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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年09月23日(土) リハビリ 日本ではアルコール依存症に対して「リハビリ」という言葉は使いません。
rehabilitation を辞書で引いてみると、to help sb to live a normal life again after an illness, being in prison, etc. 病気、服役のあとで、ふたたび普通の生活に戻るのを助ける、という意味です。
依存症の治療は病院を退院したところで終わりになるんじゃなく、その後も長いリハビリの日々が待っているわけです。なだいなだの本では、それを「養生」と呼んでいます。
養生=病気・病後の手当をすること。
リハビリに失敗すれば、病気が再発する=再飲酒となります。ただ、アルコール依存症は治癒することがないのですから、「再発」という言葉にはいつも違和感があります。完全に治らないのですから「ぶりかえし」と呼ぶ方が合っていると思います。
何年経ってもぶり返す可能性はあって、それは死ぬまで続きます。
だから、AAメンバーが飲まずに亡くなったという話を聞くと、悲しみの感情とともに、「無事に目的地に着いて良かったね」という感情を共有することになります。
アメリカの治療施設には、alcohol rehabilitation center という名前を使っているところがたくさんあります(一般名詞は treatment center?)。ここではランダムに選んだあるリハビリセンターの、一日のプログラムを転載してみます。
午前
6.30 起床
6.40 祈り
7.00 〜 8.00 ヨガ・黙想
8.00 〜 8.45 髭剃り・風呂
9.00 〜 9.30 朝食
9.30 〜 9.50 沈黙の時間
10.00 〜 11.15 セラピー・セッション
11.15 〜 11.30 お茶
11.30 〜 12.45 ステップワーク・内省
午後
1.00 〜 1.30 昼食
1.30 〜 3.00 休憩
3.15 〜 3.30 お茶
3.30 〜 4.15 考え方と感じ方
4.15 〜 5.00 オーディオとビデオのセッション
5.00 〜 6.45 レジャー(ゲーム)
7.00 〜 8.00 AAもしくはNAミーティング
8.00 〜 9.00 レジャー(TV)
9.00 〜 9.30 夕食
9.30 〜 9.45 テレビニュース
10.30 消灯
最近、桃や梨や葡萄をよく食べます。子供たちは大好きです。
買ってくる場合もありますが、親戚からもらうものも多いです。なにかお返しをしなくちゃと思うのですが、田畑を耕していないので作物は採れません。どうしたものか。
それにしても、食べ物の贈り物というのは素晴らしいです。食べればなくなってしまうところが素晴らしい。
2006年09月21日(木) Think Think Think プロ野球のシーズンも終わりに近づいています。
僕が愛する楽天イーグルスは、ここまで129試合を消化して、43勝82敗4引き分け。勝率.344です。一応イチローの打率は上回っています。
残り6試合を全勝しても50勝に届かないですが、ファンとしては満足しています。首位と33.5ゲーム差ってのも、別にパリーグじゃ珍しくないです。
正直言って、58勝ぐらいして欲しかったのですが、岩隈もパワーズもいなかったのだから仕方ありません。去年はこの二人の投手であわせて16勝したのに、今年は岩隈の1勝だけ。差の15勝を足せば58になる計算です。
ふつうこんな成績だったら監督はクビでしょうが、他にやる人もいなそうです。
勝つことだけが喜びであるなら弱小球団の応援などしません。以前の阪神タイガースは比類ないほど弱かったし、千葉ロッテが日本一になるなんてロッテファン以外は信じてませんでした。そゆことです。
