ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年02月21日(火) 歯が痛い 歯の治療をしたのは、最後に精神病院に入院した時でありました。
2ヶ月の入院中、時間があり余っていたので、歯医者に通うことにしたのでした。とんだ藪医者で酷い目にあったという記憶しかありませんが、なにしろその時が20年ぶりの歯の治療だったのです。ようするに小学校を卒業して以来、歯医者に行ったことがなかったのであります。
飲んべえだった自分は、甘いものがさほど好きでなかった(嫌いだった)せいでしょうか、ともかく20年以上歯医者なしで人生を過ごしてきたわけでありました。その時も、別に積極的に治療しようと思ったわけではなくて、小学生の時に治療した歯の詰め物が取れてしまったために、その応急処置にいっただけでした。歯石も取ってもらいませんでした。
退院後一年半ぐらいした時に、直してもらったところのかみ合わせが悪くなったので、会社の近くの歯医者に集中的に通いました。その時、二十数年ぶりに歯石も取ってもらいました。前歯の厚さが半分ぐらいになったかと思いました。それぐらい分厚く歯石がついていたのでした。あー気持ち悪い。
たばこのヤニはあまりきれいに取ってもらえませんでした。綺麗に掃除しても、またタバコを吸えばヤニがついてしまうので、意味がないのだそうであります。その後禁煙に成功し、これで大いばりで歯の掃除を要求できる、と思ったものの、5年以上歯医者に行っていません。
インフルエンザから回復しても、どうもまだ頭が痛いなと思っていたら、実は歯の痛みだったようです。右の上の奥歯に明らかに穴が開いています。しかたないので、今度の職場の50メートルほどの近所にある歯医者に行ってみることにします。
SkypeOutのクレジットを購入してみました。1分2.66円で1500円分というと、9時間以上の計算になります。これを半年で使い切るのは無理かも知れません。とりあえず、Skypeがオフラインの時の着呼は自宅の電話に転送するように設定。
2006年02月19日(日) さよならみかか 1月にISDN回線を「ひかり電話」に切り替えました。
ひかり電話に収容できなかったFAX番号は、アナログ回線に戻すことで解決しました。それにかかった工事費の請求が来ました。五千円だそうであります。工事の明細書というのは発行してもらえないので、料金表をながめて推測する他はありませんが、同番移行工事費2,000円×2+加入電話交換機等工事費1,000円=5,000円といったところでしょうか。もちろん物理的に工事が行われたわけではなく、局舎内で交換機の設定が変わっただけでしょうけれど。
FAX回線は今後もずっとNTTの回線を利用していこうかとも思っていたのですが、KDDIのメタルプラス電話(IPベースの直収電話)にして、請求書の統合をすれば基本料金はあと300円安くなります。さらに、3月末までに申し込めば、開通工事費6千円とNTTの休止工事費2千円をまけてくれるという キャンペーン をやっているようなので、それにのっかることにしました。
はたして(IP電話ではないけれど)IPベースの電話でFAXがちゃんと送受信できるか若干不安ではあるのであります。Q&Aにも「FAXについてはおおむねご利用いただけます。」という、実に何とも心許ない表現しかありません。
しかし、いまでもマイラインで0038を使ってFAXの送受信になにも問題は起きていないので、メタルプラス電話も大丈夫かなと思っています。0038はIPベースの電話として初めて中継サービスををした会社です。
メタル電話が開通すれば、我が家の電話回線はすべてIPベースに移行し、加入電話の「加入権」は休止という状態で所持することになります。上京した頃は電話引く金なんてなくて、ソフト関係のアルバイトをした金から7万以上払って電話を引く権利を得たのでした。
その後電電公社は民営化。施設設置負担金は半額になりました。そう遠くない未来に無料化されることでしょう。
NTTのことを「みかか」と読んだのは、おそらく日経mixにいた連中でしょう。カナキーをロックした状態でNTTと打とうとするとみ・か・かと打ってしまうというのが語源です。「みかかからのラブレター」とはNTTからの請求書(正確には催促状)のこと。テレホーダイもない時代で、パソコン通信マニアは万単位の請求書が当たり前でした。もっとも上には上がいるもので、伝言ダイヤルにはまっている連中はその倍ぐらい払っていたものでした。ダイヤルQ2登場以前ですから、通話料だけでそれだけいくのですからたいしたものでありました。
