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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月21日(木) またメールアドレス変更 smoug.netのメールアドレスを便利に使わせて頂いていたのですが、最近POPサーバーに接続できなくなってしまって、Webページも見られず、しかもDNSも引けないという状態になっていました。
ちょうど、掲示板のほうで議論を進めていることもあり、メールが届かないのはまずいなぁ、ということで、別のメールサービスを探してアカウントを取り、「心の家路」のあちこちに書いてあるメールアドレスも書き直し終えて、FTPも終わったところで念のためにsmougにアクセスしてみたら、その瞬間だけは接続してホームページも見ることができました・・・がそれっきり、また接続できない状態に戻ってしまいました。
というわけで、ここのところsmoug.netあてにメールをいただいた方にはすみません。僕の手元には届いておりません。新しいメールアドレスはホームページの一番下と、こちら に書いてあります。もっともこれは、まともなメールアドレスをさらすとSPAMの嵐に見舞われるので自衛策であります。
ieji.orgドメインでちゃんとしたメールアドレスも存在しているので、そちらに送って頂いても結構です。
病院メッセージの後、セルフのスタンドで給油。燃費9.34Km/L(満タン法)、14.6円/Km。前回が8.4Km/Lでしたから、向上していますがこれは高速道路を走って通勤を始めたからでしょう。前回の給油から2週間たっていますが、今後はおそらく5〜6日に一回は給油する必要がでてきそうです。
車検の予約を入れました。もし僕がトヨタの車に乗っていたら、間違いなくユーザー車検で安くあげるところですが、残念ながらユーザー車検で安心できるメーカーの車ではないので、ディーラーに預けることにしています。
ECUのROMの交換もこっそりと行われていますし、リコールするほどでもないけれど、こっそり直しておきたいところと言うのはあるのでしょうね。それを「ヤミ改修」ととらえるか、「定期的メンテナンス」と考えるかは、メーカー・ディーラー・ユーザーの考えによるものなのでしょう。
2005年07月20日(水) 暑い 会社が暑い。
エアコンが効いていて自宅より涼しいだろうと思っていたのですが、考えが甘かったようです。この4半期は営業成績が悪いらしく、経費節減令が出ていて、エアコンの温度も高めに設定されています。
気がつくと部屋でワイシャツを着ているのは僕ひとりであります。他はみんなTシャツ1枚という格好です。もはやクールビズ以前の問題でありますな。
PCが何台と動いている部屋よりも、エアコンが効いていない階段のほうがずっと涼しかったりします。
僕が休職する前は、事業所からのインターネットアクセスは直接外(インターネット側)に出ていたのですが、復帰後念のためにチェックしてみたら、HTTPだけひとつ次のアドレスからアクセスに行っています。プロキシーサーバーの設定はないのですが、何かのネットワーク機器が挟まれていて、ひょっとしてHTTPのログを取っていたりするかもしれません。
会社から「心の家路」をみたり、あちこちの掲示板に書き込むのは「堅いこと」を言われれば就業規則違反でありますから、できればそういう証拠は残したくありません。謎のネットワーク機器の存在が明らかでない以上、安全策をとることにしました。
会社のサーバー群へのアクセス以外は、全部自宅へのVPN経由で、自宅からインターネットに出るということにしました。
まあ、これで僕の勤めている会社名がぽろりと出てしまったりすることは避けられるわけです。
来週月曜日は、お客さんとの打ち合わせの予定です。実は昨年末から仕事の依頼が入っていたのですが、休職の間待っていてもらいました。前の会社からのおつきあいで、ご指名で仕事をいただけるのはありがたい話であります。ただ、個別の顧客への対応は、会社内での査定の対象には入らないので、やりたがらない人も多いのであります。僕としては、人と顔をつきあわせた仕事のほうが好きなんですが、しかたありません。
というわけで、仕事らしい仕事もいくつか入ってくるようになって、「くれぐれも無理の無いようにしてくださいね」と5才年下の上司から念を押されたのでありました。
ホームグループでのAAミーティングの後、公民館のホールで仲間とアフターミーティングをしていたら9時40分になってしまいました。あわてて実家に行き、あたふたと自宅へ帰りました。
