心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年04月16日(土) ディジタル化

(パソコンおたくネタ)

以前からTVキャプチャボードは持っていました。ConexantのBt878搭載のとってもベーシックなやつです。中古で買ったのですが、5千円しかなったと思います。
当時は、Linuxパソコンを作って、それでテレビを録画するというのが流行していたわけです(ごく一部で)。Bt878ならLinuxでデバイスドライバーで苦労することもなかろうと、思ったわけです。しかし、例によってLinuxがインストールされることもなければ、テレビ録画パソコンが作成されることもありませんでした。
Bt878はWindowsパソコンにささって、野球中継を見るのにでも使われるのがせいぜいでした。

3月に「溺れる人」をパソコンで録画した時に、その映像を見て「VHS以下だなぁ」という感想を持ちました。最近では1万円ちょっとで3次元Y/C分離機能を持ったチューナーで、MPEG2のハードウェアエンコードのボードが買えます。
で、レーザーディスクを売って得た金を元に、つい買ってしまいました。

しばらくはテレビ番組なんかを録画して遊んでいたのですが、そのうちにVHSテープをパソコンで録画して編集し、DVDに焼いておくということを始めました。まあ、たぶんお金のある人なら、VHS+DVDのついたハードディスクレコーダーなんかを十万円ぐらいで購入して、お手軽にすませるのでしょうが、こっちは貧乏人であります。ヒマもあるし。

3月に部屋を片づけていて思ったのは、「どうしてVHSのテープはこうもかさばるのだろう」ということであります。絶対βのほうが優れていたと思うのでありますが、技術的に優れているものが市場を支配するとは限らないという好例であります。

大学の先輩は引っ越しの際にVHSテープ400本をゴミの日に出したそうですが、その量はいかばかりであったことでしょうか。

テープを再生してパソコンのハードディスクに録画し、MPEG2をDivXにエンコードするという作業を、一日一本ずつ地道にやっております。内容は子供には見せられない大人のコンテンツであります。この作業が終わったら、部屋の一角を占めていたテープは、プラスチック・ビニールゴミの日に捨てられる運命でしょう。

それが終わったら、8ミリ(フィルムじゃなくてビデオのほう)で録画した子供の成長記録をDVDに焼くという、実にお父さんらしい作業に精を出すとしましょう。

肉体的コンディションも、精神的コンディションも、波を打ちながらゆっくりと向上しています。でも、医者はまだ働くのは無理だと言います。傷病手当金が出ないので、生活に困っちゃうんですよと訴えたら、障害者年金を申請してみませんか? という話になったので、社会保険事務所に年金の加入状態を調べに行ったり、東京で最初にかかった精神科のクリニックに電話をしたりしているのであります。

やっと仕事の資料なんかに、目を通す気力がでてきました。


2005年04月14日(木) 狂った人

地区の会場の地図が刷り上がったというので、取りに行くことにしました。
B4版両面1000枚で4,700円というのは、すごく安いと思うのですが、今回は「紙の色はピンク」という指定があったので、1枚あたり2円上乗せして6,700円です。
それだけの金を立て替えておくには僕の財布はちょっと寂しい状態でした。

たとえばAAのイベントで泊まる時とか、東京まで行く時とかのお金のかかる時に、妻に「お金をください」と言うと露骨に嫌な顔をされるので、そうした事態を避けるためにへそくりをしております。たとえば3月にジャンボ宝くじで当たった1万円は、使わずにそのへそくりへ繰り入れてありました。現在の残高は2万円であります。

出がけにそこから1万円を抜き出そうとしたところ、へそくり袋が見つかりません。
30分ほど探してみたけれど見つかりません。

仕方ないので諦めて出かけて、帰ってきてまた探しましたが見つかりません。
そういえば先日母のところを訪れた時に、財布などから数万円だけ抜いていく空き巣が頻発していて、義理の姉も被害者であるという話を聞いていました。

家の者に、「俺のへそくりを見つけたか?」と聞いても、「最近片づけしてたから、一緒に捨てたんじゃないの?」とつれない返事が返るばかりで、ちっとも親身になってくれません。

「くそ、警察に被害届を出しに行くぞ」

そういって上着に腕を通したら、内ポケットに袋ごと入っていました。
先日ある人と食事の約束をした時に(結局その食事はドタキャンされてしまったわけですが)、もし金が足りなかったら恥ずかしいからと、出がけに時間がないので袋ごと内ポケットにつっこんだまま、すっかり忘れていたのでした。

そんなわけで、精神的にも、肉体的にもすっかり疲れてしまいました。
まったく自家製の問題であります。


2005年04月13日(水) コントロール喪失

最近オークションで買ったもの。

・11b無線LANカード2枚(Win95,Linuxパソコン用)。これは安かった。
・11b/11g共用無線有線ブリッジ。パソコンで録画したMPEG2を居間のテレビで見るため。
・ルーター。高性能用に置き換え。
・CPU水冷キット。だって、ファンがぶんぶんうるさくて。
・StarSuite7。なぜか代わりにポストペットV3が届く。
・USB2.0+IEEE1394+1000Baseコンボカード。
・USB2.0+IEEE1394コンボカード(なぜかまだ届かない)。
・3次元Y/C分離機能付きテレビキャプチャカード。(だって787Aじゃ画像汚くて)。これはオークションじゃなくて通販ですけどね。

