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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年04月13日(金) 巨人の肩に乗れ 「もし私に他の人々よりも遠くが見えたのだとしたら、それは私が巨人たちの肩に乗っていたからでしょう」
万有引力を発見したアイザック・ニュートンが語ったとされる言葉です。
先人の残した業績があったからこそ、人並み以上のことができたという率直な告白です。
「車輪の再発明」という言葉があります。人類が車輪を発明することで、ものを輸送する労力は大幅に減りました。これが偉大な発明であることは、現在でも自動車、電車、あるいは飛行機の離発着にまで車輪は使われていることからうかがい知れます。私たちは生まれた時から車輪のある社会に暮らしているので、車輪の存在をあたりまえに感じています。
ここにある天才がいたとして、彼がものの輸送を楽にする手段を発明しようと努力したとします。四角い形やら△の形やら、いろいろ試した挙げ句、なるほど円板を円周方向に転がすと摩擦が少なく、衝撃も少なくて具合が良いことを発見し、それを応用した輸送手段を作成して「リヤカー」と名づけたとします。
それは天才らしい偉大な発明家も知れませんが、車輪を再度発明したことを讃える人はいないでしょう。
なんでAAのミーティングで小難しい本を読むのか。それは巨人の肩に乗るため(先人の業績を受け取るため)です。AAの最初の数年間に、わずか100人のメンバーの手によって「スピリチュアルな原理」は完成を見ました。彼らが特別な存在だったのか、真剣さが特別だったのか、奇跡が起きたのか、単なる偶然か、それは分かりません。ともかくそれが本となって残り、また延々と伝えられて今のAAの姿があるわけです。
その原理の根本は、決してAAの専売特許ではなく、普遍のものです。
そして成長するAAグループや、回復途上の個人が、努力を重ねて霊的原理を「再発見」したとしても、それは「車輪の再発明」と同じで、その喜びは自己満足です。
行動として表面に出てくるステップは、100人いれば100通りあるでしょうが、根本の原理はひとつです。自分にあったやり方を発見することが大切で、原理を再発明しようとすれば途中で嫌になるのが普通でしょう。
2007年04月12日(木) インテリは回復しない 僕がAAにつながった頃に、「インテリは回復しない」と言われました。
現在の日本でインテリという言葉が何を示すのかは曖昧ですが、少なくと原意の intelligentsiya とはかけ離れていると思います。物知りとか知識人ぐらいの意味でしょうか。今では高校卒業者の半数近くが進学して、高等教育を受けるわけですから、石を投げれば知識人に当たるぐらいなのかも知れません。
ここでは「いろいろ知識があって、理屈で考えるのが得意」ぐらいにしておきましょう。
インテリはなぜアルコール依存症から回復しないのか?
当時言われたことは「自分の頭で考えるからだ」というものでした。今の僕は「インテリは自分の理解できる理屈で理解しようとするからだ」と考えています。逆に言えば、自分に理解できないものを拒絶するのが理由でしょう。
アルコール依存症者の脳は、飲酒以外のことへの興味関心が薄くなってきます。それは脳の状態の変化から来るものです。飲むことで抑うつが強くなって、同じ思考パターンをぐるぐるくり返すようになります。結果として、いろんな要素を公平に考えることや、自分の考えが間違っていないか点検することができなくなるので、自力で自分の考えを変える能力がなくなります。
そこでちょっと人より知識が豊富だとか、理屈に長けているぐらいじゃ、焼け石に水です。それぐらい、アルコールの長期的な影響とか、子供の頃から身につけた認知の歪みとかは大きいわけです。
ちょっと言葉は強烈ですが「狂っている」わけです。ところがインテリは、自分の論理的思考は正常だという幻想を持ってしまいがちです。それが回復しない理由でしょう。
さまざまな要素を公平に勘案して結論を出すことができないわけですから、そんな状態で自分の結論にこだわってみても前へ進めません。納得できない理屈や方法論であっても、目の前に提示された方法に身を任せていく。自分の結論が最善でないのだったら、自分で考えて結論を出すことは時間の無駄です。
僕自身は、自分をインテリだとは思っても見なかったのですが、AAの仲間たちは「邪魔になる知的プライドの持ち主」と見抜いたのでしょう。僕は、もう少し病気が進んで、自分の中の障害物が消えるまで、回復が始まらなかったわけであります。
理屈で理解しようとすれば、そこで立ち往生です。いずれ自分にも理解できる時が来る、と自分に言い聞かせて進しかありません。
2007年04月10日(火) 今日は早く寝るんです ノートパソコンを選定してくれと頼まれました。
ノートパソコンてのは、店頭で買うと、何であんなに高いんでしょう? あいや、利益率の高い(価格も高い)ものを選んで並べているのかも知れません。というわけで、直販を選ぶことにします。
条件はDVD再生と、ワードとエクセルが使えること。メーカーはデルやHPという大手ではなく、NECや富士通と言った国内のコンピューターメーカーがお好みのようです。
