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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年04月01日(金) 水虫と友人の死 ホームグループのミーティングの帰りに、実家に寄らせて貰って、母に飯を食わせて貰っています。ついでに風呂も入らせて貰っています。
母はスイミングスクールに通っていて、そこの脱衣室で水虫を移されました。そんな話を聞いたのが2月。皮膚科に行って薬を貰いなさいよとアドバイスをして、「痕が消えても1ヶ月は薬を塗り続けないと、菌が潜伏して再発するからね」と言っておいたものの、3月のお彼岸に子供と帰省した時には、「もう良いと思って、塗るのをやめたら、また水虫になっちゃった」という予想された通りの展開を見せておりました。
お彼岸が終わってからしばらくして、長女が足がかゆいと言い出しました。実家のお風呂の脱衣所で、水虫をうつされてきたのかもしれないと思ったのですが、医者に行くのは先延ばしにしてきました。ですが、気が付くと、僕の足にもなんだか「カサカサ」ができてしまい、しかたなく今日は、親子で皮膚科に行ってきました。
そこは女医さんがやっているところで、泌尿器・性病科も兼ねているのであります。妙齢のお嬢さんが、診察室より奥の「処置室」というところに入っていくのを見ながら、「う〜む」と考え込んでしまう僕でありました。
毎日一回塗るように、と抗生物質を処方されました。昔は一日3回だったことに比べると、水虫の薬も進歩しているものですね。看護婦さんは「今日は人手が足りなくて」と言い訳していたものの、たかだか水虫の治療を受けるのに、3時間以上かかってぐったりしてしまいました。
さて、そのメールは今日のうちに届いていたものの、POPFileという迷惑メールフィルタが誤分類をしたおかげで、僕はショッキングな用件を伝えるメールの到着にしばらく気が付きませんでした。それは僕の友人(?)の死を伝えていました。
彼と出会ったのは高校の頃でした。
僕はそのころ、小学校6年から始めた天文の趣味もそろそろ飽きてきて、新しい何かを探している時期でした。天体の軌道計算をするというテーマから、「プログラムできる計算機」に興味を持った僕は、天文部と数学研究会の両方に属する彼と親しくなりました。
僕が後にプログラマーになるのを決定づける出来事でした。
お互いに東京の理系の大学へ進学した後も、頻繁に連絡をとっていました。コ○ック○ーケットに一緒に出店したこともありました。学業を放棄して一緒にアルバイトしていました。
だが、僕は酒に溺れて、学業どころか仕事も放り出すようになり、彼に多大な迷惑をかけるようになり、一度は疎遠になります。
彼は仕事がうまくいって、金も持っていたのですが、成功は長くは続きそうにありませんでした。彼は乾坤一擲の仕事を、会社員を(酒のせいで)やめてフリーになった僕に任せてくれました。彼の成功のおこぼれに預かろうと、無理に仕事を分けてくれるように頼んだのです。
頼まれた仕事を放り出して、雀荘でビールを飲みながら麻雀を打っているところを発見され、「貸した金は返してくれなくてもいいから、絶交だ」と言われて絶縁となりました。
その仕事は彼が完成させたものの、時期が送れ、ヒットにはなりませんでした。悪いことにその後、彼は成功には恵まれませんでした。そして、その原因のひとつは、あの重要な仕事を酔っぱらいに任せたことにあると考えていたとしても、無理のないことです。
僕が結婚式を挙げる時に、ダメもとで彼に招待状を出したら来てくれたものの、「おまえのことは一生許さないからな」とめでたい席で言われました。酷いヤツだと思ったものの、僕が彼にしたことを考えれば、無理のない話でした。
今から思うと、それが彼と交わした最後の会話となりました。
きれい好きだった彼の部屋が「30センチぐらいゴミが積もっている」んだと共通の知人が報告してくれた時には、なんだか自分の住んでいたアパートと似ているなぁと感じたものでした。
彼が長野の実家に帰って入院した原因は、アルコール性の慢性肝炎だという噂でした。
しばらくして実家への転居を知らせるはがきが届きました。
「そうか、彼も夢破れて、都落ちしたか」
と苦笑いしたものの、彼が酒に溺れているという噂に、もし彼がAAのドアを開けて入ってきたら、自分はいったいどうしたらいいのだろうと考えたりもしました。
そんな不安もいつしか消えていきました。ちゃんとボーナスをもらえる時が来たら、彼に金だけでも返しに行こうと思っていました。しかし、景気は悪くなるばかりだったのです。
最近になって、彼の昔作ったソフトを復刻するという話があり、仕事仲間が久しぶりに連絡を取ろうとしたところ、2年前に急病で亡くなっているという返事があったそうです。その連絡が、今日メールでやってきました。
彼は僕の鏡でした。同じようにビル・ゲイツになる夢を見て、同じように学業を放り出し、酒に溺れて、失意のうちに帰郷したわけであります。彼は死に、僕は生きている。二人の運命を分けたものは何だったのでしょうか?
