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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年05月26日(土) 心療内科が消える? ひさしぶりにのニュース検索をチューニングしました。
ほったらかしだったので、Googleニュース検索しか機能していませんでした。でもあんまり不都合を感じなかったのは、それだけGoogleニュースが強力ということでしょう。
作業後は再び、毎日・朝日・日刊ゲンダイ・Yahoo!ニュース・Livedoorニュースが探せるようになりました。さらに読売と産経を加えました。
引っかかる記事数が増えて、このページが妙に長くなってしまいました。ページ容量の大きさに皆さんが不便を感じるようでしたら、このページの下は新着記事だけにして、アルコール・薬物・摂食・ギャンブルは別ページにしようかとも思います。
ご感想をお寄せください。
さて本題。
厚生労働省が、医療機関が標榜できる診療科名を38から26に整理することを決めた、とニュースがありました。整理される科名の中には、神経科や心療内科もあります。これらは(おそらく)精神科に統一されるのでしょう。
そもそも心療内科というのは、たとえばストレスが原因の胃潰瘍とか高血圧のような「もっぱら身体に症状が出る」人を治療するためのものでした。神経症やうつ病の人も身体に症状が出るのですが、そういう人は心療内科ではなく精神科に行くことになります。
人はストレスを辛いと感じるものです。少なくとも感情として「嫌だな」と思うものです。その感情を押し殺していると、うつなどの精神の不調が起きてきます。それは人間として自然な反応と言えるでしょう。
でも中には、ストレスを感情で認識できず心の不調も起きない人もいて、じゃあそういう人は強い人なのかというと、今度は身体が不調になるように出来てるわけです。子供のぜんそくが、転校したとたんにすっかり治ってしまったのは、実は前の学校でいじめられていたことを親が気づいていなかった、なんて話もあります。ストレスを心で表現することが出来ず、身体で表現している人はたくさんいます。
高血圧や胃潰瘍という身体の不調を治療しても、精神的な問題を解決しなければ、効果が出ません。
だから、主に内科的な不調を治療しつつ、心の問題にも対処できる医者が配置されたのが心療内科ということでした。
精神科という名前が付くと敷居が高くてまたげない人でも、心療内科なら行く気になる場合も多いようです。自分がそれほど重症ではないと言い聞かせるために、都合の良い科名なんでしょうか。そうした患者さんに対して、心療内科側で「あなたはうつ病だから精神科へ行ってね」ときちんと断ることが出来ていれば良かったのでしょう。
しかし、精神科に行きたがらず「ここで診て欲しい」という患者を断るのは難しいようです。うつ病や神経症では、内科的な不調も出ますからなおさらです。そんなわけで、本来精神科で治療されるべき患者を専門外の内科医が診ることになり、精神科と心療内科の垣根はどこまでも低くなってしまいました。ドラマに、心の治療しかしていない心療内科医が出てくるに至っては・・・いやはや。
良質な心療内科もあるのでしょうが、多くは目指すところと現実がかけ離れているのですから、そこは合わせた方が良いと思います。診療科目の中にカッコで得意分野が書けるようになるので「内科(心身症)」というようにし、実態が精神科のところは精神科医を配置して精神科にすべきです。それが本来の心身医療のありようだと思います。
2007年05月25日(金) 10分で書く雑記(その2) 一応昨日の続きです。
昨日は第3章の話だったんで、今日は5章。
5章の冒頭に何が書いてあるかというと「本気でAAの原理に取り組みさえすれば、どんなアル中でも回復できる」とあるわけです。ところが、AAに来ても依存症から回復できない人は、現実にたくさんいるわけです。
じゃあ、そういう人は、どうして回復しないのか?