次々届く荷物に、妻の目がつり上がってきております。
そう、私はいま物欲の季節を迎えております。

どうせわたしはキチガイで、コントロール喪失で、オタッキーだよん。


2005年04月12日(火) 良&不良

月曜日は調子が悪くて、つくづく「休職中でよかった」と思いました。これで会社に行けと言われたら泣きたくなってしまったでしょう。
それでもオークションで売ったレーザーディスクの発送に郵便局に行きました。これはもともと東京の仲間が不要になったからとタダで譲ってくれたものですが、それが今僕の小遣い銭となって生活を助けてくれています。(それにしても○デ○○はいくら安くしても売れないなぁ。それとアレはまだ売れないぞぅ)。
風邪が悪化して、しんどかったのですが、仲間のバースディミーティング(だと思った)ので無理して出かけていきました。でも来週だそうです。そのまま帰ろうかと思いましたが、せっかくだからAAの空気を一時間半吸って帰ることにしました。ミーティングの半分以上は机に突っ伏して寝ていたでしょうか。

今日はお昼に起きて内科医へ。それでも風邪は良くなっているので、抗生物質は抜きにして、今回出た薬が終わった頃、もう一度通院しにくるかどうかは自分で決めていいよという話でした。

地区委員会の議事録をクロネコメール便で発送しました。郵便局だったら140円のものが80円で送れるし、コンビニは24時間やっていてくれるし、その点では便利であります。

精神科医から自宅に電話があって、傷病手当の支給は無理だろうという用件でした。
もともと今回は入社してすぐに休んだので、傷病手当は無理だろうと思っていたのです。しかし、会社が1月分の給料の精算と一緒に傷病手当の用紙をよこしたので、医者に書いて貰って提出しました。どうやら前の会社と通算して処理して貰えるようです。本社の総務でそれを社会保険事務所に持って行ったら、3年前にも休職して傷病手当を貰っているが、それと今回との関連性はどうなのかと言われて、問い合わせ票が僕のところへ送られてきました。

医者と相談して、「前回はアルコール依存症と抑うつ状態」、今回は昨年8月に「うつ病」の病名を初めてつけたので「うつ病」ということで、別個のものとして考えていいのではないかという結論を出して、返送しておきました。
調べてみて初めて知ったのですが、傷病手当というのは一回貰い始めると、最長一年半貰えるわけです。でも、途中で働きだして貰うのをやめても、次に同じ病気で休んで申請しても、最初の時から一年半以上経過していると、貰う資格がないのだそうであります。
(途中で完全に治癒した場合は別)。

僕の場合、前回と今回で「連続性があるかどうか」が問題になり、医者のところに問い合わせ票がくることになりました。医者が電話口言うには「連続性があるかないかと言われれば、ないと強弁することは難しい。あると言えばおそらく不支給になるだろうが、ご納得いただきたい」ということでありました。

もともと傷病手当を当てにして休職したわけではないので、それですぐに困ってしまうことはないものの、復職後に給料と傷病手当の両方が入れば生活が楽になっていいなという夢は打ち砕かれてしまいました。やっぱり甘かったか。
まあ、予定通り定期預金を崩すことになります。

大人になると同時にアル中になった僕は、酒代のせいで常に貧しく、定期預金というものを作ったことがありませんでした。だから、AAにつながって、ミーティングで「生まれて初めて定期預金を作りました」と言えた時は実にうれしかったものです。
そう考えると、その飲まないで働けた時期が、現在の僕の生活を支えてくれているわけであります。ソブラエティというのは実にありがたいものであります。

会社の総務からメールで連絡があって、休職前に残っていた有給休暇2日と、4月1日付けで支給された12日ぶんとあわせて14日という計算にしてくれるそうであります。これで復職後にまた悪くなっても、有休が使える見通しがつきました。

医者は「現在の好不調の波が消えて、働きたくてうずうずしている状態が1ヶ月続いたら、復職してもいい」と言っていますが、そうのんびりともできなくなりました。おそらく、明日書いて貰う診断書が最後になるでしょう。


2005年04月10日(日) 三寒四温

ちょっとうつの具合が良くなったと思ったら、また悪くなりました。
波があります。

最近の傾向は、木・金・土と良くて、日・月・火・水と悪いという感じです。三寒四温、いや四寒三温といったところでしょうか。

以前に台湾でやった仕事の機械の調子が悪くなったらしく、英文で質問のメールが来ています。旅費もホテル代も日当も出すから、様子を見に来てくれないかとオファーがありますが、いちおう今僕の属している会社は副業禁止なので引き受けるわけにもいきません。
だいたい、行って解決できればいいけれど、できなかった場合には、どうなるのだろう?