ずっとお世話になってきた電話回線ともお別れになるとは淋しい限りであります。もちろんフレッツの請求書は今後もずっと届くんでしょうけれど。
(実は総光化が済んでいてメタル線が来なかったりして・・・)。
2006年02月16日(木) 治りかけ 水曜日の明け方から熱が下がり始めました。
それまでろくに汗が出なかったものが、急に吹き出すように出るようになり、起きるたびにぐっしょりと下着が濡れています。寒さに震えながら着替える羽目になりました。布団はじめっと湿って気持ち悪くなりました。
飲んでいた頃は異常な発汗に悩まされました。上半身だけ大量の汗をかいて、やっぱり布団がぐっしょりとして気持ち悪くなるのでありました。当時はそれが禁断症状によるものだとは知らず、何か悪い病気になったのかと思っていました(その考えは間違っていませんでしたが)。
妻にもうつったらしく、熱を出して寝込まれてしまったので、炊事や洗濯は熱の下がった僕の役目になりました。その日の夕方から子供たちはまたジジババの元での生活が始まりました。
マット・スカダー・シリーズの第一作『過去からの弔鐘』を読破しました。熱にうなされながら読んでいたので、真犯人は見破れませんでした(言い訳だな)。ひとつ思い出したのは、「ぜったいにこれ、前に読んだことがある」ということです。プロットと言い、設定と言い、なんとなく覚えがあるのであります。
かといって、二見書房の本なんて買って読んだのはこれが初めてですから、誰かが過去に貸してくれたのかもしれません。それでいて、謎解きのところはきれいさっぱり忘れているのだから、なんともはやの記憶力であります。
熱が下がったのでもう一冊読もうかと思ったんですが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に取りかかることにしました。
熱は下がったものの、どうやら単に薬が効いているだけのようです。局地戦では勝利を収めつつあるものの、全般的に戦局は拮抗しているようであります。
今年の秋にはインフルエンザの予防注射を打とうと思います。
2006年02月13日(月) インフルエンザだ 月曜午後の職場で、熱を測ったら37.7℃ありました。
「帰って医者に行け。治るまで出てくるな」
というお達しだったので素直に帰りました。
夜間救急に行っても混んでいるだけでしょうから、翌朝行くことにしました。
夜は38℃以上にあがったのですが、明け方には37℃ぐらいまで下がっていました。市販の風邪薬でも結構効くものです。
子供のかかっている小児科へ行きました。先週から長女がA型のインフルエンザでお世話になっています。
「妹を連れてきたと思ったら、お父さんか」
と医者に笑われてしまいました。小児科にかかるのは何十年ぶりでしょうか。
検査の結果A型のインフルエンザだと分かりました。先週から風邪を引きずっているので、インフルエンザでも風邪でもどっちにころんでも良い処方をもらいました。
タミフルであります。
薬を飲むと熱が下がる。効果が切れると熱が上がるの繰り返しです。
今週は全滅かな。
なぜ冬になると風邪が増えるのか。科学はその謎を解き明かしてはいないようです。寒くなって乾燥するからという理由はつけられますが、なぜ寒くて乾燥すると風邪が流行るのかは説明できないのだそうです。
風邪の季節ももうすぐ終わるでしょうが、皆様もお体にはお気をつけください。
2006年02月12日(日) また風邪だ 土日は風邪で寝ていました。
といっても高熱が出るというわけでもなく、鼻水がずるずるして、口で息をしているので喉が痛むぐらいですが。医者に行くほどでもないと思うので、近所の薬局で立体マスクと「喉鼻用」の風邪薬を買いました。
妻が帰ってきました。4ヶ月ぶりです。次女も一緒です。長女はまだインフルエンザから回復していないので、母屋に置き去りであります。
朝、家族一緒に起きた方が良いだろうと思うので、夜早く寝ることにしようと思います。日曜の晩は体調も悪かったので、10時に寝ました。おかげで月曜の朝は朝5時に目が覚めてしまいました。
朝のニュースで、医師たちが禁煙を訴えてタバコの吸い殻を拾って歩いたと伝えていました。医師曰く「ポイ捨てを害悪視するのではなく、それは病気の症状であるので、早くニコチン依存症だということに気がついていただいて、禁煙へと結びつけて欲しい」。
