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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月31日(土) 第二の人生(その2) AAミーティングに行く途中、たくさん寄り道をしていきました。
郵便局によって、JSOとCOに送金しようとしたら機械が現金を受け付けてくれません。土曜は現金ダメなの? あいにく通帳を持っていなかったので諦めました。
年度末なので市の施設に行き、「会場使用料減免申請書」を出しました。
以前、ジャスコでジーンズを買おうと思ったらスリムを売っていなかったので、今日はM/Xへ。リーバイスが6,200円。なにしろジーンズを買うのが10年ぶりぐらいなので、高いのか安いのかわかりません。迷った時は買わないことにしています。
結局、ミーティングの帰りに別のジャスコで2,980円の「ストレッチ素材」のを二本買いました。29"と30"。
さて Second Life。
セコンド・ライフは基本的には無料のサービスです。ソフトのダウンロードも無料ですし、アカウントの作成も無料です。じゃあ開発元のリンデン・ラブがどうやってサーバーの維持費を捻出し、利益を得ているかは、後に回すとしましょう。
アバターが作れるソフトを動かす時は、迷わず性別は「女性」を選ぶことにしています。てゆーか、男のアバターを作って何が面白いのか僕にはわかりませんね。名前は自由に選べるわけじゃないので、少ない選択肢の中から「アリス・リザリー」としました。
アバターの基本デザインを選ぶところで、困ってしまいました。みんなアメコミ調キャラクターです。萌え要素がまるでありません。別に萌えなくてもいいんですが、せめてアジア人の外見が欲しいです。これから日本でサービス開始するというのに、こんなことでいいのか不安になります。一応 Shibuya 系という男女のキャラも用意されているのですが、日本人というよりは、どう見ても酸欠の火星人です。
それから「初心者のためのチュートリアル島」に渡って、基本操作を憶えるのですが、全部英語なので説明を読むのが面倒になります。息抜きというか現実逃避のために始めたのに、なんだか辛いことになってきました。
あとは、アバターのデザインをして遊んでいるうちに、正月の貴重な半日が消費されてしまいました。Second Lifeの住人が、一番時間を費やすのは、実は自分のアバターのデザインなんだそうです。
それが終わってしまうと、もう「するべきこと」はありません。
出会った人と会話(文字チャット)をすることができます。アバターの上に吹き出しのようにせりふが表示されるのが、なんだかおかしいです。でも、みんな英語しか話しません。
移動は歩いたり走ったり、空も飛べます。落ちているものを拾って眺めてみたり、斜面を登ってみたり。壁面に映されるアニメーションを眺めてみたり・・・。現実に引き戻された僕が、もう一度セコンド・ライフを振り向くまで、1ヶ月以上経過してしまいました。
結局それでどうなったとか、おもしろさのキモは何かとか、こうなってくるとセコンド・ライフはもっと面白いとか・・・そう言う話はまた明日。
世の中の日記サイトには「4月1日の内容は特別」ってところもありますが、ひびざつはそんなことはありません。正月のネタ考えるだけで精一杯で、手が回りません。
2007年03月29日(木) 第二の人生 今年のお正月休みにも(例によって)やることがたくさんあったのですが、「ねばならない」ことがあると「それ以外のこと」がやりたくなる反骨精神旺盛(単なる天邪鬼)なので、Second Lifeをインストールして遊んでみました。
セコンド・ライフは、いわゆる仮想世界です。自分の分身(アバター)をデザインし、その分身が仮想世界の中を移動したり、出会った人(だれかのアバター)とチャットしたり、物を交換したりします。
最初に大規模にこれを実現したのは、ルーカス・フィルムのハビタットだったと思います。日本では富士通がライセンスしてました。その後の20年位で、いろんなサービスが始まっては消えていきました。MMORPGと呼ばれるオンライン・ロール・プレイング・ゲームも、基本的な仕組みは同じです。ただRPGには、パーティを組んで敵を倒すという明確な目的がありますが、Second Lifeのような仮想世界の住民には「するべきこと」はありません。
しかし、MMORPG好きの人のブログとかを読むと、話題は「異世界で出会った友人との交流」であったり、「住民たちの変な行動」だったりして、異世界で集まった人間どうしで楽しんでいる様子が伺えます。もはやそこでは、ファンタジー世界とかモンスターの存在は、たんなる雰囲気にすぎません。
