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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月14日(土) ビルはどう思った? AAの本に『ビルはこう思う』という書籍があります。
AAの「書籍」はほとんどが、ビル・Wの著作によるものであり、この「ビルはこう思う」という本は、いわばビルの言葉の選集といったところでしょうか。
最初は、"THE A.A. WAY OF LIFE"(AAの生き方)という書名だったのですが、その後"AS BILL SEES IT"という名前に改題されました(なぜだかは知りません)。僕は元の題名のほうが好きですが。
AS, BILL, SEE, IT ともに中学高校で習う英語で出てくる単語ですから、英語に詳しくない人でもそれなりに意味をくみ取れる題名であります。だから、「ビルはこう思う」という題名が決まった時には、「なんでそうなるの?」という疑問を持たれた人も多かったと聞きます。
僕は最初に"As Bill Sees It"という書名を見た時に思い浮かんだ日本語は「ビルの見解」でした。ちょっと堅いですね。最初に関西でNさんが「ぶどう樹」に翻訳を部分的に載せた時は「ビルの言葉」という題だったと聞きます。実は邦題は、決まるまではずいぶんと紛糾したのでありました。
最後まで残った候補のリストがあります。
・ビルはこう思う
・ビルの見方
・ビルが見たもの
・ビルのことば
・ビルの思い
どれも、甲乙つけ難しであります。
『今日を新たに』という本もあります。僕はこの邦題があまり好きではありません。現代は"DAILY REFLECTIONS"。ページの上半分にビルの書いた文章があって、ページの下半分に(たくさんの応募の中から厳選された)それぞれ別のAAメンバーの文章が載っています。つまり、AAの回復のプログラムが、それぞれのAAメンバーの心にどう映った(reflect)かであり、はたまた上と下の文章が鏡像(reflection)となっているという意味でもあります。
このreflectionという単語が、邦題に反映されていない気がして、ちょっと寂しいのであります。Reflectionを黙想とか感想とかいう意味にとれば、日々新たに熟考するという意味であるのかもしれませんが。でも、じゃあお前ならなんて訳すんだと聞かれても、なかなか良い訳は思い浮かびません。
今後出版が予定されている本は、Pass It On(手渡していくもの?)、The Language of the Heart(心の言葉?)、The Homegroup - Heartbeat of AA(ホームグループ、AAの息吹くところ?)なんかであります。
英語の得意な人は、邦題を考えてJSOに送ってあげてください。
2005年05月13日(金) ハルシオン 僕の子供の頃は、テレビドラマで自殺というと睡眠薬をたくさん飲んでというのがお決まりのシーンでした(そりゃ、飛び込みも飛び降りも首つりもあったけどさ)。
昔はバルビツール系の睡眠薬を使っていたので、大量の飲むと死に至るのでありました。
いまはベンゾなんとか系という睡眠薬が主流で、こいつはオーバードーズすれば体に良くないけれど、それだけが原因で死んでしまうということはまずないでしょう。睡眠薬自殺は昔のものになりつつあります。
アルコールを睡眠薬代わりに使っていた人は、酒をやめるとたいてい不眠になります。AAの書物の伝えるとおり、アルコールだけが問題という人の不眠は、薬など使わなくても数週間すれば自然とリズムが体に戻ってくるといいます(実際に深い睡眠が戻るまでには数ヶ月かかるといいますが)。
しかし、酒をやめはじめの数週間は、長期型の禁断症状によって、不安だとか緊張に悩まされる人も多く、そこへ不眠も重なると、ついつい昔の寝酒の習慣が出てしまうという訴えにも真実味があります。だから、精神科医が睡眠薬を処方したとしても、不思議ではありません。
おそらく一番一般的なのは、ハルシオン(トリアゾラム)ではないでしょうか?
