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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月05日(月) 雑感(陰口・遊び) ひとはなぜ陰口を言うのか。もちろん根本には、恨みとかねたみとかあるんでしょうけど、なぜ表面に出てくる陰口を抑えられないか。
心理学の本によれば、「その人を無視できないから」だそうです。
妻のことは愚痴る夫も、遠い親戚のことは愚痴らない。遠い親戚のことは普段忘れているけれど、毎日の生活で妻を無視するわけにはいきません。それは自然なことです。しかし、毎日顔をあわせるわけでもないのに、気に障って仕方ない相手もいます。気にしなければいいのにできず、思わずどこかで陰口を言ってしまうのは、相手の存在が、それだけ自分の中で大きくなっている証拠です。
愛であるか、憎しみであるかはともかく、いずれでも相手に心理的にとらわれているのです。陰口を言ってしまうのは、緊張した心がバランスを取ろうとする、ごく自然な行動です。それを止めるのは現実には難しい。だから、陰口から解放されたければ、まずその「とらわれ」から解放を目指すことから始めるのでしょう。
だが、相手を無視しようとすればするほど、相手の存在が重みを増したりするのは、相手がアルコールの時と同じであります。「ああ、神さまでも何でもいいから、このとらわれから解放してください」と素直にお願いできた時は、少し楽になります。でも、ぶり返しますけど。そんなもんです。
さて、やはり季節の変わり目が前倒しで来ているのでしょうか? 僕も調子が良くありません。注意力不足で、判断力不足。それはいつものことかも知れませんけど。ひがみっぽくなってきております。
地図を見れば、思わずドライブに行きたくなり、「自転車に二人乗りの高校生のカップル」という文章を目にすれば、「俺もそういう高校時代が過ごしたかった」と思わず愚痴が出る・・・。これも、子供の頃、あるいは大人になっても若いうちに、十分遊んでおかなかったツケが回ってきているのでしょうか。
恨みがましいひとを幸せにするのは難しい。まさにそのとおりです。
2007年03月04日(日) アル中的性格 アルコール依存症者特有の性格ってのが、たぶんあるのでしょう。「性格」と呼ぶよりは、「欠点」とか「社会的不適合」のリストとか呼んだ方が良さそうですけど。
まず最初は、アル中さんに多いと言われる自己愛性人格障害の診断基準をひいておきます。
自己愛性パーソナリティ障害
1) 自分の重要性に関する誇大な感覚
(例:業績や才能を誇張する。十分な実績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2) 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3) 自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(あるいは施設で)しか理解されない、あるいは関係があるべきだ、と信じている。
4) 過剰な賞賛を求める。
5) 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、あるいは自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6) 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8) しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。
9) 尊大で傲慢な行動、または態度。
(診断基準は5点以上)
次は、僕が入院した時にもらった依存症のテキストから「アル中的性格」を引用します。
1) 感情的に未熟である。
(例:何でもないことで腹を立てたり、得意になったり。自分の感情を抑える力が乏しい)
2) 依存心が強い。
(強い性格の有能な奥さんが多いのは、アル中夫がしっかりものの妻を選ぶから)
3) 自己中心的な性格。
(他の人が悪い、世の中が悪い)
4) 猜疑心が強い。
(好意を素直に受け取れず、ひねくれて解釈する)
5) 陰気で強情である。