セコンド・ライフは、アバターを含めて、その世界にあるすべてが3次元のモデリングで表現されています。ゲーム仕様の高性能パソコンが前提で、ちょっと古いパソコンや、ノートでは厳しいでしょう。3次元のモデリングを採用したおかげで、アバターのデザインも自由になりました。単に目鼻口などの部品を選ぶだけでなく、たとえば鼻袋の大きさから後ろ頭の出っ張り具合まで、体全体を細かくデザインできるようになっています。
セコンド・ライフが話題になり始めたのは、年末ぐらいでしたでしょうか。いずれ日本でもサービスが始まるという案内でしたので、興味本位で正月に遊んでみたわけです。
(明日へ続く)
2007年03月27日(火) キーボード 最近、パソコンのマザーボード・ディジカメ・車のエンジンスターターと、いろいろなものが故障してくれます。
電子機器が故障すると、僕はどう対処するか・・・手でばしんばしんと引っぱたく、あるいは小さなものであれば机の角に「ガン、ガン」とぶつけてみます。電子機器の故障原因の4割(6割だったか)は、部品の接触不良という説もあります。だから、振動を与えて接触を復活させれば直る・・・こともあります。
何十年か前には、テレビが故障したら「ガンガン引っぱたく」のが当たり前の時代がありました。あれには、接点復活の意味があったのです。もっと、当時のテレビは真空管式です。真空管は基盤のソケットに刺さっているのですが、ソケット側、あるいは真空管の端子側が錆びたり、埃が挟まると、導通が悪くなってテレビの映りが悪くなるので、振動させることで接点を復活させていたわけです。
時代は変わって、個々の部品の故障のほうが増えてきましたが、部品と部品を物理的に接触させている場所がそれほど減ったわけじゃありません。それが証拠に、最初に挙げた三つは、いずれも叩くと一時的に直ります。いずれまた同じ症状が出るので、根本的な解決にはならないのが、この修理法(?)の欠点です。
もう一つの欠点としては、修理(?)作業中の姿は、端からすれば「キレてる」としか見えないことです。
パソコンのキーボードを買い換えたのが2年半前。メカニカル式のカシャカシャうるさいのを選んで、気に入って使っていたのですが、Enterキーの接点の寿命が近いようで、ときどきEnter入力が抜ける時があります。
さすがにこれはイラつきます。ムキー。
どうもこれは叩いても直らないようであります。これが製品寿命なのでしょう。
ロジクールあたりの安いキーボードに買い換えようと思っているのですが、
HHKB Professional2
が気になって仕方ありません。23,800円かぁ。さすがにLiteより高いなぁ。
ちなみに、調子が悪い女房を叩いても治りません(試してみてないけど)。
2007年03月26日(月) 身体・精神・依存・毒性 こんな表を考えることができます。
+−−+−−−−+−−−−+
| \| 依存 | 毒性 |
+−−+−−−−+−−−−+
|身体|身体依存|身体毒性|
+−−+−−−−+−−−−+
|精神|精神依存|精神毒性|
+−−+−−−−+−−−−+
身体(からだ)と精神(こころ)、依存と毒性、これで4分割します。
たとえば身体の行と・依存の桁を見ると「身体依存」。たとえば、酒が体から抜けていく時に、離脱症状として上半身の大汗や、手足のしびれや震えが起きることがあります。これは、体がアルコールに依存してしまって、アルコールがないとバランスが取れない状態です。
酒でストレスを紛らわすこと(紛らわせたつもり)を続けていると、ストレスを感じると酒を飲まずにいられなくなります。これがひとつ下の欄の「精神依存」です。
例えば、昼食後に喫煙室でタバコを吸おうと思ったら、人がいっぱいで入れず、悔しい思いをしたとします。これも精神的依存でしょう。
タバコの身体依存というのは、例えば起床後30分以内にタバコを吸わないといられないという症状です。寝ている間は吸えなかったので、血中ニコチン濃度が下がってしまい、すぐにニコチンを補給する必要に迫られているのです。
右側に移って「身体毒性」は分かりやすいです。「酒は百薬の長」という言葉には「されど万病の元」が続きます。肝臓腎臓は言うに及ばず、全身くまなく酒の害はあります。酒をやめたAAメンバーにとって、体の調子が悪いという話題は、まるで天気の話題のように一般的な話題です。