まず一つめの理由は「本気で取り組んでないから」です。酒の飲み方に問題がないと思っている人、自力で解決できると思っている人、とりあえず医者や自助グループに通ってるだけの人。そういう人はいずれまた飲むわけです。
たとえばAAの本ていうものは、難しい理屈が書いてあるわけじゃなく、具体的な手段が書かれたハウ・ツー本です。ゲームの攻略本みたいなもので、四の五の言わずに、その通りやれば生き方の問題は解決できるわけです。それを「この本は難しくてわからない。書かれたことの真意が理解できれば、私だってやってみるのに」みたいな言い訳をして、始めるのを先に延ばしているうちに、また飲んでしまう人もたくさんいます。
二番目の理由は「本気でやっているのに、どうも回復できない謎の人」です。5章では、こういう人を「自分に正直になる能力がない人」と呼んで、しかもそれは「生まれつき」だから、本人にも我々にもどうにも救いようがないと切り捨てています。
本当にこういうタイプの人がいれば、本当に可哀想な人だと思うのですが、僕は今まで二番目のタイプの人は見たことがありません。みんな一番目のタイプばかりです。
ここ書いたのはあくまで僕の解釈ですが、趣旨は外していないでしょう。
ただまあ、解決方法を持っているのはAAだけじゃありません。だから、AAのやり方が気に入らなければ、自分のやり方を試してみるなり、他をあたってみるなり、そのほうがいいかもしれません。
で、あなたがやる気になったとして、じゃあいよいよ本題の、ステップの話に入ろうか・・て感じで、文章が続いていくわけです。
というわけで、3章も、5章も、ガツンと厳しいことが書いてあるわけです。それを毎回読むことにも意味があるでしょうね。
2007年05月24日(木) 10分で書く雑記(その1) ずいぶん前の話。県内で依存症に詳しいと評判の医師が、大学病院のインターン相手にアルコール依存症の講義に招かれました。先生はテキストとして、AAのビッグ・ブック英語版の第3章冒頭をコピーして使ったそうです。なぜ英語版かというと、その文章が60年前から変わっておらず、60年経ってもその内容が「時代にそぐわなく」なったりはしないということであったと思います。科学はまだ治療法を確立できていないのです。
3章冒頭をざっくり要約すると「まともに飲めるようには二度と戻らんよ」ということであります。そのテキストを読んだ医者のたまごたちの感想は、「そんな事実を依存症の患者さんに突きつけたら、悲観して自殺しちゃいますよ」というものであったと聞きました。
僕が何年目かにビッグ・ブックを読んだときの感想は、この本に書かれている理屈は、僕の知るAAの理屈とずいぶん違っているというものでした。
たとえば当時のAAミーティングや、病院メッセージのには、あまり病気の真実を強調しない方が良いという考え方がありました。それは反感しか呼ばないと。確かに、失った飲酒のコントロールは二度と取り戻せないとか、飲み続ければ棺桶・閉鎖病棟・刑務所しか行き着くところはないと(たとえば病院で)言えば、冷ややかな無視や頑固な否認にぶち当たるのは確かです。だから、自分の経験をひたすら話すことに絞って、その経験の中から共感と気づきを得てもらうことで、徐々に相手が変わることを期待するしかないという論調がありました。
それは確かに一面の真理ではあります。しかし「俺はお前とは違う」という否認や、「ほらここが違う」違い探しにぶち当たることは避けられません。
そして経験共感主義に偏るあまり、たとえば「若い女性とじいさんの飲み方に共通する部分が少ない以上、女性が病院メッセージに参加するなんて、所詮本人のためにしかならない」という偏見を感じました。まじめにメッセージを運ぼうとする若い人や女性、合併症者に、偏ったサンプルというレッテルを貼ることになっていた気がします。
ところがビッグ・ブッグには、この病気の悲惨な側面を、余すところなく強調してかまわないと書いてあります。なぜなら私たちは、まじめに取り組みさえすれば、ほぼ全員が回復できる(12のステップという)道具を持っているわけだから、絶望させることは無責任でもなんでもない、あいまいにお茶を濁すより良いというわけです。
同時に、道具をきちんと手入れしておきさえすれば、ねーちゃんがじーさんに、親が子に回復を運ぶことも、当たり前にできることになります。
共有すべきは原理という考え方からすれば「経験の分かち合い」は、あくまで手段であって目的ではありません。
