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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月06日(水) もっと 午前中に起きる生活も定着してきました。
障子の張り替えも2枚目を無事終えました。
副業はもうすっかり仕入れをやめてしまいました。とりあえず不良在庫の処分をすすめています。順調にいっても在庫が払底するのは8月後半になるのではないかと思います。
水曜日は精神科の診察日であります。月曜日にソーシャルワーカーさんに渡しておいた、障害者年金の申立書に、添削をしていただいたものをもらいました。そうです、あのA4版5枚という文章は下書きで、これから本当の用紙に手書きしなければならないのであります。
毎日2回寝てしまうという話も、主治医にするのが3回目になりました。まあ、我慢して起きていて1回にするしかないのであります。「レスリンを1錠増やしてみますか。・・・前にもあなたは2錠飲んでいたことがありますね。何で減らしたのかな・・・。ああ、テトラミドを増やした時に、そんなに抗うつ薬ばっかり飲んでもしかたないだろうという理由だけで減らしたんだ。じゃあ2錠に戻してみよう」。まあ、診察室の会話はそんな感じであります。
2回寝てしまうおかげで、このところ2週間ほど、体はAAミーティングに行っていても、心は行っていない(寝ている)ということが続いていましたが、午後コーヒーを飲んだおかげで、なんとかひさしぶりに分かち合いに参加できました。
アフター・ミーティングは公民館の前で仲間と談笑。
ひさしぶりに給油しました。満タン法で燃費を計ってみました。8.4L/Km。1Kmあたり16.2円という計算になります。高速道路を走っていないことを考えると、これぐらいが普通か良い状態でしょうか。ちなみに夏になると燃費は悪くなります。エアコンなどの補機類の負荷が増えることと、空気密度が薄くなるために酸素量が減るせいです。冬になると、今度はスタッドレスタイヤのせいで燃費が悪くなります。なので、「いわゆる燃費向上グッズ」のたぐいは、春と秋が売り時なのですね。この時期は自然と燃費が良くなるから。世の中には、アーシングだとか磁石だとか添加剤とか・・・謎の燃費向上グッズがあふれています。
深夜までかかって申立書の清書を終えました。(今日でなくて未来のいつかでも)もしこの文章を読んでいる人の中に、うつ病で障害年金の申請をしようとする人がいて、申立書の書き方がわからないという人がいたら、メールで連絡をください。下書き前のワードファイルを送ってあげますから。
2005年07月05日(火) あと少し 復職の日までカウントダウンが始まっている感じです。
思えばこの「日々雑記」も、前の休職の時の最後のあたりから始まっているわけです。当時の雑記を読むと、「医者の許可が出たから」と書いてありますが、許可といっても不承不承で、反対を押し切ってというほうが正しかったかもしれません。
あのときは、会社が「すぐにでも出てこい」というのを2週間のばしたのでした。休職するといって放り出した機械は、復職後に取り組んでみてもどうにもならなくて、結局スクラップになりました。間に入った商社はかわいそうだったかな。
障子の張り替えを始めました。これも休職中にはすませたいと思っていたことのひとつです。冬のうちは寒いからという理由で先延ばしにしていました。同じくウツで依存症で休職中の仲間が、4月頃に「障子の張り替えもすんで」という話をしていたので、僕もそろそろと思いながら、結局「夏休みの宿題」状態で、時間がなくなってようやく取り組んでいるという状態です。
ツルヤでノリと剥離剤を買ってきました。なぜ剥離剤を必要とするかというと、破れた部分の補修に妻は、障子紙用のノリではなく、普通のノリ(フエキ糊とか)を使うのであります。そうすると、そのぶぶんだけガビガビになってしまって、剥離剤がないとだんだん障子の桟が厚くなってしまうのであります。
火曜は授業参観の日でした。妻は学校行事というとウツが悪化する(心因反応という)ので、今後は全部僕が出ることにしているのであります。張りかけの障子を放り出して学校へかけつけました。
