心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月07日(土) タイヤ交換・お祭り・ノートPC

実家では田植えが行われているようですが、体調が悪いので今回は休ませてもらいました。

といいながら、うつ病には「頭を使わずに体を使う作業がよい」という言葉に従って、スタッドレスタイヤの交換をしました(今頃かよ)。4月でも悪天候の夜は峠路が凍ることがあります。というのは理由づけで、単に面倒くさいから先延ばししていただけですが。

タイヤの保管場所が車庫の天井というのが難点でありまして、20キロ以上はあるであろうタイヤを上げ下げするだけでうんざりしてしまいます。

午後には母から電話があって、田植えは無事終わったという話でした。いまは自家消費分だけ作業して、あとの田んぼは農協に代理耕作を頼んでいるので、それほど大変な作業でもなくなりました(だから僕が行かなくてもそんなに大変じゃないんだよと自分に言い訳)。

義母と話をしていたら、「太ったわねー」と言われました。義母は一番太っている人であります。僕もそのお仲間入りをしてしまったというわけです。そこまでは笑い話だったのですが、「毎日食っちゃ寝しているから太ったでしょ」と言われて、(そいつは因果関係が逆だ。ストレスで過食?で太ったのが原因でドクターストップがかかったのに。いまは少しずつでも痩せているのに)と思ったものの、心の中にしまっておきました。

夕方から近くの神社のお祭りに子供と行きました。毎年この週末は田植えにでかけており、実家で夕食をごちそうになるのが好例だったので、このお祭りに参加するのは初めてであります。
僕は金魚すくいに挑戦したのですが、取れたのは弱った金魚一匹であり、その夜のうちにご臨終してしまいました。子供たちもそれぞれ1回ずつやって、おまけの金魚を合計3匹連れて帰りました。
その金魚はメダカの水槽に同居しております。ちなみに3匹いたメダカは、えさをやり忘れたら共食いしたらしく、いつのまにか一匹になってしまっています。

ノートパソコンのジャンク品が届いたので、2台のノートパソコンをバラして1台を組み上げました。無事Windowsが立ち上がって良かったと思ったのもつかの間、CD-ROMが動いていない(ドライブは動いているけどWindowsもBIOSも認識しない)ことが判明しました。分解と組み立ての作業を明け方まで繰り返したものの、結局できあがったのはCD-ROMのないノートPCでした。座って作業を続けたせいで腰が痛くなってしまいました。
ネットで調べてみると、この機種はCD-ROMを認識しないトラブルが多いのだとか。
ジャンク品あさりはまだ続くのであります。


2005年05月06日(金) 遺伝病?

すっかり風邪が悪くなってしまいました。
電話してくる人みなに、「鼻声ですね」と言われます。

精神病院にて同室に入院していた人から電話がありました。毎年この時期(退院した時期)とお正月前後に話すぐらいで、あまりつきあいもないのですが、久しぶりに話すのは楽しいものであります。
あのとき一緒に入院していた人たちの中で、その後なんとか無事にやっているのは、この人と僕、それから同じ盆地の中で断酒会の会長をしている人の3人だけになってしまいました。(もちろん、再入院の後にソーバーになった人は何人もいますが)。
断酒会はやめてしまわれたそうですが、病院の組織した自助グループ(?)とは関係を持っているそうであります。
病院は南信、僕は中信と、信州の中でも違う場所なので、あのとき一緒に入院していた人のその後について僕は詳しくありません。が、地元であるこの人の話では、すでに多くの人が鬼門に入られたとか。飲んでいるアル中の平均寿命は52才とも55才とも言いますから、当たり前かもしれません。

ジジとババだけの生活に、ゴールデンウィークということで、子供や孫が訪れて大酒を飲むと明るい声で話されたので、「アルコール依存症の人の子供は、他の子より4倍依存症になりやすい」という研究結果の話をして冷やかしてしまいました。僕も人が悪いです。
(ちなみにアルコール依存症の親のところへ養子に行っても、それほど依存症になりやすくはならないそうですから、依存症が子供の頃の家庭環境の問題が原因であるとする説は弱いです)。