ファンとは言っても仙台まで応援に行けるわけもなく、ラジオと新聞とスポーツニュースという狭い窓を通して見ているだけです。今年は長野で対スワローズ戦があって、古田との師弟対決を楽しみにしていたのですが、仕事が炎上して見に行けませんでした。
そういえば、監督ノムラは11月の日米野球の監督を仰せつかっているのだとか。ナガシマは脳梗塞のリハビリ中ですし、オーも癌の手術から復帰していません。人材がいないのでしょうか。ホシノ? 誰でしたっけ? ああ、ノムラの残した資産で優勝した人ね。
今年はメジャーリーグ側も気合いが入っていそうで、今から楽しみです。(だって、日本シリーズ関係ないんだもん)。
話は変わって、今週は月曜日から毎日AAミーティングに出ています(今日は病院メッセージ)。自慢するほどの事ではないですが、最近の自分では珍しいです。まあ、たまたまです。
今頃毎日出たところで、大して変化があるもんじゃありません。最初の1年か2年の心がまだ柔らかいうちに、どれだけたくさんミーティングに出て、どれだけ人に会い、どれだけ話を聞くかが大切なんだと思います。それがその人の資産になって、後々支えてくれるでしょう。
今日の表題は、AAのスローガンなんですが、日本では余り使われません。
「酒をやめるより大切なことがあると思うなら、言ってみなさい」
・・・
「じゃあ、酒を飲みながらそれができるか、考えてごらん」
2006年09月19日(火) 厳罰化 こんな話はニュースサイトの解説記事にいくらでも載っているのでしょうが、まあ雑記もネタ不足なんで。
元来刑法は、故意による犯罪は重く裁き、過失による犯罪は軽く裁く傾向があります。
例えば殺人の最高刑は死刑です。判例では、3人殺せばたいてい死刑、1人なら最高でも無期懲役、2人が境界線らしいです。それに対して過失致死は罰金刑しかないので、刑務所にはいることはありません。
何でこんなに違うのかといえば、刑法が定められたのは明治四十年代。複雑な機械が普及した時代ではなく、日常生活の中で過失で人が死ぬことなんて考えられない時代だったからなのだそうです。
業務上過失致死ってのは5年以内の禁固懲役。業務ってのは仕事に限らず、日常生活で繰り返し行うこと全般が含まれ、車の運転も入ります。なぜ普通の過失致死より、業務上のほうがずっと重いのかというと、危険な機械を日常的に使う人間には、大きな注意義務が背負わされているのであります。
車を運転して人をひき殺してしまった場合は、この業務上過失致死(業過)罪に問われることになるます。
泥酔して車を運転し、事故を起こして人を死なせる事件があっても、最高で5年の刑にしかならないのは「軽すぎる」という意見があって、新設されたのが「危険運転致死傷罪」。こちらは最高刑が20年と、人生を棒に振るには十分な刑でありました。これは過失じゃなくて、故意だよと(準故意犯)。
しかし、この「危険運転致死傷罪」には意外な落とし穴があったのです。
危険運転に問うには、飲酒運転だったことが証明されないといけません。そこで、事故を起こしても被害者の救護なんて行わずに現場から逃走してしまう人間が現れました。そして翌日酒が冷めた頃に警察に出頭します。そのころには呼気にアルコールが入っているわけもなく、危険運転致死からは逃れられるわけです。
業過が5年、ひき逃げが5年。併せて10年になるかというと、そうはなりません。併合罪はいちばん重い罪の1.5倍までですから、7年半が最高刑。20年の約1/3で、ずいぶん「お得」です。
福岡で子供3人が死んだ事件では、犯人は壊れた車で現場から逃走を試み、さらに友人に水を持ってこさせて大量に飲み、飲酒をごまかそうとしました。
こういう「逃げ得」の事実が知れ渡って、結果としてひき逃げの件数がそれまでの2倍、約2万件に増えてしまったのだそうです。
それで今度はひき逃げの罪を重くするんだそうです。8年ぐらいにすれば、業過とあわせて10年ぐらいの量刑が増えるとか。まあ、ひき逃げは故意犯だからなぁ。