なんだかアルコールと似た話であります。「酔っぱらうのは病気の症状であるので、それを罪悪視せず、早く依存症だということを認めてもらって、断酒へと結びつけて欲しい」といったところでしょうか。
しかし僕の周囲では、酒を止めたことよりも、タバコを止めたことの方が評価が高いです。きっとタバコというのは吸い出せばすぐにニコチン依存になってしまって、多くの人が止めたくても止められず、止められない姿も人のよく知るところであるってことでしょう。それに対してアルコールは、飲み出したからといってすぐにアルコール依存にもならず、依存症になっていないうちに禁酒に成功するという例を世間がたくさん見ているから、「さして苦もなく成し遂げられるべきもの」という程度の理解なのではないかと思うのであります。
先週末で目薬がなくなったので眼科医に行きました。最近頭痛が多いので、眼圧が高いのではないかと思っていたのですが、案の定22ありました(単位は知りません。ヘクトパスカルか)。普段は13から16ぐらいであります。
「風邪をひいてるからかも知れませんね」
と言われたのですが、風邪のせいなのか、目薬を切らしたせいなのか、それともストレスによるものなのか。
普段は2ヶ月にいっぺんなのに「また来月来てください」と言われてしまいました。
2006年02月10日(金) 近況報告ほか ざっとまとめて近況報告をしておきましょう。
最近調子が悪くて、ここ一ヶ月の間に4日休みました。あいかわらず11時からの変則勤務です。でも午後7時過ぎまで働いていたりします。来週今期の査定があります。また給料下がるんだろうと思いますが、まあくびがつながっているだけ良いとしましょう。
妻は12月に退院しましたが、まだまだ「何もする気になれない」と言ってジジババの世話になってばかりです。子供も一緒です。というわけで、半独身生活をいまだに続けております。
今週は長女がA型インフルエンザで高熱を発していますが、今夜は結構元気でした。
携帯電話買い換えました。特にそうする必要はなかったのですが、まあ物欲です。WIN端末にして、安い料金プランに変えたのですが、あっというまに通話料が溢れています。高いプランにすると余り、安いのにすると足りなくなる。困ったものであります。まあ障害者割引をしてもらっているので助かっていますが。
PHSのデータ通信カードを契約しました(PHS3回線め)。WIN端末が本当のデータ定額だったら、こんなの要らないのですが・・・。物欲的には W-ZERO3 あたりがねらい目ですが、今はおとなしくしています。1ヶ月でもう5万台も売ったんですって、すごいですね。日本のPDAの台数新記録になるでしょうね、いずれ。10万台売ったのって「あれ」しかないでしょ。
AAミーティングは週に2回です。例年正月明け1ヶ月ぐらい過ぎると、病院の患者さんが増えていましたが、今年はそんなでもありません。理由は僕には分かりません。
地区委員会からもなかなか卒業できていません。4月ぐらいにまでには片づけたい・・・と自分では思っているのですが。
Internet Explorer 7 を試してみています。タブブラウザーになってなかなかいいです。まだベータ版でバグが多いのですが。
仕事はCOMの勉強中です。世の中.NETだっていうのに。
ローレンス・ブロックの『過去からの弔鐘』を読もうと思っています。途中で飽きちゃうかもしれませんが。ちなみに、狂人スカダーでも、泥人間スカダーでもなく、マット・スカダーであります。
ACのことはよく分かりません。あいかわらずです。分からないのに分かったようなふりをするのもつらいので、分からないと言っています。
体に疲れが溜まっているので、今日は寝て過ごします。
2006年02月09日(木) 原油高雑感 自動車の運転免許を取ったのは、結構遅くて30才になってからでした。
当時はまだ酒が止まっていなくて、酒臭い息で教習所に現れる僕に対して、教官は「お前みたいなヤツには(どうせ飲酒運転で事故を起こすだろうから)免許はやりたくないが、こちらも商売だから」とさんざん嫌味を言われたものですが、免許のおかげでミーティングに通うハードルが低くなって助かりました。
それまではガソリンの価格なんてものに興味すらありませんでした。
東京での暮らしは自動車とは関係ないものでしたし、住んでいたアパートはどこもストーブ禁止(電気ストーブは可のところもあった)でありました。今ではちょっと考えられないかも知れませんが、火事防止のためであります。なので灯油を買ったこともありませんでした。