次女の一年生の教室は、お母さんたちであふれかえっていましたが、長女の3年生のほうは(クラスの人数が少ないこともあるのですが)お母さんも少なめであります。授業後は、懇親会という名前のPTAであります。3年生のほうのクラスの出席者は先生を含めて8人だけでありました。初めてなので自己紹介をしました。
話題も少なくって一時間で終わりでありました。先生も経験豊富で、熱心でというタイプであります。昨年養護学校から転任してきて、普通学級になじめずにウツになってしまった先生は、いまだに自宅療養中だそうであります。すこしかわいそうな話であります。
1年生のほうのPTAは「父兄どおし知り合えるような催し」をするということで、にぎやかに続いていましたが、精神的にも肉体的にも疲れてしまったので、帰って障子張りの続きをしました。
そして夕方7時半ごろになると眠くなってまた寝てしまい。10時に起きて、まだ子供たちが風呂に入っていなかったので入れて、今度はパソコンの前の椅子に座って午前2時まで寝てしまいました。何とかならないか、この生活リズム。
2005年07月04日(月) すこし・たくさん ここのところひと月あまり、病院からミーティング場に送迎している患者さんの退院が決まったという話を聞きました。閉鎖病棟に監禁同然の状態から、いきなり退院へという大きな変化の背後には、AAにまた通いだしたことも影響しているのではないかと思ってみたりします。
家賃が3万7千5百円以下なら生活保護で面倒を見てくれるものの、それ以上だと自分で持ち出しだそうであります。そうなると実質的に県営住宅か市営住宅しかありません。市内の団地で空いているのは2ヶ所で、そのうち交通の便の良いほうに応募して、抽選があたって入居の権利を得れば、いつでも退院できそうであります。
彼との付き合いは断続的に九年になります。初めてミーティング場を開いたときに、市内の精神病院に勤めていたケースワーカーさんが熱心な人で、患者さんにAAに通うことを薦めてくれました。半分いやいやながらでありましょうが、病院の外へ出るチャンスと思って、通ってきてくれていた4人の患者さんのうちの一人が彼であります。
そのケースワーカーさんは歌の上手な人で、いきなり病院を止めるというので、理由を聞いてみると「歌手を志す」という話でありました。一度きりの人生でありますから、そういうのもありでありましょう。その後どうなったのか、クラシック音楽に興味の薄い僕にはわかりません。
会場として借りている公民館には会議室が4つあります。そのうち第1会議室と第2会議室は間をパーティションで区切っただけのものなので、相互に会話は筒抜けであります。第3会議室と第4会議室は独立した部屋なのですが、どちらもちと広い部屋であります。
AAミーティングは最初は人数が少なかったので、第1か第2を割り当てられたのですが、話が聞こえてくるのも聞こえちゃうのも困るので、公民館に頼み込んで大きな会議室を借りられるようにしました。第4会議室は在日外国人のための日本語講座がずっと使っていたので、空いているのは第3だけでした。でも、第3は使い勝手が良い部屋なので、他の団体と取り合いになりました。
取り合いに負けると、音楽室や視聴覚室へ追いやられました。時には100人以上入る大会議室の片隅でミーティングをしたこともありました。それでも辛抱強く第3会議室を予約し続けたおかげでしょうか、他の団体は別の曜日に移ったり、別の施設へ移ったり、はたまた寿命を迎えてしまったりで、ついには「月曜の第4が日本語教室」であるのとおなじように、「月曜の第3はAA」という地位を確保するにいったのです(と思う)。
それでも、第3会議室はAAには広すぎるなといつも思っていました。いつかは、この会議室のテーブルをぐるっと皆で囲んでミーティングをする日が来るといいな、と思っていました。
最近のように人数の多いのが安定し、「ぐるっと皆で囲んで」という夢が実現すると、人間は不思議なもので「自分の話す時間が短くなる」などというみみっちい不満を持つものであります。まあ最近は体調不良でミーティング中に寝てることが多い僕ですが。