今の台北は雨期が始まる前できっといい季節です。
掃除をしていたら、台湾ドル(元という名前だけれど、お札には園と書かれています)の使い残しが2万円分ぐらいでてきました。日本で台湾ドルを円に換金してくれる銀行は、数えるぐらいしかありません。田舎にいる限り、これは持ち腐れであります。

いつかは仕事じゃなくて、遊びで台湾に行ってみたいです。


2005年04月08日(金) 露出

まっとうに大学を出て会社に就職した従兄弟が「写真家になりたい」と言い出して、周囲の反対を押し切って写真学校に通い出したのがもう十数年前でした。そこそこ有名な写真家の先生の下について修行したりしたそうですが、商業写真家としては芽は出ずに、結局地元のフォトスタジオに勤務となり、結婚式の写真を撮るのを主ななりわいとするようになりました。

スタジオで写真を撮って貰うと、撮影からプリントまで一枚で2〜3万円ぐらいかかるそうであります。だから、あまりスタジオで写真を撮る人はいません。そこで、そのスタジオでは「半額くらいにしてあげるから、5年間毎年撮りに来てください。月々わずかこれだけの支払いで・・・」というプランを作って売るようになりました。

スタジオ勤めの従兄弟にもそのプランの販売ノルマが課せられ、彼は親戚に頭を下げて回る羽目になったわけであります。ちょうど幼い娘が二人いた僕は、そのプランの販売相手としては格好の餌食であったわけです。そんなわけで、ここのところ何年間か、銀行の通帳から「シャシンダイ」という名目で、定期的に出費が続いていたのでした。
まあ、お金のことは「田舎の濃密な親戚づきあい」だと思えば、あきらめもつくことではあります。

が、子供の写真を撮影すると言うことは、親も含めた家族のカットも撮影すると言うことであり、僕も着慣れない背広を着て、スタジオであーでもないこーでもないと色々な格好をしたり、作り笑いをしたりしなければならないのが、一番の苦痛でありました。

しかし、できあがりを見てみると、そこらへんの街のカメラ屋が、2階の客間兼のスタジオで撮影してくれた数千円の写真とは比べるまでもない「写真らしい写真」に仕上がるから、さすがはプロであります。だからといって美醜が変わるわけもなく、ただ「いかにも写真」であるということにすぎないのですが。

今日は次女の入学式ということで、この毎年の撮影ノルマも最終回を迎えました。

話は変わって、今週のいつだったか、午前中にNHKのラジオをつけてみたら、アルコール依存症の家族の方のことが話題になっていました。こうやって、メディアに依存症という病気の存在が露出することによって、世間の認知が進んでいくことが、一番の病気の予防・治療に役に立つのではないかと思うのであります。


2005年04月07日(木) へとへと2

仕事の電話でたたき起こされました。
いや、それは前の会社の絡みで、今後の僕の収入にはつながらないので、仕事と呼んではいけないのでしょう。もしその会社に兄が勤めていなかったら、僕はもっと素っ気ない態度をとっていたことでしょう。

さて、3月中頃くらいから(だったかな)子供たちがごほごほ咳をするようになりました。「喘息かな」などと言っていたのですが、そのうち母親もごほごほ言うようになりました。小児科の先生の見立てでは、感染性の気管支炎だそうで、抗生物質を飲むうちに、症状は徐々に治まって、4月にはほぼ全快と言っても良い状態になりました。

が、そのころから今度は僕がごほごほ言うようになってしまいました。
しかも、だんだん咳き込みが激しくなってきます。皆に「医者に行け」と言われるので、まあ朝から起きていることでもあるし、珍しく内科の医者へ出かけました。

僕は風邪を引いても滅多に医者に行かないので、内科にかかるのは10年で3回ぐらいではないかと思います。それでもきちんとカルテは残っていて、うつ病であることも、アルコール依存症であることも、記録に残されていました。
「喉の薬は、うつの薬とかち合うことが多くてね。今は何の薬を飲んでいるんだ?」
と聞かれたので、精神科でもらった薬剤情報の紙を渡しました。

こういうことをきちんとしてくれる内科医は実は結構少なくて、ただの風邪を引いた依存症者に安定剤なんかをするっと出してしまう医者は世間にごろごろしているのであります(たぶんきっと)。

桜はまだですが、梅が咲いているほど気候がよいので、外で体を動かす気になり、午後は車にCDチェンジャーをつなぐことにしました。記録によると一昨年に買ったものの、取り付ける気力がなくて、1年半以上部屋の片隅に眠っていたものでした。
整備解説書を買えば、車をばらす手順は書かれているのですが、何千円もする本を買う気にもなれなかったので、手当たり次第にコンソール周りを分解しました。なんとか暗くなる前に作業を終えたいと思うのですが、焦るほど混乱して部品のはずし方が分からなくなります。
小学校から帰ってきた娘が、「パパが車を壊している!」と驚いていました。
それでもなんとか、夕方までには配線も終わり、車も元通りになりました。

体を動かしていたので、夕方からへばってしまい、10時過ぎまで寝てしまいました。おかげで、スポンシーからの電話ものがしてしまうし・・・(後で連絡付いたけど)。

これからはなるべく夜寝て、朝起きている生活にしよう・・・と思うものの、すでに窓の外は明るくなってきている時間であります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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