(暗く無気力に見えるが、内面には敵意を隠していて、時にそれが爆発する)
6) 劣等感が強い。
(自信に溢れているように見えても、内面では自信を欠く。失敗すると自分を責め、無能だと思う)
7) 緊張に耐える力が弱い。
(ものごとを適切に処理するのが下手で、笑って受け流せばいいことにも、敏感に反応し、屈辱と受け止めて恨む)
断酒を続ければ、こうした性格は修正されていくとも書いてあります。本来的にその人が持っている性格ではなく、成長過程や飲酒の中で、そういう性格が身に付いたということでしょう。
2007年03月03日(土) ネカマ(その3) とりあえず僕は、某社のやっていた無料のメールサービスで、仮名のメールアドレスをひとつ用意しました。身元確認の要らないサービスでありながら、メールボックスの容量が2MBというのは、当時としては大容量でした。これで、架空の女性はネット上で存在を始めました。
あとは、架空のプロフィールと、男が喜びそうな文章を5分ででっち上げ、くだんのサイトの女性用掲示板に書き込みました。
やることを済ませて満足感を得た僕は、その晩はひさしぶりに早寝をしたのでした。
翌日、ウェブメールにログインした僕は、目を疑いました。受信ボックスの新着メール数が400を越えていたからです。うーん、これが全部男からか。
とりあえず少し読んでみることにしました。あー、男のメッセージって鬱陶しいくらい暑苦しい。彼らの言うことを信じるなら、世の中の男の1/3は、職業が医者か弁護士ということになります。それが本当なら、医者や弁護士を職業とする人は、異常に出会い系が好きなのだと思われます。それに比べて女は正直です。
読み進めるにつれ、世の中にはさまざまな「女の口説き方」があるんだと、ちょっと感心しました。勉強になったと言いましょうか。さすがに下半身充血した男のメッセージには途中で辟易してしまい、大多数のメールは未読のまま放置されることになりました。
さらに翌日ログインすると、今度はメールボックスが溢れていました。送信元はフォームメールですから、HTMLメールや添付ファイルは届きません。純粋にテキストだけのメールが、2MBの容量を二日で満杯にしてしまうとは・・・。
競争相手は数十人どころか、その一桁も二桁も上でありました。あらかじめこの事実を知っていたら、はたしてそのサイトに引っかかったかどうか。
おかげさまで、そうした出会い系サイトとはそれっきり縁が切れました。
あんなにモテたのは、人生後にも先にもあれっきりであります。まあ相手は全員男ですけど。ぎらぎらした男たちの欲望にさらされて、背筋がぞぞっとしたものです。それを考えると、ネカマが趣味の人たちって、本当に度胸が据わっているなぁと、ちょっと感心したりして。男相手に、愛のメール交換とか、愛のチャットとか、とてもできません。
メールに返信はまったく出しませんでした。メールサービスが有料化される時に、金を払わないアカウントはすべて削除されたそうなので、ネット上にしか存在しない架空の女性は、その時点で存在をやめたことになります。
ともかくこれが、ひいらぎのネカマ体験記の一部始終です。ネカマひいらぎと粘着質地雷男の神経戦を期待していた方、ごめんなさい。
後日、出会い系サイトを使った経験のある女性と話すチャンスがありました。念のため言っておきますが、その女性とは出会い系サイトで出会ったワケじゃありませんし、xAのメンバーでもありません。
そのときにうかがった「女性の側から見た出会いサイト」の話は、また機会があったら書きたいと思います。
はて、シャーラザットはどこへ行ったやら。(この項終わり)
2007年03月02日(金) ネカマ(その2) 普通はシェヘラザードというんですね。バートン版の翻訳ではシャーラザットだったんです。
出会い系サイトというものがあります。どのような「出会い」を求めているかは人それぞれでしょうが、まあ多くのサイトは男女交際の相手を探すのが目的でありましょう。もちろんこれも、ネットの普及とともに現れたものです。それ以前にも、パーティラインやら伝言ダイヤルやら、はたまたテレクラというものは、世の中に存在していたわけですけど。
携帯電話の出会い系サイトを未成年者が利用することが社会問題になっていますが、今回の話はもっと大人の人々、それも既婚の男女が「たまにはパートナー以外の人と情熱的な出会いを・・・」というどろどろした欲望が渦巻くサイトの話です。