一つの夢が実現したからには、もっと大きな夢を見ることにしましょう。100人入る大会議室で人があふれんばかりのAAミーティングが毎週開かれる夢を。そして別室ではアラノンのミーティングが開かれて、また別の部屋では子供のある夫婦のためにAAとアラノンが共同で雇ったアルバイトのベビーシッターが子供たちの面倒を見ている・・・。子供たちはもう少し大きくなったら、アラティーンのミーティングをひらくのだろうか。
僕が生きている間にかなわなくてもいいから、そんなことが現実になって欲しいと思ったりするのであります。
2005年07月03日(日) 申立書 障害者年金の申立書というのを書いています。これは医者の書いてくれる診断書とは別に、「自分ではこうである」というのを書く必要があるのであります。
前回やっつけ仕事で書いて、かかっているクリニックのソーシャルワーカーさんに預けておいたのですが、「これでは話にならない」と言われて書き直しとなりました。
裁定者は、診断書と申立書だけから判定するわけだから、申立書の記述が不十分ならば申請が通らなくても不思議はないのだそうです。東京ですでに年金を手にしている知り合いに電話してアドバイスを求めたところ、
「診断書と整合性が取れること」
「仕事や私生活に支障をきたしていることが文面から読み取れること」
「欄からあふれるぐらいに克明にびっしりと書くこと」
という例をあげてくれました。
僕としても金は欲しいです。でも年金で暮らせる訳じゃないので、どうしても申請が通らないと困るというわけでもありません。しかし、これまでずいぶん手間ヒマも金もかかっています。ここで手を抜いたがために通らなかったとしたら、間抜けな話であります。
そこで僕は書きました。手書きは苦手なので、ワープロでA4版に5枚。これを東京の知り合いにFAXして添削してもらって、手直しして再度FAXして・・・第3稿まで作りました。しかし、申請書はワープロで出すわけにはいきません。もちろんA3版の打てるプリンターを所有していればそれも考えたかもしれませんが、ワープロで出す時点で「実務能力高そう」な印象を与える不利もあるでしょう。
まあともかく、申請書のコピーに下書きとしてボールペンで細かい字を半日書きました。手元が暗いので980円で蛍光灯まで買ってきました。
こんなにたくさん字を書いたのは、大学時代のレポート提出か、コミ○ットで売った同人誌の原稿以来でありましょうか。20年以上ワープロを使い続け、ラブレターでさえワープロで出して「あなたの手元にはこのファイルが残っているのね」などと言われた自分でありますから、すっかり字が汚くなって、ミミズがのたくったような字が並びました。
そしてとても疲れました。
とりあえず月曜にまたこれをソーシャルワーカーさんに見てもらいに提出に行き、今週中には申請をすませたいところです。
これから障害者年金を申請する人がこのページを読んでいるかどうかはわかりませんが、参考までにいままでにかかった経費を並べてみましょう。診断書などは健康保険の適用外なので、各医療機関が独自の値段をつけています。これより高いことも安いこともあるでしょう。
まず、東京で最初にかかったクリニックの受診状況証明書(いわゆる初診証明)3,000円。診断書が遡及申請のための1枚が8,400円。事後重症のための1枚が5,000円。戸籍謄本が450円。住民票が300円。妻の所得証明が二通で600円。このほかに各医療機関に問い合わせの手紙や、返信用封筒の切手、現金書留で送金の手数料などが計数百円でしょうか。
合計で一万五千円強かな。
診断書はもっと高い医療機関もあるそうなので、安く済んだほうなのかもしれません。
アルコール依存症という病名では通らないし、うつ病でもなかなか通らないと聞きます。一万五千円をどぶに捨てているのかもしれませんが、なにもしないではいられず、内にこもった怒りをどこかにぶつける場所が欲しかったのが本当のところなのかもしれません。
最後に請求書という事務的な書類を書く(というかこの書類が主で、他が副なんだけど)のですが、いままで勤めた会社の住所を書く欄があります(厚生年金)。10年前、20年前となると、さすがに記憶も曖昧です。
