心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年10月03日(月) めがね

ニュース検索をチューニングしてみました。
具体的には、「急性アルコール中毒」が引っかからないようにしたのと、ある種のキノコがアルコールの分解を抑制して云々という記事が混じる対策、あとメチルアルコール中毒についてです。「依存度」という言葉を排除することで、経済記事の混入も防ぐように・・・なっているといいな。

急性アルコール中毒も広く考えればアルコール問題ではあるのですが、とりあえずアルコール「依存」の問題と、自助グループ関連にフォーカスしておきたいので、除くことにしました。薬物依存関係の記事では、自衛隊の記事があっちこっちに散見されてうんざりです。検索エンジンがキャッシュしたときにはトップ記事だったので、ページに混じり込んでいたのでしょうが、現在見に行っても「薬物」の薬の字もなかったりします。

ネットオークションで不要なものを落札してしまいました。入札して値段をつり上げて遊んでいるうちに、自分が落札者になってしまうというまさに「自業自得」のパターンであります。ネットオークションといえども商取引なので、一方的にキャンセルすれば契約違反になってしまいます。泣く泣く買うのであります。
「値段をつり上げて」どこが面白いのかというと、自分が落札者にならない範囲で、他人により多くの支出をさせるというところにギャンブル性があるからでしょうか。

僕は長いことセルフレームの黒縁のめがねをかけてきました。縁が太く、丸いやつです。これは顔の部品としてとても目立つので、セルフレームのめがねは僕のトレードマークのように人々の記憶に焼き付いて、顔を覚えてもらえるのでありました。

しかし、セルロイドは紫外線によって劣化します。最初は柔らかく弾力があったセルロイドが次第に堅くなっていきます。曲げに対して伸縮せず、細かな亀裂を生じさせて曲がるようになります。そして金属疲労で金属が折れるのと同じように、たいして大きな応力でもないのに、セルロイドは亀裂からぽっきりと折れてしまう日がやって来るのであります。

このようにして定期的にめがねを買い続ける生活をしていたのですが、昨年後半にめがねが恒例に壊れたときに、ついに妻の堪忍袋が切れ「セルフレームのめがねは(定期的に壊れるので)まかりならぬ」というお達しがだされ、金属フレームのごっついめがねが新調されました。しかし、ごっついだけあって重く、とっても疲れるので、もう一度だけめがねを作り直すことにしました。
そのときも「セルフレームはだめ」という理由で、現在の金属フレームのめがねに落ち着いたのですが・・・。

思えば、あれからロクなことがないなぁ、と思うのであります。

僕は縁起は担がないけれど、げんは担ぐタイプなのであります。というわけで、明日は2万1千円を握りしめて「にまんえんどう」という名前の眼鏡屋さんにいってみようと思うのであります。もちろん、セルフレームのめがねを買うのであります。ああ、自己中。


2005年10月02日(日) 日曜日

一応午前中に起きました。
長女が『はじめての「ぬう」と「あむ」』という本をお気に入りで、何か縫ったり編んだりしてみたい年頃のようです。昨日は外出のついでに布と糸を買ってきました。が・・・、男親に絹糸と木綿糸の違いがわかるはずもなく、今日は交換にお出かけしていました。

「30周年でひいらぎの具合が悪いって聞いて電話してみました」という電話をいただきました。なんのことはないパソコンのサポートであります。「Windows98にシステムの復元の機能が見あたらない」という話でしたが、システムの復元が組み込まれたのはMeとXPからなので、素直に諦めて頂いて、リカバリーCDで復元して頂くしかありません。

紙の新聞を取らなくなって1年あまり、「やっぱり紙の新聞が読みたい」と唱えていたら、母屋から義父母の読み古しの読売が届くようになりました。特定のニュースを追いかけるには、Yahoo!ニュースなどで検索するのが一番てっとりばやいのですが、世の中全般を見渡すには、やっぱり紙の新聞の閲覧性というのが効いてきます。

産経新聞の新サービスは東京朝刊の紙面が月額315円で読めるというもの。Flashでニュースを配信するというのが目新しいところです。これなら仕事時間中に読めていいかなと思います(いいのか?)。
データがFlashだとすると、コピーしたり、再配布したりできそうな感じですが、そこのところがどうなっているか、契約してみないことにははっきりしません。

ヤクルト古田監督というニュースも気になりますが、やっぱり野村克也が楽天を率いるのかどうか、気になるところであります。

子供たちとまたよく風呂にはいるようになりましたが、頭を洗いたがりません。面倒だというのであります。これから年頃になる女の子が、何日も頭を洗わないのはどうかと思うのですが・・・。


2005年10月01日(土) 色紙

10時半に起き、疲れがとれていないので、もう一度寝て起きると午後4時でした。

すでに子供たちは2回おでかけした後でしたが、もう一度誘って街へ出ました。
お目当ては一番大きな文房具屋さんです。
仲間のバースディのための色紙作りの材料を買いに出たのでした。

