心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年12月20日(火) 長野は寒いぞ

本社の近くのビジネスホテルが満室だったので、ちょっと離れているけれどLAN完備でネット接続無料のホテルに投宿したのでした。
暖房がよく効いていて、トイレはウォシュレットが装備されていて、なかなか快適でした。僕はビジネスホテルの浴衣が(薄ら寒くて)好きではないので、いつもパジャマ持参で旅行するのですが、今回はパジャマを忘れても浴衣で我慢できるほど、あったかい部屋でした。

でも、まあ朝は会社に近いホテルに限ります。慣れない土地というのは、距離感覚が分からなくていけません。本厚木のホテルから会社まで1時間ちかくかかりました。

午前中に中国人たちと打ち合わせをすませると、もうやることがなくなってしまいました。バーミヤンで一人で食事をして、町田から八王子、八王子からあずさ号で帰ってきました。
こちらの駅をおりたとたんに、寒さで縮みあがりました。

パソコン部屋の電気ヒータをつけたら、温度計が1度を示しました。4時間ほど暖房をつけっぱなしにしておいたのですが、12度までしか上がりませんでした。もう電気の暖房では限界かもしれません。

年賀状の印刷を終えました。今年はプリンターに上下逆さまに突っ込むミスを犯したりして、8枚も無駄にしてしまいました。そういえば書き損じのはがきを交換してくれるサービスがあるはずだと思って調べてみたら、ありました。
■使わなかったお年玉付年賀葉書についてに、手数料5円で別のものに交換してくれるとあります。

このページには、お年玉付き年賀はがきの商品の変遷が表になっています。僕が小学生のころは「折りたたみ式自転車」だったのですが、いまや「わくわくハワイ旅行」「国内旅行」「ノートパソコン」「DVDレコーダー+ホームシアターセット」とかになっているのであります。

ハワイに言ってみたいぞ(沖縄でも可)。


2005年12月19日(月) 厚木にて

こうしてビジネスホテルの鏡の前にノートパソコンを置いてタイプしていると、自分がすごく眠そうな顔をしているのが分かります。まあ、ここ半年というもの主に午後勤務で、11時とかに起きる日課であり、唯一の例外が本栖湖のステップセミナーに行ったときだけというぐらいです。

そういう人間が、朝5時に起きてちゃんとここまで移動してこれたというだけでも奇跡に近いのかもしれません。中華民族を相手にしていると、日本人というのは自己アピールが不得手で控えめで損をしているような気がしてなりません。ともかく彼らは夕方以降はunpaid workをするつもりはないようであり、おかげでこちらも定時+αで解放されました。まったく彼らがうらやましいです(皮肉ではないよ)。

予約したホテルの部屋に荷物を置いてからミーティングに出かけるつもりでいました。
が、ミーティング場のある駅は、ホテルの駅より手前でした。ホテルまで行って、また戻ってくるのは気が進みません。かといって、ノートパソコン一式が入った荷物をかかえて歩くのはもっと気が向きません。
(まあ、一回くらいミーティングを休んでもかまわないし)
という例の考えが頭の中に忍び寄ってきました。

でもミーティング場のある駅で降りました。なぜなのかはわかりません。駐車場が延々と広がる駅前を歩いていき、地図通りに二つめの公衆電話を目印に曲がります。目の前をお仲間とおぼしき女性が歩いていくので後をついていったら、案の定建物の外でたばこを吸っている集団に出合いました。

長野の標準からすれば、ミーティング会場はとても大きく、人数も多く90分で全員がしゃべることはとうてい無理であろうという規模でした。そして、そこにはなんと僕を待っていてくれた(?)人が何人かいました。木曜日の雑記に、ここに出現するかもしれないとは書いておきましたが、まさかと思いました。まったくホテルへ直行しなくて良かったです。そうしたら僕は嘘つきでありました。きっと神さまがミーティング場へと導いてくれたのでしょう。

ミーティングは眠い頭にも居心地がいい場所でした。

そして二次元バーコードのおかげで「日々雑記」はまた一人携帯電話の読者を獲得した(?)のでした。役に立つんだねぇ、バーコードって。

アフターミーティングはラーメン屋で夕食。Cさんごちそうさまでした。忘れずにいますから。ええ、人間親切にされたことは忘れないものです。

神さまはひょっとしたら僕のことを愛してくれているのじゃないかと時々思います。錯覚かもしれないけれど。誰にでもその人のことを愛してくれる存在があると考えた方が、いろんなことがすっきりするような気がするのであります。

