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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年08月05日(金) ふぁびこん (favicon.ico) 今月は何ヶ月ぶりかに、アクセス統計のデータが自動でまともに生成されました。
毎日動くプログラムならともかく、一ヶ月に一回しか働かないプログラムのデバッグは大変であります。日記をieji.org内に収録するソフトも書きたいのですが、月末の処理だとか、年末の処理だとかの動作確認が面倒なことになるので、先延ばしにしています。First & Fast のウェブマスターも20世紀からずっと、日記の更新プログラムの改造を続けていらっしゃいます。
ちなみに、このサイトには 自分で勝手にリンクを追加できる機能 があり、技術系の人しか集まらないサイトになんだとは思いましたが、「心の家路」も勝手にリンクさせていただきました。ただ、ジャンル分けが普通の検索エンジンなどとは大きく違っていて、「健康」だとか「生活」だとかというジャンルがありません。しかたなく「ノーマル系・人間」というカテゴリに入れたのですが、はたしてアル中が「ノーマル系人間」にカテゴライズできるのかは疑問であります。
さて、ページごとのアクセス数 の上位に常にランキングされているのが、favicon.ico ファイルであります。もともとはInternet Explorerの独自機能として実装されたものですが、いまやOperaも、Netscapeも、Firefoxもfavicon.icoをほしがります。
詳しくは、favicon.ico の使い方 あたりを参考にして頂くとして、簡単に言うと、「お気に入り」に登録した時に、その名前の前に表示されるアイコンであります。
ふと気が向いてアイコンファイルを作ってみることにしたのでした。といっても、いつも左上に表示されている葉っぱのGIFファイルを16x16と32x32に縮小したバージョンを作っただけです。今時16色表示のパソコンもないでしょうから、256色だけにしました。
「心の家路」をブックマークして頂くと、そのタイトルの先頭に葉っぱのマークが表示されると思います。うざいとかダサいとかいう意見はメールでください。
最近空いている時間の大部分を、とあるプログラムの開発に費やしています。趣味でプログラムを組む(除くスクリプト類)のは15年ぶりぐらいじゃないかと思います。酒のせいで、いろいろとダメになっていたものも、少しずつ取り戻しつつあるのかもしれません。
2005年08月04日(木) BOX原稿 今頃皆さんの手元に渡っているBOX-916(日本AAの月刊誌・活字によるミーティング)には、僕のゴールデン・ウィークの台北行きの記事が載っています。
一応戻ってきてから、台北でのミーティングの様子をJSOにメールで伝えてはおいたのです。国際局担当の方からメールで「なんで日本ではアラノンとAAの合同ミーティングが・・・」という定番のぼやきを含んだメールをいただきました。所長からBOX-916編集長に「原稿の依頼をしたらどうか」というメールのCCをいただきました。
実際にメールで原稿の依頼が来たのが5月後半で、時間がないので締め切りを延ばしてもらって6月10日に入校の予定でした。ただ、僕はそのころ副業に夢中で、原稿のことなどすっかり忘れていて、締め切り間際になってあわてて書き起こすことになってしまいました。
「文章は、最低限一晩寝かせた方が良い」
という経験則があるのですが、最近は「心の家路」の更新も、書いたはじからFTPするという具合で「寝かせる」どころじゃありません(日々雑記はもちろん見直ししてません)。BOXの原稿も、いけないとは思いつつ、そのままメール送信してしまいました。
BOX-916に僕の書いた文章が載るのは、おそらく5回目です。ビッグ・ブックの個人の物語の翻訳が一編、THE LANGUAGE OF THE HEARTS(心の言葉)からの翻訳が一編、「読者の声」の原稿が足りないからと言われてでっち上げたのが一編、「ビルはこう思う」私はこう思うの原稿を頼まれて一編、そして今回の「世界のAA」で頼まれて一編。
「活字によるミーティング」でありながら、自分の体験をつづった文章は一度も投稿したことがありません。いまさら書けと言われても・・・うーん。