僕は1年・2年・3年と一昨年、今年と色紙をもらいました。
でも仲間の色紙はあまり作ったことがありません。
あっちこっちのミーティング場にでかけるよりも、決まったミーティングに欠かさず出ることを信条としていますし、あまりAAのイベントにも出かける方ではありません。だから仲間の色紙を抱えて、寄せ書きを集めて回るのはあまりやったことはありません。
字も下手だし、イラストが描けるわけでもなく、レタリングも下手です。だから、なるべく色紙作りは回避してきたのですが、今回はお鉢が回ってきました。

ICトーンでレタリングをしながら、はたしてこれは「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ作業」なのかどうか、ちょっと考えました。しばらく考えても結論は出なかったので、あまり難しいことを考えるのはやめて、色紙のデザインに集中することにしました。

夜は家族でお祭りに出かけたのですが、日中に一時間以上歩き回った僕は疲れてしまい、仕掛け花火の点火を待たずに、ひとりで先に帰ってしまいました。

まあ、ともかく太ってしまった妻を連れ出して「歩くこと」「子供と一緒に過ごす時間を取ること」「少しでも睡眠時間を多く取ること」そんなことを心がけていきたいです。

できあがった色紙は人工的な要素が多くて暖かみに欠けるような気がしましたが、あまり自分の能力に過大な期待を寄せるのはやめ、まずまずの出来だという結論にすることにしました。


2005年09月30日(金) 9/30

無理に学校に行かせる必要はないだろうということで、長女は学校を休みました。
どんなときにもマイペースの次女は、普通に通学していったそうです。

僕はといえば睡眠は十分とれているはずなのですが、肩こりや腰の痛みが残って、睡眠不足を感じさせます。お昼前に、仕事を休もうかどうしようか迷っていると、学校から電話がありました。保健室の先生からで、午後だけでも保健室登校しないかというお誘いでありました。

そういえば金曜日で、アラノン・ミーティングが昼間にある日であります。でも妻は乗り気ではありません。

僕は仕事に行きたくないし、長女は学校に行きたくない、妻はアラノンに行きたくない。でも、3人で家にいても仕方ないので、それぞれ出かけることにしました。

僕は職場に着いたものの、腹痛がおさまらず一時間もしないうちに早退することになってしまいました。気がつけば半袖のワイシャツを着ているのは自分一人です。今度から長袖のシャツに替えなくては。

家に帰っていると、妻が帰ってきて「私は一生懸命アラノンに行ったのに、あなたは途中で帰ってくるとは何事であるか」と責められてしまいました。そこへ長女がおなかが痛いと言いながら飛び込んできました。
学校では痛くなかったそうなのですが、家を目前にしたところで、急におなかがキリキリと痛み出したのだそうです。
本人の希望で正露丸を牛乳で飲んでみたものの、痛みはいっこうに治まりません。おまけに、日曜日に救急病院でもらった痛み止めまで飲んでしまいました。

聞いてみると「キリキリ」と胃が痛むと言います。僕は子供の頃から30代まで神経性胃炎に悩まされましたので、この症状はよくわかります。正露丸ではなおらないので、胃痛の薬をさがしてみましたが、手元にあるのはみな15才以上という指定の薬ばかりです。

大きな薬局に行って探してもらった、やっと5才以上という薬を見つけました。胃が痛くても食欲はあって、暖かいものが食べたいというので、家族でうどん屋に行くことにしました。

妻はアラノンに行っただけで「疲れてしまった」と言って、今夜の風呂はなしと宣言して、夕方早々に寝てしまいました。僕も体調が悪いので横になったのですが、夜になって起き出して、子供たちを風呂に入れて、寝かしつけました。

長女に添い寝(といっても寝るまでの間だけだけど)は、今週は水曜を除けば毎日続けています。寝る前にパパがしてくれる、とってもいい加減なおとぎ話みたいなものを長女はとても楽しみにしてくれます。

ともかく、こうして週末へとなだれこみました。


2005年09月29日(木) 9/29

長女は保健室へ登校。付き添いで行った妻は、保健室でパニック発作を出した倒れたらしいです。

昨年の6月ぐらいからロボホフスキー・ハムスターの「ちいちゃん」を飼っていたのですが、学校から帰ってきた長女が遊ぼうとしたら、冷たくなっているのを発見しました。庭の片隅に埋葬されたそうであります。

「明日新しいハムスターを買いに行こう」
「今度はゴールデン・ハムスター」

という娘たちを相手に、「ペットとおもちゃは違うこと」「しばらく喪に服すこと」なんかを話して聞かせてみたものの「喪に服す」って何と聞き返されて、答えに詰まるのでありました。