最後は「精神毒性」。酒を飲み続けたせいで、ひがみっぽくなったり、嫉妬深くなったり、疑い深くなったり・・・。ともかく人間関係の摩擦を生み出す方に変わっていきます。あるいは、無気力になったり、自己破壊衝動が強くなったりして、社会生活に影響がでます。
タバコは吸えないと激しくイライラしますが、それによって性格まで変わってしまうことはなさそうです。依存対象の物質によって、この4つの升目それぞれの強弱は違います。
左半分を「依存症」、右半分を「中毒症」と呼ぶこともできそうです。
しかし、体と心の境界線があいまいであるように、依存と毒性の境界もあいまいであり、概念上の分類に過ぎないのかもしれません。もっとも、病気の名前そのものが、あいまいなものに区切りをつけるための便宜に過ぎないのですが。
2007年03月25日(日) コントロール願望 AAミーティングにやってきて、最初の半年、あるいは一年、ほとんど自分の名前しかしゃべらなかったにも関わらず、やがて少しずつ話をするようになり、とうとうミーティングで司会を引き受けるようになった例を、二つ知っています。
だいたいが「涙も言葉も信じない」と言う集まりです。
後悔の涙を流している人が、やがて同じことを繰り返す。「もう絶対に飲まない」と誓っている人が、やがて飲む。だから、涙や言葉を信用すれば裏切られて当たり前です。信用できるのは、その人が酒をやめるために何か具体的な行動をしていること(AA風に言えば「足で稼ぐ」)です。
何もしゃべらない人に、「正直に何か話せ」と強要してみても、何の役に立たないどころか、反発を招いてかえって有害だと思います。鳴くまで待とうホトトギス、ではないけれど、それを受け入れて待つしかありません。「毎回パスするのが気に入らない」などと自分が思い出したら、イライラする対象が増えるだけです。
わざわざミーティングの居心地を、自分で悪くしてどうするのか?
AAの人数が多い北米では、3年しゃべらない人も珍しくないと言います。ミーティングに足を運び続けるだけで、十分回復へ向かっていると思います。
しゃべらないに限らず、声が小さくて良く聞き取れないとか、話の内容が意味不明だとか、AAらしい話をしていないとか、気にし出せばキリがありません。相手のことが気に障るのは、相手を「自分の型」にはめようとしているからかもしれません。要するに相手を思い通りに操りたいだけの話です。
なのに「AAの第一の目的」なんていう言葉で自分の悪意をごまかしてみたりします。口では無力なんて言いながら、無力であることがたいそう気に入らない。
そうは言っても、ミーティングの司会進行役を任されている時には、ミーティングがAAらしい雰囲気を保つように気を使います。あんまり話題が依存症から離れられるのも困ります。内心で「あ〜、毎度毎度この人ったら、もう」と思っちゃうこともあります。でも苦労なく楽にやっていきたいと思うこと自体が、すでに無力じゃないのでしょう。
困った人は、なにもニューカマーに限りません。
遠くからわざわざやってきたソーバーの長いメンバーも、最近つながったばかりで当を得ない話をするメンバーも、同じ時間を共有してるんですから、どちらが優先というわけにもいきません。「自分の運んでいるメッセージのほうが、他の人のものより重要だ」なんて心の底で思っている人の話なんか、長々聞きたいとは思いません。
とはいえ僕も、ミーティング帰りの車の中で、いろいろをコントロールしすぎていると反省することしきりですけどね。
2007年03月24日(土) 狂ったベクトル 初めてタバコを吸ったのは、小学生の時でした。
近所の友だちと悪ふざけをし、父のタバコを持ち出して、空き地で吸ってみました。吸い込んだ瞬間に、頭ががーんとなり、目の前が真っ暗になりました。意識を取り戻した後に友だちから聞いた話では、僕はその間に口から気持ち悪い液体をはき出していたそうです。
それでも高校生の頃には立派なスモーカーになっていました。
タバコを吸い始めの頃は、吸うことで軽い酩酊感や浮揚感を味わうことができます。それを味わうために吸い出したのではなく、ただ同年齢の仲間たちに後れを取りたくなかっただけでした。そして、煙っぽいのに慣れる頃には、吸うことの夜気持ちよさはどこかへ消えてしまいましたが、それでも吸うのをやめませんでした。
ときどき経済的な理由でタバコをやめてみて、間をおいて吸い始めると、またあの浮揚感を感じることができましたが、1日か2日でそれも消えてしまいました。僕にとってタバコが「無くてもかまわないけど、あると嬉しい嗜好品」だったのは高校時代ぐらいのものでしょう。あとは依存症で、タバコを切らせば夜中のコンビニまで買いに出かけるのが当たり前でした。
