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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月31日(火) 申立書 久しぶりに会社のメールアドレスをチェックしました。
セキュリティがきついので、OutlookExpressなんかは使えません。
でも僕はOutlookExpressがお気に入りなので、会社用のメーラーは滅多に起動しません。開くと8通ぐらい溜まっていました。
8月8日に君の健康診断を予約してあるので○○病院まで出頭するように、という内容がありました。とりあえず8月までクビにはならないようです。
労働安全衛生法だと、会社は健康診断の結果を記録しておかないと決まっているようです。でも、4月から個人情報保護法が施行されたので、病院は診断結果を本人の同意がないと会社に知らせることが出来なくなりました。なので、同意書を書いて送ってよこせというので、オークションの送品のついでに郵便局へ行ってきました。
いつも笑顔のおねいさんは、今日は忙しそうに事務仕事をしていて、会話は交わせませんでした。残念。
上司から「お加減はいかがですか」というメールがあったので、そういえば1月に会社に報告に顔を出して以来、ぜんぜん詳しい経過を報告していないことに気付き、メールで20行ぐらい書いて送りました。そうしたら、6月中旬に本部長という人と一緒に面談することになりました。「あせらずに治療してください」とありましたが、宝くじでも当たらない限り焦りがなくなることはないでしょう。
宝くじを買ったことを人に教えると当たらない、というジンクスを持っていたのですが、以前ここに書いたら1万円が当たったので、今回も新宿で1枚だけ買ったことを報告しておきます。
ちなみに「縁起を担ぐ」というのは、良いことが起こるようにという意味と、悪いことが起こらないようにという両方の意味に使いますが、「験を担ぐ」というのは、悪いことが起こらないようにという意味にしか使わないんだそうです。だから、宝くじ買った報告は「縁起担ぎ」で、僕がハンカチを毎日忘れないのは「ゲン担ぎ」ですね。
障害者年金の申立書というのを書いています。
書き方の本も売られているようですが、三千円もするので買う気になれません。
しかし、どう書いていいかわかりません。
この前、年金をもらうようになったという東京の友人のアパートはとっ散らかっていて、出した時に取っておいたコピーが出てこないという話であります。それでも医師に書いてもらった診断書のコピーは見せてもらいました。
介助と援助は違って、援助は「助言や指導」ということになります。援助がないと食事を取らない、援助がないと身辺の清潔保持が出来ない、援助がないと金銭管理が出来ない、援助がないと他人との対人関係ができない、援助がないと身辺の安全保持が出来ない・・・、周囲の人の助言がないとまともにできないって意味だったら、ぜんぶあてはまるような気がするんですが・・・。
うつ病だけでは通らない、という話も聞きますが、ググってみると結構うつ病だけでもらっている人もいるようですね。まあ、どうせ年金だけで暮らすことも出来ないわけですから、いつかは働きはじめないといけないわけです。
いつまでも働きはじめなかったら・・・それは宝くじが当たったんだと思ってください。
2005年05月30日(月) ぼんやり 起きると午後3時を過ぎていました。
隣では妻が一個6円の内職をこつこつとやっています。
「あまりに気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのに忍びなかった」
そうでありますが、せめて午前中には起きたいところです。
会社に厚生年金・健康保険立て替え分20万円を送金しなければならないのに、もう3時過ぎではどうにもなりません。
ネットオークションをやっているので、ネット上で24時間稼働している銀行にも口座を持っています。郵便貯金だって、深夜の10分間を除けば24時間、インターネットか携帯電話で送金が出来る時代であります。なのに、我が家の主な家計を置いている地方銀行と来たら、振り込みは午前9時〜午後3時までというのを、がんとして変えようとしません。
