心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月03日(火) スクリプト・キディ対策

1月くらいからでしょうか、ホームページに対して変なアクセスが見られるようになりました。
ホームページだけで、他のページにアクセスする様子はありません。アクセス元のIPアドレスは、日本ではなくて海外のあっちこっちに漫然と散らばっています。ただなんとなくプロキシーサーバーっぽいところが多いなあという感じは受けます。いわゆる「匿名串」というところをランダムに使っている感じです。

リファラー(アクセス元)には、xxxとかpussyとかいう単語が入った海外のアダルトサイトが入っています。もちろんそんなサイトが「心の家路」にリンクを張ってくれているわけではありません。
User Agentもそれっぽいブラウザー名をランダムに選んでいる感じです。

いわゆる「いたずら」なんでしょうが、www.ieji.orgが集中攻撃を食らっているかというと、そういう感じでもありません。数で言えば一日に10〜20くらいです。www.ieji.orgを収容しているサーバーには実は600以上のドメインが収容されているので、どこか他のドメインに対する攻撃のとばっちりを受けているんじゃないかというのが、僕の予想です。

副作用としては、毎日のアクセス数が10〜20ぐらい水増しされてしまう(スクリプト・キディも訪問者と言えなくはないと思うけど)のと、毎月の統計のリファラーランク上位にアダルトサイトが並んでしまうことぐらいでしょうか。

対策なんていつだってできるさ、と思いながら、先延ばしの天才は今日まで解決を先延ばしにしてきました。これからはアクセス数が実数(?)に戻るので、すこし数が減ると思います。あと連休中なんかは数が減るんですよね。皆さん会社からアクセスされる人が多いのかな(あと大学とか)。以前はお昼休みにアクセスのピークがあったんだけど、今は朝9時台に山があるんですよ。始業早々に「日々雑記」とかを読まれるのでしょうか?

昨日19万円の教材を買った妻が、今日はクーリングオフのはがきを書いています。こちらが妙に騒いで刺激しなければ、落ち着いて冷静な判断が下せるのでありましょう。辛抱して待つということの大切さを教えられております。はがきだと不達のおそれもあるので、FAXでも送っておきました。

その教材の代わりに、電器店で小学生向けの学習ソフトを買ってきました。妻のパソコンを姉妹で取り合ってけんかになるので、しかたなく僕のノートPCを提供しました。ただ、肌色動画とかも入っているので、運用には十分注意しなければいけないのであります。

体の疲れがとれないので、夕方まで昼寝しました。
そして新しくできた会場(新設じゃなくて移転だけど)へ顔を出しました。
帰り道に仲間とメールのやりとりをしているうちに、内容がだんだん辛辣になっていってしまって、「あなたの性格的欠点が」などというメールを送ってしまいました。そんなメールを送るほうに性格的欠点があるのは自明であります。
でも、性格的欠点は自分で直すものじゃなくて、神様が取り除いてくれるものだから、無理して怒りを抑え込んでうつになってみたりするのは愚かしいことかもしれません。

憎たらしかろうが、気に入らなかろうが、つきあって行かざるを得ない。それがAAの仲間のいいところであるのでありましょう。


2005年05月02日(月) 遠方より来たる

昨夕の特急しなのの中で電話をもらい、電波状態が悪かったので、帰宅したら折り返しこちらからかけるという約束をして切りました。でも、帰宅したらすっかりそんなことは忘れてしまいました。
だから、今朝早く(=9時)から電話でたたき起こされたとしても、それは自分が悪いのであります。その電話は、ミーティングに参加者が増えることを予告していました。

電話を切ってからお昼まで寝ました。その間に、妻が訪問販売業者と19万円の小学生向け教材の契約を結んでしまいました。「僕は反対だ」という意見は言ってみたものの、彼女が「自分の貯金から払う」と言われるとそれ以上抗弁できません。結婚前に彼女が形成した財産は、彼女の専有物であります。一方飲んだくれの自分には、結婚前に財産などなにもありはしませんでした。