生まれて初めて勤めた会社は地味ながらもまだ存在していました(でも住所は変わっているので今日電話します)。そこからスピンアウトした人たちが作った会社は、しばらくは泣かず飛ばすだったので、消息も調べなかったのですが、調べてみると資本金も億単位となり、昨年野球界をにぎわせた会社とも絡んで大きくなっていました。ホームページ上の取締役たちの顔は、記憶より老けたけれど立派そうであります。
一方、昨年8月に僕が無職だった頃、埋め合わせのチャンスでもと思って訪れた会社は、もうその場所からなくなっていました。どこか家賃の安いところに引っ越したかなと思っていたのですが、某掲示板のログでは2000年か2001年に倒産しているという噂でした。
どうしようもない飲んだくれの僕の面倒を見てくれた人たち。でも、前者よりも後者に埋め合わせのチャンスをください、と思ってしまうのはなぜでしょう。
そういえばこの休職期間中に、一度は親友と呼んだ同級生の死も知りました。彼もビル・ゲイツより成功したいひとりでした。
技術屋の僕には、どんな社長が成功して、どんな社長が失敗するのか、本当のところはわかりません。ただひとつ確かなことは、物事は変わり続けていて、決して元には戻らないということです。そんな世の中で変わらずにいようとすれば、すぐに泳ぎ疲れて沈んでしまいます。僕自身も変わり続けていて、そして「決して元には戻らない」ということなのでありましょう。
2005年07月01日(金) ノートパソコン続き パソコンネタはわかんねーから書くなという話も出ていますが、他にネタがないので書くことにします。
6月10日の日記でお別れを書いたノートパソコンですが、実はまだウチにあるのであります。いちどネットオークションに出品したのですが、入札が入る前にキャンセルしてしまいました(入札後にキャンセルすると違約金を取られる)。
どうしようかと思ったかというと、もう一度修理にチャレンジしてみようと思ったわけであります。ジャンパーとばしで。
プリント基板の上に細い線が半田付けされていることを見ることがあります。これは基板の設計ミスや修理のために、基板上の回路とは別に回路を作る必要がある場合に、後から追加された配線で、これをジャンパーと言います。ジャンパー線が飛んでいる基板は、なにかしらの理由があってジャンパーが飛んでいるわけですから「いわくつき」であるとも言えます。
2本や3本ぐらいならまだしも、十数本もジャンパーが飛んでいたりすると、元の基板の設計に相当の問題があったと想像がつくわけであります。
ジャンパー線を飛ばすという作業は、大変細かい作業なので、半田作業に習熟した人でないとできません。当然僕のような、サンデー・ソルダー・ボンダーにはできっこない技術であるわけです。でもやってみることにしました。
そして見事に失敗し、失敗の余波を食らってハードディスクを一台壊しました。それが今週の水曜日であります。趣味なんだから失敗したって失うものは時間とわずかな金銭だけのはずなんですが・・・、なんだか必要以上に落ち込んでしまいました。
そして水曜日はソーシャルワーカーさんに、年金の申立書にだめ出しをされた日でもありました。なんだか学生時代に提出したレポートを教授に突き返され、「再提出」と冷たく宣告されたことを思い起こしました。
ノートパソコンはふたたびオークションに出品され、今度はすかさず入札者が現れました。これで、このノートパソコンとのお別れは決まりました。
そこで登場したのが、さらに古いノートパソコンである Compaq Contura Aero 4/25 であります。愛称は「こんちゅら様」であります。486SX 25MHz・メモリ12MBというスペックで動作するのはWindows 95か古いLinuxぐらいであります。とりあえず、Windows 95のインストールにチャレンジして先ほど成功しました。
これから申立書をゆっくりと書こうと思います。
2005年06月30日(木) 生活リズム どうもよくない生活のリズムが形成されてしまいました。
とりあえず午前中に起きて活動は開始するのであります。洗顔、コーヒー、メールチェック。そのうちお昼になるので食事、服薬、歯磨き、ひげそり。午後の時間はゆるりと過ぎていきます。