副業のほうでやっと1200円の利益があがりました。これじゃ妻の内職のほうがずっと効率がいいです。「金銭の正しい使用が終わったところから、金銭の誤用が始まる」とはビルの言葉であります。なんか誤用のほうが多い自分であります。今年は申し訳ないけれど、バースディ献金はしません。申し訳ありません。
なぜだかわからないけれど(勘違いらしい)、仲間のバースディが一週間早く行われました。「ともかくミーティングに出続けて、仲間に会い続けることだと思う」とご本人のお話でした。
いまの自分は心の平安という言葉とはかけ離れた場所にいます。安心して生きることがいかに難しいことか。
2005年05月29日(日) 飲まないオフ会(もしくは散漫な一日) マザーボード上のCMOSバックアップ用の電池を抜いて、10分経ってからもういちど電池をセットして電源を入れたら、素直に立ち上がりました。お約束のやり方なんですが、これに気が付いたのが午前3時でした。
朝は7時に起きて、朝食はコンビニのサンドイッチ。
高速バスに乗るのは久しぶりですが、今回不安だったのはお腹の具合が悪かったことです。幸い途中のサービスエリアでの休憩が普段10分のところが15分になってくれたこと、それにトイレがすいていてくれたおかげで、なんとか高速バスのなかで悶絶する羽目になるのは避けられました。
知らないうちに新宿駅に「新南口」なんてのができていて、街の様子もすっかり様変わりしてしまっていました。オフ会と言っても、やっぱり雑談するだけなんですけどね。その雑談がなんとなく楽しい。
思えばパソコン通信時代に、知り合いのBBSのオフ会に出かけては、喫茶店で生ビールの大ジョッキをしこたま飲んで正体をなくしたあげく、アパートまで送り届けられるなんていう大迷惑野郎だったこともあるわけです。あれから長い時間がたったのだなと思いました。
新宿アルタ前も何年ぶりでしょうか。歌舞伎町も。
そして西口のヨドバシカメラで玄人志向の部品を買うと、またバスに乗って帰ってきました。
帰りも途中のサービスエリアまでは寝ていたのですが、そこから目が冴えて眠れなくなりました。
(そろそろ働きたいなぁ)
なんてことを、久しぶりに思うのでありました。
バスを降りて松屋で牛焼き肉定食を食べました。そして、ピンサロの呼び込みをかわしつつ我が家に帰り着くと、お腹がまたいたくなったので、トイレに駆け込みました。
まったく不健康な痩せ方であります。
2005年05月28日(土) 抑うつ(その2) 今日も9時間以上寝たのに、まだ眠いです。
娘との約束があったので、庭でバトミントンをしました。といっても下手っぴだし、風も吹いているしで、全然ラリーが続きません。僕にとっては苦行に等しい作業なんですが、娘たちは楽しそうであります。
しかし、日頃から体を動かしていないせいで、10分か15分もやったら息が上がってしまいました。「パパ体力なーい」と娘に責められました。
庭のイチゴが、今年最初の一個の収穫を迎えました。娘たち二人がそれを分け合って食べて「すごくあまい」という感想を言っていました。
郵便受けをのぞき込むと、会社から封筒が届いていました。「○月○日までに業務に復帰できない場合には解雇する」という呪いの言葉が書かれているのではないかと、おそるおそるあけてみたら、毎月5万円ほどの社会保険料その他の立て替えが4ヶ月分たまっているので、会社の口座に振り込むように、という総務からのお知らせでありました。
水曜→木曜→金曜→土曜と、だんだんウツの具合が悪くなっていっている気がします。原因は小遣い稼ぎにはじめた副業でありましょう。それのおかげでせわしなく、何かに追われるような日々を送ってしまい、せっかく休職している意味がなくなってしまいました。
具合が悪いので、夕方までまた寝てしまいました。
母が以前「いざとなったら、手持ちの株を売ってでも金を貸してあげる」と言っていたので、それを頼りにすることにして電話をかけました。株は配当があるが、定期預金は利回りが悪いので、定期を崩して貸してくれるといいます。なんだかすごく悪いことを頼んでいる気になってしまいました。
1月に計算したときには、無収入で休んでいるのも5月末が限界という結論でした。少し親から金を借りたり、臨時の仕事をしたりして、多少の余裕は出たものの、いよいよ限界にきたという感じです。
医者の反対を押し切ってでも、再来月あたりには仕事に復帰しないとならないようです。