話は変わって、ネットオークションで不愉快な目に遭いました。不愉快な目に遭ってから相手の評価欄を見ると「悪い」評価がいくつもついていたりして、やっぱり入札する前にきちんと相手の評価は定めておかないといけないなぁと、オークションの基本を思い出すのでありました。
でも、1円スタートだとそういう安全弁も働かないんだよね。今回の被害額は1,600円にすぎないのですが、だからと言って不愉快な思いが減るわけではありません。まあ、2週間ぐらいの長期戦を覚悟していますが、最終的には相手に「悪い」という評価を初めて与えることになるのかも知れません。
オークションで被害にあった場合には、保険による補償が受けられるようになっています。そのための毎月の会費でもあるのですが、いつの間にか保険も改悪されていて、いったん補償を受けると、その後半年間は保険が使えない仕組みに変わっていました。この先、もっと大きな被害を被る可能性もゼロでない以上、1,600円は泣き寝入りに終わってしまうのかも知れません。
こんなところにツケを回すぐらいなら、ソフトバンクは赤字を垂れ流すばかりのYahoo!BBなんかやめてしまえよ。
2005年07月19日(火) 復帰一日目 まず、みずほのオンラインバンキングでありますが、落ちているように見えるのは僕の自宅からだけで、実は会社からはきちんとアクセスできました。おまけに自宅からもFireFoxを使えば、おそいながらも使えます。いったいどんな現象が起きているのか・・・。
職場復帰も半年ぶりなので、いろいろと忘れていることも多くありました。
まずタイムカードを押すのを忘れました。といっても、物理的なタイムカードがあるわけじゃなくて、統合オフィスシステムとかいうのが導入されていて、社内文書やらスケジュール管理やらに加えて、タイムカードもパソコンでログインして「出勤」ボタンを押すといった仕組みであります。
ペーパーレス化というも進んでいて、書類は全部PDFかWORDファイルで回ってきます。しかもそいつをプリントアウトするのは「まかりならぬ」という規則であります。省資源はいいけど、目が疲れまする。自宅へコピーして持って帰ったりするのも良くないらしいです。
一応仕事っぽいものは与えられましたが、期限もなく、ゴール設定もないというもので、いかにも病み上がりに配慮したという感じでありました。来年の4月には(僕の場合には半年休んでしまったので1年延びて再来年の4月になるかもしれませんが)年俸制になります。年俸は職級というのと年齢などで決まってくるのですが、「目標設定」と「達成率」で毎年評価するという仕組みは他社と違いありません。
「目標設定」というだけでうんざりという気分なのですが、そこに書かれていたことが中間管理職的な要素が強くて、またうんざりしてしまいました。疾病社員として「ぺーぺー」の職人肌技術屋としてやっていきたかったのですが、会社としてあくまで「出世を目指して努力しろ」という姿勢なのでしょうか。やれやれ。
半年ぶりなので、ソフトのアップデートなどをし、自宅へのVPNも通し直しました。
「まだ帰んないんですか?」
と聞かれたので時計を見ると、もう午後6時でした。そうか俺はパート社員なんだっけと思い出して。「お先に」と言ってそそくさと帰ってきました。
疲れて午後9時まで熟睡。一日に二回寝る習慣はなんとか直さねばなるまいね。
2005年07月18日(月) 諸事 みずほ銀行のオンラインバンキングシステムが落ちています。
定期メンテナンスかと思ったのですが、メールをさかのぼって調べてみても、お知らせは特に来ていないので、まあたぶんシステムダウンでしょう。連休中で遠くへ出かけているシステムエンジニアの皆さんも、携帯電話一本で東京まで緊急収集をかけられているのでありましょうか。つくづく金融関係のエンジニアでなくて良かったと思います。
にしても、使えるはずのものが使えないと頭に来ます。ただ、みずほの場合、インターネット銀行と違って、実際の振り込み処理などは月曜(今回は月曜が休みだから火曜)まで待たないと行われないため、明日になったところで実害はなにもないのですが・・・。
5月のお祭りで金魚を取ってきたものの、全部死んでしまって、結局メダカだけが残ったのですが、新しく買ってきたメダカ2匹の内、1匹はそうそうに死んでしまって、去年から残っている1匹と併せて2匹という状態であります。去年から残っているのは寿命の記録更新中であります。
