心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月10日(火) この簡単な霊的道具一式

さて、年賀状は宛先不明で返ってきたものはありませんでした。
年賀メールのほうは、100通ほど出したのですが、10通余りがリジェクトされてきました。それを見て、「ああこの人、会社止めたんだな」とか、「プロバイダー変わったんだ」とか思うわけであります。まあ、その人の勝手でありますが。
メールのほうに、わざわざ返信をいただいたものもありました。返信の返信をするのもなんなので、この場でお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。

the simple kit of spiritual tools というフレーズを入れたために、「これは何だ」と思われた方もおられたようであります。simple と spiritual は「簡単」と「霊的」で、AAメンバーにはなじみの深い単語ですが、kit とか tools って何だ? というわけです。

これは実は(もう分かっている人も多いと思いますが)ビッグブックからの抜き書きです。

それほどに、多くの人がやめたくてもやめられないのである。
解決はある。私たちは誰も、目標に到達するのに必要な課程の作業を、つまり、自分を点検してみること、思い上がりを抑えること、短所を告白することなどを実行するのを好まなかった。しかしそれをやって本当に成功している人たちを見て、(略)私たちは、足下に並べられた簡単な霊的道具一式を手に取るほかなかった。

というわけで、自分の頭で考えた方法で回復しようとしないで、ステップにシンプルに書かれた方法通りにやってみて、その方法を伝えていきたいという年頭の決意であります。まあ、年の初めに考えることは、年末に一年を振り返るまで、すっかり忘れているのが常ですが。

酒をやめられて素晴らしい、と言いながら、実はコントロールして酒が飲めるようになる手術がもしあるとしたら、何百万円かかろうともそれを受けたいと思っている。そういう自分を変えていくことが、回復なんだなぁと。アル中は何年酒をやめたって、飲みたいものなんだ、それが変わることなんかあり得ないと信じてきました。
しかし、本当の受容とは、「どんな手段を使ってもコントロールは取り戻せない」ということに満足するということなのでしょう。
そんな風に回復したいという、回復への希求であります。


2006年01月09日(月) 冬の集いへ

高速バスの中は暖かく、ぐっすり眠れました。
八王子の料金所を通過する際に目が覚めたので、新宿で待っている仲間にメールを打ちました。調布あたりと高井戸でまたメールを打つつもりでしたが、再び目が覚めるとルミネまで迫っていました。
「何で長野の人間がSuicaをもっているかな」と不思議がられましたが、僕はプリペイドカードマニアなので、パスネットも持っています。
湘南新宿ラインで戸塚まで45分です。実は戸塚は横浜と川崎の間にあると思っていたのですが、横浜よりむこうにあるとは知りませんでした。桜木町より南に行くのは初めてです。

ビッグブックの集いの「冬の集い」は今まで一度も出席を欠かしたことがありません。今回も行けるかどうか危ぶまれましたが、無事行くことができました。午後を使ってたった3人のスピーカーというのは少ないような気もしましたが、それぞれ中身の濃い話をいただけました。静岡のKさん。宮城のJさん。そして名古屋のMさん。Jさんの「最小限の努力で最大限のソブラエティを得ようとする」という言葉に共感を覚えました。Mさんの「神を信じないという人は、その人の持っている特定の神概念や宗教観に対して反発しているにすぎない。宇宙の中に自分を超える大きな力がどこにも存在しないと信じている人はおそらくほとんどいない」という話にうなずきました。
来て良かったなと思いました。何のためでもない自分の回復のために行く。来年もまた来たい。そう思いました。

終わった後、デニーズでのアフターに参加させてもらいました。事務的な話が必要で、メールではどうももどかしく、直接会って話をしたかったので、それは大変助かりました。顔なじみとAAのプログラムについて大いに話が盛り上がるというのは楽しい経験です。が、もっと積極的に見知らぬ顔と知り合いになっていけば良かったなとちょっと後から残念に思いました。