ホームグループの人数がとても少なかった頃。どんなに深く話をしても、分かち合いの範囲は限られた人数の限られた経験でしかありませんでした。そこでBOX-916を買って、みんなでひとつの記事を読んでミーティングをしてみることにしました。BOX-916はグループ・メンバーにとって、日本のAAという外の世界を眺める窓になりました。自分たちが大きな共同体の一部であるという意識も芽生えたような気がします。
ビッグ・ブックの読み合わせとあわせると、しょっちゅう本ばかり読んでいるグループになっちゃいましたが、分かち合いは増えてきたと思います。
自分は書かないでおいて、人に勧めるのは悪いことですが、BOX-916はいつでも原稿を募集中です。メールでも原稿を届けられるし、携帯電話で何通かにわけて投稿された記事もありました。
「ミーティングで話す時間が足りないよう」と思っていたりするんだったら、ぜひBOXへ原稿を書いて送っていただきたいです。そこは活字によるミーティング。決して特別なAAではありません。いつも通りのスタンスでかまわないのですから。
2005年08月03日(水) ZIP ZIPドライブが壊れました。
ふつうのパソコンユーザーにとっては、ZIPディスクなんて、見たことも聞いたこともないものでありましょう。
どのパソコンにも(たいてい)ついているフロッピーディスクの容量は1.44MBです。大容量・高速化があたりまえのコンピューターの世界で、フロッピーの速度も容量も15年以上変わっていません。
ちなみに、フロッピーというのは愛称で、規格名はフレキシブルディスクと言いますが、そう言っても誰にも通じないでしょう。フロッピーを発明したIBMでは、相変わらず固有名称の「ディスケット」という名前を使っています。
しかし、1.44MBではあまりに容量不足で不便です。そこで「次世代フロッピーディスク」という規格がいくつか出されました。一つはLS-120(スーパーディスク)というもので、容量120MB、大きさはフロッピーと一緒というやつです。
もうひとつは、アイオメガというところが出したZIPディスクというもので、容量が100MB。大きさはフロッピーよりはちょっと厚め、大きめです。
僕はLS-120もZIPも使っているので、どちらの方が優れているというものでないことは知っています。そして、LS-120もZIPも「次世代」でありながら、なぜかフロッピーに取って代わることはなく、そんなものを使っているのは変わり者だけという世の中になってしまいました。
実は僕は21世紀になってから(つまり「次世代フロッピーディスク争い」が勝者なく終わってとっくにたってから)、ZIPにはまった人間であります。
100MBというのは、仕事のデータを入れて持ち運ぶのにちょうどいいぐらいの大きさです。自宅にも職場にもドライブを置いておけば、なかなかに便利なのであります。
しかし、内蔵型のZIPドライブというのは耐久性に乏しくて、2年ぐらい使うと壊れてしまいます。そのたびに、ネットオークションでマッキントッシュ用の中古ドライブを漁る羽目になっています。
最近では同じくZIPを使っていた同僚も、USBのフラッシュメモリーだとか、ポータブルタイプのHDDとかに鞍替えしてしまいました。それも悪くないと思いながら、やっぱりZIPには愛着があります。
自分はいったいいつまでZIPを使い続けることができるのだろうか? となんとなく思ったこのごろです。
(パソコンネタはわかんねーから書くなと言われますが、ネタがないので書いちゃいました。ごめん)
2005年08月01日(月) 怒り袋 ネット・オークションでこちらの操作ミスでちょっとした損をしてしまい、その件で何の落ち度もない取引相手にそれとなく苦情をほのめかしたら、すっかり機嫌を損ねられてしまいました。画面の向こう側にいるのも人間であることをすっかり忘れてしまうのであります。
パソコン通信の時代やfj.*やjapan.*での経験も合わせれば20年以上もコンピューターでコミュニケーションをし、文字だけしか見えなくても、それは機械が自動生成しているのではなくて、人間が書いているのだ。僕の文章を読むのも人間なのだ。とわかっていても、ちっとも痛い目にあった教訓を生かすことができない、成長できない自分がいます。
熱い議論の中で培った信頼関係があるのも確かですが、今回の件はまったくこちらが悪いのであります。
自分の心の中には、怒りが詰まった「怒り袋」とか、恨みが詰まった「恨み袋」があり、ときおりそれがはち切れそうなぐらいにパンパンにふくれあがる時があります。それが今夜であります。