親がアルコール依存症という人は、機会的飲酒をするならともかく、ストレス解消のために習慣的に酒を飲むのは避けた方が絶対に無難です。アメリカでは3代続けてAAメンバーというのも珍しくない話だとか。

糖尿病は遺伝病ではないですが、親戚に一人も糖尿病の人がいない人は滅多に糖尿病にはならないものです。逆に身内に糖尿病の人がいる人が、暴飲暴食をすると糖尿病になりやすいわけで、「なりやすい体質」+「環境や行動」のふたつが組み合わさって発病するわけです。

鬱病も「なりやすい体質」+「環境や行動」であり、依存症もまた同じであります。ただアルコール依存症は、「4倍しか違わない」という点で「誰でもなりうる病気」であるとも言えます。

使っていなかったPentium 90MHzのノートPCに急遽Windows 98SEをインストール中。


2005年05月05日(木) ノートパソコン破壊

やっちまったー。

WindowsXPを入れるのに4GBのハードディスク(HDD)では容量が小さすぎるだろうと、HDDの交換を思いつきました。10GBのHDDが僕のWindows95ノートに使われているのですが、さすがにWin95で10GBは使いきりません。そこで、この10GBのをXP用に、4GBを95用に交換することにしました。

ノートパソコンも分解するのは割と簡単であります。昔のゴツいのは、手順も複雑だったんですが、最近のは製造工程を簡単にしてコストを安くするために、バラすのも組むのも簡単にできるようになっています。

で、Sotecのノートの分解を始めました。
ノートパソコンがハマグリのようにぱっくりと口を開けます。
がしかし、ハードディスクを固定しているベゼルは、どうしてもキーボードを取り外してからでないと外れそうにありません。であるものの、キーボードの外し方がなかなかわからないのです。
ここらへんで、注意深く作業を進めれば良かったのですが、作業を依頼した当人である妻は、隣で高いびきをかきながら昼寝中であります。なんとなくイラついた僕は、力業にでることにしました。「バキバキ」。

ノートパソコンと液晶ディスプレイの間は、たいていフレキの線でつながれています。これは折れやすいので、どちら側かで取り外せるようになっているものです。このフレキを切らないように、ちゃんと取り外してから作業すれば良かったのですが、ついつい面倒くさがってそのまま作業した結果、さきほどの力業の時にぶっちぎってしまいました。

ノートパソコンは起動するものの、液晶ディスプレイには何も表示されません。
メーカーの修理受付に電話して、明日取りに来てもらうことになりました。修理見積もりまでに一週間、それから修理に一週間。もし見積もりだけで修理しなくても、手数料が最低1万7千円。

どうせだからと、ハードディスクの交換は続行しました。なんとかバラし方のコツがつかめたのがもう夕方。CRTをつなげば映るので、リカバリーCDから、Win98と一太郎をインストールして「これで修理代が2〜3万ですむなら高い勉強代だと思って諦めよう」そう思いました。

しかしそこで変な色気を出してしまいました。「フレキの基盤をセロテープでつないでみたら、液晶も映るんじゃないか・・・」

30分後、起動すらしなくなったノートパソコンを前に呆然とする自分がいました。
メインボードまで交換になったら、修理費はいったい何万円になるのか・・・。

冷静になるのに何時間かかかりましたが、同じものをオークションで競り落とせば数千円であります。買うのであれば、売ってバランスをとらねばなりません。こうして台湾行きですこし中断していたオークション熱が再発しそうであります。

ちなみに、水で洗ったウルトラベースは相変わらず不調のままであります。

フィリップの法則:「四輪駆動は、普通の車より救出が困難な場所で立ち往生する」


2005年05月04日(水) 疲労

月曜・火曜と自分では元気なつもりでしたが、今日(水曜)になって一気に疲れがでてきました。

ひとつには胃腸の疲れでありまして、お腹を下しております。ちょっとウツっぽいけれど、これはメンタルな面よりも、体調によるもののほうが大きいのでしょう。

子供たちはPHSやら、パソコンソフトやら、新しい「おもちゃ」が増えたので、それらに夢中であります。パソコンのセキュリティ設定は厳しめにしてあるので、ActiveXコントロールなんかが実行できません。そのたびにソフトが止まってしまうので、呼ばれる羽目になります。いっそのこと、もう一台ぐらいCD-ROMのついたノートPCがあったらいいんじゃないかと考えるのですが・・・(ため息)。