体がしんどいので、明日のオフ会は休みたい気持ちもあるのですが、人と会えば気分が変わることもありますし、どうせ移動はバスが運んでくれるので、少々無理をしてでも行こうとおもっています。僕の顔に笑顔がなくても心配しないでくださいね。
千葉のほうではAAのラウンドアップが行われていて、そこからのメールが届きました。今の自分にはなんだか遠い世界の出来事のようにしか思えません。
何が災いしたのか、パソコンの起動に5分もかかるようになってしまいました。気になるけど、のんびり原因究明している時間もなさそうです。
2005年05月27日(金) 抑うつ 9時間以上寝たのにまだ眠いです。
ゆっくりとですが障害者年金の申請の手続きを進めています。
東京で初めてかかった精神科のクリニックにはカルテが残っていなかったのですが、こちらの病院のカルテの最初のページにしっかりとした紹介状が貼り付けてあったので、これを診療録として「受診状況等証明書」というのを書いてもらえました(いわゆる初診証明)。
この代金3千円は現金書留で送って欲しいという添え書きがあったので、実に十何年ぶりかに現金書留を出しに郵便局に行きました。
現金書留の封筒が20円というのは昔と変わらなかったです。ネットオークションの品物の差し出しなどでしょっちゅう顔を出している郵便局なので、もうすっかり窓口のおねいさんとは顔見知りになってしまいました。しかし、
「今日は朝は天気が良かったのに、急に曇って来ちゃいましたねぇ、雨にならなければいいんですが」
とか突然言われても、世間話になれていない僕としてはなんと答えていいやら・・・。
「今度天気の良い週末には一緒にドライブにでも」とでも言えばいいのでしょうか?
郵政改革に対する僕の意見をここで書くつもりはありませんが、もし僕の本名をご存じなら、ググってみてください。7年も前に投稿した意見がまだ掲載されていたりします。うーん、インターネット恐るべし。ものいわばくちびるさむし。
小泉首相は、都市部の郵便局は整理統合するという意向のようです。現に我が家から歩いていける距離に郵便局が三つ(も)あります。僕の行く局と、妻の行く局は違います。僕はもちろん、先ほどの愛想のよくて、僕のことを憶えていてくれるおねいさんのいる局へいくわけであります。
僕は、たとえば封筒には切手を貼らずに局に持ち込んで差し出すことにしています。するとおねいさんはわざわざ記念切手を貼るのであります。そうすることでその局の記念切手の売り上げがわずかでも上がることになり、熾烈な局間の競争に一歩先んずることができるというわけです(大げさだなぁ)。
初診証明が取れたことで、その日から一年半後を認定日として申請することが可能になりました。そのころは酒を飲みながらでありましたが、精神科の病院に通院を続けていたので、そこに頼んで診断書を書いてもらうことは可能です。
もしそれで認定されれば、その日までさかのぼって年金が支給されることになります。実際には年金の請求権は5年で時効を迎えるので、5年分が支給されるだけですが、それでも大きな金額です。
もう代替わりしたドクターからの伝言では、あなたの場合にはD(うつ病のこと、統合失調はS、アルコールはA)だけだし、その後一般の会社にも就職しているから、診断書を書くのは難しいとありました。
病院のソーシャルワーカーさんに相談しても、認定される可能性は低いだろうし、認定されるよう症状を重く書くことも出来ないという話でありました。ぶっちゃけ「診断書はいくらなのか」という疑問には、8,400円という答えが返ってきました。安くはないけれど、思っていたほど高くはありませんでした。一応妻とも相談した上で、書いてもらうよう依頼をしました。電話口で僕が「無理だとは思いますが・・・なるべく・・・」と言って口ごもっていると、ソーシャルワーカーさんは「重めに書いてもらうようにね。頼むだけは頼んでみますよ」という返事でした。(くれば万馬券だなぁ、と内心思ったりして)。
診断書ができるまで1〜2週間。その後、今のクリニックの先生に現状の診断書を書いてもらって「事後重症」での申請をあわせてすることになります。ともかく、申請をすませるまではおとなしく休んでいるつもりでいますが、その後は働きたい気分が強いです。
僕自身、申請が通る可能性は低いと思っています。
