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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月29日(木) 無力+α(さらに続き) 「人生の意味って何だろう」
飲んでいた頃は、よくそんなことを考えました。
つかのま物質的・肉体的に満たされているときは、そんなことを考えもしませんでした。満たされて幸せなので、その幸せこそが人生の目的地だと感じられるのです。飲み続けて、人生が不安と不満で充ち満ちて来たからこそ、この辛い人生に何の意味があるのかどうか、思い悩んだのだと思います。
酒を止めてみても、「これからの人生、決して自分の望むように満たされることはないのだ」という絶望は消えませんでした。それならいっそ、ボトルの中から幸せが生まれて来るという狂気に、もう一度身を任せた方が楽かも知れない・・そうしてみようかな、と思うこれこそが、僕が「本当の飲酒欲求」と名付けたものです。夏にビールの宣伝を見て、酒が好きだから飲みたいと思うのと違って、生きていくのが辛いから楽になる薬が欲しい、まさに古い行動原理です。
でも飲んでもさらに辛くなるだけだから、と理性や理屈で酒を止めている状態の僕に、「今持っているものに満足し、感謝しなさい」と言われてもなぁ、という感じでした。欲深と言われようが、感謝知らずと言われようが、そういうものは強制されてするもんじゃないだろう、という理屈です。
アダルト・チャイルドの人に、「親のせいで大変な目にあったかもしれないが、今あなたがあるのは、親が生んで育ててくれたからじゃないか、感謝しなさい」と言ってみても、どうなるわけでもないのと似ていると思うのであります。
人は一足飛びにそこには行けないし、行けるんだったら最初からこんな道に迷い込みはしません。
子供は明日ご飯が食べられるかどうか心配しないものだと思います。まあ、させてはいけないといいましょうか。明日空腹を満たされることに不安を持ちません。もし明日のご飯を心配している子供がいたら、そんなことは親に任せて安心していなさいと言うでしょう。
大人になって、さすがにいつまでも親に食べさせてもらうわけにはいかなくて、自分の心配は自分でするようになりました。
自分の心配は自分ですると言いながら、それは僕が「そうありたいと願っていた」だけでした。本当の僕の姿は、ある日突然親がいなくなっていることに気づいて、不安にパニックになっている子供でした。でも、今更年老いた両親に、安心させてくれと頼むわけにも行きません。
「悩みのない人生などない」と言います。なるほどそうかもしれません。周囲を見渡しても、悩みを抱えていない人はいないようです。ならば僕の悩みも取るに足らないものだったのでしょうか。
失う不安、得られない不満に毎日責めさいなまれ、ぶつぶつと不平をこぼし、恵まれた人を見ては貶しておとしめ、恵まれない人を見ては自業自得だと思い、人の不運に内心ぺろりと舌を出し、自分の不運には大げさに同情を求め、ああしてほしい、こうしてほしい、本来であればこうであるべきだ、ああであるべきだとわめき立て、そしてこういうことをちょっとでも我慢して抑えられただけで、自分には大変な人徳が備わっていると思っている。
それでいて、その苦しさから逃れるために、自分が変わろうとはちっとも思わない。口では変わりたいと言っているが、それは酒を止めたいといいながら、ちっとも止めなかった頃とまるで変わりはない。
結局のところ、僕は「自分の心配は自分でする」ことができないのでした。それを認めるのは悔しいことでしたが、弱さを認めることが、前へ進むためにはどうしても必要でした。
(次回でおしまい)
2006年06月28日(水) 無力+α(続き) 僕は自分のことを不幸だと思っていました。だって生きていくのがこんなに辛いのですから。
そりゃもちろん、世の中には僕より不幸な(だと僕が見なす)人々がいます。だが、そういう人たちと自分を比べて、自分はまだこれだけのものを持っていると考えることは、ゆがんだ満足を与えてはくれます。しかしそれは諸刃の剣であって、世の中には僕より幸福な(だと僕が見なす)人々もたくさんいて、自分が持っていないものの多さを感じさせるのであります。
ステップ7の文章にあるように、感情のトラブルの原因は「今持っているものを失う不安」と「欲しいと思っているものを得られない不満」なのだと思います。