AAの存在?
そうかもしれません。でも僕は「自分が幸運だったから」というふうに感じられてなりません。
この休みのうちに、何十年ぶりかに彼の家を訪問し、線香だけでもあげてこようかと思います。
2005年03月31日(木) ドライドランクな日常 1月半ばから休職して、1月・2月は病状が好転の兆しを見せなかったのですが、「そのうち良くなるさ」とまあ半分開き直っていました。3月に入って、花粉症の人には申し訳ないけれど、暖かくなったせいか、なんとなく「やる気」が出てきました。
ニュース検索のスクリプトをいじったりし始めたのもこの頃です。
いろんなことがやりたくなって、「これは4月には復職できるかも」なんて自分で勝手にスケジュールをたてたりしていました。
でも、子供が春休みになったあたりから事態は暗転を始めます。医者とも「波はあるから焦らないで」と話し合っていました。
ことの起こりは兄からの電話でした。彼は僕が昨年まで勤めていた会社のお客さんとの間に入った商社に勤めています。その顧客の一社がまた同じような機械を大量に入れたいので、仕入れ先を探してほしいと言い出したのです。でも、僕のいた会社は倒産してしまったし、今は休職中とはいえ別の会社の社員なので、そのもうけ話に乗ってあげることができません。
「だから、代わりの会社を探してくれ、頼む」
身内でなかったら、こんなわがままな話はすぐに断るところですが、僕も婚家を追い出されたら実家を頼らざるを得ない身の上です。
明け方に寝たばかりなのに、10時前に電話でたたき起こされた僕は、極端に不機嫌でしたが、妻がそこへ「せっかく起きたのなら、片づけと掃除がしたいから、どいてくれ」というので、僕は布団をたたみパソコン部屋に移動して、毛布にくるまってまた寝たのでありました。
起きてみるとすでに午後3時でありました。
「昼飯はどうなったんだ! どうしてそのときに起こしてくれなかったんだ」と、僕は腹を立てて妻を責めたのですが、相手の返事は「私だってお昼も食べずに、一生懸命片づけをしていたので、私はふらふらなのよ」というものでした。
この「昼飯抜きで、一生懸命で、ふらふら」という主張に、僕はむかっ腹がたってしまいました。
オークションの発送のために郵便局に寄る用があったので、食事もせずにでかけ、よせばいいのについでにディジタルカメラで撮った写真のプリントに写真屋に寄りました。ぐっすり寝ているところをたたき起こされた上に、「一生懸命」の人のせいで空腹でクラクラの僕は、すっかり恨みの虜になっていました。
そしてすっかり「仕事モード」になって電話をかけ続け、なんとか仕事の引き受け手を見つけた時にはすっかり夕方になっていました。「一生懸命」がんばっていた妻は、体がだるくて辛いと言っていましたが、「俺もハンガーノックで倒れそう」と言って、家事の手伝いを放棄した結果、「どうして男も女も辛い時に、女だけが家事をしないといけないの」と恨み言を言われる羽目になりましたが、黙ってそれを聞き逃すしかありませんでした。
「一生懸命」の人は、いつも一生懸命になった翌日そうなるように、翌日は倒れて寝ていました。毎度同じことが繰り返されることに、またむかっ腹がたったものの、しかたないので子供たちのために昼食を作り、夜のことはジジババに頼んでAAミーティングに出かけました。
ミーティングで司会を頼まれてしているときに携帯電話が鳴ったので、出てみると一生懸命の人が「体中が痛くてたまらない、すぐに帰ってこい」という用件でした。ミーティングを最後まで済ませ、それから兄にあって仕事の件をすませ、買い物をして帰ると10時過ぎでありました。
「昼飯抜きで一生懸命になるから、結果としてそうなるんだ。いつも同じじゃないか、反省しろ!」と言ってみたものの、相手は反省する様子も謝る様子もありませんでした。熱を測ってみると38度あったので、風邪だろうということで風邪薬を飲んで寝て貰いました。
僕ももうなんだか疲れ果ててしまったので、寝ることし、その前にちょっとだけDVDでも見ようとテレビのリモコンを探したのですが、みつかりません。「一生懸命片づけて、なんでテレビのリモコンも見つからないぐらい散らかっているんだ」と思うとなんだかやりきれません。意地になって40分ぐらい探し続けていたら、妻が起きてきてすぐにみつけました。
なんだか興奮して眠れないので、コンビニに食べ物を買いに行ってきて、冷蔵庫に買ったアイスクリームを無理矢理つっこもうとしたら、冷凍シャケの袋が破れてしまいました。ラップでくるんで入れようとするものの、今度はラップがみつかりません。悪態を付いて探し続けた結果、また妻が起きてきて処理してくれました。
「いつも一生懸命になってそして倒れているおまえは、気が狂っているよ」と言ってみたものの、気が狂っているのは自分のような気がしてきました。酒を飲んでやろうかと思ったものの、ソブラエティがもったいなくて、実行する気になれませんでした。いっそ死んでしまおうかとも思いましたが、親が自殺した子供の自助グループの話が思い出されて、それもかないませんでした。