回りくどいことを言っていますが、要は不倫浮気系出会いサイトです。
ある時僕は、そうしたサイトのひとつに、ふらふらと引き寄せられてしまいました。まあ、ネット上であれば、人が眉をしかめるような場所へも平気で出かけていってしまう僕であります。
そこには交際相手を求める女性のための掲示板があって、男はその中から選んだ女性にメールを送って求愛する仕組みになっていました。といっても女性のメールアドレスが分かるわけでなく、フォームメールで送る仕組みですから、相手の身元は一切分かりません。女性は届いたメールの中から、気に入った男性を選べばいいシステムです。
そこが有料だったらすぐに立ち去っていたでしょうが、フォームメールを送るのは無料でした。「あわよくば」という妄想を抱いた僕は、何人かの女性にメールを送ってみたのです。
当然のことながら返事なんか帰ってきませんでした。そこで素直に諦める人もいるのでしょうが、僕はすぐムキになるタイプであります。ギャンブルや株にはまる人の気持ちが分かる気がします。
もちろんこの類にはサクラはつきものです。「サクラって何ですか?」という質問は救済できないので、広辞苑でも引いてください。たとえサクラが混じっていても、数打ちゃ当たる・・・と物量作戦に出ました。しかしメールを送るのは無料でも、メールを書く時間がバカにならなってしまいました。
さすがにそれが虚しくなった時、ふと「はたして自分にはどれだけ競争相手がいたのだろうか」という疑問が浮かびました。少ない資源に多くの競争相手が群がっていることが明らかになれば、自分も諦めやすくなるかも知れない、そう思いました。
そのサイトには、交際相手を求める男性のための掲示板もあることは知っていました。が、目が血走った男たちの浮ついたメッセージなど読みたくもなかったので、それまでそこを覗いたことはありませんでした。お前だって目が血走っていたんだろうって? 確かに。
その掲示板を見て、僕は書き込みの多さに圧倒されました。その数はまさに圧倒的でした。
掲示板の記事数を元に、そのサイトの男女比を推定するなら、女性一人に対し、男性数十人。やっぱり男って、こういうことになると・・・。
いやしかし、これはあくまで掲示板の記事の比率にすぎません。これを元に、掲示板に投稿した女性に送られるメールが数十通だとは言い切れません。掲示板には書き込まなくても、メールは送る男は多いかも知れず、また逆に少ないかも知れません。が、残念なことに男である僕には、女性の元に何通のメールが届いているのか、知る手段がないのであります。。
それでも、判断を下すには、正確な事実を知らねばなりません(そんな義務はない?)。そこで・・、僕は女になってみることにしたのです。
「続きは明日の夜」とシャーラザットは言うのでありました。
(まだ続く)。
2007年02月28日(水) ネカマ あんまり真面目な話ばかりだと肩が凝りますから、たまには軽い話を(いつも軽いか)。
ネカマとは、"ネ"ット上のお"カマ"の略です。「おかまって何ですか?」という質問は救済しようがないので、広辞苑でも引いてください。
ネットは進化したとはいえ、いまだに文字主体のコミュニケーション手段です。だから、相手の顔を見えないし、声も聞こえません。だから、男が女のふりをするのは簡単なことです。字面だけ女っぽくすれば良いだけですから。相手が女だと思って鼻息荒くチャットに熱中していても、実は通信回線の向こうにいるのは鼻毛を伸ばした脂っこいキモオタなのかもしれません。恐ろしいことです。
ネカマの存在は1980年代前半から指摘されていましたが、やはり数が増えたのはインターネット時代になってからでしょう。ネットで検索すれば、ネカマを楽しんでいる人がたくさん見つかります。
女のふりをして何が楽しいのか? ネカマ道を追求する人には、ほぼ共通の楽しみがあるようです。話を盛り上げて、相手の男がその気に(どんな気だ?)なった時に、おもむろに「実は俺男なんだ」とカミングアウト(?)し、男が狼狽する様子を見て楽しむ・・・。あるいはその様子をネットに公開する。そんなところでしょうか。まあともかく、彼らはネカマ道を極めるべく、日々研鑽にいそしんでいるのです。
お前はネカマに引っかかったことはあるのか、ですか?