まずNECのLaVie。
ミドルクラスの LaVie G タイプLアドバンスドというのを選んで、適当にカスタマイズしてみます。メモリはVistaを使うので1GB、無線LANカード、外付けのフロッピー、Office Personal 2007で14万3千円。
次に富士通。
同じようにワイド液晶の BIBLO NF を選び、同じくメモリを1GBと無線LANカードとオフィスを付けます。15万3千円。割引クーポンを使えばもう少し安くなるかも。
14万円前後ということでしょうか。
あんまり見て回っていると、自分も欲しくなる危険があるので、これぐらいにしておきましょう。
ACCEPTANCE WAS THE ANSWER を収録しました。
2007年04月09日(月) どうでもいい話 記録が残っていないのですが、この前パソコンの主要部品を買い換えて、Windows XPをインストールし直したのが、確か3年前だったと思います。その一年後にマザーボードが壊れて、それだけ交換しています。
さすがにそれも、いろいろ調子が悪くなってきています。
USB関係がどうもダメで、USBメモリのドライブが消えたり現れたり、印刷中にプリンターとの接続が切れてエラーメッセージが表示されたり、スキャナーを使うために再起動が必要だったり・・・。画面のリフレッシュレートが変わらないし、リジュームが再起動になってしまうし、謎の突然再起動も頻繁です。忍耐力養成装置になっています。
お金がないので買い換えを控えているうちに、二世代も古くなってしまって、いざ買い換えようとすると、使い回しの聞く部品が少なく、高く付いてしまいました。CPU(Core 2 Duo E6300)とメモリ2GB、Intelマザー、400GBのハードディスク。総取っ替えに近いです。
そしてお金を払った直後に「ゴールデンウィーク直前にCPUが値下がり」という観測記事を読んでしまいました。どうせ届いても、交換作業に入れるのはゴールデンウィークになってからでしょうから、焦って失敗してしまいました(でも、メモリの値段は上がるかも)。
話は変わりますが、タバコのTVコマーシャルがプライムタイムから消えてずいぶん経ちます。それ以前にも「吸っているところは描写しない」という自主規制が行われていました。
ところが、ビールのコマーシャルは相変わらずその時間にやっていますし、うまそうに「ぷはー」とやっている場面だって出ます。おかげで、僕の下の娘なんか、外食に行くたびにメニューを見てビールを飲みたいとせがみます(小学生なのに!)。
どうして、飲んでいるところを描写しなければならないのか。飲んで見せなくたってビールの広告は成り立つでしょうに。自主規制する気がないのでしょう。うまそうに飲んで見せないと、広告が成り立たないとするなら、それは単なる表現の貧困です。
まあ、水着のねーちゃんが浜辺でジョッキを掲げているポスター作る業界ですからねぇ。
「かっぱっぱー、のんじゃったー」とか「トリスを飲んで」とか「つっつつびっつ、つびつばー♪」とか。そういう強烈な印象を残す酒の広告は近年ないですね。
2007年04月08日(日) 前駆症状 やっちまいました。
昨夜のAAミーティングで「明日の病院メッセージに行く?」とか人に聞いておきながら、自分のことをすっかり忘れていました。挙げ句に昼過ぎまで寝てしまい、起きてから予定表を見たら「○○○病院」と書いてあるのを見て真っ青になりました。
今から行っても間に合わないどころか、もう始まっているので、他のメンバーに連絡を取って確かめるというわけにもいきません。自分の不安をいち早く解消するためだけ、メッセージ中の仲間の携帯は鳴らしたくはありません。
結局、仲間の一人が昨日の話どおり行っていてくれていたので、僕の失敗は表には出てこなかったのですが、昨晩「一人の病院メッセージはちと辛い」なんて話をしておきながら、結果仲間にそうしてもらったのですから、さすがにメゲました。一人じゃないって良いなぁと、いろいろと感謝であります。
音声の編集をしていたのですが、夕方にWAVファイルの書き出し手順を間違えて、午後の作業を丸々ダメにしてしまいました。昨日のいくつかのミスと言い、今日のミスと言い、明らかに注意力不足、集中力不足です。
これはうつの症状のひとつですね、たぶん。ミスが増えているのは「ぼけてきた」わけではなく、注意力が散漫になって、必要な情報を見落とすので、判断が間違ってしまうのです。気持ちが沈むとか、何をやるのも面倒とか、そういう分かりやすい症状はまだ出てきていないのですが、いずれそうなる下り坂に入ったようです。
さすがに素面でうつ病をやっていると、予兆を捕まえられる(ときもある)ようになりました。
ここで、気を引き締めて、ザルのように粗くなった集中力の網目を詰め、緊張して物事に当たってミスを取り戻す・・なーんてことを考えると、下り坂どころか奈落の底に落ちていくことになります。注意力・集中力が落ちていて、能率も悪ければ、ミスも多いのが「今の自分の真正の能力」なのですから、背伸びをしないで身の丈に合わせたプランを組むしかありません。
緊張してがんばってみたところで、後でエネルギーが切れれば、周りから「がんばられるのがかえって迷惑」と言われるのがオチです。