こっちは長野よりずっと暖かいです。


2005年12月17日(土) Change Your Tires

やっと、そうやっとスタッドレスに交換しました。
もうノーマルタイヤはスリップサインが出てきている状態であることもわかりました。このまま春になってもスタッドレスのまま履きつぶして、サマータイヤのほうを新品に交換しないといけないでしょう。

先日ぶつけたバンパーに色を塗るために、オートバックスに行ってタッチアップを購入しました。前いた会社で一緒だった中国人に偶然会いました。FPD用の検査装置を作る会社にいるのだそうで、すっかり商売敵であります。いまやフラットパネルの製造装置の主戦場は中国に移りつつあります。中国語ができるというのはきっと彼に有利に働いているのでしょう。

タイヤの空気圧を調整するのが面倒なので、セルフのガソリンスタンドでやることにしました。しかしあいにく木曜日に満タンにしたばかりで給油するには早すぎます。さすがに給油せずにエア調整の設備だけ借りる度胸はなかったので、洗車をしました。拭き上げていたら雪が降ってきました。

外出したついでに、子供たちがパンを食べたいというので、いつも通勤の途中でみかける「ベーカリー・レストラン」なるものに入ってみることにしました。僕の通勤はお昼なので、昼食を食べるためとおぼしき人々が、気楽な姿で入っていくのを見ることができます。
僕の予想では、店頭に並んでいるパンを買って、それを座って食べるキャフェテリヤのようなものであろうと思われました。きっと店内はフランクな雰囲気なのだろうと。
しかし、入ってみるとそれはパン屋(焼いたパンを店頭売りしている)とレストランの複合したものでありました。
「食事ですか、喫茶ですか」と聞かれたので、とっさに「喫茶です」と答えたら、レストランの窓際の席に案内されてしまいました。ケーキとジュース3人前で2千円を超えてしまいました。とほほ。周りはデート中とおぼしき男女やら、和服をきっちりと着こなした老婦人たちが、談笑しています。そんな中、タイヤ交換の汚れが付いた服と、娘たちなんかはジャージ姿で、なんとも落ち着かない喫茶になってしまいました。

年賀状を印刷。寒いせいか赤のインクの出が悪く、一枚ごとに違った色合いになってしまいました。メーカーに苦情を言ったら、インクだけじゃなくて、ヘッドも定期的に交換してくださいと言われてしまいました。


2005年12月15日(木) こっちは短い

ひさしぶりに自分の生まれた病院へメッセージ。
アルコール依存症の診断基準のひとつに「酒をやめようという意欲の乏しさ」という項目があったりしますが、否認を続けているうちに、この「意欲」というのがだんだん乏しくなっていってしまうのも、病気の進行かなと思いました。

来週、月曜火曜と神奈川の本社に出張になります。泊まるホテルは小田急江ノ島線沿線なので、もし月曜の夕方に定時+αぐらいで解放されたら、こちらの会場 に行ってみようかと思います。クローバー厚木は女性が多いという噂なので、ちょっぴり期待していたりします(何をだ?)。
それにしても、何年か前の神奈川地区4分割の折りには、神奈川県央地区は2グループしかなくてという話だったのに、いま現在調べてみるとグループも増え、私鉄の駅ごととまではいかないものの、毎日通えるところにミーティングがあって、発展うらやましいかぎりです。


2005年12月14日(水) 10 years ago (13) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (13) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

10月11日に、IomegaのアウトレットでZIPドライブを買ったのですが、ちっとも届かないうえに、クレジットカードの課金だけはされてしまいました。Iomegaのほうにメールで苦情を言ってもなしのつぶてなので、クレジットカード会社のほうに電話をしました。
海外でのショッピングは「海外デスク」というところが担当なのですが、ここはちっともつながりません。やはりカードでのトラブルは国内より海外のほうが多いのでしょう。
リボ払いなどの受付をしている国内用のデスクに電話して、用件を話したら海外デスクに転送してくれました。用件も伝達されていて、二度説明する手間がなくて楽でした(これからはこの手段で行こう)。
あとはカード会社とオンラインショップの間で解決してくれるそうであります。
(ものはいらないから金を返してくれということです)。