それにしても、なんというか「いたちごっこ」であります。救護があれば助かったはずの命が失われた場合だってあるでしょうから、被害者にとっては殺人に等しい行為で、厳罰もやむを得ないのかもしれません。そうして厳罰化のあげくに、やっぱり飲酒事故が減らなかったりすると、今度は全部の車にGPS付きのドライブレコーダー搭載が義務づけられる日がくるのかもしれません。
2006年09月18日(月) 断酒会 病院内での「断酒会」ってものには結構な回数出席しましたが、まああれは病院のプログラムにすぎません。
地域の中でやっている断酒会に出席した回数は5回ほどでしょうか。
地元でAAミーティングを始めるときに、近隣の断酒会に挨拶回りに行きました。3会場だったかな。それから入院中の知り合いに会いに2〜3回、別の会場に行ったこともあります。
男の本人ばかりでしんみりとやっている断酒会もあれば、ほとんどが夫婦者で、奥さんたちがお茶を入れてくれたり漬け物を出してくれたりというところもありました。
AAを始めるんですよと言えば、「そうかお互いにがんばって発展しよう」と励ましてくれるところもありましたし、敵意むき出しってところもありました。まあ、一昔前の話ですから。
おじ(い)さんたちばかりで、女性の本人は少なかったです。まだアメシストの会は存在していませんでした。
人々の話の内容はまったく覚えていませんが、「体験談に始まり体験談に終わる」と言われるとおり、体験談に終始しているという印象だけは残っています。
たぶん毎回同じ話をしているんだろうと思ったりもしました。でも、当時僕が通っていたAAは人数が少なくて一人20〜30分は話したので、人の話を聞いていれば「ああ、またあの話か」「今度はこの話か」と思いながら聞いていたぐらいなので気になりませんでした。
親への恨みを1年間話し続けたというAAメンバーがいましたが、同じ話を1年間続ければ、恨みも何かに昇華してしまうのかもしれません。自分を苦しめている感情とそこまで徹底して向き合っていれば回復もするだろうと思います。ここでも「中途半端は何の役にも立たない」ってことでしょうか。
まあ、どこにでも従順なふりをする人はいるもので、自分を変えたくないのだけど、疎外されるのも嫌なので、とりあえず人と同じ言葉を話している人もいるわけです。それはAAも断酒会も変わらないんでしょう。
断酒会に出席するたびに、大学ノートを差し出され、住所と名前と電話番号を書くように求められました。AAのやり方に慣れた人間にとっては、戸惑うばかりでありましたが、断る度胸もありませんでした。それで何があったわけでもありませんが、翌年正月に知らない人から年賀状が届きました。いったい誰なのかしばらく思案したのですが、たぶん断酒会の会長だろうと結論しました。
自助グループには伝搬性が必要なんだと思います。断酒会にしてもAAにしても、同じような自助グループにしても、福音を広めようという動きがなければ、次第に縮小均衡の道をたどるようであります。その年賀状にそんなことを考えました。
断酒会とAAと似たようなのがふたつあるのが良くないと言われた時期もありました。
断酒会に誘われれば「私には断酒会は合わないのでAAに行きます」と断り、かといってAAに行くでもない人が出始めたのです。(AAのほうには、もう来ませんと断りに来る人は滅多にいないんですが)。AAが断酒会に出席しない言い訳に使われているってわけで、断酒会の人からも、病院の人からも「困ったもんだ」と言われたりしました。やがてそういう言い訳をする人は、元々どっちにも行きたくない、いやそもそも酒がやめたくないんだと理解が広まるにつれて、無用な軋轢も減っていきました。
新潟から長野に来て、また新潟に戻ったAAメンバーが、長野に残した荷物の整理に来ていると聞いて、挨拶もかねて峠の向こうのAAミーティングへ出席しました。
この3年間で、僕に何らかの霊的変化が起こりました。彼との出会いが重要な要素であったことは間違いありません。だから一言感謝と思ったのですが、別れ際に出た言葉は「機会があったら、また会いましょう」だけでした。
新潟市より向こうに行くことは滅多にありません。でも、必要があれば、また会わせてもらえるでしょう。それでいいのだと。
