心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年09月03日(日) ぶつぶつ

AAのイベントに出かけようとしたのですが、子供に「お腹が空いた」と言われてしまいました。
ママは起きてきません。冷凍庫に冷凍ピザが眠っているはずです。本来自分の夜食用にと思って買ったものですが、あれは2枚入っているから、1枚は残るか・・・。
と思って開けてみると、知らぬ間にもう1枚食べられていました。
残ってた1枚を電子レンジに放り込んで出発。

オープンスピーカーズの会場にいられたのは1時間半ぐらいでしたでしょうか。
3人のスピーカーの話を聞き、いろんなひとに挨拶し、言葉を交わし、握手をし、色紙に一言書き、少し本を買って帰ってきました。
遅れてくる人も多いし、途中で帰っちゃう人も多いです。
入院していたときの看護師さんに久しぶりに会いました。

午後からは小学校のイベントに。父兄が校庭に模擬店を開き、チケットを持った子供たちが列を作るというイベントであります。授業参観と違って、父親を連れてきている子供が多いので、自分だけ浮いている感じがしなくていいです。親の役目は、ただ子供について回るだけですが。
「パパ、ちょっとこれ持ってて」
「パパ、お金出して」
「うーん、どれにしようか迷っちゃうな」
とほほほほ。それじゃ、男を買い物につきあわせている女だぞう。
待ち時間が長く、すみっこのほうで座って休んでいると怒られるのも共通です。

夜食にピザを食べようと思ったら、もうありませんでした。当然か。
ぶりぶり怒りながら子供のお菓子を食べちゃいました。


2006年09月02日(土) 間違い

たまには土曜日のAAミーティングに行こうと、シャワーを浴び、車を出して、時間がないので高速道路に乗りました。
やがて広域情報の電光掲示板があり、そこには「花火大会混雑」の文字が浮かんでいました。
花火大会・花火大会・・・はて、何かあったような。

そういえば、花火大会で今日のミーティングはお休みなのでした。しまった、すっかり忘れていました。このまま花火を見に行ってしまおうかと思いましたが、帰宅が2時になったら明日の朝困ります。

しかたないので、高速を降り、パソコン売り場でインクカートリッジを買い、スーパーでジュースを買って帰りました。
カートリッジ3本で6千円。

帰宅してカートリッジを交換してみたものの、マゼンタの色が出ず、カラーの印刷をすると、人の顔がぜんぶ黄緑色になってしまいます。10回くらいヘッドクリーニングの手順を踏んだのですが、いっこうに改善しません。
いつもは2〜3回のクリーニングで良くなるのですが、ヘッドが乾いた状態で放っておいたのがいけなかったのかもしれません。

hpの説明書を見ると、そう言う場合には「ヘッド交換」と書かれていました。なるほど、自分で交換しろと言うわけですか。
自分で交換できるのなら、その前に自分でヘッドを壊してしまっても、誰にも怒られないというわけですね。

というわけで、ヘッド交換の手順を踏んで、古いヘッドを取り出しました。インクの吐出口をティッシュペーパーで拭いてみると、マゼンタ色のインクが固まってこびりついていました。ティッシュでごしごしこすって5分後に作業完了。
そのヘッドをもう一度取り付けて、ヘッド交換の手順を終わりました。

ごしごしやったせいで壊れてしまっても、どうせ交換しなければ直らないのであります。プリンターは新しいヘッドを取り付けてもらったと信じて、いそいそと自動調整にいそしんでいます。
それが終わって、テスト印刷すると、見事にフルカラーが復活していました。
印刷された人の顔色も、地球人の顔色に戻っています。

新しいヘッドを買うのは当分先になりそうです。


2006年08月31日(木) 暴走する

アル中を、ブレーキの壊れたダンプカーに例える例があります。
坂の上にダンプカーが止まっている。そこに止まっている限りは害はないのですが、いったん坂を下り始めてしまうと、どんどん加速が付いて止まらない。なにせブレーキが壊れているのですから。何かにぶつかって破壊するまで(トラブルが起きるまで)止まれません。

怒りについても同じことが言えます。
アル中は怒りのブレーキが壊れている場合が多いです。いったん怒りだしたら、どんどん加速していって、「何もかも気に入らねぇ」という状態になり、何かにぶつかるまで止まらないのです。
自助グループの中で(あるいは病院の中で)アル中どうしの感情的いざこざが絶えないのは、当然のことでしょう。みんなブレーキの壊れたダンプカーを乗り回しているのですから、正面衝突しないほうがおかしいです。

でも、怒りはアディクションとはちょっと違う気がします。
なんでそこまで暴走するのか。怒りのエネルギーをため込んでいるからでしょう。ゼンマイをキリキリ巻くみたいに。

怒っちゃえばいいんですよ(たぶん)。
怒ってしまうと、周囲からは「子供みたい」「辛抱が足りない」「わがまま」という評判を頂戴することになります。そうは思われたくないから、我慢している側面もあるでしょう。自分の評判を守っているという。