さて、今日から一番最初のホームグループに戻ることになります。
湖の畔の教会でのミーティングに、僕もやっともどってこれたということです。
懐かしいことに、10年前に一緒にミーティングをやっていたACoAの○さん(女性)の顔が見えました。ここのACミーティングは人数が少ないので、AAミーティングに身を寄せているのだそうです。ちっとも老けていないような気がして、きっとACoAの女性って、年を取らない種族なのにちがいないと思った次第です。

峠を越えて帰ってくると、雪が降った後の圧雪凍結路になっていました。タイヤはノーマルでつるつるです。途中まではなんとか無事走ってきたのですが、T字路にオーバースピードでつっこんだおかげで一時停止できず、リアバンパーをガードレールにこすりつけてしまいました。ブレーキなんか踏んだのがいけなかった(いやタイヤを交換していないのがいけないのだ)。

さて、10年前。

ケアンズからジェット機で向かった先は、グレートバリア・リーフの中にある ハミルトン島 というリゾート島でした。

なぜそこを選んだのかというと、この島からほどちかい「ホワイトヘブンビーチ」という場所へ行ってみたかったからであります。白い・天国の・島と名付けられたそれは、真っ白なシリカ砂の幅広い浜が6キロにわたって続き、すぐ後ろは原生林という場所であります。写真で見るそのビーチは、空と海の青、原生林の緑、砂浜の白があいまって、まさに地上に現れた天国のようでありました。
アイドル歌手の映画だったかに「天国に一番近い島」というのがあった気がします。当時はインドネシアのバリ島なんかが人気であったり、旧フランス領のオセアニアの島も人気がありました。しかし僕は白人の国へ行ってみたかったのであります。

そしてなぜ天国にこだわったのか、それは何とはなしに、自分の寿命がもうすぐ尽きるような気がしていたからです。もし、そうすぐにアル中で死ぬことにならなくても、きっとこの後は落ちぶれ果てていくばかりで、海外どころか、国内の旅行すらままならなくなっていくんじゃないか。そんな予感がうっすらとありました。

死ぬ前に一度「天国のようなすてきな場所」に行ってみたいというのが、動機でした。

島で一番大きなホテルの、屋上の2階建てのスイートを借りました。宿泊に食事はセットになっていないので、3食とも島の中のどこかのレストランで食べなければなりません。僕は朝と昼にはビールを、夕食にはワインを一瓶つけるのでした。何しろ英語しか通じないので、新妻がそのことにどんなに文句をつけようとも、オーダーしてしまえばこっちのものでした。
そして「日本に戻ったら、もう飲まないから、この記念の旅行の間だけは、楽しくやらせてくれよ」というのが僕の決まり文句でした。

父の死から3週間、主治医の「緊急避難的処方」によって維持された断酒によって、僕の顔色もなんとか人間らしい色にもどっていました。しかし、一週間余りの旅行のあいだに、すっかり土気色へと戻ってしまったのであります。

新婚旅行だからと、36枚撮りのフィルムを10本以上撮影しました。その写真を整理したアルバムを見ると、僕の顔色が変わっていくのが克明に分かります。ふつう、そうしたアルバムは人に見せて自慢して迷惑がられるものでしょうが、我が家のアルバムは「恥ずかしくて人様にはお見せできないもの」に仕上がってしまいました。
そうやって人に見せずにしまっておいたところ、現在は行方不明になってしまっているのであります。

(この項、つづく)


2005年12月11日(日) 病院メッセージ

なんとか布団から体を引っぺがして起き、病院メッセージに行ってきました。僕の頭はぼうっとしていたのですが、若い仲間が司会を引き受けてくれたおかげで、スムーズに進みました。
それにしても、病院メッセージというのは何のためにやっているのか、いまだによく分からないところがあります。12番目のステップの活動と言うには、それほどステップの話はしていないような気がします。どちらかといえば、AAの広報活動をやっているようなものだと考えていますが。
なんにせよ、われわれは患者さんを説得に行っているわけでもなければ、勧誘に行っているわけでもありません。

眠くていけないので、病院からの帰りにどこかで温泉(入浴施設)にでも寄って、そこでひと風呂浴びてから昼寝でもしようかと思いました。タオルなどを買いに入った100円ショップの隣にリサイクルショップがあったので、入ってみました。エプソンのUSB接続のイメージスキャナーが609円だったので、思わず買ってしまいました。会社で使います。

どこかの風呂に入ろうと車を走らせていったのですが、風呂に入るよりも、ともかく先に寝たいぐらい眠くなってしまったので、車を止めて一眠りすることにしました。そして起きてみると、もう夕方です。あわてて高速道路を走って帰りました。

