ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年06月20日(水) イニシエーションに非ず 人類学で、「社会集団に入るための儀式」をイニシエーションと呼びます。
主に未開の文化圏で、大人という社会集団に入るための儀式、つまり成人式みたいなものです。例えばバンジー・ジャンプは、南太平洋の島々の成人の儀式で、大人の男だと認めてもらうために青年たちに課された試練が元になっています。通過儀礼。
AAという集団に入るためには、なんの儀式も要求されません。自分はアルコホーリクで、AAのメンバーになったと言えば、誰もそれを否定できません。唯一要求されることは「酒をやめたいという願い」を持つことです。
「AAは酒をやめたいだけで<仲間>だと言うけれど、私としてはステップをやっていない人は仲間とは呼びたくない」と明言する人もいます。僕も個人的には同じ考えなのですが、そういった個人の考えはとりあえず脇に置かなければなりません。
さて12個あるステップのうち、最初の山場はステップ4と5です。
今まで生きてきた人生を一年ずつ振り返るにせよ、現在の自分の状態に集中するにせよ、その過程で自分の心の奥深いところまで光を当てることになります。その作業が楽であるはずもなく、多くのAAメンバーはその手前で足踏みをすることになります。でも効果はあります。
ステップ4・5を済ませていることが「一人前のAAメンバー」の条件だと考える人たちがいます。僕もその考えは的はずれではないと思っています。
ただ、ステップ4・5が強調されるあまり、それがイニシエーションだと勘違いされてしまっては困ると思います。ステップが6〜12と続いているにもかかわらず、4・5を済ませたことで一段落してしまい、前へ進めなくなりはしないでしょうか。かくいう僕もその一人でした。
AAのミーティングに出席したら、重苦しい気持ちが楽になったという経験を持つ人は多いと思います。そういう経験を重ねて「ミーティングには効果がある」と認めるようになるのでしょう。ミーティングの効果を信じるのが先で、ミーティングに通うのが後、という順番にはなりません。通う→効果を信じるという順番です。しんどいから通わないと言う人に、ミーティングの効果は及びません。
最初は効果に納得していなくても、ともかく始めないと効果が出ません。信じていなくても、ダマされたと思って、拒絶せずにやってみることです。ステップ4・5も同じです。
とりあえず信じてみる(ステップ2)と、信じたからにはやる決意をする(ステップ3)ができてないと、4・5には進めません。AAに通っていても、なかなかステップ4・5ができない人は、怠惰とか優柔不断ではなく、「AAに対する信頼」と「やる気」が足りないだけの話です。AAを信じてるとか、AAのおかげとか、口でどんなに立派なことを言っても、(他のことと同じく)行動がそう思っていないことを証明していまいます。
耳の痛い話かも知れませんけど。耳の痛い話をされなくなったらおしまいですからね。4・5ができれば一人前ではなく、一人前なら4・5はできてるはず、ってことです。
2007年06月19日(火) たまには時事問題 年金氏名 自動読み仮名ソフト導入 入力ミス誘発、システム欠陥
バイト経験者、年金入力ミス認める 「自分のせいでは」
「マイクロフィルム化」年金記録 判読困難データも
年金問い合わせのフリーダイヤルなんかを設けたところで、そもそもデータベース上にまともなデータがなければ、検索すらできないはずです。手書きの台帳をデータ化する時点で、ずいぶんいい加減なことが行われてきたのでしょう。
それは確かに大変な作業かも知れませんが、以前は台帳で管理されていた戸籍謄本や住民票も、いまではほぼすべて電算化されています。間違いを見つけて個別に訂正してもらったという話はきいても、戸籍や住民票が行方不明になった話は聞いたことがありません。
銀行も預金を通帳で管理していたものを、電算化してきたわけですが、その過程で預金が消えたという話も聞きません。
年金保養施設に無駄な金はたくさん使っても、電算化やシステム開発にかける金はなかっのでしょう。
これからどうするかと言っても、間違っているデータをコンピューター上でいじくり回してみたところで解決には結びつきません。膨大な手間がかかっても全データを人手でつきあわせるしかないでしょう。それ以外の解決策は「目くらましのための小手先テクニック」にすぎません。
年金問題:「社会保障番号」導入 安倍首相の意欲の裏は…
どさくさに紛れて背番号制を導入しようという話が出ていますが、人が「どんな病気にかかって、どこの病院で治療を受けたか、全記録が政府によって一元管理される」ってのは、アル中にとっては落ち着かない話です。