2006年09月17日(日) 10万ヒット御礼 ホームページの最下段に置いてあるアクセスカウンターが10万を超えました。僕がどんな風に力んでみたところで、一人で成し遂げられるはずもなく、これもすべて訪問してくださる皆様のおかげであります。ありがとうございます。
一番下には、ホームページを設置した時に借りた外部カウンターがそのまま置いてあります。そちらのほうは13万ぐらいです。その外部カウンターがまともに動作しない時があったので、業を煮やして自作のカウンターをくっつけてしまったのでした。それから2年半です。
「心の家路」全体からすれば、頻繁に更新されるページは<日々雑記&ニュース検索>ぐらいのものです。そこと掲示板を除けば、他は多くても月に数回の更新、少ない時には2ヶ月更新がなかったりします。
最初にサイトを開いた時に、掲示板と日記(日々雑記)は別の場所に置いてありました。雑記を置いたのは、更新の少なさをごまかすため。掲示板を置いたのは、掲示板とかメールアドレスの公開とか、そういうフィードバックの機能を持たないとヤフーのディレクトリに登録されにくかったからです。
日記はとりあえず1日分だけ本体に取り込んだし、掲示板もなんとかしました。最初の頃に「いつかは統合する」と書いておいたのですが、だいぶ時間がかかったものの、その公約?も実現できたと思っています。
あとは、日々雑記の過去記事を本体に統合したいところです。
しかし実は、それはどうしようか迷っています。
雑記のほうは依存症だとか自助グループのことばかり書いているわけじゃありません。違う話のほうが多いです。そういう文章を大量に本体に混ぜてしまうと、Googleとかの検索エンジンにとってはあまりよろしくないようです。
だから、雑記の過去記事は統合しないで、別の所に置いたままにしておこうと思っています。先月そこのお金を1年分払いました(900円)。
雑記の副題は、今は縮めてしまって「飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常」になっていますが、以前はそれに「自助グループへの諦念混じりのつぶやき」という言葉が続いていました。単に長すぎるから削っただけです。
今後も自助グループがらみのいろんな事にぶつぶつ言って、ドライドランクっぷりを晒していきたいと思っています。よろしければ、今後ともおつきあいください。
日ごろの感謝をこめて。
ひいらぎ拝
2006年09月16日(土) 何が承認出版物? AAには評議会承認出版物ってものと、そうじゃないものがあります。
NYのGSOや、東京のJSOが、承認出版物ばかりを出版しているわけじゃありません。そこのところが、どうも勘違いされていると思うのであります。
なにが承認出版物なのかアメリカカナダではハッキリしています。とうの本の中に、Confference Approved Literatureと明記してあります。それが書いてないのは、違うわけです。ビッグブックや12&12のほかに、細かいパンフレット類まで、表示されるべきものには、きちんと書かれています。
当然アメリカの評議会は、本の内容を承認しているわけです。だから、ちょっとした本になると3年も4年もかかっています。同じ本でも、AAグレープバインから出ている本は承認されないようです。
グレープバインはAAメンバーからの投稿で成り立っており、そのひとつひとつの投稿がAAプログラムを正確に反映しているかどうか、評議会は判断しないってことでしょうか。この点ではビル&ボブも特別扱いされておらず、The Language of the Heart(心の言葉)という分厚い本は、すべてビルの書いた記事だけで成り立っていますが、Approvedの文字はありません。
GSO側でも承認出版物でないものを出しています。その多くはサービス関係であるか、グレープバイン由来であるか、定期刊行物ですが、「伝統のチェックリスト」とかが入っていると言ったら意外でしょうか?