僕は「今のAAは手段が目的化してしまっている」と感じていました。手段の方が気持ちいいのはよくあることで、子供という目的よりも、それを作る手段の方が気持ちよかったりするわけです。
(たぶん、明日に続きます)
2007年05月23日(水) 会えないことの価値 今まで知らずに過ごしてきた 本当の温もりを教えてくれた人
言葉にできない想いに触れた瞬間 何もかもが変わったあの日
二人が出逢えた事 偶然なんかじゃない 求め合った奇跡
あなたは私の心を映す鏡 この世界で逢えてよかった
〜植村花菜 『キセキ』
ある人が亡くなりました。といっても親しい人ではありません。
お互いネット上で活動していたので、多少のやりとりはありましたが、交流があったと言えるほどじゃありません。そのうち機会があるかもと思っているうちに、この世を旅立たれました。どうして関与しなかったかと理由を考えてみれば、思い当たることは一つで、自分とよく似ている人だからです。
人間誰しも、鏡をのぞき込むのが怖いときがあるんじゃないでしょうか。
マット・スカダーの第何作だったか忘れましたが、主人公スカダーの知り合いのAAメンバーが死んで発見される場面が出てきます。そのあとでスカダーは「彼が死んだときに酒を飲んでいたのかどうか」にこだわって見せます。世間的に見れば、それは(死という大きな事件に比べれば)些末なことでしょうし、詮索すべきことではないのでしょう。でも、僕にはスカダーのこだわりがとてもよく分かるのです。
ネットに限らず、AAの中でも熱心に活動して存在を知られたメンバーが、知り合う機会のないまま人生を終えられてしまうことがあります。挨拶ぐらいはしたことがあったろうと思うと、以前はそれがとても残念に思えたものでした。
それは僕が、出会えたことがすばらしく、出会えないことが「残念なこと」という価値観に囚われていたからでしょう。僕が ゲシュタルトの祈り の理解に回り道をしたのも、同じ理由からです。
出会えないことが、出会えることと同じぐらい素晴らしいことだと気づくのには、かなり時間がかかりました。
一日、Windowsの修復作業ばかりしていたのですが、Office をインストールしてから Windows Update をすると、パソコンがハングしてしまう症状にずっと悩まされました。諦めてAAミーティングに行ってから帰宅すると、ちょうどそれの修正が自動配信されたところでした。歯車がかみ合わないときとは、そんなものかも。
2007年05月22日(火) 炭を焼く人 山あいの村に父の知り合いの老夫婦が住んでいる。旦那さんの職業は炭焼きだ。ただ、炭焼きが職業と言っていいのかどうか分からない。確かに山で焼いた炭を売って金銭的収入を得ているのだが、他に様々なことをしているからだ。
たとえば食べる米は何枚かの狭い田んぼから得たものだ。味噌も大豆から作る。たまごを取るためにニワトリも飼っている。炭の焼けない冬になれば、老人は散弾銃を持って山にはいるが、取ったイノシシは食べることなく業者に渡され、たまにキジ鍋を食べるぐらいだという。老夫婦が村の農協でする買い物は、塩や衣服ぐらいに限られる。
老人の焼く炭は評判が高い。と言ってもしばらく前までは、使っているのは県内の観光客相手の店ぐらいで、それほど有名ではなかったらしい。
老夫婦の息子三人は都会へ出て行って居を構え、この村へ戻る気もないらしい。もとより戻ったところで職もないだろう。だから、老人の炭焼きの技は、伝承されずに途絶えるかに思えた。だが、意外な後継者が現れた。
その青年は、以前IT関係のベンチャービジネスを手がけており、私もその社名を聞き及ぶほど成功していたが、ITバブルの崩壊によって敢えなく倒産してしまった。青年は妻子と別れ、借金取りに追われるように全国を無銭旅行で転々とするうちに、この村へ迷い込み、老夫婦の世話になったらしい。
青年の不思議なところは、そのまま居着いて炭を焼くようになったことだ。
修行の甲斐あって立派な炭焼きになった青年は、本物の炭はもっと価値があってしかるべきだと考えた。元はと言えば事業家であったのだ。師である老人は良い顔をしなかったが、青年は炭を焼く合間を縫って、師弟の焼く炭の販路を地道に拡大していった。ねばり強い営業の結果、京都の料亭や東京の焼き肉屋に使われるようになった。それが契機となり、彼らの炭は引っぱりだこになった。もとより炭の品質は良いのである。