ハルシオンは「キレがいい」と言われるぐらい寝覚めの良い薬で翌日に残りません。単純な不眠症にはよく処方される薬だと言います。効いている時間の長さで、短期型・中期型・長期型と分類される睡眠薬の中で、ハルシオンは超短期型と言われるほど効いている期間の短い薬です。
だから、飲んだらすぐに布団に入って寝てしまうと言うのが正しい使い方です。薬が効いてきて、(ちょっと酒に酔ったみたいで気持ちいいかな)なんて思って起きていると、そのうち効き目が切れてしまって眠れなくなります。そこで、「次の日の分も飲む」とか「二倍・三倍の量を飲む」ということをやり始める人がいるわけです。
本来は安全な薬だと言われますが、ハルシオンの乱用になっているケースは少なくないのでしょう。医者も「効かなくなった」と言われて安易に量を増やすのが問題だと思います。
さらにその上に酒をやめる気がない人だったりすると、電話しても昼は酒飲んで寝ていて、夜はハルシオン飲んでラリってるということになりがちで、そういうケースを量産してくれる病院もあったりして困ったものであります。
そんなわけで、ハルシオン=怖い薬という思いこみが僕の中にできあがっていたのでした。
でも、最近いろんな人の話を聞くと、ハルシオンで2年、3年と安全に過ごしている人も少なくないことを知りました。そういう人は「すぐ布団に入る」を実践しているようであり、過去の僕のように酒と一緒に飲むというようなことは決してありません。
そういう過去があるので、ハルシオンは処方してもらえずロラメット(ロルメタゼパム)を飲んでおります。
くわしいことはAAのパンフレットに譲りますが、アルコールの問題しか抱えていない人は睡眠薬に頼るのをいつかはやめたほうがいいというのがAAの姿勢であります。しかし一方で、向精神薬を必要とする病気も抱えている人が混じっているのも事実で、そういう人から処方薬を取上げる権利を持ったAAメンバーは一人もいません。AAはアマチュアの集まりであります。
処方薬というとリタリン依存という話があがります。欧米ではもう使われなくなったリタリン(塩酸メチルフェニテート)ですが、日本ではいろんな病気、とりわけ重篤なうつ病の治療薬として使われています。かなり重いうつの状態からも気分を持ち上げる効果がある薬として使う医者もいますが、依存性が高いので僕の主治医は「絶対処方しません」と言っています。でも、友人に聞くと「うつ状態でも仕事しなくちゃいけない時のために頓服でもらっている」というから医者それぞれであります。
闇では一錠数百円から数千円で取引されています。うつで休職前は、よっぽどこいつに手を出して危機を乗り切ろうかと考えたものですが、やめておきました。酒でスリップはしなかったものの、薬で入院や離婚を経験した人の話が僕にブレーキをかけてくれたのでしょう。AAの仲間のありがたいところであります。
薬の話を書き出すととめどがないので、この辺にしておきますね。
台北のコンビニで買った、台北市内地図はオークションでは売れませんでした。
2005年05月12日(木) 娘の将来 TBSのホームページの盗用問題のニュースを聞いて、(人間苦し紛れになるとなんでもやるだろうな)と思ったのは僕だけでしょうか。毎日更新しないといけないという重圧のなかで、いつかはバレると分かっていても、ついついそこらへんからネタを拾ってきてしまうのは、人間の気持ちとして分からなくもありません。
でも、新聞社でないにしても、仮にもマスコミに採用された人間なんだから、そこらへんは職上場の倫理を守ってもらわないと困るなぁという感じであります。
さて、僕には二人の娘がいますが、遺伝的には長女のほうが僕の特質をよく受け継いでいると言えます。髪の毛がストレートの剛毛であることや、国語より算数が得意であること、肩こり体質であることなどなど。お彼岸に実家に親子3人で行った時も、おばあちゃんの水虫を移されて帰ってきたのは、僕と長女で、次女は水虫にはなりませんでした。
僕は、おやつに食べるお菓子として、柿ピーだとかさきイカなどの、いわゆる「酒のおつまみ」のたぐいが好きで、いまもそうしたものを食べています。甘いもの専門の次女に比べ、長女は、(甘いものも好きだけど)イカの足だとかが好きであったりして、「こいつは将来酒を飲むようになるだろうなぁ」と親に思わせるのであります。
さて、夕方時にクロネコヤマトの宅配がやってきたので、「はて、オークションでなにか競り落としたりはしてなかったし、amazon.co.jpも慎んでるし」と思ったら、ウィルキンソンのジンジャーエールが2ダース届きました。妻は懸賞にでも当たったかと思ったそうであります。
緑色のすてきな小瓶であるので、子供たちも飲みたい飲みたいの大騒ぎであります。しかし、ウィルキンソンを飲んだことがある人ならおわかりだと思いますが、これはジンジャーが効いていて、ちょっと子供の飲めるものではありません。
でも、飲ませないことには納得しないだろうと、ひとつ瓶を開けて、コップに注いであげました。
次女は一気に飲み干して、次の瞬間、流しに水を飲みに走っていきました。
長女は、少しずつ飲むと「なんだかお腹がぽかぽかと暖かい」と、なんだか酒飲みのようなことを言うのでありました。やれやれ。
FDDドライブとblog開設のお返しとはいえ、2ダースはちょっと高かったんじゃないかな?