当時レギュラーガソリンが1リットル120円台だったと記憶しています。そしてその後ガソリン価格は低下を続けます。高止まりを続けていた長野県内のガソリン価格も、異業種からの販売参入などがあって安いときには90円を割りました。おかげでスタンドがばたばたとつぶれました。競争が沈下した後は、再び全国でも最も高い水準で推移することになります。
日本の石油のほとんどは中東から輸入しているそうですが、そのドバイの原油価格は1980年代から1バレル(159リットル)=15ドル程度だったそうです。湾岸戦争の時に37ドルまで上がったのがトピックでしたが、その後は1990年代を通して10ドル台を保っています。
2000年にスバルから新車が発表されて、僕はその車を買うことにしました。家族は大反対だったものの、僕にはひとつの目算がありました(勝手な話だけど)。エコノミストによると、いままで採掘した原油の積算量と、今後採掘可能な原油の埋蔵量が等しくなったときに、原油価格が高騰し「石油ショックが起きている」というのです。つまり「残りあと半分」になったところで、産油国は「もう半分しか残っていない」と考えて原油価格のつり上げを行い、それが経済に大きな影響を与えてきたのだと。そしてその後に、新たな油田が発見されたり、採掘技術が上がったりして埋蔵量が再び増え、原油の価格がまた下がるのだそうです。
その例のひとつが1970年代の石油ショックでした。それ以前の例も挙げられていましたが、何せ生まれる前の事象ですから憶えられませんでした。
そしてエコノミストの論によると「2000年代(2010年まで)に再び、採掘量=埋蔵量となって、石油価格の高騰が起こるだろう」という予言でありました。僕はそれを信じて「大排気量の車(燃費悪し)に乗るのは、これが最後のチャンスかも知れない」と思ったのであります。その後は燃費の悪い車に乗るのは、きっとお金持ちだけになるのだろうと。
しかし21世紀になっても、原油の価格はあまり上がりませんでした。それでもドバイ原油は20ドル台まで上がりましたが、「まだまだ採掘技術が向上し、22世紀になっても石油燃料の時代は続くのではないか」という説まで飛び出すようになりました。
そうか、そうであるか。もっと人生の後になっても大排気量の車に乗るチャンスがあるのだったら、なにもこの苦しい台所事情の時に無理をすることはなかった。僕は内心落胆していたのであります。
しかし思わぬ伏兵が現れました。中国とインドであります。大人口を抱えるこのふたつの国が工業生産と車に石油を使うようになって、世界中の原油を買い集めるようになりました。供給が安定していても、需要が逼迫すれば値段が上がる道理です。Javaを使ったドバイ原油のチャート を見ると、最近は60ドル程度まで上昇しています。
論説によれば60ドルという事態は長続きしなくても、今後40ドル台で落ち着く可能性は十分にあるとか。
15ドルのものが45ドルになれば価格は3倍です。20世紀最後に100円前後だったガソリン価格は、130円台まで上昇しましたが、今後200円とかもっと上がる可能性もあるのかも知れません。
4年間で3万数千キロしか走らなかった車ですが、その後の9ヶ月の通勤で6万キロに達しました。オドメーターを見ながら、いずれこの車も買い換えねばならないということを考えるのであります。通勤をしながらプリウスに抜かれることも多くなりました。初代のプリウスは出力不足がいわれましたが、二代目はふつうの車並みの運動性能はあるようです。それを眺めながら「次はああいった車かな」と思いながら心は晴れないのであります。
自分の長期見通しが当たったのに不満を持つ理由はありません。もちろん車を買い換えるのはまだ年単位で先のことなので、先取りの心配をする必要はありません。車を買い換えるお金なんて無いから、また重いローンに呻吟しなければならないのでしょうが、どうもそれが理由でもないようです。別に大排気量の車に乗り続けることにこだわりを持ってはいないつもりでした。
そういえば昔読んだ『FBI心理捜査官』という本に、常習的犯罪者は高出力の車に乗ることを好むと書いてありました。力の誇示なのだそうです。心が晴れない理由はそういうことなのかもしれませんね。
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