さて、足が水虫であるにもかかわらず、僕は台北にいる間中、靴下と革靴を履いていました。毎日薬を塗っていたものの、高温多湿の条件は白癬菌に味方したようです。長女と一緒に皮膚科に行きましたが、医者は僕の足を見るなり「困った足だね」と言いました。一ヶ月かけて改善してきた症状が、後戻りどころか、最初より悪くなっています。
抗生物質を毎日一粒飲むことになりました。

さて台湾で活躍してくれたPHSですが、いつもだったらここでPCカード型のに戻してしまうのですが、長女がそろそろ携帯電話を持ちたいというので、音声電話のままにして普段は彼女に持っていてもらうことにしました。毎月千円の出費増になりますが、まあ安心料というところでしょうか。
ちなみに、番号は070-XXXX-YYWZという覚えやすいパターンであります。

体はだるかったのですが、いつもどおり月曜のミーティングに出かけることにしました。
東京で顔見知りになったKさんというAAメンバーがいるので驚いてしまいましたが、実家が長野で帰省のついでだそうです。長野のミーティングには初参加なのだとか。

アフターミーティングのお誘いがあったので、ファミレスで11時近くまでお茶してしまいました。彼は仕事をしていて、奥さんがいて、子供もいて、ステップもまめにやっていて、AAのことに熱心で、僕はひとつの理想像として彼をとらえている部分があります。そういう部分を抜きにしても、AAのことに熱心に取り組んでいる人と話をするのは楽しいものであります。
(誰がミーティングに来たとか来なかったとか、そういう話は書かないんだけど、今日は特別ね)。

いろいろ試みたいことはあるものの、いまは体を休めることが一番優先でしょうね。
(とは言いつつも、明日もミーティングに行く予定)。


2005年05月01日(日) 台北(長野へ)

朝はチェックアウトのために、こちらの会社のSさんがわざわざ来てくれました。
こちらの会社では、社長と副社長とSさんの3人が英語を話すことができます。本来Sさんは経理の人なのですが、外国からの人間の応対をするうちに社内のこと全般に詳しくなって、社内での地位も向上したようであります。

台北にはFM100という英語の放送局があって、ニュースや天気予報、歌などを英語で流しています。Sさんの車に乗せられていると、うすらぼんやりと世界情勢がわかります。そして、台湾にとって日本がさして重要な国でないことも理解できます。(ちょうど野党の人物が大陸を訪れている時期でもありました)。

松山機場という国内線の空港に連れて行かれ、そこで国際空港へのバスに乗せられました。バス代はタクシー代の10分の1であります。

おみやげは買わない予定でしたが、子供用にTシャツを買いました。ラウンジのPCで「心の家路」にアクセスしてみました。英語版のWindowsでしたが、ちゃんと日本語も表示できて、日本語IMEも使えました。どの言語のWindowsを買っても、他の言語が使えるというWolrd Wide Binaryという考え方は、もっと評価されてしかるべきだと思うのであります。

なるべく現地通貨を残さないように両替して、小銭はユニセフの袋に入れました。そういえば、昨夜のAAミーティングでは、献金箱もなく、献金袋が回ってくることもなく、ミーティング終了後に会計係が集金していました。100元札を出したら、「ひとり50えん」と言われておつりを返されてしまいました。

僕は飛行機でも列車でも、窓側より通路側の席を好みます。トイレに行くのに人にどいてもらわなくてすむし、アテンダントや販売員に声をかけやすいからです。でも、たまにはと思って窓側の席にしてもらいました。でも、途中は空が見えるばかりで、特段おもしろい見物はありませんでした。

飛行機が遅れることも考えて、特急の最終便を予約していたのですが、定刻通りについたので2時間以上名古屋で時間が余りました。みどりの窓口の長い列に並んでいたら、「列車の変更は自動券売機でできます」と駅員が教えてくれました。便利じゃないかJR東海。JR東日本もそうなっているのかな? おかげで、2時間待たずにすみました。

