ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2006年08月08日(火) Restore us to sanity 2000年に行われた「12のステップ」の翻訳改訂。というか、ビッグブック全体の翻訳改訂があって、12のステップや12の伝統も、当然のように文言が変わりました。
それまで慣れ親しんでいた言葉が、いきなり変わったのですから、それに対する反応も強かったと記憶しています。
多く言われたことは、ステップ1の「生きていくことがどうにもならなくなった」が、「思い通りに生きていけなくなった」になった違和感でした。
ただ、僕はそれほど違和感は感じませんでした。life had become unmanageable 〜人生が・生活が unmanageable になっていたというのは、どうやっても据わりの良い日本語にはならないような気がします。
個人的には、生活がすっかり行き詰まっていたという感じであります。
それよりも、僕が違和感を感じたのは、ステップ2の「正気に戻してくれる」が「健康な心に戻してくれる」に変わったことでした。正気も健康な心も同じじゃないかと言われれば、確かにそうかもしれません。
正気でないといえば、狂気だということです。心が健康でないというなら、心が病気だってことでしょう。心の病気だって言われると、なんだかちょっと違う気がするのは、「狂気」のステップ2に親しんだからでしょうか。
例えば、努力することについてです。
一生懸命努力して、もうほとんど限界まで努力しているのに、不安でたまらないわけであります。もっと努力しなければ失敗してしまうのではないかと。別に失敗したっていいじゃないかという考えは浮かびません。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、どんなに努力しても失敗する時は失敗するのであります。正気の人間というのは、自分が失敗することもあることを受け入れています。限界があるということが分かっているから、失敗しても自分の価値が減らないことを知っています。
ところが、不安な人間は、失敗する自分を受け入れられないのです。自分は失敗しないはずの人間だし、失敗してはいけない人間だと思っています。失敗は自分の価値を台無しにしてしまうから、成功を自分に義務づけるのです。だから、どんなに努力しても満足できず、失敗におびえてなくちゃならないのです。
成功して初めて、自分は優れた人間だと証明できるわけです。なぜそんな証明をしなくちゃならないのか?
逆に、なんの努力もしなくても、人と同じものが手に入るはずだと信じていたりします。要するに自分は特別だと思っているわけです。ここでも、自分は人より優れているからという前提があります。
限界まで努力しているのに不安でたまらない。いつも息が詰りそう。苦しいのに、その生き方から抜け出せない。そういう生き方を僕はしてきたわけであります。それが狂気でなくてなんだというのでしょう。
無力を認めて酒さえやめれば、生活はふたたび manageable (管理できる・手に負える状態)になるはずでした。ところがやめてみても unmanageable なままでした。それは自分の考えが歪み、狂っていたからでした。
僕は自分の manager を手に入れる必要があったのです。
manager は、僕は人より優れていないこと、だからそれを証明する必要はないこと、人と同じように失敗すること、特別扱いは期待してはいけないことを、教えてくれました。それはたぶん、少しは正気に戻してくれたということでしょう。
2006年08月07日(月) 心の家路 人生は旅をしているのと似ているよ
迷ったり
誰かと一緒だったり
別れがあったり
それぞれ目的地は違うけど
終われば家に帰る
家路を辿りながら旅であった事を思い出す
・・・
楽しい思い出を思い出しながら帰るんだ
だからジェシィ
心配しなくて大丈夫
〜遠藤淑子『心の家路』より
ミーティングをご一緒したのは、この10年で2回だけでしたね。
あなたの心の家路の、安からんことを祈っています。
5月に更新するはずが、すっかり忘れていた 安曇野グループのミーティング会場変更。
それと、こちらも5月にリンクするはずが、のばしのばしになっていました。
ぷみらさんの もう一つのブログ をリンク集に加えました。
It's strongly recommended.