ともかく、娘たちと接している時間を増やそうと、一緒にお風呂に入り、音楽会のリコーダーの練習をしました。まだ楽譜の読めない子供にかわって、キーボード(音楽用、コンピューター用ではない)で引いてあげました。

子供は10時までに寝るという生活をキープしていきたいです。自分自身も早く寝ることを心がけて。


2005年09月28日(水) 気楽にやろうと自分に言い聞かせつつ

昨夜ミーティングが終わって、アフターのおしゃべりが終わって会場を離れたのが9時半ごろだったでしょうか。いつもだったら、途中のジャスコで買い物をして、実家へと向かうのですが、そこでなんだか疲れ切ってしまっている自分を発見するのでした。

実家に寄らずに帰ろうかとも思いましたが、おそらく家には風呂も僕の夕食も用意されてはいないでしょう。仕方なく実家へと向かいました。普段だったら着くと同時に風呂に入って、すぐに食事をしながら母と話をし、そして1時間あまりで引き上げることにしています。
だが、風呂という気分でも、食事という気分にもなれず、母親相手に(まるで酔っぱらいがくだをまくように)愚痴を垂れてしまいました。だが母は、泣き言を言う人間に優しいタイプではありません。「そんなことを言ったって、おまえ仕方がないじゃないのさ」とつれないものです。
「仕方がないじゃないのさ」というのは、母一流の「変えられないものを受け入れる手段」なのでしょう。この「仕方のない」という諦念に反抗してみたこともありましたが、それは「変えられないものを変えようとする」反抗に等しいもので、勝ち目のない戦いでもありました。

1時間ほど話すと、急に体の寒さと空腹を感じ、風呂と食事を済ませ、さらにもう少し話して実家を出たときには夜半をまわっていました。

この間に、我が家の方では、学校で配られた検尿の容器と袋が居間で行方不明になってしまい、大捜索が行われたものの、結局(容器はともかく)袋は見つからず、袋の自作などが行われていた・・というのは翌日(今日)の昼になって聞いた話です。(また子供たちは睡眠不足だ!)

帰ってみると妻と子供二人はさすがにもう寝ていました。風呂に入っていないようでありました。
僕が実家で風呂を世話になるようになって、いつの間にか妻がその日の風呂をさぼるようになったことに、僕はしばらく気がつきませんでした。子供が風呂にはいるのを面倒くさがるのも原因かも知れません。清潔と保温も休息のうちと思っていて、自身風呂に入れないと不満がたまる僕としては、このことが気に入りません。いや、このことに自分のコントロールが及ばないことが気に入らないのかもしれません。

僕は、早く寝ればいいのに、なんとなくパソコンの前で何をするでもなく起きていました。
水曜日に、午前中にメンタルクリニック+午後に仕事+夕方からAA+夜に実家、とこなすのはちょっと疲れがたまりすぎると思って、クリニックに行くのを木曜の午前中に変えることにしました。だから水曜の晩は夜更かし禁止を自分に言い聞かせているのですが、そういった自制がどうもききません。

最近、うつと怒り(恨み)、うつと甘え、ということをよく考えます。
僕は母同様に「仕方ない」という諦念によって変えられないものを受容する自分を築いています。このことが正しいことかどうかはわかりませんが、「変えられないものは変えられない」と気持ちよく諦めがついているときは、物事は比較的スムーズに進んでいるので、それなりに実用になる考え方であります。
ところが、気持ちよく諦めがつかないときがあります。今の自分のように。
「何とかならないものか」とじたばたしてみたりするものの、物事は一向に良い方向へ向かいません。運命を呪ってみたり、怒ってみたりするのですが、そうすると次にお定まりのようにうつが悪化します。
「運命に押しつぶされようとしているかわいそうな自分」を自分で救ってあげようと、自分を甘やかします。それは意味のない夜更かしであったり、確信犯的な買い物であったりします。だが、夜更かしは体力を奪うし、買い物は金銭を奪うだけで、ちっとも自分を救ってくれはしないのです。できあがるのは、ぼうっと疲れた肉体と頭と心。すさんだ財布ぐらい。あとは自己憐憫がせいぜい。これまたうつの種ばかりです。

結局うつもスピリチュアルな病気であり、人生に対する自分の態度と行動を変えることによって、自分を変えることはできるのだということを、しぶしぶと認めるのであります。
ただ、やっぱり実行がなかなか伴わないのであります。

朝、長女は学校に行くのが怖いと言い、また保健室だったら行けるというので、妻が付き添っていったそうです。だが、保健室の外の廊下を人が通るたびにおびえて机の下に潜り込むような状態で、妻も対人恐怖があって、その場で倒れてしまったそうであります。
そうして、僕はと言うと、午前中にクリニックに行くべく目覚ましをかけたものの、起きられず、ようやく昼に起きてきて妻から話を聞いて、思案に暮れました。