ちなみに、他にもふたつの精神病院に入院しているので、診療履歴を書くために問い合わせの電話をしました。片方の病院は(僕は途中で姓が変わっているので)当時の身分証明と、現在の身分証明書のコピー、それに返信用封筒を同封して送ってくださいという答えでした。もう一方は、特に本人確認をするでもなく、あなたの入院日は何年何月何日、退院日は何月何日と教えてくれました。
たしかに後者のほうが便利ではあったのですが、最近どこの医療機関に行ってもポスターが貼られている「個人情報保護の・・・」というスローガンはやっぱり建前だけだったのかと暗澹たる思いをしたのも事実であります。
昨年・一昨年とバースディのプレゼントに花束をもらいました(残念なことに今年はもらえませんでした)。ドライフラワーとなってパソコンの上に飾られています。でも、きちんとした手順を踏んでドライにしたわけじゃないので、ポロポロとこぼれてきます。
レーザープリンターの印刷に所々黒いシミが出るようになったので、メーカーのサポート係に言われるままに感光ドラムまでむき出しにしてみたら、ドライフラワーのバラの花びらがはさまっていました。堅い花びらで傷ついたドラムは、アルコールで拭いても元には戻りませんでした。
サポート係の親切なおにいさんは、ドラムは消耗品ですよ、2年も使えば長い方ですよとなぐさめてくれましたが、当面秋頃までこの調子の悪いプリンターとつきあわざるを得ないという事実は変わらないのでありました。
2005年05月26日(木) お風呂 米野よ、お前もっとバッティングをなんとかしないと、古田の代わりは務まらんぞ。
小遣い稼ぎの副業のほうは、なんだかうまくいかないです。結果の金銭を気にしすぎると、仕事と変わらなくなってしまいます。プロセスを楽しむようにすれば、趣味になるのでしょうか。
我が家は毎日風呂に入っています。水道代を負担してもらっている義父母からは「二日にいっぺんにしたらどうか」というお小言をいただいたこともありますが、やっぱり入らないと気が済まない自分であります。
元々生まれ育った家が、毎日風呂に入る習慣の家でした。戦前は大地主だったようで、風呂の準備などは住み込みの小作人の役割だったそうです。毎日風呂に入るというのはかなりの贅沢であったようです。
農地改革があって没落した後も、この「毎日風呂」という習慣は残り、子供の頃の僕は薪風呂の火の管理や湯加減を任されていました。考えてみれば、あのころは子供が家のことを手伝うのが当然でありました。今でも長野県の小中学校には1学期、2学期、3学期の真ん中に短い休みが残っている学校があります(なくなったところも多い)。それぞれ「田植え休み」「稲刈り休み」「寒中休み」と呼ばれていました。
学校を休んで農作業を手伝いなさいという主旨でしたが、僕の頃には実際の農繁期と時期がずれてしまっていて、あまり意味はありませんでした。
寒中休みってのは、節分の頃に「あんまり寒いから学校も休み」という休みであります。まあ、年平均気温が今より2℃も低かった時代の話ですから、今の長野がそんなに寒いと思わないでください。
話がそれました。で、実家の風呂は「沸かし直し」と言って、水を換えずに2日〜3日と風呂に使いました。当時の僕は「バスクリン」という入浴剤は、風呂の残り湯の濁りをごまかすための薬剤だと思っていました。
農家を大きくやっている家では、汗をかくので「沸かし直し」でも毎日風呂に入るところ多かったようですが、勤め人の家は「あまり体を使わないから」週に2回というところが多かったです。
東京でひとり暮らしをしていた頃は、ずっと風呂なしのアパートだったので、飲んだくれて銭湯に行けない時の汚れはひどいものでした。長野に戻って、両親と同居するようになり、また風呂の習慣が戻って清潔になりました。しかし、いつも酔っぱらっているし、肝臓が悪くて体がだるいので、風呂にはいるのは大変面倒な作業で、親にうるさく言われるのが苦痛でたまりませんでした。独身最後の頃は、風呂の習慣も崩れて週に2〜3回ぐらいだったかもしれません。
結婚した相手は毎日入浴して、洗髪も毎日する人でした。僕は洗髪なんて週に2〜3回で十分だと思っていたのですが、温かいお湯を頭にかけると目の疲れや肩の張りが楽になるようで、毎日洗髪することになりました。いまも風呂にはいると、血の巡りが良くなって、気分が良くなり、ついつい夜更かしする原因のひとつになっています。