2006年08月05日(土) 休日 やっと仕事が片づきました。
これで何とかお盆を中国のどことも知れぬ工場で過ごすことは避けられそうです。おまけに同行者は、日本語も英語もできない韓国人ひとりだなんて。
毎日会社のセキュリティロックをかけて帰る日々とお別れし、来週からは定時出社定時退社の日々を過ごしたいと思います。
ミーティングもずいぶんぶっちぎってしまいました。
これでようやく、掲示板のデバッグができます。仕事と同じことを休みの日に自宅でやって面白がっている・・というのはかなりの変人かも知れない、そう思ったりします。
まあ、プログラミングは「手段」であって、「目的」は仕事と趣味で違うんですけど。
19日のイベントの件で、宿泊施設に打ち合わせに。
ついでに立ち寄ったリサイクルショップで、hpのプリンター用インクが半額で売られているのを見つけました。むろん未開封品です。
「おお、これは掘り出し物」
ごっそり買うには手持ちの現金が足りません。じゃあカードでと思ったところで、正気に戻りました。とりあえず一個買ってみて、まともな品物かどうか確かめなくては。なにせ「ジャンク品」と書かれた棚にならんでいたのですから。
リサイクルショップのジャンク品には、「本気ジャンク(真のゴミ)」は少なくて、たいてい「ちょっとした不備があるけど返品は不可」という程度のものです。でも、ゴミを山ほど買ってしまうと、心のダメージがでかいですから、気をつけないといけません。
一雨降って欲しいと思うのですが、天気図を見ると、中国大陸の方まで高気圧が続いています。お盆をすぎれば涼しくなる。あと2週間の辛抱。いや暑い夏は9月まで暑いか。
2006年08月03日(木) プラスチック・バッグ イオンがレジ袋有料化の試行をするんだそうです。
悪い話ではないと思いますね。
買い物をすると渡される袋が、いつから例のプラスチックバッグに変わったのか。記憶は曖昧ですが、たぶん僕が20才ぐらいのときでしょう。
それまではスーパーでもコンビニでも、茶色っぽい紙袋を渡してくれてました。
紙袋だと、中に冷凍品冷蔵品を入れると、表面についた水分を吸って、破れやすくなりました。冷凍品をさらに小さな袋にいれるのは、当時からの習慣でしょうね。それに、片手で提げるというわけにはいかず、自然と腕に抱いて持ち帰る(思い場合は両腕で)というスタイルでした。
買い物を腕に抱いて帰るのは、なんか粋な感じがしますね。人とぶつかったショックで、袋の中身の(例えば)リンゴが転がり落ち、それを相手が拾ってくれるという場面が描かれたのも昔の話であります。プラスチックバッグからは、リンゴは落ちないですから。
そして、袋が破れなくなっても、相変わらず豆腐だとか冷凍食品だとかを、もっと小さい袋に詰め込んでいる人はいるのであります。
プラスチックよりも、紙の方が環境に優しいとは限りませんね。
台湾に何度か行ったなかで、何回目からコンビニでレジ袋が有料になりました。そんなことは知らずにコンビニで買い物をして、いざ支払う段になってレジ係が、なにかを尋ねてくるのですが、中国語はさっぱりわかりません。
うーん、わからんと悩んでいると、相手は商品を手でくるむようなジェスチャーをしてくれました。なんだかわからなかったので「おー、いえすいえす」と答えると、そこでおもむろに袋を出してくれました。店を出たあとでレシートを見たら、袋1元とありました。日本円だと2〜3円ぐらいでしょうか。
政府がレジ袋有料化の法律を決めたんだそうです。コンビニで袋に金出して買っているのは日本人ぐらいでした。
ラジオを聞いていたら、オーストラリアでも一袋10セント(9円ぐらい)で有料化されたそうです。こちらはすべての商店で例外なく。
我が家ではもらったレジ袋の半分以上は、プラスチックゴミの袋に直行です。無料だからでしょうね。1袋10円になったら、きっと買い物袋を車に積んどくと思いますよ。
2006年08月02日(水) ガソリンが値上げになりました。 まだ8月になって給油に行っていないので、いくらになっているかわかりませんが。
新聞記事によると、レギュラーで140円台半ば、ハイオクで150円台半ばのようです。一時期ハイオクが120円を切るぐらいの値段だったことを考えると、ずいぶんと上がったものです。
この水準は湾岸戦争の時以来だとか。
原因は原油価格の高騰で、(いつと比較するかにもよりますが)原油価格が4倍ぐらいにあがっています。ガソリンになるまでには、精製、輸送、販売のコストも上乗せされるので、原油が4倍になったからガソリン価格も4倍になることはないんでしょうけど・・・まあ、どこまで上がるか見当もつきません。