長野は雨が降っていて寒かったです。旅の間じゅう鞄の中に入っていたトレーナーを出して着ました。JRの窓口では、全身黒ずくめの少女が「新宿まで一番安い切符をください」と駅員に言っていました。家出少女じゃないかと心配になってきます。

台湾のガイドブックには「80年代以降急速な経済発展を遂げた台湾では、女性の働く場所も増えて売春宿は消えた」と書いてありました。でも、豊かなはずの日本でも歌舞伎町や吉原があります。暴力団員に捕まった中学生の家出少女が、二週間で20人の客を取らされていたという新聞記事もありました。台北でも「男性理髪店」という大きな看板を掲げながら、なぜか昼間は閉まっている店がたくさんありました。

帰宅すると、社会保険事務所から「傷病手当不支給決定の通知」が届いていました。


2005年04月30日(土) 台北(その3)

9時半まで寝ていました。ホテルの屋上で朝食を食べていると、隣の小学校から拡声器の音楽が聞こえてきます。覗いてみたら、校庭でダンスをしていました。運動会なのでしょうね、土曜日だし。この運動会という文化も日本が持ち込んだものなのかもしれません。

今回あいだに入ってくれた商社の人が、偶然台北に寄ったそうで、昼飯に飲茶をおごってくれました。こういう恩を受けるので、今回みたいな無理な話も断りにくいのであります。明日は香港で、あさっては東京だそうです。人と人をつなぐ商売も大変だなと思います。

今夜泊まるホテルに荷物を預けて、歩いて行天宮という(三国志の)関羽をまつったお寺に行きました。自分は観光だけれど、参拝している人たちは敬虔です。こういう雰囲気だと、なかなかカメラを出して写真を撮る勇気がでません(撮ったけど)。
そのあとは、目的もなしに適当に路地裏に紛れ込んでみました。押井守が映画「攻殻機動隊」で描いた架空の未来の日本は、表記言語に漢字だけが使われています。まさにその世界に紛れ込んだみたいに、漢字だけの世界をさまよってみました。市場に紛れ込んでみたり、公園で老人が麻雀を打っているのを覗き込んでみたり・・・。

ホテルにチェックインして、シャワーを浴びてコンビニまで買い物にでました。途中で露店街があったので寄ってみました。海産物を売っている隣で女性の下着を売っていたりします。生臭い臭いと流行が混じり合っている不思議な世界であります。
某メーリングリストでドリアンの話がでていたので、露店で売っているのを買ってみることにしました。まるまる一個買っても包丁もないので、中身だけ売っている店で、最小限の量だけ買いました。一切れで90元というのはぼられている気もしましたが、札しか持っていなくてどうせおつりをもらわないといけないので値切りませんでした。

一口食べてみて「プロパンガスの臭い」が鼻についてはき出してしまいました。ゴミ箱に入れておいても臭うのでトイレに流してしまいましたが、入れ物の袋だけでバスルームがLPガス臭いです。まあ、日本人観光客相手に中身の腐った果物を売っている店もあるので、ひょっとしたらそういうのにひっかかったのかもしれません(前回は黴びたマンゴスチンを買ってしまったのでした)。

夕方まで寝ました。AA会場の病院は歩いていける距離なので、6時半に起きれば十分です。今年一番の暑さで真夏並みだという外を歩いた身に、冷房の効いた部屋は快適でした。PHSのアラームにたたき起こされて、時計を見るとなぜか5時半です。PHSは日本時間のままなのでした。思いっきり不機嫌になって、もう一度寝直しました。

病院はすごい大きな病院でしたが、夜とあってもう受付も閉まっていて「AAの会場」がどこだかわかりません。警備員には日本語も英語も通じません。これは部屋がわからずじまいでお仕舞いかなとあきらめかけましたが、ERという文字を見かけたので、救急の入り口へ回ってみました。警備員に止められましたが、彼は英語で書かれた住所が確かにこの病院であることを認めて、奥の人間に僕が「AA」を探していることを伝えてくれました。
AAといっても全然理解してもらえないので、試しに紙に禁酒会と書いてみたら、看護婦さんに9階の会議室まで案内してもらえました。そして、僕はそこで台湾人のAAメンバーに会うことができたのでした。