台北の光華商場で買ったSDRAM PC133 CL2 256MBのメモリは、オークションで2,300円で売れました。
2005年05月11日(水) Stood at the turning point 僕は最初は自分のバースディを5月6日と申告していました。それが病院を退院した日だと思っていたからです。でも、よく考えてみると退院する時に、自分で会計を済ませた記憶があります。入院していたのは県立の病院ですから、祝日は休みです。その日は振り替え休日だから、その日であるわけありません。
3月9日に入院・5月6日に退院という記憶が間違いで、3月6日に入院・5月9日に退院というのが正解でした。
ところで、AAではバースディ用に色紙を回す地域があります。時には色紙の代わりに『今日を新たに』という本をプレゼント用に用意して回し、「どうぞご自分のバースディの日付のところにメッセージを寄せてください」と言われることがあります。
『今日を新たに』をお持ちの方は5月9日の日付のページを開けてみてください。そこは文字が多くて空白が狭いページであります。メッセージを書こうとしてもとても窮屈です。同じ日付のバースディの人が先に書いてあったりすると、「いったいこのページのどこに書けばいいんだぁ」と内心叫びたくなるくらいです(ここらへんがうつ病患者的ですね)。
ある時、ある人が、退院してはじめてAAミーティングに参加した日が「自分のAAプログラムが始まった日」であり、自分のバースディです、と言っているのを聞きました。そこで僕も、退院後にホームグループのミーティングにはじめて出た5月11日をバースディにすることにしました。Daily Reflections(今日を新たに)も11日のページは広々としていて、この日付は僕のお気に入りであります。
バースディとは別に僕は「自分のAAプログラムが始まった日」として印象に残っている日付があります。3月6日の入院直後から焦っていた僕は、僕は医者に「退院させろ」「転院させろ」とうるさく詰め寄っていたのですが、医者はまったくとりあってくれませんでした。そこで作戦を変えて、「病院からAAに通わせろ。そのためには自動車が必要だから、家から持ってくることを認めろ」という要求に変えました。
精神病院に入院中の患者に車を運転させるのさえとんでもない話である上に、しかも帰りは消灯後だという「病院始まって以来の破天荒な要求」を僕は押し通しました。
自宅に車を取りに行く許可が出たのが、入院2週間後の3月20日でした。車を取りに帰るついでに、AAミーティングに出てくる予定でした。しかし、JRの乗り継ぎに予想より時間がかかってしまって、予定よりはるかに遅れ、ミーティング会場に着いたのは午後8時59分でした。
いつもだったら、まだミーティングが続いていてもおかしくない時間でしたが、その日はたまたま参加者が少なかったのか、時間が早く終わったらしく、もう誰もいませんでした。
会場の教会の前の駐車場に車を駐め、僕はセブンスターに火をつけると、それを根本まで吸い終わるまでひとつのことを念じていました。
(ミーティングには間に合わなかったかもしれない。でも、僕はここまで来る努力をしたんだ。それは間違いない。今日から僕のAAプログラムが始まるんだ。今日を僕のターニングポイントの入り口にするんだ。誰も見ていないし、証人もいない。でも今日から始まったんだ。それだけは確かなんだ)
誰も見ていなかったかもしれませんが、きっと僕のハイヤーパワーは僕を見守っていてくれたのでしょう。いまでも僕は、相も変わらず、ターニングポイントを回り続けているのであります。
(この話はもう少しボリュームをふくらませて、個人の体験記に収録するかもしれません)
2005年05月10日(火) 結核? 前の会社では、毎年4月の時期に健康診断をしていました。
市の医師会のやっている検査の費用を会社が負担してくれたのでした。品目は、身長・体重・視力・聴力・血液検査・胸部レントゲン・血圧・問診・聴診・尿検査・心電図でありました。
酒のやめはじめの頃は、なかなかGOTが下がらなくて、血液の結果にはいつも印がついていました。それもやがては正常値に戻り、たばこもやめた僕は、健康診断ではいつも「A=健康体」を維持していたのでありました。
いまの会社に雇用される前に、健康診断を受けてくるように言われて、同じメニューの健康診断を昨年秋に受けました。これが僕の受けた最後の健康診断であります。
1月に通院している精神科医のクリニックで血液検査を受けた時に、異常値が多くてそれで休職となりました。4月には会社の健康診断が行われたはずですが、休職中の人間にはお声はかかりませんでした。
今週になって、いきなり義父から「レントゲンを撮るかね?」と聞かれたので、何のことかと思ったのですが、市の事業で結核の検査をしてくれるのだそうです。といっても、胸部のレントゲン撮影をしてくれるだけなんですが、30才以上なら無料なので参加しました。朝早起きなのでつらかったです。