仲間からHandspringのVisorを頂きました(貸してくれただけか?)。クールな皮のケースに入っています。時間があったらさわってみます。

掲示板や心の家路宛のメールで知り合った人々とも何人かと顔を合わせました。それはとても楽しい経験であります。こういう機会があるたびに、実はその一人一人をお互いに紹介するようにしたら、掲示板がもっと仲間意識にあふれるのかも知れないなと思うのですが、僕なりの恐れがあってそうしていません。でも、ご希望があればそうしたいと思います。

デニーズを出た後、トイレに行きたくなりました。戸塚の駅のトイレは工事中で、仮設の小さなトレイがあるだけでした。しかもそれは大変汚れていました。何でこんな冬にスイカを食って出すヤツがいるんだと、便器に座れるように手を汚して掃除をしつつ恨みの言葉が出ました。そういえば今日は成人式であります。湘南新宿ラインは長距離なので、列車の中にトイレがあります。そのことを忘れていたのだから仕方ありません。

ノートパソコンのバッテリーは、帰りの電車の中でちょっと使っただけで終わってしまいました。思えばこのノートパソコンを使って5年近くになります(買ったときはWindows98SEが載っていた)。あれから僕は、日々雑記を始め、「心の家路」を公開し、それが元でAAの出版に興味を持ち、AAの役割が回ってきて、そしてビッグブックの集いの人々と出会ったのであります。不思議な連鎖を思います。
そういえば去年の冬の集いの直後にうつで休職に入ったのでした。実は冬休み前から限界だったのですが、冬の集いに出かけていくためには、仕事を休んでいては家族から文句が出るだろうと恐れていたので、無理して仕事を続けていたものの、集いが終わったら緊張の糸が切れたみたいになってしまったのでありました。背伸びをするものではないなと今更ながらに思うのであります。
あれから1年が経過して、いろいろなことがあり、僕も新しい環境になじみつつあります。やっぱりアルコホーリクは環境の変化に弱いのかと思います。

帰りのバスがサービスエリアで休憩に入ったので、建物の中でコンセントがないかノートパソコンを抱えて歩き回りましたが、一個も見つけられませんでした。まさに電気がないと powerless なのであります。

いろいろ心の栄養をもらって、また前へ進んでいく力を与えられたような気がします。


2006年01月08日(日) 凍る一日

風呂の排水管が凍った話は書いたでしょうか。
上水道の水の配管も凍り、水洗トイレの配管も凍り、唯一確保されたお湯の配管もボイラー内部が凍ったせいで水しか出なくなりました。

昨日の疲れを取って一日ゆっくりするはずが、水回りの対策に追われる一日になりました。
とりあえずボイラーには電気毛布を掛け、上にさらに毛布を巻いて縛っておきます。
上水道は配管が壁の中なので、部屋全体を暖める以外に方法はありません。キッチンに石油ファンヒーターを持ち込んで暖めますが、なかなか10℃以上にはなってくれません。
それでもしばらくするうちに、トイレの給水が復活しました。排水も問題ないことがわかって、とりあえずトイレには安心して入れるようになりました。

ボイラーも溶けたので、今度は電気毛布を風呂の排水管に巻き付けました。しかし、いっこうに解ける気配がありません。
母屋のほうでは、風呂が凍り、洗濯機が凍り、トイレの給水のバルブが凍って水が噴き出しました。パッキンが痛んでしまっているようなので、おじいちゃんが市内のホームセンターに買いに行ったのですが、ちょうど良いサイズのが無くて諦めたそうです。そこで、僕が高速道路を使って近くでは一番大きなDIYショップまでパッキンを買いに行きました。
パッキンのついでに、カートリッジ式のバーナーと、車のウィンドウォッシャー液を買って帰りました。ついてきた子供たちには、マクドナルドのチーズバーガー100円のおやつ。

ウィンドウォッシャー液はアルコールと界面活性剤の混合液なので、マイナス25℃ぐらいまで凍りません。これをお湯と1:1に混ぜて、風呂の排水に流しました。しばらくすると水面が下がっていったので、氷が溶けたと見て、下水掃除用のワイヤーを突っ込んで中を掃除し、あとはお湯をひたすら流します。
お湯をたっぷり流した余熱がまわったのか、上水道も回復し、とりあえず(2階はともかく)水回りは夕方までには回復しました。