日本には日本語でAAをやっている共同体と、日本に住んで英語を話す人が英語でAAをやっている共同体のふたつがあります。日本のように現地人の共同体がある国も多いのですが、数から言えばEnglish Speakerたちが身を寄せ合っているAAしかない国のほうが多いのじゃないでしょうか。
NYのGSOが出しているContact Listにも台北の項目にEng.とあったので、僕はてっきり英語ミーティングに紛れ込むものだと思っていたのです。

でも集まっていたのは台湾人たちでした。中に一人英語を話す人と、一人日本語を解する人がいたので、僕は日本から来たAAメンバーとして紹介され受け入れられました。

ミーティングは公用語であるマンダリン(北京語)で行われているので、人々が話していることはまったく理解できませんでした。しかし、序文や第5章を読むところでは、繁字体中国語の本を一生懸命おいかけてみました。人数は十数人。土曜日は伝統ミーティングらしく、今日は伝統4でした。

途中で小さな子供が紛れ込んできました。後でわかったのですが、別の部屋でアラノンをやっているようです。台北では10年前から日曜日を除く毎日AAミーティングが開かれているのだそうです。そして英語ミーティングはそれとは別に存在するのだそうです。

1時間のミーティングが終わったら、ダンキンドーナツでアフターミーティングを楽しみました。「もう二度と会えないかもしれないけれど、霊的な共同体の中でいつも一緒だよ」と(一応英語で)言って別れました。この原理は言語も国境も越える、そう信じることができました。

ホテルのレストランのラストオーダーの時間が過ぎてしまったので、山田珈琲店という日本食の店で定食を食べました。こうして油っこくないものを食べてみて、はじめて自分の胃が疲れていることに気づくのであります。

読むものがないのでビッグブックを取り出して、たまたまフライヤーの挟まっていたページを開いたら第4章でした。何らかの形の霊的体験が僕に訪れたような気がします。自分を取り巻く世界と自分とが何かでつながっている実感があります。
「来てよかったな」と思いました。

名古屋空港で、お守りがわりに海外旅行保険に入りました(3000円たった)。お守りは大事であります。幸い今のところ、けがも病気もなく、あとは日本に無事帰るだけであります。

大汗をかいて歩き回って、体はすごく疲れています。でも、いまのところすべてがうまくいっています。おやすみなさい。


2005年04月29日(金) 台北(その2)

traditionalな朝食は、揚げパンみたいなもの(原料は小麦か米か)に、砂糖の入ったソイミルクみたいなものでした。ちょっと油っこいけれど、寝起きの悪い僕の胃にはちょうどいいものでした。
台北の渋滞を抜けていく1時間の間、車の助手席でぐっすり寝てしまいました。やっぱり朝は苦手であります。

仕事の方は(午前中だというのに)割りと簡単にアイデアが浮かんで、お昼までにはプログラムの実装も終わり動き出しました。午前中に作り込んでしまったバグも午後には取れて、夕方にはオーケーがでました。というわけで、予定通り明日はオフであります。
ただ、「問題が起きたらいつでも呼び出すから」と釘を刺されているので、あまり台北から離れるわけにもいかないでしょう。

昼食は、炒飯のお弁当です。お弁当にぎっしり炒飯だけが詰まっているというシロモノです。飲み物はいつでもなぜかヤクルトが添えられます。

夕食は工場のひと数人と一緒に、近所のお店に行きました。店というか屋台というか中間のようなところであります。台湾の人がごくふつうにチープな外食に食べるようなものを、出されるままに食べました。彼らの話す中国語(台湾語)はまったく聞き取れません。たぶん一生話すことも聞き取ることもできずに終わるのでしょう。ともかく彼らは大きな声でよくしゃべるのであります。