それから、僕の知らないうちにネオンテトラ2匹が増えています。仮にも熱帯魚の仲間だろうから、はたして金魚の水槽で飼って大丈夫か心配したのですが、いまだに元気です。
それから、長女が「トリオップス」という古生代からいるエビの仲間の飼育キットを買ってきました。円筒形のプラスチックの水槽に水を張り、「卵が入っている」という袋をその中に開けて2〜3日すると、エビのような奇妙な動作をする生き物が水槽を泳ぎ回るようになりました。友達の家では1日で死んでしまったそうですが、育てば5cmぐらいにはなるそうであります。でも、気持ち悪くてあんまり好きじゃないなぁ。
と、ここまでが昨日書いておいた予備なんですが、今朝見たらトリオップスはひっくり返って死んでいました。やっぱり生き物を育てるって難しいなあと思います。
明日から復職、といっても、内心はプレッシャーでいっぱいいっぱいであります。
でも行ってみれば意外と何とかなるのも過去の経験から分かっていることであります。恐れは自分が生み出したものに過ぎません。
ともかくも「こつこつやって積み上げる」ほかはないのであります。
僕が大学や高校時代の同級生のように、会社の管理職になったり、多くの収入を得たりということは、きっとないのでしょう。追いつこうと思って追いつけるものでもないし、ましてや追い越そうとか、見返してやろうとか思ったら、結局は自分の首を絞めるだけです。
今をゼロとしてこつこつ積み上げるしかありません。気持ちは新卒の社員でいたいと思います。
2005年07月17日(日) パラダイム・シフト その昔、パソコンを買っても、アプリケーションソフトもOSも付属していないのが普通でした。そのかわり、マイクロソフトのBASICという言語が入っていて、パソコンを使いたい人はこのBASICと言う言語で自分でプログラムを組むか、誰かに組んでもらったのをロードして使うものでありました。
このBASICは「入門用言語」とされていながら、ちっとも入門者に優しくない言語で悪評高いものでした。僕もBASICでプログラミングを覚えたクチです。
そのうちに「構造化プログラミング」なる概念が流行るようになり、PASCALだとかCだとかいう言語が流行するようになります。言語を乗り換えるのは結構大変でしたが、まだこの時はそれほど壁が高くはありませんでした。有名な入門書に『初めてのC』という本があり、当時Cと言うと特定の性行為を示す言葉だっただけに、電車の中で広げて読めない本だと言われていました。
パソコンにはOSというものが付属するようになり、一太郎だとか1-2-3だとかいう名前の実用ソフトが付属して、プログラマーでない人もパソコンを使える時代になりました。
UNIXなる高級OSがあることは知られていましたが、人々の手が届く値段ではなく、MS-DOSやCP/Mといった低級OSがパソコンを管理していました。こういった低級OSでは、プログラムが全権を握っており、OSはその下請けでした。プログラマーは自分のしたいようにプログラムを組むことができ、何が起るかは予測しやすい仕組みでした。
しかしWindowsが出ると、事情がすっかり変わってしまいました。全権を握っているのはWindowsであり、プログラムはその下請けになりました。いままでの主従の関係は逆になりました。「神は父であり、我々はその子供である」という言葉を流用すれば、「Windowsこそが神であり、プログラマーはその奴隷である」ということになりました。
Windowsの「メッセージ・プログラミング」という概念には大量の落伍者を出すことになりました。
折しもメインフレームと呼ばれる大型計算機が流行らなくなり、COBOLという巨大な言語大陸で仕事をしていた人たちは、大陸の沈没にも等しい動乱に巻き込まれることになります。
(2000年問題の時には逆にCOBOLの技術者がすっかり足りなくなって、引退して主婦をしていたプログラマーまで強制徴集されるという皮肉なこともありましたっけ)。
混乱を収集するためという理由で編み出された「オブジェクト指向プログラミング」という概念は、はっきり言って混乱に拍車をかけただけの役割しか果たしませんでした。
でも最近発表されるプログラミング言語は、やっぱり「構造化」されていて「オブジェクト指向」であることをみると、この分野でも流行と無縁の存在でいることはできないことを示唆しているような気がします。
情報処理のエンジニアであるということは、言ってみれば常に流れる海(潮流か)のなかに身を置いているということに似ています。泳ぎ続けなければ、前へ進むどころか、同じ場所にとどまることすらできなくなります。走り続けなければ転んでしまう人形のようなものなのかもしれません。