大晦日(というか元旦)に壊したパソコンのAGPカードが届いたので、さっそく装着してみました。カノープス製は、長年使い込んだMatrox製と同じぐらいにシャープなかっちりとした出力で、評判通りの性能です。

それにしても、今年は水難の年かもしれません。
週間天気予報を見ると、14日には雨になって、長期予報では月の後半は温度も平年並みに戻るとか。ぜひそうなって欲しいと願っております。

新宿へ向かうバスの中でこれを書いています(9日)。ではまた。


2006年01月07日(土) 三九郎

さんくろう【三九郎】信濃で、左義長(さぎちよう)をいう。

さぎちょう【左義長・三毬杖】‥(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという) 小正月の火祭りの行事。宮中では正月15日と18日に吉書(きっしょ)を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6〜7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。朝10時に町内のお地蔵さん前に集合しました。町内の小学生は12人。昔は三九郎は男の子の行事でしたが、現在は男女両方が参加する行事です。また三九郎は子供だけで作る習わしでしたが、現在は大人が作って子供は見ているだけであります。これも時代の流れでありましょうか。

いままで町内の行事は、妻に任せっきりでした。妻の具合の悪いときには、ジジババが出てくれていました。しかしジジババも年を取り、僕におはちが回ってきました。
AAスポンサーからも、そろそろ地域社会とかそういうことに力を割いていくようにという提案をもらっていたので、比較的素直にそういう方向性が決まりました。

集まった子供たちは東と西の二組に分かれて、町内の家のしめ飾りを集めてまわりました。お母さん方はその付き添いであります。4人しか集まらないお父さんたちは、近くの河原で三九郎の作成です。3本の竹を結んで簡単な櫓を組み、周囲に縄を渡します(ここら辺の作り方は僕の子供の頃と違って簡素化されているので、僕は初心者であります)。集まった門松は分解して、竹をキャンプファイヤーのような形に組みます。その上に、町内の神社のお祭りで使った縄を積み上げ、稲藁をかぶせます。
子供たちが集めてきた松飾りを全体に飾り付けて完成です。僕の子供時代には冬休みを何日も費やして作った三九郎ですが、イマドキは1時間あまりで出来上がりであります。
ここでいったん解散。

風呂の排水管が凍ったのはまだ溶けません。DIYショップの店員に尋ねてみたら、水道管用の凍結防止帯を巻けば良いと教えてくれました。凍結防止帯の説明書には「凍った水を溶かすだけの熱容量はありません」と書かれているのですが、時間をかければ良いそうです。
そいつを巻いたりしているうちに、知らぬ間に三九郎の点火時間を過ぎてしまいました。

年長の子が呼びに来てくれたので、あわてて出かけました。
午後4時の点火から、最後の炭火に川の水をかけて消すまで、およそ3時間。寒風の中で立っておりました。紙コップの中に注がれたジュースが、いつの間にか凍っているという寒さであります。
大人には(当然のことながら)御神酒として日本酒が振る舞われるのであります。僕は飲みませんからと断ったのですが、縁起物ですから口を付けるだけでもと少し注がれてしまいました。長女がそれを見て「パパ飲んじゃだめ」ときびしくチェックを入れてきました。彼女は父親の依存症のことなど知らないはずですが、ママから教わったのか「飲むふりだけでもだめ」ときびしいのであります。
口を付けずに日の中に捨て御神酒をあげ、そのコップにジュースを注ごうとしたら、まだ何滴か残っているからそのコップを捨てなきゃだめだと、なかなかきびしいのであります。
彼女は最近パパの本を勝手に読むようになって、静かにしているなと思うと『どうやって飲まないでいるか』とかを熱心に読んでいたりします。じゃあ理解しているかというと、そうでもないようでありまして、「どこが一番好き?」とか聞くと、P48の「チーズ、ナッツ、エビ、フルーツゼリー、ミント」と書いてあるところだそうであります。