『親父の小言』を眺めたりしながら横になっているうちに夕方になりました。
疲れているから、正直言ってAAミーティングを休みたい気分であります。しかし、手元にはBOX-916(AAの月刊誌)があって、これを届けないと予定通りBOXを使ったミーティングができません。
そんなわけで、重い体を引きずってミーティング会場に行ったわけです。

疲れているのは顔で分かるそうであります。でも、ミーティングが終わると、心が軽くなって、顔も明るくなってきます。それも見れば分かるそうであります。

実家によって、母に台北の話をしました。おみやげは買ってこない約束だったので、それは問題なかったのですが、「明日、前の会社の社長さんに資料を返しに行く」と言ったら、「お礼に台湾でおみやげを買ってくれば良かったのに」と言われました。
言われてみればそうであります。まあ、ジャスコの菓子折かなにかでごまかすしかないでしょう。
でも、さすがにそこら辺は親は人生の経験が豊富であるな関心してしまいました。まあ、『親父の小言』なんか読んでいたせいかもしれませんが・・・。

妻が自分のノートパソコンの調子が悪いのは、Windowsが98なんて古いバージョンが入っているからだと言って「XPをインストールしろ」と迫られました。女は感情の動物であります。「ハードウェアとOSにはバランスというものがあって、2000年に買ったこのPCには98がもっともふさわしい」というような理屈が通じるわけもありません。
とりあえず今夜は勘弁してもらいましたが、明日はそんな作業でつぶれそうです。

台北に行くに際し、僕のThinkPadにはウルトラベース(ドッキングステーションと呼んでもいいし、クレードルと呼んでもいいし、台座と呼んでもいいです)を装着していきました。DVD-ROMドライブを仕事で使う可能性があったからです。
でも、仕事が終わってしまえば、台座がついているのはじゃまなだけです。だから、それは外して鞄の着替えの奥へとしまい込んで日本へ帰ってきたのでした。
荷物を開けて驚いたのは、ボディーソープのキャップがゆるんでいて、ウルトラベースがボディーソープだらけになっていたことです。ティッシュで拭いて、ウェットティッシュでぬぐったんですが、泡が出るばかりでぬるぬるが取れません。

試しに本体のPCを装着してみるとピーピーとうるさい警告音が鳴ります。おそらく接触不良なんでしょう。これじゃ使い物になりません。

どうせ新しいのを買わなければならないのなら、その前にひとつ試してみたいことがありました。「水で丸洗い」です。

まえに、テレビで「調子の悪い家電製品を水で丸洗いすることで修理してしまう名人」を見たことがあります。電気製品の水をかけるのは御法度であるのですが、それは通電状態での話(ショートしちゃうからね)。水で洗ってキレイにして、それを完全に乾かす手段は、理屈にあっています。

で、さっそく実行しました。電源もDVDドライブもじゃぶじゃぶ水をかけました。5月の太陽の光の下で乾かして、さきほど電源を入れてみたら、無事直っていました。ラッキー。だからといって、調子の悪いパソコンを水で洗うようにはお勧めしませんが。


2005年05月03日(火) スクリプト・キディ対策

1月くらいからでしょうか、ホームページに対して変なアクセスが見られるようになりました。
ホームページだけで、他のページにアクセスする様子はありません。アクセス元のIPアドレスは、日本ではなくて海外のあっちこっちに漫然と散らばっています。ただなんとなくプロキシーサーバーっぽいところが多いなあという感じは受けます。いわゆる「匿名串」というところをランダムに使っている感じです。

リファラー(アクセス元)には、xxxとかpussyとかいう単語が入った海外のアダルトサイトが入っています。もちろんそんなサイトが「心の家路」にリンクを張ってくれているわけではありません。
User Agentもそれっぽいブラウザー名をランダムに選んでいる感じです。