理由は夕食のおかずであったりします。引っ越しで忙しい妻を気遣って、義母が夕食のおかずに天ぷらを揚げてきてくれました。だが僕はこの天ぷらがあまり好きではないのであります。まず、油の温度が低いのでびしょびしょで食べていておいしくない。具材もナスとタマネギなどで、あまり天ぷららしくないのであります。
気遣ってくれる気持ちはありがたいのではありますが、僕の機嫌が悪くなることを承知していながらそれを断らない妻の態度が腹に据えかねるのであります。
子供たちも積極的に箸を付けたがらないので、それは翌日の朝も、晩も、また食卓の中央を占領し続けるのであります。それがあるので、妻も新しい料理を作らない。そういう未来がずらっと見えてしまうのであります。
あげくに、誰も食べないのはもったいないと言って、妻が仕方なく食べて、そして結果として太っている。妻が自分の好きなものを食べて太っているなら、それはそれで腹立たしいかもしれませんが、今夜のようなもどかしさを感じなくてすむような気がする。
僕だって、実母を訪問するたびに、いろいろと「くれてやる」といって差し出される野菜の大半は、実は我が家でも余っているぐらいの季節のものであるので、母の機嫌を損ねるか、妻の機嫌を損ねるか、天秤にかけたあげくに断っているのであります。
そんなこともあって、天ぷらに文句をつけていたら、妻がいきなりそれを全部流しの三角コーナーに捨ててしまいました。それで「天ぷらはもうもらわなければいいんでしょ」と宣言しました。
事態は僕の思い通りになったわけだが、もちろん「怒り袋」ははち切れんばかりなのであります。
2005年07月31日(日) トニック・ウォーター 頼んでおいたトニック・ウォーターが届きました。
案の定、長女は興味津々です。
「おいしくないよ」と言ってから飲ませてみましたが、感想は「まずくはないけど、おいしくもない」「グレープフルーツの苦いところを食べてるみたい」だそうであります。
あんまり将来しゃれたカクテルを飲む夢とか見て欲しくないなぁ。
3DKも手狭になって、妻と子供が階下に移るという話は前にも書きました。でも、給水やら排水口の位置などの関係で、洗濯機の置き場所が決まらず不満がでてきたようで、かわりに僕が階下に追い出されることになりました。
そうは言っても、ISDNだって、光ファイバーだって3階に引き込んでいるんだから、それを2階に移設する工事費だけでもずいぶんかかります。試しにNTTに電話してみたら、工事費が4万円、工事の予定は9月になるそうです。
夜中までいろいろ調べたあげく、「屋外用LANケーブル」なるものも世の中には存在していることが判明し、これで2階と3階を配線すればよさそうです。
これからしばらく週末は引っ越しやら配線やらに追われそうです。
送迎のお礼にいただいた花火ですが、子供たちが大喜びで、夜になるのを待ちきれずに始めました。ディジカメでストロボシンクロ撮影に挑戦しましたので、そのうち写真ブログのほうにでも・・・。
ああ、なんだかあっという間に終わってしまった週末でした。昨日は携帯電話で長話をして、最後は充電器に載せながら話をしているという状況だったのですが、それでも「無料通話分」というのを使い切るには至りませんでした。
ああ、また明日から仕事か。
2005年07月30日(土) オープン・スピーカーズへ 無理だ。とは思っていたものの、一応8時に目覚ましをかけておきました。
そしたら、それが鳴る前に夏休みの娘たちに起こされました。
朝から何も食べる気になれません。コーヒーを飲んで、バナナを一本食って、9時までにETCのゲートをくぐれば高速道路が5割引なんだという考えだけに支配されて車を出しました。
サービスエリアのモスバーガーで朝ご飯。給油して、小淵沢インターでおりました。
八ヶ岳高原道路は無料化されてから遅い車が増えたような気がしてなりません。気持ちよく飛ばしていると、前にすぐ車がつまってしまいます。かといって、見通しが悪いので、追い越しは命がけです。
天女山の下の交差点で、合宿らしい女子高生の集団とすれ違いました。暑い中、麓の駅から上ってくるのは大変だったでしょう。
教えられたとおり、野辺山から直接川上村に向かいました。ここらへんの風景はいずれ写真ブログのほうに載せる予定です。
会場は暑かったです。金沢から来ている仲間に「長野が涼しいというのは幻想で、本当にクーラー不要というには、上高地にでも行かないと無理ですよ」と言ったら、「この前、上高地に行ったら31℃だったんよ」と切り替えされてしまいました。
僕が10代の頃には、僕の住んでいる地方都市には、クーラーのない喫茶店だってありました。年平均気温はそんなに変わっていないようですが、冬に寒い日が減り、夏に暑い日が増えたのは確かであるように感じます。