結核予防法というのがあって、その一環としてやっているのだそうです。
3月に風邪をうつされて、4月になってもよくならず、ぜほぜほやっていたので、仕方なく内科医に通って抗生物質と咳止めを出してもらって、なんとか4月下旬には症状が落ち着きました。しかし、台湾に行って疲れてきたのか、一気に症状がぶり返して、咳も出ますし、痰も出ます。
(こいつは、ひょっとすると結核かもしれないなぁ)と自分でも思うのであります。
AAメンバーの中には結核持ちが結構います。普段肉体的に健康で免疫系が強力な時には、結核に感染していても、菌はおとなしくしていて症状は何もありません。でも、体力が弱るといきなりぜほぜほやり始めるのであります。
感染していても免疫が働いていて発病しないというのは、たとえば水虫の白癬菌だとか、胃潰瘍のヘリコバクター・ピロリ菌とかと似ているかもしれません。
まあ水虫やピロリは通院でも除菌できますが、結核菌の除菌には入院が必要なのだとか(だからみんな分かっていても除菌しない)。
「痰の検査もするか」と聞かれたので頼んでおきました。はたして僕も結核持ちの仲間入りをしてしまうのか、単に不養生が続いて風邪が治らないだけなのか、いずれ明らかになるでしょう。
2005年05月09日(月) AAの薫り 掲示板でLUNAさんから、台北のAAも同じAAの薫りがしたのではないかというお話がありました。
「そのとおりであります」
言葉は通じなくて、何を言っているのかさっぱりわからなくても、そこにいるのは見慣れたアル中さんたちでありました。
「そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった」
のであります。なにがそうだと思っていたかというと、たぶん同じ雰囲気がするだろうと思っていったのであります。そしてその通りであったからです。
日本での経験で、たとえばAAのオープンスピーカーズとか委員会とかに参加するとします。駅から歩いて会場まで歩いていきます。すると、(この人はAAメンバーじゃないのかな)という感じの人が前や後ろを歩いていたりします。
そうすると、だいたい3分の2ぐらいの確率で、その人はAAの会場へと一緒にたどりつくのであります。
年寄り、若い、男、女、ソブラエティの短い、長い、もろもろに関係なく、AAメンバーがまとっている雰囲気があります。いや、もっと広げると、それはアルコール依存症という病気のもたらす何かのオーラのようなものなのかもしれません。
ひょっとしたらそれは、依存症でない普通の人には分からないのかもしれません。
なんとなくそれに「スピリチャリティ(霊性)」という言葉を使ってみたい気もしますが、あんまり自信がありません。
都会のミーティングに出てきたという仲間の話を聞いて、それから掲示板の記事を思い出して、なんとなくそんなことを考えた次第です。
2005年05月08日(日) My Name is Bill W. JSOで所長から Drunk という映画の話をうかがったので探していたら、途中で見つけたのが "My Name is Bill W." というテレビ映画でした。1989年のもので、ビル・ウィルソンの伝記みたいな内容のようです(想像)。飲んでいた20代から、AAの発展を見るまでを追っている(ようです)。
アマゾンの価格は2,191円というから決して高価なものではありません。が、問題は在庫がないということであります。
中古品(マーケットプレイス)の値段はなんと14,800円。足下見てるなー。
ではアメリカのamazon.comはどうかと探してみると、こちらはもちろん在庫切れ。でも中古品の値段は良品で30ドル台です。しかしよく考えてみると、字幕なしのものに、いまそれだけの値段を出すだけの価値があるかどうか・・・。
でも、古本道の先輩から「見つけたときに買っておかないと、後からいってももうないよ」という格言をいただいているからなー・・・。
掲示板のほうにも書きましたが、10年20年たつと、新刊は出版社の在庫からも消えます。(いや最近は本の2〜3年で消えるか)。以前は、そうした絶版本は、ものによっては低下の何十倍もの価値をつけたものです。
いまでも、そうした稀覯本のたぐいがなくなったわけではありません。
でも、インターネット古書店の登場で、たいていの絶版本も根気よく探せば、そこそこの値段で手にはいるようになりました。マット・スカダーの活躍も追えるというものです。
一方で、コレクターズアイテムの値段はあがるばかりであります。
物欲に流される前に、「それが本当に自分が欲しいものであるかどうか」見きわめる力が必要とされているのでありましょう。
特定のキーワードを入力しておくと、番組表からそのキーワードが含まれる番組を勝手に録画してくれるというソフトがあります。とりあえずそれに「マイ・ネーム・イズ・ビル」という単語を登録したのでありました。
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