いわゆる「いたずら」なんでしょうが、www.ieji.orgが集中攻撃を食らっているかというと、そういう感じでもありません。数で言えば一日に10〜20くらいです。www.ieji.orgを収容しているサーバーには実は600以上のドメインが収容されているので、どこか他のドメインに対する攻撃のとばっちりを受けているんじゃないかというのが、僕の予想です。

副作用としては、毎日のアクセス数が10〜20ぐらい水増しされてしまう(スクリプト・キディも訪問者と言えなくはないと思うけど)のと、毎月の統計のリファラーランク上位にアダルトサイトが並んでしまうことぐらいでしょうか。

対策なんていつだってできるさ、と思いながら、先延ばしの天才は今日まで解決を先延ばしにしてきました。これからはアクセス数が実数(?)に戻るので、すこし数が減ると思います。あと連休中なんかは数が減るんですよね。皆さん会社からアクセスされる人が多いのかな(あと大学とか)。以前はお昼休みにアクセスのピークがあったんだけど、今は朝9時台に山があるんですよ。始業早々に「日々雑記」とかを読まれるのでしょうか?

昨日19万円の教材を買った妻が、今日はクーリングオフのはがきを書いています。こちらが妙に騒いで刺激しなければ、落ち着いて冷静な判断が下せるのでありましょう。辛抱して待つということの大切さを教えられております。はがきだと不達のおそれもあるので、FAXでも送っておきました。

その教材の代わりに、電器店で小学生向けの学習ソフトを買ってきました。妻のパソコンを姉妹で取り合ってけんかになるので、しかたなく僕のノートPCを提供しました。ただ、肌色動画とかも入っているので、運用には十分注意しなければいけないのであります。

体の疲れがとれないので、夕方まで昼寝しました。
そして新しくできた会場(新設じゃなくて移転だけど)へ顔を出しました。
帰り道に仲間とメールのやりとりをしているうちに、内容がだんだん辛辣になっていってしまって、「あなたの性格的欠点が」などというメールを送ってしまいました。そんなメールを送るほうに性格的欠点があるのは自明であります。
でも、性格的欠点は自分で直すものじゃなくて、神様が取り除いてくれるものだから、無理して怒りを抑え込んでうつになってみたりするのは愚かしいことかもしれません。

憎たらしかろうが、気に入らなかろうが、つきあって行かざるを得ない。それがAAの仲間のいいところであるのでありましょう。


2005年05月02日(月) 遠方より来たる

昨夕の特急しなのの中で電話をもらい、電波状態が悪かったので、帰宅したら折り返しこちらからかけるという約束をして切りました。でも、帰宅したらすっかりそんなことは忘れてしまいました。
だから、今朝早く(=9時)から電話でたたき起こされたとしても、それは自分が悪いのであります。その電話は、ミーティングに参加者が増えることを予告していました。

電話を切ってからお昼まで寝ました。その間に、妻が訪問販売業者と19万円の小学生向け教材の契約を結んでしまいました。「僕は反対だ」という意見は言ってみたものの、彼女が「自分の貯金から払う」と言われるとそれ以上抗弁できません。結婚前に彼女が形成した財産は、彼女の専有物であります。一方飲んだくれの自分には、結婚前に財産などなにもありはしませんでした。

さて、足が水虫であるにもかかわらず、僕は台北にいる間中、靴下と革靴を履いていました。毎日薬を塗っていたものの、高温多湿の条件は白癬菌に味方したようです。長女と一緒に皮膚科に行きましたが、医者は僕の足を見るなり「困った足だね」と言いました。一ヶ月かけて改善してきた症状が、後戻りどころか、最初より悪くなっています。
抗生物質を毎日一粒飲むことになりました。

さて台湾で活躍してくれたPHSですが、いつもだったらここでPCカード型のに戻してしまうのですが、長女がそろそろ携帯電話を持ちたいというので、音声電話のままにして普段は彼女に持っていてもらうことにしました。毎月千円の出費増になりますが、まあ安心料というところでしょうか。
ちなみに、番号は070-XXXX-YYWZという覚えやすいパターンであります。