そのくせしっかりと傷ついていて、後になって「自分は傷ついた」とか「不当な扱いを受けた」とぶつぶつ文句を言うわけです。そうして恨んでいれば、相手が悪くて、自分は被害者でいられるわけです。やがて恨んでいることからも目を背けてしまいます。

だったらなぜその場で怒らないんでしょう。
怒れば相手を傷つけます。でもそれは、自分にだって悪い感情がでてるんだから、当たり前のことです。そうして初めて、自分の怒りの原因(プライドへの固執だとか、安全への過剰なこだわりから来る恐れとか)に目が向けられるようになります。
「子供みたい」「辛抱が足りない」っていう評判だって正当なものです。それを隠して世間様にはいい顔を見せたいと思う方が恐ろしいです。

だから、アル中さんが顔を真っ赤にして怒っていても、本当に目の前のことに対して怒っているのかは疑わしいのです。実はキリキリと巻かれたゼンマイが解き放たれているだけなのかもしれません。

自分は怒りをコントロールできているはずだと思っていれば、祈りだとか棚卸しのようなAAの道具を使ってみようとは思わないでしょう。で、ときどき爆発しては、相手に謝るのを埋め合わせだと思っているわけですな。まず自分に謝らなくちゃいけないのに。

いつもキリキリ巻かれたゼンマイを抱えてるひいらぎが言ってるんだから、間違いないって。


2006年08月30日(水) 八百万の死にざま

とりあえず朝起きて仕事に出かけたのですが、途中で機嫌気分が悪くなって戻ってきてしまいました。妻は不要になった子供服をリサイクルショップに持ち込んでいて不在でした。金にはならず、無料で引き取ってもらうのがせいぜいだったそうです。
これではいつまでたっても仕事上の信頼が・・という焦りもありますが、焦っても仕方ありますまい。

映画『八百万の死にざま』を見ました。

・マット・スカダーは車に乗らず、地下鉄とタクシーと徒歩で移動する。
・マット・スカダーは銃を持ち歩かない。
・マット・スカダーは女にはだらしがない。

そのような設定はどこかに消えてしまい、車を乗り回してカーチェイスを行い、銃をバコンバコン撃ちまくり、女には妙にストイックなヒーローになってました。
酒を飲むトラウマさえ、別の設定に変わってました。

推理小説ファンからはひどい評判をもらっていたので、余り期待していなかったのですが、まあ原作の雰囲気を期待しているとがっかりします。
じゃあ、つまんないかというと、そうでもなく、原作とはストーリィも登場人物も変わってしまってるので、「最後はどうなるのか」期待だけで終わりまで見てしまいました。

この映画、日本語版のDVDは未発売なので、VHSテープを探しました。しかしテープでも安いものが出ていなくて、正札1万何千円のままです。レンタルで借りようかとも思ったのですが、ヤフオクで落札しました。
届いた品物を見たら、レンタル落ちでした。こういうものを見ると、本当にレンタルショップで不要になって処分されたものか、それとも物故品なのか疑ってしまいます。テープならともかく、PDAとかノートパソコンとか、本体だけで充電器もなく(むろん保証書もなく)、届いたものを見るとシリアルナンバーのシールが剥がしてある・・なんてのは明らかに怪しいです。

物故品というのは隠語で「いわく付きの品」のことです。暗に盗品であることを示しますが、盗品故買は犯罪ですから、そうはハッキリ言いません。物故は人が死ぬという意味であり、ぶっ壊れた→物故割れたというシャレ?から「故障品」を示すこともあります。

ヤフオクが盗品現金化の一大市場になっているのは間違いないと思います。
2ちゃんねるとか、P2Pファイル交換ソフトとか、ヤフオクとか、怪しい部分を含んだものが流行るようであります。


2006年08月28日(月) 感想

以前リサイクルショップで買った、hpプリンターのインクカートリッジ(ジャンク品)。いよいよ前のカートリッジが空になったので、ジャンクだけど使えるか使えないかドキドキしながら取り付けてみました。
結果はプリンターがエラーを出して使えませんでした。でもインク残量のインジケーターはフルになってるのに・・・。あちこち調べてみると、インクカートリッジにも賞味使用期限が設定してあり、あまり古いインクを取り付けると故障の原因になるので、拒否する機能があるんだとか。
ふと疑問、プリンターに時計積んでるのか? あいや、Windows側のドライバーがプリンターに日付を教えているのか。
カートリッジ代2千円は高い授業料でありました(まとめ買いしなくてよかった)。

amazonから本が届きました。『図表で学ぶアルコール依存症』(星和書店)。もし書店で実物を手にとって中を見れたなら、おそらく買いはしなかったでしょう。立ち読みすることなく買うamazonだからこそ、買ってしまう本があります。諦めるしかありません。

もう一冊、朝日新聞の書評の踊らされて買った本。『ママと踊ったワルツ』 (保険同人社)。アルコール依存症の母親を持った娘たちの癒しの物語と副題があります。中を開いてみると、活字が細かいです。老眼ではない僕にもちょっと辛いぐらい細かいのです。しかし、活字を大きくしたら、本が分厚くなって、値段も3千円越えてしまうでしょうか。

