなときには「どんなふうに12番のステップをやるかは自由だ」と答えることにしています。結果として僕のスポンサーシップは失敗続きなのですが、それはそれでかまわないと思っています。

まだ酒をやめる気がなさそうな人の家族から相談を受けても、僕には良いアドバイスが出来ない悩みがあります。時間と金に少しでも余裕が出来たら、ASKのインタベーションのセミナーでも受けてみたいと思うのですが、「余裕が出来たら」と言っている人間はいつまで経っても実行に移せないのであります。


2007年08月20日(月) 向こう側にも人間

「すべての人に同時に役に立つことはできない」
という言葉があります。

僕の投稿を読んで納得してくれる人もいれば、不快に思う人もいることでしょう。
若いころにモデムを買って通信を始めたときから、それは変わりません。
モラルとかマナーの問題もありますが、根本は「向こう側にも人間がいる」という単純な事実だと思います。

不快な思いが嫌で、心地よい思いだけしていたい。
人は誰もそうかも知れませんが、あまりそれが強いと不幸になるんでしょう。
心地よさを約束してくれる酒にはまり、時に不快な思いをさせる人付き合いが嫌いになる。
そうやって孤独に飲んできたわけです。

自分のために例会や掲示板に来ているのに、人のやることばかり気になる・・・。
誰かのためにやっていることじゃなくて、自分のためなのを忘れないでください。

例会や掲示板に「心地よさ」ばかり求めるのは、酒の酔いを求めたのと同じ心理だと思います。誰も不快にさせたくないというのは、その気持ちの裏返しでしょう。人を不快にすると、自分が落ち着かなくて心地よくないわけです。

人の役に立つこともあれば、傷つけてしまうこともある。助けてもらえることもあれば、不快にさせられることもある。それが「向こう側にも人間がいる」ってことでしょう。


2007年08月19日(日) Fear - 恐れ

ミーティング用お勧めテーマ #7, Fear - 恐れ

「私たちの欠点を増大させていたものは、自己中心的な恐怖――すでに得たものを失うことへの、あるいは求めるものを得られないことへの恐れだった。私たちは要求が満たされないままに生きてきたため、絶えず不安と不満の状態にあった。これらの要求を鎮める方法を見つけるまで、平和が訪れるはずはなかった」 12のステップと12の伝統 p100-101

飲んでいた頃の自分に取って一番大事なもの。それは「すでに得た」手元にある酒を失うことであり、これから「求める」次の酒、明日の酒を得られないことでした。それは恐れそのものでした。

楽しみであったはずの酒が、いつの間にか生活必需品になり、さらに水や食料のように足りなければ苦しみを呼ぶものになっていました。にもかかわらず、酒は飲むとどんどん減ってしまうのです。体から酒が抜けても次の酒が補充できなければ、禁断症状が起こるので、いつもある程度酒に酔っていなければなりませんでした。酒を失うことと、次の酒が手に入らないことは、不安の対象でした。

酒をやめて、そうした不安からは解放されたつもりでいました。でも、決してそうではなかったようです。

例えばどこで働いていても、いつかはこの職場を辞める羽目になるんじゃないか、という不安がこびりついて離れません。貯金がなければ、金のない苦しみがありますが、わずかな額でも貯金が出来れば、今度はそれを失う事への恐れが生まれます。

働く動機にしても、働かなければ手元のお金がいつかはなくなり、食べるにも困ってしまうからです。つまり不安と恐れを出発点として働いているので、病気や怪我や、あるいは倒産や解雇によって職を失うことへの恐れはなくなりはしませんでした。

今は酒がやめられて幸せだと言っていても、その幸せなはずの自分が、過去の友人に会いに行けませんでした。痛々しい過去に触れないことで保たれている現在の幸せが、過去を持ち出すことで壊れてしまうのが怖かったのです。ミーティングで正直に話しているつもりでも、会うのが怖い人がいる現実が、自分の回復の度合いを示していました。

現に存在している不安や恐れを、忘れることでしか幸せが保てないのが飲まない生き方ならば、不安や恐れを酒で忘れていた頃の生き方とどう違うのでしょうか。

結局のところ、人生はなるようにしかならないのです。僕が恐れるようなトラブルが持ち上がったとしても、きっとすべてのことは「なんとかなる」、つまり解決の方法があるのです。そこで示された解決方法が、僕の大嫌いな方法だったり、賛成できなかったりすることもあるでしょう。でも、神様の巨視的な視野で見ればそれが最善の方法に違いありません。それを信じることが出来れば、不安や恐れは小さくなります。

自分の利益ばかり考えていると、どうしても視野は小さくなり「なんとかなる」という信頼が薄らいで、不安が増えてきます。


2007年08月17日(金) 盆休みに思う

実家に二泊三日里帰り(?)してきました。子供は一緒ですが、妻は行きたがらないず家に残っていました。

今回は犬も一緒に連れて行きました。
というのも、子供たちが夏休みの自由研究に「犬の観察」をすることになっていて、しかも夏休み前にそう書いて先生に提出してしまったので、今さら研究テーマは変えられないと言うのです。ええい仕方がない、犬も一緒だ、とばかりに車の荷室に積み込みました。三日間、里へ山へと散歩に連れ出したおかげで、犬も足が一回り太くなるぐらい力強くなった・・ような気がします。

中日にプールに行った以外は、特にどこかへ連れて行くことはしませんでした。ニンテンドーDSは持参禁止、もちろんおばあちゃんの家ではアニマックスもテレビ東京もBSも映りません。パパは新聞を読み、子供たちは外で遊ぶか本を読むか。まあ、パパはときどきノートブックを広げては、ああPHSの電波が届かないと嘆いていたりしましたけど。

夜更けに24時間やっているスーパーへと、夜食の買い出しに行きました。ええ、子供も一緒です。一晩目は自動車で、二番目は街灯のない真っ暗な道を手をつないで歩いていきました。薄雲が出て快晴ではなかったのですが、明るい星はよく見えて「あれが木星、あれが大三角」などと話しながら懐中電灯を消して歩きました。ほんの30秒ほどでしたが北東から南西へと流れる天の川が、しかも暗黒星雲で二またに分かれているところまでよく見えました。

おばあちゃんが特別な料理をしてくれるわけでもないのですが、子供たちは普段の倍ぐらい食べ、宿題もあらかた片づいて、最後には「もう一晩泊まっていきたい」と言い出しましたが、予定どおり帰ってきました。

盆休みと言うことで、他の親子連れの姿を見ることもたびたびありました。
それを見て思ったことは、「やはり子供は子供らしい服がよい」ということです。子供は憧れが強いもので、テレビに出てくる人と同じ服を着てみたいと思うのも自然なことでしょう。でも、テレビの女の人たちの着る服は(特に夏場は)過度に露出が多くて「せくしー」なものもあるわけです。
それを子供が着たからってセクシーになるわけではありませんが、streetwalkerのドレスと同じものを、小学生の女の子に着せていいものなのかどうか。せめてセックスアピールが自意識の中に明確に入ってくる思春期まで、我慢させたらどうなんだろう・・と、まあそんなことを考えました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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