自分の力に頼って生きていた僕にとって、自分で獲得したものの多さだけが、安心と満足のわき出る泉であり、幸せを計る物差しでありました。他人の幸福も同じ物差しで計っていました。
持っているものは失いたくない、欲しいものはすべて手に入れたい。物や金だけでなく、他の人からの信頼や尊敬や親切といった無形の物まで含めて、もっともっと欲しいと思った原因は、失うこと・得られないことで不幸になりたくなかったからでした。
人生の目的は幸福の追求にあるのだと信じていました。
身の程知らずの望みを持つのは愚か者だと思っていましたが、もしチャンスが与えられたなら、当然のように手を出したでしょう。ストイックな生き方にも魅力はあるかもしれないけれど、修行僧のような生活の中に僕の幸せは待っていないだろうと思っていました。
そういう幸福追求の人生を歩いてきた自分にとって、依存症になって精神病院に放り込まれるというのは、最悪な災いでした。家族も仕事もまだあったのですが、手に入れた物の大半を吐き出してしまった気分でした。自業自得かも知れませんが。
もう一度やり直そうと思っても、時計の針を元に戻すわけにはいきません。失った物をもう一度手に入れている間に、人生の時計はもっと先に進んでしまいます。それでは自分は幸せになれっこないと思いました。かといって、しゃかりきになればなるほど、もう一度病院に戻ってくる確率が上がるだけだということも分かりました。
また飲むのは嫌だったので、ともかく飲まないで生きてはいましたが、「こんなやり方では、またいつか飲んでしまうのではないか」という悪い予感を抱えながらでありました。
今でも、人は幸福を目指すべきだと思っていますし、物質的・肉体的に満たされることを否定するつもりもありません。かといって「私は今ある物だけで満足ですよ。ありがたいと思っています」などと言いながら、実は必死でやせ我慢をする生き方とも違うと思います。
(続く・・でしょうね、たぶん)
2006年06月27日(火) 無力++ 「酒が好きだから飲んでいた」というのは嘘ではないですが、正確ではありません。
飲む目的は酔っぱらうことです。フォーマルな場でかしこまって酒を飲んでいても、ちっとも楽しくありませんでした。酔っぱらえないからです。逆に言えば酔えれば何でも良かったのです。アルコールを選んだのは、たまたまそれが合法的な薬物だったからで、もし酒が非合法で大麻が合法だったら、きっと僕はヤク中になっていたでしょう。
酒を止めた後も、酔っぱらいたいという願望は消えてなくなりませんでした。
酔いの中に幸せがあるという感覚はいつまでも残って、辛いこと、しんどいことがあると、酒を飲んで心や体の疲れを取りたい欲望が強くなりました。
酒を止めて9ヶ月ぐらいで、僕は必死で「神様」を探していました。自分の「神様」を持っているAAメンバーは楽そうにしていたからです。僕も自分の神様を見つければ楽になれるだろうと思ったのです。けれど、いくら探しても神様は見つかりませんでした。
今から思うと、ぼくが信仰を求めたのは、信仰に酔いたかったというのが動機です。
金の悩み、対人関係の悩み、体のしんどさ、そういうものから自由になって、幸せにのほほんと生きていきたかったのです。酒を飲んだのも、酒の中にそれを求めていたのでした。しらふになって酔えるものがなくなって、今度は信仰の中に酔いの幸せを求めたかったに過ぎません。
もちろん僕の希望どおりに幸せで満たしてくれる信仰は、どこにも見つかりませんでした。
僕の主治医の言葉で「飲んでいた頃は毎日がお祭り騒ぎだったわけですから」というのがあります。
それに対して自分は静かに飲んでいたと反抗するのは簡単ですが、つきつめて考えてみると、毎日がお祭りの日のように、陽気で、笑いにあふれ、悩みを忘れ、人と和気あいあいと過ごしていける、本当にそんな日ばかりが毎日続いていって欲しいと願っていたのです。
そして酒を止めた後も、どこかにそういう幸せがあるはずだと探して回ることは止めませんでした。
お祭りのはれの日のほかは、穢の日常が続く、その当たり前のことが、僕には受容できなかったのです。
(続く・・・かな)
2006年06月26日(月) 無力+α 「ステップ1だけは、いつも100%でなければならないんだ」
AAスポンサーからそう教えられました。他のステップは理想を述べたもので、完全に到達することは人には不可能であるにしても、無力であること・人生が自分の手に負えないことは、いつでも認めていかなければならないのだと。