この成功によって、再び妻子供と暮らせるのではないかと希望を持った青年だったが、そうすんなりは行かなかった。韓国や中国からの輸入炭が、より安い価格で青年の市場を奪っていったからだ。良い値で買ってくれる取引先は、細る一方だという。かといって、もとより薄利多売のために大量生産できるものでもない。青年の悩みはつきない。私が訪れた日も、青年は街の誰かに相談に行っていて不在だった。
自分で入れた茶をすすりながら、「あんらー(青年)もまだまだなぁ」と老人は私に言った。それを聞いて私は、まだまだなのは青年の炭焼きの技術かと思ってしまった。やはり代々受け継がれてきた炭焼きの技術は、数年で受け継がれ得るほど易しいものではなかったのか。そう尋ねると、
「違うせぇ、おらあの若い頃にゃ炭を買う奴なんていねぇ。皆自分で焼いたもんだ。炭を売るようになったは、ここ三十年ばかずら。炭は誰でも焼ける」
では青年には何が足りないのか。
「東京の人と同じに稼ぎたけりゃ、東京で人と同じに働けばいいずらい。ここで暮らしたけりゃぁ、ここの稼ぎに慣れなぁな。山で暮らして東京の稼ぎを欲しがりゃあ、てきなく(辛く)なるずら」
自給自足が原則の老夫婦の暮らしに、あまり現金は要らない。一番金を使うのが、子供や孫がやってくる正月の買い出しだそうだ。このときばかりは肉や魚を買うという。老夫婦は都会の息子たちから仕送りをしてもらうどころか、逆に所帯を持った息子たちに少ない年金から仕送りをしているのだ。「都会の暮らしはてーへんだから」と言って奥様が笑っていた。
遠い祖先から受け継がれてきた炭焼きの技術を目にすると、私はどうしても職人の技や、その精神性に思いをはせてしまう。だが、もとより炭は生活のために焼かれてきたものだし、この老人とて息子を都会の大学にやるために炭を焼いてきたのだ。そこで稼ぐ額も使う額も少ないと侮ってはいけない。青年の望みよりはるかに小さい額であるが、老人は炭焼きという事業を成功させ続け、なにより望むものを手に入れ続けてきたのだから。
「欲のあるもんが焼いた炭から、欲の匂いがしてな、料亭やらなにやら不味いものばかりさ」
誰に言うでもなく老人がつぶやいた。私は茶の礼を言い、奥様がくれると言った野菜を固辞して車に乗り込んだ。五月の空に、炭焼きのかすかな煙が上っていた。
・・・
今日の夕方、面倒なお客さんからの問い合わせの電話を上司がさばいていました。ちょうどそのころ、僕はまっさらなコンパクトフラッシュカードにOSをインストールする作業をしていました。MBRにブートコードが書かれていないのが問題で、悪いことにKNOPPIXもsyslinuxも歯が立ちません。
僕は早く作業を切り上げて、たまには峠の向こうのAA会場に行こうと思っていました。一方で、今日は技術担当者が僕しかおらず、僕が帰ってしまうと上司が孤立無援になることも心配していました。これが毎週出ている会場だったら、とっとと帰るんですけどね。そうするためには、それ以外の日が大事ですから。
ちょうどDOSのFDISKを使うとうまくいくことを確認し、上司を見捨てることを決意した僕は、すこし緊張感が薄れていました。
さあ、これが終われば Windows を起動して、タイムカードをついて逃げ出せる・・・と思ったのですが、なぜかパソコンの真っ暗な画面に
Missing Operating System
の文字が・・。あああ、間違ってハードディスクの Windows を削除してしまったようです。
パソコンが動かなければ何の気晴らしもない仕事場で、ひとりぼっちで Windows のインストールをしながら、気の向くままに想像(妄想とも言う)を巡らせた結果できたのが、今日の話です。だから炭焼きの青年も老夫婦も、僕の頭の中にかしかいんです。つまらないフィクションでごめんなさい。
2007年05月21日(月) 達しない欲求不満 たばこ、最初に吸ったときは、目の前が真っ暗になりました。
その次は煙いばかり。
やがて慣れてくると、吸うたびに軽い酩酊感を味わえるようになりました。
「多くの者は、その酩酊感が消えても吸い続ける」と、ラリー・ニーヴンの小説に書いてありましたが、僕もその通りになりました。
たばこでも、お酒でも、覚醒剤や麻薬でも、結構苦労して修行を積まないと「本物の依存症者」にはなれんのです。
あなたも、お酒でうまく酔えるようになるまでは、飲み方とか、時間とか、酒の種類とか、いろいろ試行錯誤や工夫をした時期があったんじゃないですか?