深々とタバコの煙を吸い込んで「プハー」とやれるようになるには、相当な訓練が必要です。わざわざ苦労して依存症になったようなものです。
酒の場合もそうでしたね。飲み出した最初からバンバン飲めたって人もいますが、僕は訓練して酒に強くなったタイプです。そして、飲み出した最初から「もう明日どうなってもかまわない」と無茶な飲み方をしていたワケじゃありません。
翌日二日酔いで苦しまないよう、飲む量を加減し、そして(もっと気持ちよくなるために)その量が増えるように=酒が強くなるように、訓練を重ねたのです。まあ、訓練といっても酒を飲んでいただけですが。
それでも、苦労を重ねて依存症になったことに変わりありません。
酒で失敗をすれば、その失敗を繰り返さないように飲み方を工夫しました。
病気になりたくてなったワケじゃありませんが、振り返ってみれば、病気になる方向へと懸命に努力していた自分の姿があります。飲み過ぎた挙げ句に「正気と狂気の境目」を踏み越えてしまったのではなく、最初のベクトルからして方向が狂っていたにもかかわらず、努力の方向を変えることができませんでした。
ま、自分で方向を変えられないからこそ「無力」なんでしょう。
2007年03月23日(金) 安からんこと、なんじが心の家路 純アルコールの消費量を計算してグラフにしてみました。
携帯電話からアクセスの方は、画像が見えないかもしれません。ごめんなさい。
これは国税庁の年表に、酒類別の消費量の統計があったので、それに酒類別の標準アルコール度数(これも年表から)を乗じて求めてみたものです。古いところは消費量の統計が無くて代わりに移動量(課税対象)を使ったり、標準度数がない酒類があったり、酒類の区分変更があったり・・・と、正確とは言えないグラフですが、およその傾向はつかめるでしょう。
終戦直後に年5万キロリットルだった消費量が、近年は100万キロリットルを越えています。この間ほぼ毎年増え続けて実に20倍以上です。これほど右肩上がりが顕著な統計グラフも珍しいと思います。
戦前についてはデータがありません。増収増税策として醸造用アルコールを添加する政策がとられる以前は、清酒は高級嗜好品であり、一般にはどぶろくを家庭で作って飲んでいた・・つまり統計のとりようがありません(以降自家醸造は禁止となり、結構重罪です)。
僕は父と40才近く年が離れています。僕の生きる時代と比べ、父が僕と同じ年齢を生きた40年前は、はるかにアルコールの消費量が少なく、まだまだ酒は高級嗜好品であっただろうと思われます。だから、依存症になれる遺伝子と、なりやすい環境が揃っていたとしても、なりたくてもなれなかった人は多かったに違いありません。
現在でこそ「親がアル中」という人は珍しくなくなりましたが、ちょっと前までは「親がアル中」という家は酒に耽溺できるだけ生活の余裕がある=結構いいおうちの出、だったのです。三代アル中ならよほどの資産家?
そうした時代に、資産家でもないのに毎日飲んだくれていたら、風当たりは今よりずっと激しかったのかも知れません。
1990年代に消費量が急激に伸びているのは、酒類販売の自由化や、ウィスキーの値下げの影響かと思います。戦後一貫して消費量が伸びてきたのは、酒税を増収する国策のおかげです。結果としてアルコール依存症の患者も増えたわけですが、それに対する国の施策は増収に見合ったものとは思えません(おお政治的意見)。
どぶろくが自家醸造できると言っても、かなり面倒な手順が必要です。酔っぱらえればいいアル中のためには、もっと簡単な方法がある・・と、とある人から教えてもらったことがあります。
その手順とは:まず一升瓶を良く洗う。中に水を入れ、蜂蜜を溶かす。パン発酵用のイースト菌をスーパーで買ってきて混ぜ、瓶を密閉しないで暖かいところに置く・・。
僕は試したことがないので、これで本当にエチルアルコールができるか知りません。もしあなたが試してみて、その結果病院に運ばれることになっても、それはあなたの自己責任ということでお願いします。
人生には終わりがあります。もしアル中が飲まずに死んだのなら、飲まないアルコホリック業界の人間としては、目的達成に拍手を送りたいです。もし飲んだまま死が訪れたとしても、ともかくその人の苦しみに終わりが来たことを良しとしたいです。
飲まない一日に感謝できないアル中は、その他の人生の贈り物にも感謝できない。「今日一日の感謝」が僕のテーマです。その人の心の家路の安からんことを祈ります。
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