そこから先についてはとりあえず棚上げでした。1年間はステップ1・2・3の基礎を作る時期だと言われていた頃でした。スポンサーはキリスト教徒でしたが、信仰については多くを語りませんでした。「最初の1年か2年は宗教的なことから離れていた方がいい」というピーター神父の教えを守っていたからかもしれません。
でも、無力なだけでは次第に苦しくなっていきました。
「それが酒を止めた後にやってくる本当の底つきだよ」と笑われました。
最初は酒を止めても楽になれるはずはないと思っていました。しらふで生きていくのは辛いことばかりで、そんな辛いことを一生続けていける自信はありませんでした。「酒を止めたいと思いたい」だけというやつです。誰だって自分が悪い方に進んでいるとは思いたくありません。僕も、酒を止めたい気持ちぐらいあるけれど、ただそれが実行に移せないだけなんだ、という言い訳を自分にしていたのです。
次は、酒を止めたほうが楽に生きていけることを知りました。体も楽になるし、感情の振幅も小さくなるし、お金の収支も改善しました。「酒を止めるって素晴らしい」と口では言っていましたが、100%健康になったわけでも、いつも夢見心地に幸せなわけでも、月収100万円になったわけでもありませんでしたから、本心はと言えば、もしジンを2本飲んでも翌朝無事に仕事に行けるんだったら、どんな代償でも払うつもりでした。
実際に飲むことから僕を遠ざけてくれていたのは、根性だとか見栄だとか理性だとか、「いざ」という時には役に立たないことが実証済みの原理ばかりでした。
本当の底付きは何年も続きました。今も終わったとは言えないでしょう。支えはやっぱりAAという存在でした。そのうち自分に何が足りないのか、うすうす感じられるようになってきました。
(続く・・・かも)
2006年06月25日(日) 羅列で、 ・今週は二つミーティングに出ました。
最近の僕にしては良い出来かと。
もっともひとつは仲間のバースディミーティングでしたが。
このところ、病院メッセージの回数のほうが多い月もあります。
・その病院メッセージなのですが、担当医の交代があったせいか、急にアルコール医療に不熱心になってしまいました。スタッフも入れ替えがあって、AAのことが理解できていない様子。いままで積み上げたものが崩れ去った後でも、またこつこつと積み上げていくしか方法はないのだと思っています。
アルコールの入院患者の数が一桁減って、メッセージ活動を続けることに疑問を感じるメンバーも増えてきた感じがします。そこでは僕は輪番の担当者ではなく、単なるオブザーバーの身であります。
「オブザーバーは、オブザーブするから、オブザーバーなんだよ」
という言葉をいただいているんで、控えの席に辛抱強く座って、事態の進展を待っていようと思います。
・今日のオープンスピーカーズ・ミーティングでは、書籍販売の係を一日やらせてもらいました。ずっと以前に地区のセミナーで書籍の販売をやったときには、100人以上集まったセミナーだったのに、本の売り上げは6千円ぐらいでした。今日は、グループでやった30人ぐらいの小さなスピーカーズでしたが、売り上げが16,380円。
昔に比べれば本の質も上がっているし、本を読んで回復に結びつけるというやり方に、慣れてきたということではないか、そんなことを考えていました。
・「満足にステップもやっていないくせに酒が止まっている大酒飲み」という揶揄の言葉を、この3ヶ月ほどで2回聞きました。ステップを使わずに酒が止まるのは、アルコホーリク(依存症)ではなく、単なる大酒飲みなんだ、というのがその理屈らしいです。本当のアル中ではなく、大酒飲みがAAをやっているから、日本のAAは成長しない、と続くパターンも同じでした。もちろん、その背後には「俺のやっているステップこそが最善、真髄」という自負があるのでしょうね。
そういう言葉を聞いたら、にやにや笑って、その場を離れる以外に、ほかに何が出来るというのでしょうか。そんなやつは追い出してしまえ、と思ったら、同じレベルであります。
2006年06月23日(金) 勉強 ある機械部品のメーカーの技術セミナーに行ってきました。
その部品はよく使っているのですが、体系だって勉強したことはないので、知識が穴だらけであります。いちばん初心者向けのセミナーをやってくれるというので、申し込んでおいたのです。
といっても、どうしても必要だから行ったわけじゃなくて、メーカー主催のセミナーの場合には、豪華な昼食がお約束であることが大きな要因であります。入手したミール・クーポンには、中華料理・釜飯と並んで、「江戸前」と冠された店の名前が書かれていました。うむ、昼食は何を食べるか決まりであります。