僕はこれで台湾に来るのは6回目ですが、食べ物で苦労したことはありません。口に合わない人は香辛料や脂っこさに辟易してしまうようですが、何でも喜んで食べています。
唯一の例外は鴨鍋を食べに行ったときで、鴨肉だと思って最初に口にしたのがショウガの固まりで、二番目に取ったのが鴨の頭(くちばしがついていた)、3回目の正直が足(爪があった)、四度目が肛門であったときであります。

昨夜とは違うホテルへ送り届けてもらいました。
ここからは電脳街が近いので歩いていきました。こういうところでどんな部品を買うかは難しいところです。家へ持って帰ってパソコンに取り付けてみたら不良品だったとしても、交換してもらうのは至難の業です。
サーバーPC用に、PC133で256MBのSDRAMを買いました(1260NT$)。

電脳街の地下は、以前は違法コピーのソフトをおおっぴらに売っていましたが、現在はそういうものは一掃されてしまってつまらなくなりました。ここでもハリウッドの映画は安く、日本のアニメは高いです。「げんしけん」が平積みになっていましたが、誰が買うんだろう?
「美鳥の日々」の1巻はこちらでもフィギュアつきだ。月姫のDVDのセットが2500NT$であったので、思わず買おうかと思いましたが、3回前を往復したあげく「自分はそんなものほしくない」ということに気づくのでした。

夜9時で電脳街が閉まって追い出されたので、帰り道をとぼとぼ歩いているとフィギュアを売っている店を見つけたので入ってみました。「ゆびさきミルクティー」のセットが日本円で1000円ぐらい(高いのか安いのか)。おねがいツインズが1300NT$。草薙素子が100NT$で投げ売りされていました。僕はフィギュアはあまり好きではないので、見るだけで決して買いません(等身大アスカとかだったら考えるかも)。

さらに帰り道を歩きながら考えたことは、おたくをやるには、気力・体力・財力・部屋のスペース・時間、そのすべてが潤沢に必要なのだということです。僕なんかおたくを気取っていても、所詮は「おたくもどき」にしかすぎないのであります。

PHSでインターネットには接続するのですが、週末で混んでいるのか、日本のサーバーにも、ロンドンのIEJI.ORGにもなかなかつながりません。これをポストするのも明日のホテルに移ってからからになるかもしれません。

ともかくすごく疲れています。明日はチェックアウトぎりぎりまで寝るぞ。


2005年04月28日(木) 台北(その1)

朝9時起きというのは、この前東京に行ったとき以来の早起きであります。
まあ仕事に復帰することを考えれば、もっと早く起きることも当たり前なのですが。

特急しなのの中では気持ちよく寝てしまいました。
初めて乗る名鉄では、別に急ぐ必要もないのに、特急電車に乗ってしまいました。

新しく中部国際空港ができて、いままでの小牧の空港はどうなるのでしょうか? 軍民共用の空港だったから、軍(じゃなくて自衛隊か)専用になるのでしょうか。

国際空港の案内板には「インターネットコーナー」という掲示があるのですが、そこの場所に行ってみても、ネット端末などはありません。2台だけ存在するという無料端末を探して、空港中を歩き回ってしまいました。ギャラリーがあって油絵が展示してありましたが、芳名帳をみると今日の訪問者は3名のようであります。屋上に出て、飛行機を見ながらまた歩き、10分100円の有料端末で「ぶどうの〜」に書き込みをしました。

その後、ビジネスクラス向けのラウンジに行ったら、パソコン用のLANが無料で提供されていました。ディバッグから緩衝材(プチプチだ)にくるんだThinkPadを取り出したら、隣のガイジンにぎょっとした目を向けられました。今度はなにかまともなバッグに入れておきましょう。

たまには紙の新聞を読みたいと思って朝日を買いました。でも、機内でも朝日を配っていました(くそ、エコノミーだと中日新聞しかくれないのに)。
アテンダンスが配ってくれたシャンパンはとってもおいしそうでしたが、代わりにトニックウォーターをもらいました(おかわりもした)。初めてのビジネスクラスに感激です。でも、食事はコンビニ弁当のようなエコノミーの機内食が好きです。