昼間は4人しかいなかったお父さん方も、夕方のお酒の出る頃には十人以上が集まるのであります。そして、頭だってやっている人が、「もうお終いにします。あとは係のものが片づけますから」と言っても、誰も帰ろうとしません。火が燃え尽きるのを、みなが取り囲んで待っています。
帰っても良いはずなのに誰も帰らない。終わるまで帰らないという不文律があるのでしょう。白鳥の群れが鳴き交わしながら飛んでいくのを見上げながら、なんだかつらいなぁと思っているのでありました。

昨日は元気にお湯を沸かしてくれたボイラーも、ついに凍ってしまったようで、お湯が出ません。母屋でお風呂に入れてもらったものの、いったいこの寒さはいつまで続くのか、ちょっとうんざりしております。

子供たちが楽しんでいたのが救いであります。こうして僕の町内会デビューの日は過ぎたのでありました。


2006年01月06日(金) 凍結

昨年末あたりから、最高気温が氷点ぐらいという真冬日になったりならなかったりという日が続いています。おかげで、水道が凍ってしまいました。

まずは二階の上水道が止まりました。凍結防止帯は巻いてあるのですが、壁の中の配管まで凍結防止帯を巻くわけにはいきません。しかたないので、気温が極端に下がる夜中だけちょろちょろと水を出しておくことで凍結を防止します。ほんのわずかでも水が動いていれば、結晶化が防げるので、氷点以下になっても水が凍らないですみます。
そのために、水道の蛇口を少しだけ開け、ぽたぽたと水を朝までたらしておくのであります。しかし、水道の蛇口は不思議なもので、少しだけ開いておいても、やがて少しずつ閉まってしまい、開け方が少ないと朝までに水が止まってしまうことがあります。
そこで、ちょっと多いかなと思うぐらい、つまりぽたぽたとではなく、つーっと水が続けて出るぐらいまで蛇口を開けておくのがこつであります。

で、二階の上水道は、蛇口の開け方が足りなかったのか、朝起きてみると鍾乳洞のように、つららと石筍(じゃないか)ができあがっていました。お湯をかけてみたのですが、凍結は壁の中まで及んでいるらしく、気温が高くなるまでお手上げであります。

そして、風呂に入ろうと、風呂を洗っていたら、汚水がどんどん溢れてきました。どうやら風呂の排水管が凍結してしまったようです。そういえば、年明けは二泊三日で実家に行ってきたし、その次の晩はシャワーを浴びただけ、昨夜はまた実家に寄って風呂に入ってきたので、冷水で洗濯をしただけです。十分な量のお湯を排水するということは、ここのところしばらくやっていなかったわけです。排水管のどこかに溜まった水が凍ってしまったのでしょう。排水管には凍結防止帯は巻いてないしね。
パイプにワイヤーを突っ込んでみたり、トイレ用のカッポン(なんて言うんだあれ?)でガボガボやってみたりしましたが、詰まっているのが汚物ではなく氷なので、どうにもなりません。
とりあえず排水管の凍っていそうなところに電気毛布を巻いて、温度を最高にしておきました。一時間経ってもまだ全然解ける気配がありません。

こういうときに限って風呂に入りたくて(それがだめならシャワーを浴びたくて)たまらないのでありますが、諦める他はありません。

今後の天気 を見ても、最高気温は氷点前後までしか上がらず、自然融解はあまり期待できそうにありません。

幸い洗面・調理・トイレは上下水道ともまだ確保されていますが、風呂に入れないのは困ったものであります。


2006年01月05日(木) 早とちり

修理が終わったThinkPadでこれを書いています。
3日の晩にノートパソコンの上半身をネットオークションで落札し、4日の朝に落札額と送料を振り込みました。その日のうちに相手が伝票番号を教えてくれたので、クロネコヤマトに電話して荷物を営業所止めにし、自分のほうから出向いていって受け取りました。留守がちの人間にはこのほうが便利であります。

仕事始めはきわめて低調でしたが、まあスロースターターの自分にはこんなものでしょう。
夕方からは病院メッセージ。これで今年の僕のAAプログラムもスタートしたというわけです。
帰り道でグループの仲間に電話。8日日曜日の病院メッセージに人数は足りているか確認しました。足りているそうなので、(先月も行ったことだし)今月は休ませてもらうことにしました。
7日の土曜日は、子供会のイベントで「三九郎」があり(どんど焼きといった方が全国的には通りがいいかも)朝から晩までかり出されます。しかし8日が休みになったので、9日に出かけても「3連休、3連荘」ということにはならなくなりました。9日に遠征する体力は温存されそうです。
おまけに、9日に「横浜以外のところで別のことをするように」という啓示がありません。