日本の場合には、何が承認出版物なのか、ハッキリしていません。
「アメリカカナダの承認出版物を日本語に翻訳したもの」については、異論はなさそうです。できあがった翻訳はアメリカの送られ、質がチェックされてOKが出れば、契約書にサインしてようやく出版になります。そういう手順を経て、英語が日本語に置き換わっただけで中身が同じだと担保されるわけです。
日本の評議会は、アメリカの承認出版物は全部翻訳すると決めています。はたして、アメリカ・インディアンのためのパンフレットまで日本で出版することに意味があるのかわかりませんが、ともかく決めた以上翻訳はするんだそうです。
評議会の決定はそれだけサービス機関を拘束するほど重いのです。
日本語オリジナルの本はどうなのか? 「回復への道」のような。
少なくとも中身が評議会で承認されたことはありません。そんな能力もありません。この本がAAのプログラムを正確に反映しているか判断しろって言われても困るでしょ。毎年「この本を出します」という出版計画だけを承認しているのです。
できないことはしない、それも良心の実践なんでしょう。
ミーティング・ハンドブックは、いろんなAAの本からの抜き書きですが、文章が書き換わっているし、編纂されたものを承認出版物というのは無理があるでしょう。そう呼びたいという気持ちも分かりますが。
BOX-916とか精選集も、AAグレープバインと同じ理屈で、個々の記事の中身について評議会がどうこう言う事じゃないでしょう。
そもそもどれが承認出版物なのか、ハッキリ決めごとがない。そして「承認出版物に準じる」ものが、数的には大量に出ている。AAグレープバインやBOX-916は、明らかに違う。
AAのプログラムを改変せずに伝えていくってことは大切なことです。でも、「AAミーティングでは評議会承認出版物だけを使う」なんて言い出す前に、サービススポンサーに質問してみるべきですね。知らないことは恥じゃありません。質問しないことが恥ずかしいんです。サービス活動にだって専用相談相手は必要ですよ。
僕も承認出版物は大切だと思います。だから、ミーティングハンドブックのように、AAプログラムのごく一部だけを抜き出した特異なものは、JSOで出版するのは止めるべきだと思っています。使いたければ個々のグループで使えばいいんです。承認出版物だけを使うなんてルールはないんですから。
2006年09月15日(金) やっと余裕が 久しぶりに真面目に働いていました。
というか、普段から真面目に働いていれば、こんな目には遭わないんですけどね。
お盆明けから次第に涼しくなっていくにつれ、暑さで参っていた体が少しは楽になるかと思いきや、逆にしんどくなっていきました。
昼間は汗だくになる暑さで、夜になるとTシャツと短パンでは風邪をひきそうな気温に下がります。そういう気温差に体がついて行けなかったのでしょうか。脆弱であります。
一週間五日のうち二日半を休むようなことをしているうちに、仕事がどんどん遅れていきました。納期を延ばしてくださいと言い出せないまま、「その日」がどんどん近づいて来てしまいました。おかげで徹夜であります。
こんなことになるんだったら、毎日こつこつとやっときゃ良かった。毎度そう思うのですが、そのようにはならずに20年以上、この仕事をしています。
もちろん、僕以外の仕事も着々と遅れています。
機械同士を接続してみたものの、全然通信ができません。要するに、機械どうしが意思疎通できないわけです。
人間どうしが意思疎通できない時は、気持ちがギスギスします。そして、機械どうしが意思疎通できない時も、やっぱり気持ちがギスギスします。もっとも、機械は気持ちを持っていないので、ギスギスするのはそれを管理している人間どうしですが。
大切なのは、忍耐と寛容とセルフチェック。原因を相手に探し求めると、どっかでお返しをもらいます。機械が壊れていることは滅多になく、たいてい人間の勘違いです。
そういうインターフェース部分が5ヶ所もあって、さすがに時間がかかりました。
機械屋さんの工場では5時半に全員が帰ることは滅多にないです。でも、どれぐらい遅くまでやるかの流儀は会社によって違います。7時過ぎに「もう今日はこれで上がりましょう」と言う会社もあれば、8時に全員で夕食を食べに行って、さあこれからが本番だぁって会社もあります。
始めていく工場だと、それがどっちなのか、朝から気になります。やっぱり7時までと、日付が変わるのではペース配分が違いますから。
おかげで山を越し、週末はゆっくり眠れそうです。
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