お弁当はおいしかったです。
人の話はたいして聞かずに、眠いので寝ている時間が長かったように思います。「お前は何しに来ているんだ」と怒られそうですが、まあ「AAの空気を吸いに来ている」ということにしておきましょう。
6年この地でへき地医療にたずさわった医師が、アルコールの患者さんを自助グループに紹介するのだけれど、そうやって良い方向に向かっていった患者さんは一人もいないまま、任期を終えたという話が印象的でした。
帰りは、佐久・小諸から三才山峠を越えてきました。
ひさしぶりに仲間と電話で長話をしました。ソーバー続けていたって、神様なかなか楽はさせてくれないなぁ、という感じでありましょうか。でもね、お互い酒が止まって良かったよ。
うつで思考能力が鈍っているのと、疲れと、なんだかちょっとハイな気分になっているのと、ごちゃまぜのまま、もう午前3時であります。
2005年07月29日(金) ステータス・シンボル こんなことをお前が書いていいのかよと言われそうですが、書かないでおくのもストレスなので書いてしまいます。
プログラマーなんで、ステータスという言葉はよく使います。statと縮めてスタットと呼ぶことも多いです。体調が悪いのは「スタット悪りー」という表現であります。
ステータス(status)ってのは、元来の意味は「(社会的)地位」であります。ステータス・シンボルってのは社会的地位の象徴で、たとえば家だったり、車だったり、職業であったり、そこでの階級であったり、金であったり、もっと抽象的なものでは「家柄」とかいうものだったりするわけでありましょう。
ステータスを求めるというのは、神が人間に与えた本能でありましょうから、ステータス希求心を否定することは愚かしいことだと思います。でも、なにごともゆきすぎはトラブルの元です。
男というのはステータスを過剰に誇りたいという病気をもっているのかもしれません。いや、持っているのでしょう。
依存症という病気は、肉体的な生命だとか、精神的な生命だとかを蝕む病気ですが、社会的生命=社会的地位をも蝕む病気であります。ステータスを失っていくのも病気の進行であります。収入を失い、家族を失い、住む家を失い・・・。その中に「底つき」を見つけられる人は、幸運なのでしょう。
ステータスは失われても、ステータスを誇りたいという気持ちは失われません。しかし、金は「経済的な回復は霊的な回復より先にはやってこない」ことになっていますし、社会的信用や地位なんてものはもっと得にくいものです。が・・・。
男がほしがるものとして、金・名誉・女の三つをあげるのは類型的すぎるでしょうか?
金も名誉も失い、簡単には取り戻せないことを悟った男が取る行動は・・・、女をステータス・シンボルとして獲得するというものであるかもしれません。「俺は落ちぶれ果てたが、まだ女に見向きもされなくなったわけじゃないぞ」と思わしめてくれる存在です。
そんなことを意識的にも、無意識的にも考えている男を、わざわざ選び取る女がいるはずはない・・・と思うのですが、女というものは不思議なものです。僕は女になったことはないのでその気持ちは分からないのですが、ともかくそういう男とくっつく女も広い世の中には、(いや狭い自助グループの中にも)いるわけです。
しかし、女というのは(と一般化するとまた怒られるんだろうけど)リアリストであり、冷静に戻るのも早い。ところが男というのは、いつまでも夢見がちな気分でいたりする。女の変節を責めていても、実際にはステータス・シンボルを失う痛みや、プライドの痛みに苦しんでいるだけだということは、本人に理解できないというか理解したくない。
変えられない現実を無理に変えようとすればストーカー行動になるし、プライドを傷つけられた痛みは相手に対する何らかの復讐行動になったりします。
まあ、こんなことを書いても何も裏付けの事実があるわけじゃないので、妄想と言われても、でっち上げと言われても仕方ありません。
自助グループにたどり着いた時、そこは性別の問題だとか、社会的地位の問題だとかを越えて、もっと大きな問題の解決を目指すために、みんなが仲良くできる理想郷なんだと思いました。でも現実は理想通りではないし、暴力やハラスメント防止のガイドラインができると言うことは、現実がガイドライン通りにいっていないことの証拠であります。
だから幻滅したかというと、あんまりそうでもない気がします。ひとりで飲んでいた頃に比べれば、人間が好きになったと言うことかも知れません。
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