セミナーに参加して思うのは、「忘れていること」に気付くことの多さです。
ああ、これは前に調べて憶えた記憶がある・・けれど、すっかり忘れていたというやつです。言われれば、ああそうだったねと思い出す、まるでアイドル歌手の名前のようなものかもしれません。
20代の頃は、一度読んで憶えたことはなかなか忘れませんでした。その上、金がなくて、買った本を何度も読むしかなかったので、ますます良く憶えました。「スポンジが水を吸収するように」という形容を自分の記憶力に当てはめるのはふさわしくないのですが、記憶できることを不思議には思っていませんでした。
今の自分の記憶力は、まるで「ざるに水を注ぐごとし」であります。ざるにくっついて残った水で何とか露命をつないでいる、って感じです。
Basic、Pascal、アセンブラ、Cぐらいまでは、すぐに文法書が要らなくなりました。C++で机の上に入門書が常備されるようになり、Perlなんかは同じ本を自宅と会社に置いてあります。演算子の優先順位を記憶できなくなって、怪しげな時は全部括弧でくくって切り抜ける技を駆使するようになりました(VBとか)。
今日も、女性の若い教官の「インダクタンスが」という言葉に、頭が真っ白になり、インダクタンスとインピーダンスはどう違うんだっけとか、若い頃電磁気学演習をサボるんじゃなかったとか、そういう思いがぐるぐると駆けめぐるのでありました。
年を取っても勉強は出来ます・・が、何事も若い頃と同じようには行きません。少年老い易くを実感するこのごろであります。
秋の資格試験のために勉強しなければ、とは思うものの、参考書の背を眺めるばかりです。でも受験しないと参考書代がもったいないのです。
ちなみに、昼食は寿司と天ぷらのセットにありつきました。
2006年06月21日(水) スピーカー 日曜日、使っていないときの待機電力節約のために、コンセントを抜いておいたオーディオの電源を入れました。たまにはステレオで音楽でも聴いてみようかと思っただけです。
車の中はともかく、家で音楽を聴く習慣はありません。
いちおうパソコンには5万ぐらいのスピーカーがつなげてありますが、主に映像観賞用であります。
高いスピーカーを買っても意味がないのは、あまり大きな音が出せないからであります。
スピーカーは、ある程度大きな音を出さないと、スピーカーのコーンが十分に振動してくれず、まともな音が鳴らないのであります。音響メーカーやAV機器のメーカーが、小さな音でも云々と宣伝していても、なかなか実際にはそんな画期的なスピーカーが登場したことがありません。
以前、A君がパソコン用のスピーカーを買いに行くのにつきあったことがあります。
場所は秋葉原のパソコン売り場で、20組ほどのスピーカーを切り替えて試聴できるようになっていました。A君は最初のスピーカーの音が気に入った様子で、「これいい音ですね」と言っていたのですが、2本目、3本目と聞いていくうちに、悩み出しました。そしてしばらくすると、神妙な顔で「どのスピーカーもみんないい音なんですよ」と言い出しました。一組5千円のスピーカーも、5万円のスピーカーもどれもいい音だというのです。
理由は単純で、パソコン売り場は雑音がやかましく、スピーカーの音を聞くために、ボリュームを上げて大きな音で聞いていたからです。大きな音を出すことでコーンが振動し、スピーカー本来の音が鳴り出したのです。スピーカーの音の良し悪しなんて、その上での話であります。
結局A君はスピーカーを買い換えるのは止めてしまいました。家で使っているスピーカーも、これぐらいの音量で鳴らせば、そこそこいい音がするのではないか・・・はたしてその通りで、買い換える必要を感じなくなってしまったのだとか。
自分の使っているスピーカーが安物だから音が悪いと思っている人は意外と多いです。物理的制約からサイズを小さくしたスピーカーでは、どうにもだめな場合もありますが、たいていは家人隣人から文句を言われるぐらいの音量で鳴らせば、なかなかの音がするはずです。
日曜日に使ったステレオは妻が独身時代に買ったもので、はっきり言って安物であります。それを気に入っているわけではないのに、買い換えたいと思わないのは、我が家の住宅事情ゆえ、でかい音はたまにしか出せないからであります。
そしてCD1枚聞き終わる頃には、僕の耳は音に疲れてしまうのです。
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