そうは言っても納期は延びないのが困りもんですが。なんとかなりますよ、きっと。
2007年04月07日(土) 復活祭前夜 ステップ9の話ですが、できれば直接会って、借りていた金も全額揃えて返したい・・というこだわり(囚われ)があって、先へ先へと延びてしまっていました。なにしろアル中ですから、先延ばしにする口実には事欠きません。
だいたい酒をやめるのだって、明日から、来週から、来年になったらやめようと自分に言い聞かせながら飲み続けてきたのです。今飲んでいる酒を捨てて、今日離脱症状と向き合おうとは思いませんでした。
会えなければ手紙を書けば良いと、BBにも12&12にも書いてあるし、全額一度にってのは「ええかっこしい」にすぎないですね。
ミーティングに行く前に銀行に寄ってお金をおろし、ついでに最近パソコンの調子が悪いのでやむなく買った交換部品代を振り込んだら、またまた残高がトホホな状態になってしまいました。
本当は書留にしなくちゃいけないんでしょうが、仰々しくなるのを恐れて、普通の封筒に現金を入れて差し出してしまいました。いくらにしようか迷いましたが、最初に思い浮かんだ額にしました。いったんワープロで手紙を書いたのですが、少しでも努力をと思って手書きでしたためました。恋文でさえワープロで打って嫌われる僕のことですから、手書きで便せん四枚も書くのは、何十年ぶりです。
ともかく僕に今できることはこれだけで、相手がそれを受け取ってくれるか、受け取ってどんな気持ちになるか、今から心配するのはAAのプログラムの内ではないでしょう。
雨の土曜の市内は思いのほか混んでいて、仲間のバースディ・ミーティングに遅刻してしまいました。花束を買っていく約束だったのですが、あちこち寄ってみても開いている花屋はありません。まだ7時半なのに・・・。
教会の駐車場は、むちゃくちゃ混んでました。復活祭の前夜なんで信者の方がたくさん集まっていたようです。ヨソからスリッパを借りてきていたようですが、それでも足りなくなって、靴下のままで過ごしました。いつもはAAの部屋だけが明るい教会も、今夜はにぎやかです。
女性に「教会にミニスカートで来るなよ」と強い口調で言ってしまって、あとで直情径行を反省しました。まあ、男性から色目で見られるのも、自分は我慢しているのにって女性からひがまれるのも、決してプラスにはならんすよ。それに、信者の人にとっては神聖な場所なんだから・・ぶつぶつ、ちっとも反省ないですね。
なぜ今夜は右肩が痛いのか、ふと考えたらペンで手紙を書いたせいでした。明日は筋肉痛か。
2007年04月06日(金) 過程の楽しみ、結果の期待 動物実験の話です。
サルの静脈にチューブを刺し、サルがボタンを押すとコカインが注入されるようにしておきます。コカインの自己投与ににって気持ちよくなることを学習したサルは、人間の依存症と同じ状態になります。やがてサルは、1回のコカインを得るために、何千回もボタンを押す必要があっても、辛抱強くボタンを押し続けるようになります。
この話を聞くと、酒を手に入れるためなら何でもしてしまう、アル中さんの姿が浮かびます。
頃合いを見て、注入されるものをコカインから、ただの生理食塩水に変えます。サルは気持ちよくはなりません。でも、それでもサルはボタンを押すのだそうです。
断酒する代わりに、ノンアルコールのビールを飲むのはどうか?
という質問を受けることがあります。依存症になって断酒は仕方ないが、酒を飲むスタイルは失いたくないという心でしょうか。僕も試してみましたけど、だめでいたね。いずれ、ノンアルコールでないビールに変わるだけでしょう。
サルは注入されるのがコカインか、生理食塩水かは選べません。でも、人間はアルコールなしのビールと、アルコールありのビールを選べます。そこが違うでしょう。
一生懸命ボタンを押したのに、気持ちよくならない。一生懸命断酒生活をして、酒屋でノンアルコールビールを選んで買ってきたのに、気持ちよくならない。だとしたら、その結果を修正しようとするのが人間じゃないでしょうか。
酒なしでも、宴会に出るのが楽しいという人がいます。
それをずっと続けていける人がいますが、みんながそうなれるか疑わしいところです。
実はサルは何千回も無目的にボタンを押しているのではなく、10分の1押すと赤いLEDがひとつずつ点灯していく仕組みにしているんだそうです。LEDがだんだん点灯していって、やがて10個全部点灯すると・・・という過程も、サルの楽しみ(とらわれ?)になります。
酒なしの宴会を楽しむのは、過程を楽しむことです。過程を楽しむことができているならいいのでしょうが、それも点灯するLEDが増えていくのを楽しんでいるサルと同じだという可能性もあります。宴会を楽しんでいるのではなく、酔っぱらうまでの過程を楽しんでいるのかも知れません。
もしそうなら、楽しめていたはずの宴会が「どこか物足りなく」思えた時に、結果を自分で修正したくなっても不思議じゃありません。
飲まずに話をすることを、本当に楽しめるようになってから宴会に行っても、遅くないと思いますよ。
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