かといっていまさら商売替えもつらいので、このまま走り続けていくしかないのでしょう。
一昔前はカタカナ商売だから格好良さそうだといって、なりたがる人間も多かったのですが、実は意外と重労働だといことが世間に知れたのか、「プログラマーになりたい」という若者に会う機会が減りました。
理系離れが進んで技術系の大学に人材が集まらないと学術の人は悩んでるそうですが、その一方でたいした技術教育も施さないくせに月謝だけは高い専門学校がぼこぼこできているのはどうしたことでしょうか。
カタカナ職業であっても、その実態は職人に近いです。
会社から持って帰ってきたものの、結局読まずにまた会社に持って行くことになる何冊かの本をながめながら、十代後半に下したちょっとした判断が、その後の人生を大きく左右している事実に気がついて、ちょっとため息をついてみたりした今日でありました。
暑かった。
2005年07月16日(土) ひいらぐ 休日のわりには早く目が覚めたにもかかわらず、午前中は次女の行方不明(?)事件などがあって、捜索に出ていたりしたので、あっというまに午後になってしまいました。
ショッピングセンターの花屋で仏壇用の花束を作ってもらい、文房具屋で香典袋とサインペンを買って車の中で名前を書きました。
住宅地図を頼っていったのですが、家が新築されていて迷ってしまいました。
仏壇の中の彼の写真は、生前の彼そのままに、いつもなんだか怒っているような顔をしていました。お袋さんの看病のために東京から帰ってきたと聞いていたのですが、元気はつらつのお母さんを不思議な目で見ていたら、お母さんは亡くなられて、その人は後添えだそうであります。
父親という人は、僕は会うのは初めてでした。亡くなった彼の東京時代の暮らしぶりはほとんど知らないようで、いろいろと聞かれることになりました。彼の部屋はいわゆる「をたく部屋」で、本やらソフトやらが山のように積まれていて、その間に布団を敷くと両側が本で持ち上がってU字型になり、その寝返りもろくに打てない中で寝ているという、ありがちな部屋でありました。
僕の部屋も酒代ほしさに本を古本屋に売り払い続ける前には、似たような状態でした。当時は知り合いのところに遊びに行くと、積まれているのがビデオであったり、フィギュアであったり、洋書であったり、ゲーム基板であったりという違いはあるものの、皆がそんな状態でありました。
堅い職業の父親は、そんな彼の部屋にも、彼の選んだソフトウェア業のフリーランサーという仕事にも、とまどいしか感じなかったようですが、そういう人間は当時も(おそらく)今も、東京にはたくさんいるのでありましょう。ただ、フリーランサーというのが減って、みんな名前だけでも会社の社長になったという違いはあるでしょうけれど。
彼がとりわけの変人ではなかったと聞いて少し安心したようでした。土蔵に職人が入っているので聞いてみると、彼の蔵書を形見とし、土蔵の壁を書架として並べるのだそうであります。
僕は自分の話をしましたが、両親はひとり息子の思い出に集中しているようでした。
2時間ほどもおじゃましていたでしょうか、帰り際にパソコンの調子が悪いので見て欲しいと言われて部屋に案内されました。デスクトップに「URA-VIDEO」というビデオファイルができてしまい、何度削除しても次にパソコンを起動すると、また現れてくるという現象でありました。
スタートアップかレジストリに何かが登録されてしまったのだろうと、ながめてみましたが、怪しげなものはありません。マカフィーの最新版でスキャンしてもひっかからないし、Spybot S&DやAd-awareでも検出しません(他のはいろいろひっかかったけれど)。
これはお手上げだなと思ったのですが、URA-MOVIE.WMVを削除しようとしたら「使用中です」と言われて削除できません。このファイルを削除できないように握っているプロセスが怪しいということで、プロセスリストをひとつひとつ殺していくことにしました。
DS.EXEというファイルが犯人でありました。場所もTEMPディレクトリなのが怪しいです。こいつを削除して症状は治まりました。ここまで一時間。
一年ほど前に現れたこのアドウェアは、いつも夫婦げんかのまとだったそうで、「さすがは○○の友人だな」とえらく褒められてしまいました。時間がかかったので、その間に用意したのでしょう、香典返しにケーキをもらってしまいました。
自分はいったい何をしに行ったのだろう。するべきことは果たしていない気もするけれど、とりあえず一歩だけ踏み出せたことに感謝すべきなのでしょうか?