妻は退院したものの、2ヶ月もベッドに横になっていたおかげで筋肉がすっかり落ち、おまけに体重はまったく落ちず、もとから弱い腰をひねったところ、痛めてしまって家事どころではなく、母子3人でジジババの世話になっています。おかげで僕はまだ一人暮らしであります。アイロンをかけていると(どうしてアイロンをかけているとわかったんだろう?)、娘がやってきました。
そういえば今日は彼女の誕生日です。
「ケーキは用意してあるのか」と聞くと、誰も買いに行ってくれていないとのこと。時間は夜の7時半です。あわててケーキ屋に駆けつけると、幸いバースディ用のケーキがひとつ売れ残っていました。
ケーキを持って帰ると、次女がパパと一緒にお風呂にはいると言って待っていてくれました。病院からの帰りに入ってこなくて良かったです。風呂の中で次女のこりに凝った肩をもみほぐしてあげたら喜んでいました。

長女はケーキにろうそくを9本立ててご満悦です。彼女は僕がアルコホーリクであることも知らないし、パパがお酒を飲んでいた過去も知りません。何のために「AAだ」と言って出かけていってしまうのかも知りません。いつか説明する日が来るでしょう。その日が来ることを、僕は恐れなくなりました。

相変わらず生活は不安定だし、思い通りには生きていけません。でも、「子供たちに父親のお酒のことで心配をかけない」という願いは(今のところ)叶っています。

病院に行く前に、ヤマト運輸の営業所に寄って、昨日の地区委員会の議事録を代議員の人たちに発送していきました。ソーバー1ヶ月に満たない自分にスポンサーが投げかけた「自分のグループを立ち上げろ」という無理難題に助けを得るために、地区の集まりに出かけていったのが僕と委員会の関わりの始めでした。その後、グループの代表(?)として、はたまた委員会の何かの役割として、毎回ではないものの、委員会に出席することは、僕のAAプログラムの大事な一部分になってきました。
だが、少々長居が過ぎたような気がします。ここら辺でいったん身を引いて、他の人たちが決めたことを受け入れて従っていくということに慣れていった方がいいのでしょう。

言いっぱなしの聞きっぱなしでない委員会の席は、ミーティングと違って必ずしも心休まる場所ではなかったですが、いつも「愛と奉仕の輪」の中にいられた自分は幸せだったのでしょう。ともかく感謝であります。

さて、それはともかく自分も少し痩せなくては。


2005年12月10日(土) さよならZIP、さよなら地区委員会

郵便局に行ったついでにガソリンを入れました。
ガソリンの価格については、自分の周りでは、県外<県内・高速道路<一般道・セルフ<フルサービス・自宅付近<会社近辺という傾向が決まっているのですが、今日寄ったスタンドはフルサービスながら、高速道路のスタンドより安いというところであります。
ようするに競争が激しいところは、価格も安くなる傾向があるということでしょうか。

冬になると天気が良いときしか洗車ができません。寒いときに無理に洗車をすると、水が凍ってしまうからです。洗ったからと言ってまたすぐに汚れてしまうのですが、洗わないでいるとどんどん汚れてしまいます。洗車はいつもセルフのスタンドでやっているのですが、今日はフルのスタンドで頼みました。違いは水をきれいに拭き上げてくれるのと、車内に掃除機をかけてくれるところです。
手間を惜しんだあげくに、
「まだノーマルタイヤのままなの? つるつるじゃない」
と営業トークにまきこまれてしまいました。
僕はスタッドレスへの交換は天皇誕生日と決めていますし、前回の車でまだ溝がたっぷり残っているタイヤを買い換えてしまったので、まだ変えるつもりはないのであります。

ZIPドライブは諦めることにして、家電店で256MBのポータブルメモリを買いました。ほんとうはプロっぽくコンパクトフラッシュにしたかったのですが、値段が高かったので、安いUSBメモリになりました。

自宅へ帰って、パソコンからZIPドライブを抜き取りました。予備だとか、ノートPC用を入れると7〜8台ドライブがあるのですが、全部ネットオークションで売りに出すことにします。
長年使ったZIPメディアともこれでお別れです。
いろいろとマイナーなコンピューターメディアを集めては使ってみる「メディア愛好会」は最近は活動していないし、愛好会会長の看板も下ろさないといけないでしょう。

地区委員会についてはまた明日。
まだ夜は明けないけれど、起きているには遅すぎる(早すぎる)時間になってしまいました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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