だいぶ前のBOX-916の記事に、「私は疲労を取るのは、睡眠、入浴、飲酒の三つしかないと思っている」という言葉がありました。僕もそうだなぁと思います。相変わらず睡眠障害もあり、飲酒も出来ない自分としては、風呂は(面倒だけれど)楽しみのひとつであります。
兄家族と母の二世帯住宅として建て直された実家の風呂は、24時間の循環風呂であります。広々と大きなその風呂をうらやましいと思うこともありますが、冬場は寒さがこたえるので、我が家のちいさなユニットバスのほうがお気に入りであります。
仕事を抜け出してスーパー銭湯でのんびり過ごしている、というお気楽なメールをもらってそんなことを考えました。
2005年05月25日(水) 放送大学 くっそー、松坂めー。(ミーティングの前後に野球中継を聞いています)。
掲示板で放送大学の話をだしてしまいました。
僕は大学中退なので、学士は持っていません。以前はそれがコンプレックスだったのですが、最近ではそれほどでもありません。
「どこの大学だったんですか?」と興味本位で聞かれることがあるのですが、「地名の付かない国立大学がふたつだけあるんですが、その片方」と言ってはぐらかしています。旧帝大でも駅弁大学でも東京六大学でもないことがわかると安心するのか、それ以上質問を重ねてくる人はいません。
宝くじの一等でもあたって、生きていくために働かなくても済むようになったら、大学にでも入り直して勉強したいなぁと思うのですが、所詮妄想であります。
もし仮にそうなったとしても、計算機学や情報数理は選ばないでしょうね。この分野は日進月歩。大学で教えているのは化石のように古い学問であるか、超数論のようにスーパーでのお買い物には全く役に立たない理論であったりします。
でも、いつかは学士を取りたいなぁという願いをつなげてくれる存在が放送大学であります。関東ではUHFで勝手に放送していますから簡単に見られますし、SkyperfecTVのチューナーだけ買って、契約しなくても見られる無料コンテンツのなかでは唯一役に立つ番組であるとも言えます(え? ショッピングチャンネルのほうが役に立つって?)。契約はしないがチューナーだけ買いたいと言ったら、電器屋の店員さんはどんな顔をするでしょうか?
我が家のケーブルテレビにも放送大学は届いております。
金銭的にも時間的にも余裕が出来たら、科目履修生になって地道に単位を取得していき、十年でも二十年でもかかって卒業する・・・という夢は夢で終わるんだろうなぁ。
たとえばおもしろそうだと思った授業をビデオに撮っておいても、ぜったい見ないですから。
ちなみに科目履修生なら入学金と1科目分の授業料をあわせて1万6千円です。入学は無試験なので、これだけのお金を払えば「国立大学生」という地位が手に入ります。JRの学生割引も受けられます。しかし、なんと言っても高価な(何万円も、何十万円もする)ソフトウェアのアカデミックディスカウントを受けられるという利点はあります。
たとえば僕が今起動しているVisual Studio .NETを新規購入すると123,900円ですが、学生証を見せるだけで24,360円にディスカウントされます。
(まあ僕の場合には小学生の娘に買いに行かせるという手もありますが・・保険証でいいんだってさ)。
携帯電話も学生割引がありますね(これは小学生はだめなんだそうです)。確定申告で勤労学生控除も受けられる・・のかなぁ。
明治政府は民主政府ではなかったけれども、お金がない中で日本中のあちこちに学校を建てて教育を普及させた。それが今の日本の土台を築たんだって話をしていたのは、司馬遼太郎だったでしょうか。
国民のほとんどが字が読めて書けるというのは、これは実はすごいことなのでしょう。
「ビッグブックと12&12を総ルビにしたらどうか」という意見を言ったら、「細部に泥濘するよりも全体をつかむことが大切」という意見をちょうだいしました。
初めてミーティングで指名されて12の伝統を読んだ時に、「われわれのリーダーは奉仕をになわされたしもべに過ぎず」と読んで訂正をされ、顔を真っ赤にしたのを今でも憶えている僕であります。
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