入国審査がえらく厳しくなっていて、40分以上列に並んでいました。空港に迎えに来てくれた相手の会社のSさんとPHSで連絡が取れたので、まあ役に立ってよかったです。並んでいる列の中で下手な英語でしゃべるのはすごく恥ずかしかったけれど。

ホテルへ荷物を置いて、街中へ買い物へ。台湾のコンビニに置いてあるものは、どんどん種類が増えて日本のコンビニと大差がなくなってきているような気がします。
足つぼマッサージの店に入って、ついでに肩ももんでもらいました。1時間で1000元。

ホテルにもLANが引かれていましたが、ちっともつながりません。DHCPサーバーがアドレスを割り振ってくれません。きっとリース期限が長すぎるのでしょう。デフォルトで48時間とかになっているサーバーも多いですから。手動でアドレスを割り振りました。

明日朝は7時20分に迎えに来てくれるそうです。えらく早いと思ったら、traditionalな朝食につれてってやるから、ホテルの朝飯は食わずに待っていろだそうであります。
今日は移動だけで気楽でしたが、明日は仕事。

おやすみなさい。


2005年04月27日(水) 多忙

予定では今夜ホームグループのミーティングに出席するつもりだったのですが、出発の準備が整わなくてミーティングはキャンセルしてしまいました。

予定が遅れた最大の原因は、ノートパソコン関係の準備が全然できていなかったことです。
前の会社では、泊まりがけで仕事に行くことも珍しくありませんでした。(おかげで、バスケットを預かっているミーティングを欠席する時には、いつも頼りがいのあるメンバーに頼ってばかりでした、感謝)。
そのためもあって、ノートPCには開発環境一式がインストールされていて、ホテルの電話だとか、PHSだとか、携帯電話だとかでダイアルアップする設定もばっちりなのが常でした。海外でも、iPassだとかGRICの設定さえ日本できちんとしていけば苦労することはありません。

でも、会社を移って、出張先と言ったら本社ぐらいしかなくなって、ノートパソコンを持ち歩く必要もなくなった時に、ノートパソコンは一度まっさらにしてしまったのであります。ときどきまっさらにインストールし直さないと調子が悪くなるのが、窓OSの問題点でもあります。そして、そのノートPCは「会社から仕事用に提供されているPCにはインストールできない怪しいソフトを入れるための箱」となって仕事机の上と自宅を往復することになったのでした。

で、あわてて開発環境をインストールしているだけで2日つぶれてしまいました。
さらにこの時期に無線LANカードを買い換えたのも混乱に拍車をかけました。ブリッジの設定も変えたので、やれ「ノートパソコンからインターネットできない」とか「ネットワークメディアプレーヤーでしまじろうが見られないぞ!」とかいう苦情が起こり、それをそのままにしたまま留守にするわけにもいかなくなったのです。(まあ、自家製の問題には違いありません)。

台北では馬偕紀念醫院という病院で、No Name Groupという英語グループが、金曜は20:30、土曜は19:30からミーティングをしているようであります。ホテルは毎晩違うところだし、場所の位置関係がどうなっているのか、地図もろくに見ていないので、移動はタクシーが頼りであります・・・が大丈夫か自分。

30日には南信州でオープンスピーカーズミーティングが開かれて、僕も出席の予定でした。東京からもたくさんメンバーが来てくれることになっていて、再会を楽しみにしていた人もいるのですが、残念であります。

これからソースコードを見るのですが、3年前に書いたコードは他人のコードと同じであります。万が一にも寝過ごさないように、早めに寝ることにします。

自分がいなくてもホームグループのミーティングは滞りなく進んでいることでしょう。うれしいような、ちょっと寂しいような。

明日の朝、荷物に入れるもの:ノートパソコン一式(ウルトラベース含む)、パジャマ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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