本の訳者はなんとなく覚えのなる名前でした。ああそうだ、JSOの所長だった山本さんです。略歴をみると、1999年までアルコホーリクス・アノニマスの日本ゼネラルサービスオフィスの所長を務め、AAの書籍の翻訳出版にも携わったと書かれています。
ええっ! 山本さんはAAのメンバーだったのに、履歴にそんなこと書いちゃっていいの? とびっくりしたのですが、よく考えたら山本さんはノン・アルコホーリクの職員だったのです。

AAは依存症本人だけの集まりです。しかし、そんな中にノン・アルコホーリクが混じるケースがふたつあります。ひとつは常任理事会のA類理事。これは正気の人間が必要なのと、実名で活動できる人間が必要(広報など)だからです。
もうひとつはオフィスの職員。オフィススタッフはアルコホーリクである必要は全然ありません。

A類理事は無給のボランティアですし、オフィススタッフの給与だって世間一般より高いとは言えません。そういう人たちにAAが報いることができるとすれば、経歴の一部にAAの名前を使っていただくことぐらいではないかと思います。


2006年08月26日(土) 降れば土砂降り

午後一時半まで寝ていました。
夕方も一時間ぐらい寝てから、シャワーを浴び、そして仲間のバースディミーティングにでかけました。

晴れていたはずですが、シャワーを浴びている最中に土砂降りになりました。ドライヤーで髪の毛を乾かしたつもりですが、戸口から車まで走る間にずぶぬれになってしまいました。
高速道路も視界40メートルほど。前の車のテールランプを追いかけているだけです。走るうちに、雷雨のエリアを突き抜けて、乾いた路面になりました。途中のパーキングエリアで、ラーメンを食べたのが夕食の代わりです。

この会場で1年のバースディミーティングをするのは、何年ぶりかが話題になりました。1年に達した人はいるものの、バースディミーティングはせずに過ごしたりしていたので、5年、いやもっとさかのぼらねばならないかもしれません。

ミーティングが終わって、ラーメンを食べに行こうという話になりました、さすがにそれは勘弁してもらって、メンバーとお茶しました。

ビッグブックを回復の中心に据えるという考え方は、今の日本のAAでは目新しい、異質なものと取られるのかもしれません。しかし、ビッグブックしかAAの本がなかった時代のやりかたを踏襲しているという意味では、革新的というより超保守的と呼ぶべきだと思います。


2006年08月25日(金) 勉強

仕事でセミナーに行きました。今回はお昼ご飯は自前でした。
そうそう free lunch にはありつけないということですね。

外へ出て歩いていても、うっすらと汗ばむぐらいで、日陰で風が通るところにいると涼しいです。やっと夏も終わりに向かいだしてくれました。お盆過ぎぐらいから、これぐらい涼しくなって欲しかったのですが・・・。
まだまだクーラーがありがたい季節は続きます。

教会の一室で汗を拭いながらミーティングをし、窓を開けているんで花火が始まると、うるさくて仲間の話が聞こえない。そんな経験をしたものですが、今月行った教会でのミーティングは、すべて空調が効いて快適でした。涼しい部屋の中で、花火を見ながら仲間の話を聞いていました。

最近「お願いの祈り」について、学びました。
お願いの祈りは、○○が欲しいという実に分かりやすい欲望を、神さまにお願いすることです。例えば、大学に合格したい、お金が欲しい、男が(女が)欲しい・・・。大人になっても、お願いはなくなりませんね。
でも、ただお願いするだけで、あとはサンタクロースがそれを届けてくれるのを待っているだけでは、欲しいものは手に入りません。それは、みんな分かっているわけです。
なので、「私も一生懸命努力しますから」という約束もついでにします。
しかし、努力をしたからといって、欲しいもの全部が手にはいるようには、世の中できていません。

人間の努力を越えた部分は、何か超越的な存在にお願いする。これは日本人がとても親しんできたやりかたです。赤ん坊が生まれればお宮参り、七五三、年が明ければ初詣、結婚する時も神さまの前。自分で何でもできると思っている人には、神さまも仏様も不要です。限界を知るからこそ、幸せをお願いするのでしょう。
人が亡くなった時も、お坊さんをお願いします。人知の及ばない、この世ならぬ場所での幸せをお願いします。
なるほど、日本人は超越的存在が大好きな民族なんでしょう。

大切なことは、努力して、そこから先は神さまにお願いして、やることはやったのだから、結果が悪くても恨まないという約束だそうです。

努力する約束・お任せする意志・恨まないという約束。この3つが揃って「お願いの祈り」として完成するというお話でした。

努力すると約束をしたものの、あんまり努力しない。中島らもに言わせれば、本来もっと努力できたはずと思うのは幻想で、そこまでしか努力できない能力の限界なんだそうです。そうかもしれません。
そうなると、かなり手前のとこから、お願いすることになります。

でも、恨まないという約束は、いつもできてない気がします。要するに自分は幼稚だってことなんでしょう。

努力できなかったことも後悔せず、欲しいものが手に入らなくても恨めしく思わないような人がいたら、その人にはお願いも超越的存在も不要なんでしょう。そんな人には会ったことありませんが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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