ましてやそれを、年金記録を扱ったようないい加減な連中が扱うのだとすると、ろくでもないことがいっぱい起きそうな予感です。
2007年06月18日(月) 単なる善意では不十分 つくづく善意だけではどうにもならないと思います。
多少なりとも依存症という病気のことが分かった人は、酒を飲まないほうが良いと思うだろうし、自分の人生を悪くしようと思ってはいないと思います。基本的に善意なんでしょう。
でも、飲んでしまう。
善意から出発したのに、最後は酒です。
植木等は「わかっちゃいるけどやめられない」と歌いましたが、酒をやめるべきだと分かっている(善意)のに、やめられない(病気)わけです。周囲はやめられないのはわかっていないのが理由だろうと思うのかも知れません。でも、良くなろうという気持ちはあるんですよ。
僕だって、人生を良くしようと思っていたわけです。なのに最後は精神病院です。
自分自身に対しても、他者に対しても、善意だけではどうにもならない、ということが分かっていませんでした。善意であれば十分だと思っていた、とも言えます。善意以上の何かが必要だとは、というか善悪を超えた何かが必要だとは、思っても見なかったわけです。
やめようと思うのにやめられないと悩んだり、また飲むんじゃないかと不安になる人は、自分の善性だけでは十分でないことに気がつき始めてるんじゃないかと思います。
2007年06月17日(日) 依存症という病気のせいで離婚を経験し、子供と会... 依存症という病気のせいで離婚を経験し、子供と会えなくなってしまった話はいくつか聞いたことがあります。そのままずっと一生会えずに終わるってこともあるのかもしれません。
しかし、AAメンバーの語った経験によれば「AAでソブラエティを続けていれば、いつかは神様が会わせてくれる」ということのようです。
もっとも、その「いつか」ってのは3年や5年じゃまだダメで、目安とするなら10年でしょうか。小学生だった子供が青春まっただ中に突入している頃であったり、思春期の子供が結婚する頃だったり、まさに様々であります。
ある高齢のメンバーが「明日、三十何歳の息子と、二十何年ぶりかで会うんだ」と話してくれた時には、こちらにまで期待と恐れがじわーんと伝わってきて、何をしゃべっていいのか分かりませんでした。
僕のスポンサーも子供に会えない人でしたが、どうやら「その時期」が来たようです(詳しくは知りません)。
僕は最近テレビドラマをほとんど見なくなってしまいました。生の人間が繰り広げるドラマの方に接していると、どこかの人間がシナリオを書いて時間通りに終わるストーリイが虚しく感じられるときがあります。筋書きのない(あるいは神さまが筋を書いている)人生劇場は、おもしろいとか興味深いという次元を超えて、僕を惹きつけるところがあります。
まあ最近は「子供に面会する権利」なども言われるようになり、ソーバー若くして子供と定期的に会っている人も増えましたが、子供に会える喜びよりも、子供がどう反応するかに気を取られ過ぎているように見受けられ、はたして回復のためにプラスになっているか疑問に感じることもあります。
子供のためにではなく、自分のために酒をやめていただきたいものです。
もっとも「自分のために」ができない病気であったりするんですが、それはまた別の話で。
2007年06月16日(土) キップル DSM-IVの強迫性パーソナリティ障害の診断基準の中に、
「感傷的な意味のない物の場合でも、使い古した、または価値のない物を捨てることができない」
という項目があります。診断基準は8項目の内4つなので、この「捨てることができない」に当てはまったからと言って、すなわちパーソナリティ障害ということにはなりませんので念のため。
今年の「単純に愚直にやる」という自己テーマの中には、要らないものを捨てる、要らないものは買ってこないってのがあります。これは精神的なもの、心の中のものでについてもそうですが、物質的なものにも当てはめています。
部屋が散らかってしまう要因は、やっぱり要らない物がゴロゴロしているのが問題なんでしょう。本棚が溢れているので整理することを考えても、例えば勉強しようと思って買った電気回路の本ですが、ここ何年も開くことがなかったのに、いつか使うかも知れないと捨てられないでいます。勉強がしたいという願いは「感傷的な意味」なのかもしれませんが、別に将来勉強が出来る余裕が出来たときに、改めて本を買ったってかまわないのに、今手元にある物にこだわってしまうのです。
CDの空きケース、腐ってきたハンドクリーム、使わなくなったAirH"端末、B5版の裏紙、10年前の領収書の束、何年も袖を通していない服・・・。