体はだるかったのですが、いつもどおり月曜のミーティングに出かけることにしました。
東京で顔見知りになったKさんというAAメンバーがいるので驚いてしまいましたが、実家が長野で帰省のついでだそうです。長野のミーティングには初参加なのだとか。

アフターミーティングのお誘いがあったので、ファミレスで11時近くまでお茶してしまいました。彼は仕事をしていて、奥さんがいて、子供もいて、ステップもまめにやっていて、AAのことに熱心で、僕はひとつの理想像として彼をとらえている部分があります。そういう部分を抜きにしても、AAのことに熱心に取り組んでいる人と話をするのは楽しいものであります。
(誰がミーティングに来たとか来なかったとか、そういう話は書かないんだけど、今日は特別ね)。

いろいろ試みたいことはあるものの、いまは体を休めることが一番優先でしょうね。
(とは言いつつも、明日もミーティングに行く予定)。


2005年05月01日(日) 台北(長野へ)

朝はチェックアウトのために、こちらの会社のSさんがわざわざ来てくれました。
こちらの会社では、社長と副社長とSさんの3人が英語を話すことができます。本来Sさんは経理の人なのですが、外国からの人間の応対をするうちに社内のこと全般に詳しくなって、社内での地位も向上したようであります。

台北にはFM100という英語の放送局があって、ニュースや天気予報、歌などを英語で流しています。Sさんの車に乗せられていると、うすらぼんやりと世界情勢がわかります。そして、台湾にとって日本がさして重要な国でないことも理解できます。(ちょうど野党の人物が大陸を訪れている時期でもありました)。

松山機場という国内線の空港に連れて行かれ、そこで国際空港へのバスに乗せられました。バス代はタクシー代の10分の1であります。

おみやげは買わない予定でしたが、子供用にTシャツを買いました。ラウンジのPCで「心の家路」にアクセスしてみました。英語版のWindowsでしたが、ちゃんと日本語も表示できて、日本語IMEも使えました。どの言語のWindowsを買っても、他の言語が使えるというWolrd Wide Binaryという考え方は、もっと評価されてしかるべきだと思うのであります。

なるべく現地通貨を残さないように両替して、小銭はユニセフの袋に入れました。そういえば、昨夜のAAミーティングでは、献金箱もなく、献金袋が回ってくることもなく、ミーティング終了後に会計係が集金していました。100元札を出したら、「ひとり50えん」と言われておつりを返されてしまいました。

僕は飛行機でも列車でも、窓側より通路側の席を好みます。トイレに行くのに人にどいてもらわなくてすむし、アテンダントや販売員に声をかけやすいからです。でも、たまにはと思って窓側の席にしてもらいました。でも、途中は空が見えるばかりで、特段おもしろい見物はありませんでした。

飛行機が遅れることも考えて、特急の最終便を予約していたのですが、定刻通りについたので2時間以上名古屋で時間が余りました。みどりの窓口の長い列に並んでいたら、「列車の変更は自動券売機でできます」と駅員が教えてくれました。便利じゃないかJR東海。JR東日本もそうなっているのかな? おかげで、2時間待たずにすみました。

長野は雨が降っていて寒かったです。旅の間じゅう鞄の中に入っていたトレーナーを出して着ました。JRの窓口では、全身黒ずくめの少女が「新宿まで一番安い切符をください」と駅員に言っていました。家出少女じゃないかと心配になってきます。

台湾のガイドブックには「80年代以降急速な経済発展を遂げた台湾では、女性の働く場所も増えて売春宿は消えた」と書いてありました。でも、豊かなはずの日本でも歌舞伎町や吉原があります。暴力団員に捕まった中学生の家出少女が、二週間で20人の客を取らされていたという新聞記事もありました。台北でも「男性理髪店」という大きな看板を掲げながら、なぜか昼間は閉まっている店がたくさんありました。

帰宅すると、社会保険事務所から「傷病手当不支給決定の通知」が届いていました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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