依存症にならず、酒をコントロールしながら楽しんでいる人でも、時には失敗して翌日の夕方までひどい二日酔いに苦しんだりします。うまく酔うのは難しいものです。
飲み続けていると、同じだけ酔うのに、よりたくさんの量が必要になります。酒が強くなったと形容されますが、その実はアルコールに対する感受性が弱くなっているだけです。この「耐性の強化」が進行するのも依存症の特徴です。望ましい酔い心地に達するまでには、よりたくさんの酒を飲まなければならなくなります。気持ちよくならなければ「飲み足りない」と感じるようになります。
しかし(脳を含めた)身体が受け付けられる酒の量には限度ってものがあり、いずれ大量飲酒による不快な症状が出てきます。たとえば、血中のアルコール濃度が上がりすぎれば、脳は覚醒していられなくなって意識を失います。つまり、酔いつぶれてしまうわけです。もうちょっと飲んでいたかったのに、気がついたら翌朝になっていて、ひどい二日酔いという経験はありませんか?
前の晩に気持ちよく酔えなかった欲求不満から、よし今夜こそは気持ちよく飲んでやろうと・・・そうやって毎晩大量に飲むわけです。晩まで待てなくなれば、連続飲酒の始まりです。
たくさん飲んでいても、実はアル中さんはちっとも気持ちよく酔えていません。薬物依存で言うところの「グッド・トリップ」は、アルコール依存でも病気の進行とともに極端に減ります。たまにしか出ない当たりを求めている点では、ギャンブル依存と似ているかも知れません。
たばこを何本吸っても酩酊感が得られなくなっても、人はなぜかたばこを吸い続けます。なぜかじゃなくて、同じ理屈ですね。
(タイトルが少々下品になったことをお詫びします)
2007年05月20日(日) 名が勝つは恥なり という言葉があったように思います。
ネットで調べてみると「實勝善也、名勝恥也」とあります。漢文ですね。「實」って何でしょうか。
それはともかく、実力より評判が高いことは恥ずかしいことなのだ、という意味だと思っています。自分の評判を高く保とうとするのがプライドならば、それは恥ずかしいことでありましょう。
だいたい評判てものは、自分ではコントロールの効かないものです。それをコントロールしようと思えば疲れてしまいます。評判を意図的に低くしようとするのも、正常な精神の働きではないんでしょう。AA風の用語で言えば「それは本当の謙虚とは違う」というわけです。
自分に価値がないと思っている人は、周囲からの評価が気になると言います。自己評価の低さを、高い評判をもらうことで消そうとするんでしょう。でもそれは、自分の内面を見つめることではなく、外から見た自分を見ているので、どんどん自分がなくなります。重い責任を果たすことで、能力のある人間だと周囲に認めさせようとすれば、すぐに疲れてしまいます。自分の必要ではなく、誰かの必要を満たすことでしか、満足を得られなくなってしまったら怖いでしょう。
評判を気にせずに、実力を育てることに集中できる人が「謙虚な人」なんでしょう。
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