とりあえず自分がクリニックに行かなくてはいけないので、仕事を休むと連絡をいれました。しかし、それももったいないような気がしたので、クリニックには妻に薬を取りに行ってもらうことにして、再度職場に「やっぱり行きます」と電話をして笑われて、遅刻をしたものの仕事に出てきています。

そして、具体的にすぐやらなければいけない仕事もある訳じゃなく、できる精神状態でもないので、「ぶどうのつる」を読み、少し元気づけられて、これを書いているというわけです。

まあ、悪いことばかりじゃありません。失職覚悟だったのに、10月からはたっぷり実務が待っています。仕事(ができるかどうかはともかく)は待っていてくれます。壊れたと思っていた車のCDチェンジャーは自然に直りました。次女の方は元気いっぱいです(こんど泌尿器科にいくけど)。

「変えられないものは変えられない」仕方ないことです。さて、仕事に取り組んで、帰ったら家族で話をすることにしましょう。神様は、僕にできないことは望んでいないのだから。できることだけやっていけば大丈夫。きっと。たぶん。


2005年09月27日(火) 生きている限り問題はなくなりはしない

飲んでいた頃は自分の人生が問題だらけだとは認めようとはしなかったし、もし問題があっても、そんなものは自分で解決できると信じていたし、そう言ってはばかりませんでした。

酒の問題を認めるときには、まず酒の問題だけを認めて、酒の問題さえ解決されれば、あとのことは順調にいくはずだと信じていました。

しかしやがてそうでないことを知ります。今でも僕の生活は問題だらけです。

自分で解決できない問題を抱えながら、そのことで悩まない。それが「変えられないものを受け入れる落ち着き」なのかもしれません。

最近子供のこころの問題が大きくなってきました。下の子は小学生になってもおむつがとれない(寝るときに自分でつけている)ので、大学病院の「子供のこころ」診療にかかっていました。でもまあ、結局のところ話を聞くだけではよくわからなくて、もう一度泌尿器科で膀胱の機能の検査をすることになりました。
上の子は、今年になってから保健室登校やら、心身症?やら、いろいろ表面に問題を出してきてくれています。いつもかかっている精神科医(主治医)では子供は診られないってことで、別の医者にかかったりしています。
子供は子供なりに悩んだり苦しんだりしているのでしょう。

父親という立場からは、子供に対してできることは、結構限られています。接する時間も母親にくらべて少ないです。問題に対して「沓を隔てて痒を掻く」という感じでもどかしく感じます。

だからこそ、自分で解決できない問題を抱えながら、そのことで悩まないということが必要なんだと思います。不安になって騒ぎ立てたりしても、結局は何の解決にもならないのですから。

酒をやめて年数が経てば経つほど、生きていくのが楽になるもんだと思っていました。でも、決してそうではないのですね。人生良いときも悪いときもある。厄年を無事切り抜けたと思っていたら、こんなものです。「ぼちぼちでんな」というメールをいただきましたが、まさにぼちぼちやるしかないのでしょう。
幸い僕にはAAというものがあって、そこのミーティングで愚痴を言ってみたり、人生論をぶってみたり、勝手なことを言っております。それで救われている部分がたくさんあります。

子供にはそういう場所がないから、表に出てきた症状だとか、わがままという形で表出したものを受けとめてあげるしかないんだろうなぁ、と思うのであります。

自分のうつについて思うことは、やっぱり十分睡眠をとらないといけないなぁ、ということであります。週末にまとめて寝て身体の疲れを取るというやり方では、もう体力がついていけなくなっています。睡眠不足の頭を酷使して高いテンションをキープしながら仕事をする、というスタンスがうつの元になっていることは否定できません。
やっぱりライフスタイルから変えていかないといけないんだろうなぁ・・・、とは思うのですが実行に移すのが難しいのは何もAAのプログラムに限ったことじゃありません。

「心の家路」も、どんな人が訪れてくれるのかこちらから分析することはできないのですが、人数は平日で150人ぐらい、週末で100人ぐらいが訪問してくれます。「えんぴつ」を直接訪問してくれる人が20〜30人ぐらい。「さるさる」もまだ10〜20人が訪問してくれます。写真日記「心の家出」は10〜15人くらい。

訪問を受けるからには、新しいなにかをそこに用意しておきたい。そんな気持ちで、あまり気負わずになるべく毎日書くことにしております。そこにあるのは、ひいらぎが自分でインターネットに出しても良いと思った自分であり、それ以上でも、それ以下でもありません。
楽なときには偉そうに傲慢で、苦しいときには苦しいなりにちょっぴり謙虚に。

僕はたくさんの問題を抱えながら、これからもどたばたやって、苦しむまいとしても、結局は苦しみながら生きていくのでしょう。それでいいのだと、思える今日このごろであります。

今日は仲間のバースディ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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