映画の中の高倉健なら、絶対こういう物にまとわりつかれずに生きているような気がします。いや高倉健の映画はあまり見たことがないで想像ですが。まあともかく、僕はそういう物に囲まれながら、部屋が狭いと文句を言いながら生きています。
要らない物をそぎ落す作業を続けていったら、最後何にも残らなかったらヤダなとは思いますが。
いろいろ返事の書いていないメールとか、手の着いていない作業もありますが、とりあえず今夜は寝ます。
2007年06月14日(木) 確かな何か 『信じるようになった』という本をときどき読みます。ちょっとずつですけど。
AAメンバーがそれぞれの Higher Power を信じるに至った経験が分かち合われている本です。最初はこれを読んだときには、結構ムカムカしたものです。当時僕は、「自分のハイヤー・パワーを探したい」と言っていたにも関わらず、やっぱり感じたのは反発でした。
AAが始まって2〜3年後に書かれた『アルコホーリクス・アノニマス』という本があって、その名前(AA)がこの共同体の名前になったわけです。アノニマスというのは「名も無い」つまり有名でない、アルコホーリクスは以前の言葉では「アルコール中毒者」という意味です。
この本はAAメンバーが100人を超えた頃に、その100人の経験を集めて書かれたものとされています。そしてその本の中にはひんぱんに「神」という言葉が出てきます。英語では God です(先頭大文字ね)。Lord というキリスト教で言うところの「我が主」という言葉は一度も出てきません。そのかわり Creator 「創造主」という言葉もずいぶん出てきます。
この本がAAの基本テキストなんですが、これを読んでいると「最初の100人というのは、ずいぶんと宗教的な人たちだったんだろうな」という感じがします。
しかし当時のことを書いた文章によれば、その100人は大部分が「無神論者」、つまり神様なんかいるわけがないという信念を持った人たちでした。宗教なんかくそ食らえという人たちでした。ですが、その人たちも、また『信じるようになった』に文章を書いた人たちも、また現在のAAの人たちも、決して「宗教的に改心させられた」わけではありません。
自分が好きなものを選び取って信じるようになった、というか、もともと持っていたのに捨て去ってしまったものを、再び手にしたという感じなのかもしれません。子供の頃を思い出してみれば、大人の思惑なんかに左右されない、確かな何かがあって欲しいと感じていたのではないでしょうか。
2007年06月12日(火) ちかれたびー 妻が風邪を引くといつも長引きます。
最近作ったもの。ナスの肉炒め、キャベツの味噌炒め、鮭の切り身焼き、炒飯2回。深夜に料理しておいておいて、朝晩それで食事にしてもらってます。子供は給食もありますから。なんとなく中華ものが多いのは、最近中華鍋を買ったからです。みーんな「○○の素」みたいなのを使って料理ですけどね。
みそ汁の具は、ナス、オクラ、エリンギなど。具を切って鍋に入れておくと、朝起きた長女が味噌とダシを入れてみそ汁に仕立ててくれます。ときどき寝坊したらしく、晩までそのままだったりしましたけど。
ご飯は炊飯器が炊いてくれます。最近の炊飯器はきっともっとおいしく炊けるのでしょうが、古いくせになかなか壊れてくれません。
10時過ぎに帰ってきて風呂に入り、残り湯で洗濯をして、その間に一日干しておいた洗濯物を取り込んでアイロンがけ。お風呂の掃除。
ようやく今夜オムレツの作り置きをしたのを最後に、バトンを返せそうです。
はっきり言って疲れが溜まってます。ワーキングマザーの人はさぞかし大変でしょう。
その間も、仕事でトラブルは起きるし、酒を飲み出すヤツはいるし、めがねは壊れるし。本当にツキがないときは、トラブルがダマになって襲ってきます。
AAの仲間がよく言っているのですが、こういう時に恨みがましい気持ちでいると、まるで磁石が砂鉄を引きつけるように、さらなる不幸が次々と吸い寄せられてくるんだそうです。だから悪い時期もやがて過ぎ去ると信じて、淡々とやるしかないんだそうです。
さすがに今夜は体力も頭の方も限界付近で、AAミーティングが終わった後に、駐車場から車を出したら、横断歩道を渡っている仲間をひきそうになってしまいました。ごめんなさい、言い訳ですね。
帰ったら妻が子供を風呂に入れていたので、心底ほっとしましたよ。
次女が洗い物をしてくれたりして、悪いことばかりじゃなかったです。
まあ、僕自身はいつもどおり外食ばっかりの生活だったんですけど。
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