もちろん、ありますとも( ̄^ ̄)えっへん。ネット歴二十数年ですから。
いや威張ることじゃないですね。まあ、初めて引っかかった時は、満員電車の中で痴漢されたのと同じぐらいショックでしたが。パソコン通信の時代のことです。
そういう僕も一度ネカマをやったことがあります。
いや、男をからかって遊ぼうと思った訳じゃありません。もちろん真面目な目的じゃありませんので、これも威張れた話じゃありませんが。
なんか話が長くなりそうです。
「もう眠くなりましたから、続きは明日の夜にしましょう」とシャーラザットは言うのでした。
(明日へ続く)
2007年02月27日(火) 一番古い記憶 思い出せる限り一番古い記憶は、3〜4歳ぐらいの頃のものです。実家の御上(おえ)と呼ばれる広い部屋で祖母と遊んでいる記憶です。それは直接の記憶ではなく、小学生の頃に「その場面を思い出した」ことを記憶しているだけです。
直接の記憶として残っているのは、4歳ぐらいで、実家の裏の道で遊んでいたことです。今はコンクリート舗装されたその道も、当時はまったく未舗装で人通りも少なく、草が茂っていました。自分の背と同じぐらいの高さの枯れススキの中で、誰かとかくれんぼをして遊んでいた記憶です。
でも、これも記憶を記憶しているのかもしれません。
AAでは過去のことを掘り起こす作業をするのですが、人生全体から見ればごく一部を取り出せるに過ぎません。残りの部分は平々凡々の日常が続いていたわけでもなく、思い出せた部分より意味が軽いわけでもありません。だとすれば、飛び飛びの記憶から紡ぎだした自分の人生のストーリーは、本来の中心線からずいぶんずれているものなんでしょう。
一度憶えたことを忘れることが本当に出来るかは知りませんが、想起されない記憶は不活発になっていきます。ようするに思い出せなくなるってことです。
子供の頃のことが茫洋として思い出せないように、飲んでいた頃の記憶もあいまいになってきました。AAミーティングでしゃべる体験も、過去に話したことばかりです。記憶を記憶しているわけです。だから、最初の1年・2年・3年の頃に、飲んでいた頃の自分を思い出す作業をしておかないと、後からその作業をしようと思っても、脳みそがそれを許してくれません。
病院メッセージで飲んでいた頃の話をするときは、なんだか中身が定型化してしまっている次第です。
2007年02月26日(月) Bluetooth熱 今回はエレキネタです(というか電波ネタか)。
昨年の1月に突如自分の中で Bluetooth 熱が高まりました。
自動車を運転中に携帯で通話するには、ハンズフリーキットを使うべしと法律で定められています。車載用のちゃんとしたキットは数万円するのですが、そんな投資をするほど運転中に電話したいわけじゃありません。そこで、携帯用の安いキットを買いました。イヤホンの途中にマイクが付いていて、シャツにクリップで留めるような商品です。
が、実際に使ってみると、イヤホンのケーブルがとても邪魔で邪魔で、我慢なりません。また、使うためには携帯電話のイヤホン端子にケーブルを刺さないといけません。が、車に乗るたびに、ケーブルの抜き差しをするのは面倒で面倒で、ますますイライラしてしまいます。
そこで、イヤホンマイクと携帯の間を無線でつなぐ・・という当然の解決方法を探す事にしました。世の中には Bluetooth という無線の規格と製品があります。まず最初は、Bluetooth のイヤホンマイクを買いました。そして携帯電話のイヤホン端子には、Bluetoothの無線アダプタを取り付けます。しかしそれでは「車に乗るたびにイヤホン端子に、何かを接続する手間はちっとも減らない」ことに、なぜ自分は気が付かなかったのか・・・。
携帯電話本体の中に Bluetooth 機能を備えた機種もあります。で、さっそく機種変更。イヤホンマイクの出来が気に入らなかったので、ちゃんとしたヘッドセットを購入。これがなかなか便利で、携帯本体がポケットやカバンの中に入りっぱなしでも、ヘッドセットさえ身につけていれば、発信も着信もできます。調子に乗って、パソコンで Skype 通話するときも、このヘッドセットが使えれば便利だろうとパソコン用アダプタを購入。さらに自宅の電話も Bluetooth 対応に・・・。すっかり泥沼で、何万円使ったか忘れました。
そんなふうに熱が入ったわりには、あまり無線ヘッドセットは使いませんでした。
だって、電話あんまりかかってこないんだもん。
機種変更した携帯電話は使いにくくてたまりませんでした。そして、待ちに待った13ヵ月。やっと機種変更できる時期がやってきました。もうデカくて重い端末はこりごりです。ワンセグも要らないし、ニュース配信も要りません。小説もマンガもケータイじゃ読まないし、音楽も聴きません。だいたい、一日の大半を、パソコンの前に座って過ごす人ですから。
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