スーパーでスイカの1/2カットを買って帰りましたが、娘たちはケーキのほうを喜んでくれました。
自宅で調べてみたら、サービスを利用したスパイウェア というのが正体だったようです。
なんだか疲れてしまって、夕方から2時間ほど寝てしまいました。
心の痛みはすぐに取れるようなものではないようです。ずきずきと痛むのを「ひいらぐ」と言うそうですが、僕の心もひいらいでいるのであります。
2005年07月15日(金) 夏休みの宿題状態 具体的に復職のスケジュールが決まってくると、やることが次々でてきます。
先月クラッシュしたまま、Windowsのインストールも途中で止まっているマシンに、いろいろとソフトを入れていました。作業は順調だったのですが、テレビチューナーボードのソフトを入れたところで止まってしまいました。安達祐実が出てくる番組だとか、和田アキ子が出てくる番組だとか、そんなものを眺めている内に2〜3時間どんどん過ぎてしまいます。
まったくテレビは時間を吸い取る魔法の機械であります。おそらく「時間どろぼう」が発明した機械に違いありません。
ConturaにWindows NTは無事入ったものの、スクリーンセーバーが働かずにLCDが点きっぱなしです。おまけにハードディスクも用もなく回りっぱなしです。昔の486マシンを使うことで、最小電力、最小コストでというもくろみは完全に失敗に終わっています。
2年前に急病(?)で亡くなっていることが3月に分かった元親友に線香を上げに行く日取りも決まりました。土曜日2時であります。親父さんは毎日家にいるらしいのですが「茶くらい出したい」ということで、お袋さんのいる土曜に決まりました。
一度は親友と呼び合った仲でしたが、最後は「年賀状も送ってくるな」と言われるほど憎まれていました。僕が一方的に悪いというわけではないのですが、やっぱり自分の側の問題が相当に大きいです。憎まれて当然というようなことをしています。
彼も長野に戻ってきたと聞いた時には、どこかで会いはしないかと心配になりました。仕事で彼の家の近くを通るだけで、なんだかやるせない気分になりました。そのうちに、埋め合わせをできたらしたいと思うようになりました。不思議なものです。返していない金も返したいと。
でも、何となく先延ばしに、先延ばしになってしまいました。「ソーバーが10年になったら会いに行こうか」とか安直な言い訳を自分にしていました。
もうこの世にいないと聞いた時には、驚きしかありませんでした。僕は明日ご両親に会って、何を言えばいいのでしょうか。
年金申請で調べていたら、前に勤めた会社が倒産していることも知りました。おそらく当時のメンバーも散り散りになり、東京の業界深くに潜ってみないと、消息すら分からないでしょう。
こんなふうになるまえに、何とかできなかったのか、自分。
「機会あるたびに」と書いてあるけど、機会はいくらでもあったのじゃなかったのだろうか。元親友の家は同じ市内の中だし、倒産した会社のあった四谷だって、何度も行っている。
埋め合わせというのは、相手の傷を埋めに行くのではなく、過去の残骸を片づけることで、自分の心の傷を埋めに行くことなのかもしれません。だとすれば、もはや僕はこれをずっと抱えて生きていくほかはないのかもしれません。
「頑固な自我とギリギリの対決をしてきたか」と問われれば、答えはノーでしかありません。僕のAAプログラムはきわめてヌルイものでしかありません。
でも、きっと僕はこれからも平気な顔をして暮らしていっちゃうのでしょう。それが一番怖いことです。でも、人を傷つけておいて、自分が傷つかないってことはないのだなと、今さらながらにして思うのであります。
すべての人は罪人である。と言う言葉が心に突き刺さる日々であります。
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