これは、やっぱり9日には このイベント に行っても良いよ。ということでありましょうか。まあ後は天候次第ですね(車なので)。
行けたとしても、デーニーズでのアフター には行けそうもありませんが。


2006年01月04日(水) 勘違い

子供たちはまだババとそりで遊んでいたかったようなので、一足先に自分だけ実家から帰ってまいりました。

3日と4日に配達された年賀状を見ているうちにびっくりしました。死んだはずの人から年賀状が来ていたからです。確かにこの人の家族から年賀欠礼のはがきをもらったはずなのに・・・。年末に人が亡くなった場合には、故人が先に出しておいた年賀状が配達されるという話は聞いたことがあるものの、欠礼のはがきに書かれていたのは春先の月でした。
そういえば、同じ県で、同じ月に、別の仲間が亡くなっています。はたして奇なる偶然かと思っていましたが、ひょっとして僕の勘違い・・・? でも年賀欠礼のはがきは2枚あったはず・・・。いや、2枚同時に見た覚えはないなぁ。
常識的に考えて、もっともプロバブルな可能性は「僕の勘違い」でしょう。なんだか違うパラレルワールドに迷い込んでしまったようなめまいを感じましたが、僕は自分が激しく勘違いをしていた場合には、「自分は違う可能性が起った時空世界へと迷い込んでしまったのでは」という感慨を常に抱くのであります。
変な噂を流した張本人になってる可能性もあるので、とりあえず急いで用意した年賀状にお詫びを書いておきました。いやはや。おいらは大馬鹿者であります。

郵便局と銀行に寄ってから、ウィルコム(PHS会社)のサービス店へ。本来、僕のデータ通信用のPHSを、(いつもは使っていないからという理由で)、妻に持っていてもらっています。しかし、今回実家に帰るにあたって「使うから」という理由でそれを取上げていったところ、いたくご不満のようでありました。まあ「自分のものだと思っている」PHSが手元になくなれば、面白くないのかも知れません。
そこで、新たにデータ通信用のカード型のPHSを契約するために店舗に持ち込んだのでした。
料金プランは Two LINK DATA という通信先の限定されるもので、そのかわり月の基本料金は980円ですみます。すでに妻用と子供用に合わせて2本PHSを契約している僕は、200円の複数回線割引が効くので780円ですむわけです。
これで、妻のPHSを 定額プラン にしてしまえば、妻のEメール料金に頭を悩ませる必要もなくなるというわけです。

申し込みを済ませ、最近のウィルコムは加入者増で待ち時間が長いので、医者に行ってくることにしました。久しぶりに来た平日昼間の精神科のクリニックは混み合っていました。
やっと夕方になって、サービス店に戻ってみると、「お客様の持ち込まれた端末では、現在Two LINK DATAの料金コースをお選びできません」と断られてしまいました。そんなはずはないから確認してくれと頼んだのですが、どうも押し問答になりそうな気配です。
新しい端末を買えば済むことなのですが、なにも余計な出費をしてまでPHSを1回線増やす必要も感じません。とりあえずその場は諦めて店を出ました。

自宅に帰ってウィルコムのサービスセンターに電話をかけて聞いてみました。案の定古い機種だからといって、料金プランの申し込みを制限していたりはしないそうです。
先ほどのサービス店に電話をかけて、ウィルコムのサポートではこう言っているが、実際のところはどうなんだという話をしました。

1時間後、折り返しの電話がかかってきて、先ほどの話はすべて「申し込みを受け付けるセンターのオペレーター嬢の勘違い」だそうでした。平謝りする相手に、「人間誰しも勘違いはありますから」と言うのが精一杯でした。
というわけで、契約は後日になりました。

バックライトの切れたノートパソコンは、上半身(ふたの部分)の部品が8,900円で手に入りました。これで直ればしめたものであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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