ところが、夕方になると眠くなってしまいます。どうしようもない眠気に襲われてついつい寝てしまい、夜中になって起き出して諸事を片づけるのであります。
このように毎日2回寝て、2回起きるという生活がもう10日ちかく続いています。おかげで月曜日はミーティングを休んでしまいましたし、水曜日はホームグループのミーティングまではなんとかBOX-916を持ってたどり着いたものの、ずっと机に突っ伏して寝ていて、皆に不審に思われたりもしました。
医者に相談したところ、「仕事に行くようになれば、起きていざるを得ないわけだから、なんとかなるでしょう。逆に言えば、それだけ体に無理をするわけで、復職が勧められる状態ではないのですけどね」という話でありました。
母に相談したところ、「別にお前が仕事に戻っても仕事なんてないだろう。寝ていたってかまわないじゃないか。それに帰りに眠ければ車の中で寝てくればいい」という、いつもながらの突き放した回答でありました。
今夜も午後8時までがんばったのですが、座布団の上で寝てしまい。起きると午前1時。それから風呂に入ってこれを書いています。
せっかく減ってきた体重ですが、最近下げ止まりです。睡眠薬を飲んで効いてくると食欲がでてしまい、寝る前にポテトチップ一袋とか、トースト2枚とか食べてしまうのが原因です(夜食とは別にだよ)。これも医者に相談したところ、ロラメットの副作用ではないかということで、現在2錠飲んでいるのを1錠に減らすことにしました。
夕方は睡眠薬など無くても眠れるので、そろそろロラメットもやめてしまいたいところなのですが、完全にやめてしまうのは復職という壁を乗り越えてからになるでしょう。
障害者年金用の診断書がようやく出来てきました。ところが、自分でかく申立書の記入がぜんぜんなってなくて、これでは申請は通らないだろうとソーシャルワーカーさんに言われてしまいました。というわけで申立書は一から書き直しであります。
イチゴの季節には雨が少ないと嘆いていたのですが、最近は雨が多いです。いつの間にか梅雨になったのでしょう。
7月になり、カレンダーが「モンテカルロラリーのセレモニアル・ゴールの風景」に変わりました。みんなF1には興味があってもWRCには興味がないようであります。不祥事の後、ミツビシが撤退してしまって、日本からの参戦がスバルだけになったのはたしかに詰まらないことでありますが。
年齢もいつの間にか42才になりました。
掲示板のほうは盛り上がっているようでうれしいです。管理人の投稿が主を占めるなんていう状況は僕の理想とするところではないのでうれしいです。
ああ体がだるい。
2005年06月28日(火) ネズミーズ 最近ハムスターの元気がありません。
まあたぶん暑すぎるのでしょう。
いままでだったら、夜はおがくずの中に穴を掘って、その中にうずくまっていたのですが、「ハムスターハウス」という商品名のプラスチックの箱(最初はハムスターが愛用していたのですが、中にヒマワリの種の殻を貯めるので、掃除が面倒で長女が屋根を取ってしまって以来、屋根無し)の中で寝ています。たぶん風通しが良いのでしょう。
ロボロフスキー・ハムスターは暑さに弱いのかもしれません。いや、ロボは飼っている人が少ないので、店から買ってきた時点でかなりお年を召していた可能性はあります。
2代目モルモットの「モルモ」ちゃんのほうは、初代の「ハムちゃん」よりずっとおとなしくて、ケージの中から「出せ出せ」とアピールしたりしませんし、出してあげてもその場にうずくまったままで動こうとしません。臆病なのでしょうか。
人の手を噛むということもなく、手に乗せていても、じっとしています。
愛玩用に品種改良されたものなのかもしれませんね。
さっき水槽を見に行ったら、メダカは二匹のまま変化ありませんでした。片方は去年の5月だか6月に買ったものの生き残りです。長寿記録を立ててもらいたいものです。
長女がもらってきた「カブトムシの幼虫」は、いつのまにかカビが生えた物体に変わり果てていました。子供の頃も、よく天然のものを見つけてきたけれど、飼育に成功したことはありませんでした。
さて、今日は寝ずに、ミーティングに行かなければ。
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