湾岸戦争っていつだったんだろう、と調べてみましたら、1991年1月からでした。
当時自分は東京のアパートで連続飲酒の真っ最中でした。本を読む気力も、新聞を読む気力もなくて、ただぼんやりテレビ画面を見ていた記憶があります。
テレビで見ていたという連想では、阪神淡路大震災も記憶に残っています。
こちらは1995年1月。こんどは長野の実家に移って、そこで連続飲酒の真っ最中でした。これも酒を飲みながらテレビ画面を見ていました。
日航ジャンボ機墜落事故というのもありました。
1985年であります。このころはまだ本格的なアル中ではなく、友人の家で徹夜で麻雀を打っていたりしました。夜半にいったん帰ったメンツが、朝になって「飛行機落ちたんだってよう」と伝えに来てくれました。みんなでテレビを見て、それから昼まで勝負を続けました。
見た時間は墜落事故が一番短かったはずなのに、もっとも鮮明に記憶が残っています。まあ、飲んでいれば記憶も鈍るのでしょう。
このまま高値で推移して冬になったら暖房費が大変だなぁと、ちょっと心配になります。
でも、自分を動かすための「例の高価な燃料」が不要になっただけでもありがたいでしょうか。
2006年08月01日(火) 新掲示板暫定公開予告 ようやく新しい掲示板システムが公開できるレベル(完成とは言わない)に近づいています。
おそらく今夜にはアップロードできるでしょう。
5月末より作業を初めて2ヶ月。
一からスクラッチで書くということは諦めて、人の書いたプログラムに手を入れることにしたのですが、やっぱり人の書いたプログラムには気に入らないところが多いです。というか、人のやることが気に入らない性格なんです。
あっちに手を入れ、こっちを変更し、とやっているうちに、ずいぶん時間が経ってしまいました。
とりあえずは、旧掲示板のなかに、新掲示板へのリンクを張ることにして、新旧ふたつの掲示板が並立する形にします。
・ロボット型の自動投降の排除。
・検索機能。
・新着記事のみの表示。
・メールアドレスの非公開化(フォームメール)。
最初はアクセス制限なしで開始します(yournet/nttpcも排除しません)。
禁止語の機能があります。最初は「完全無料」という言葉だけが登録されています。
これはつまり「完全無料」という言葉を含んだ記事は投稿できないのであります。
HTMLタグは今のところ使えません。これについてはなるべく早く対処したいと思います。
今夜(8月1日夜)アップロードの予定です。
2006年07月30日(日) 飲酒夢 酒を飲んだ夢を見ました。
久しぶりであります。
夢の中の僕はなんだか若かったです。気分的には20代ぐらい?
冬場らしく、こたつに入っています。こたつの上にあるのは、パソコンではなくB5版のレポート用紙と万年筆でした。レポート用紙の隣にはビールの中瓶であります。
大瓶(633ml)ではなく、中瓶(500ml)というところが「自己規制しているつもり」でしょうか。ビールの銘柄はキリンのラガーで、ラベルは往年の中国の麒麟が描かれたやつでした。
ビールをコップに注いで飲んでいるのですが、味とかは感じませんでした。そのうちに、「このビールを早く飲んでしまわなければならない」と感じるのでした。その理由は空き瓶をどこかに隠さねばならないからです。なぜ隠さねばならないのか・・・それはいずれ妻が帰宅するから(なぜか結婚している)。
隠すのはこたつの中か、それとも流しの下か。どちらもすぐばれそうな気がして、どうもダメであります。うーん、困ったどうしよう。そうこうするうちに、なんだか頬が暖かく感じられるようになりました。あ、酔っぱらってきた。
そんなことより、次の酒をどうやって手に入れよう。やっぱ一杯飲んじゃうと、次が飲みたくてたまらくなるなぁ、一本だけにしようなんて考えが甘かった。ああ、俺って奴は。困った困った。
電話の音で起こされました。パソコン使ってないわけないもんなー、と思ったわけであります。
アルコール依存症者の飲酒夢と断酒継続との関係に関する調査研究
飲む夢を見るのは、断酒継続の指標なんだそうで。え? お前の場合は予知夢じゃないかって?
セントラルオフィス交流会。別所温泉でお風呂に入った後、三重の塔を見て、別所から鹿教湯へ抜ける峠へ、尾根沿いの未舗装路を通って保福寺峠から四賀へ。
女性がナイフで脅されて車に連れ込まれるという事件があり、子供のラジオ体操が中止になりました。ラジオ体操はやらなくても死なないけど、車で連れ去られたら死んじゃうかも知れないので、賢明な判断だと思います。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()