風邪を引いた妻の世話は放棄して、一日寝ていました。それでも、夜になって自分が風呂に入るついでに、子供も風呂に入れてやる役回りは避けられませんでした。洗ってやるのに、自分の体がだるくてきつかったです。
世の中は灰色なのだ。白や黒に決着をつけようとするから苦しくなる。妻も反省している(白)でもないだろうし、していない(黒)でもないだろう。自分のやっていることも、良いこと(白)でもなければ、悪いこと(黒)でもないだろう。そう思うと少し楽になりました。
娘に「ひげを剃っていない」と怒られたので、ひげそり・歯磨き・緑内障薬の点眼と、自分の体のケアをすると、すこし気分が良くなってきました。
いま、子供たちを寝かしつけて、そしてこれを書いているところです。確かに飲んでいない時間は長くなっても、回復なんかしていないです。回復していないから、AAにつながっているのです。「アルコール依存症からの回復者」なんて言葉だけは使えないと思うこのごろです。
2005年03月30日(水) PDF化 「心の家路」を始めた頃(というか今でも)、新聞の切り抜きというのがコンテンツの大きな柱になっています。昨年から新聞を取らなくなってしまったので、今後新しい記事が触れることはあんまりないとは思いますが・・・。
(でも依存症関係の重要な記事は、コンビニで新聞を買ってきてでも続けたいような気もします)。
で、せっかくだからその記事をプリンターで印刷することができるようにする、ということを考えたわけです。Web上ではGIFファイルの低解像度で表示していますから、これをそのまま「印刷」しても、あまりきれいにはプリントされません。
いろいろ手段は考えたのですが、TIFF形式という画像フォーマットを使うことにしました(GIF画像をクリックすると、TIFFがダウンロードされるようになっています)。Windows標準付属のソフトだけでも、なんとか元の新聞と同じサイズにプリントできる形式というとTIFFぐらいしか思いつかなかったのです。
昨年末、祈りのファイルをPDF形式にしようと、1,980円のPDFファイル作成ソフトを買ってきました。こいつは、Wordからの変換なんかでは結構きれいな出力を出してくれるので、コストパーフォーマンスという点ではなかなか優れていました。
が・・・、新聞記事をPDFファイルにしようと、グラフィックの出力を出すと、どうも容量が大きくなりすぎたり、ジャギーが出たりと、今一歩でありました。
そんなとき、とあるブログで無料のPDF変換ソフトが紹介されていました。英語である点が難点ですが、それを乗り越えれば、なかなかきれいな出力をだしてくれます。
で、3月はいままで掲載した新聞記事を、TIFFからPDFに変更するという作業を、一日記事ひとつずつ地道にこなしてきました。今日ようやく、ギャンブル依存症関係の記事を変換し終わって、その作業が終わったところです。
「90の道具」も3分の1で止まってしまっているし、まだまだ載せたい記事はあるし、12ステップの祈りも載せたいし・・・・。アイデアはいっぱいあるんだけど、3月に上向いたうつが、最近またちょっと落ち込んでいるので、あまり期待しないで待っていてください。
ではでは。
2005年03月29日(火) 低調 仲間の1年のバースディミーティングで写真を撮りました。
こいつを引き延ばして、フレームに入れてプレゼントにするのです。
僕の使っているヒューレットパッカードのカラープリンタは、決して安物ではないものの、やっぱり写真を印刷すると、印画紙にはかないません。ちゃんとフォト用紙をつかって、印字も時間をかけてやったのに、結果は思わしくありません。
というわけで、近所の大きな写真屋さんに行きました。
パソコンの端末にメモリーカードをさして、これを何枚、これを何枚と指定するだけで、あとは伝票を持って待っているだけで、焼き上がりです。一枚三十数円。こんな低価格で店舗を維持していけるのでしょうか?
ディジカメからのプリントだと、六切りもわずか500円でした(フィルムから六切りにのばすと普通千数百円かかります)。この値段だったら、プレゼントは六切りにすればよかったと思いましたが、フォトフレームのほうを先に買ってあるので、それに合わせたサイズになってしまいました。
オークションの出品を続けているので、発送手段について調べています。郵便局のEXPACK500というのは、郵便受け投函ではなくて、手渡しなので、そこそこ重要な品を送るには安価な手段でよいかもしれません。
クロネコメール便というも、特別な手続きなしで送れるとは知りませんでした。コンビニで受け付けてくれるのは便利です。委員会の議事録を送るには郵便局より便利かもしれません。でも、本当は信書(つまり手紙類)を送っちゃいけないことになっているので、議事録を送るのは規約違反なんでしょうね。
セントラルオフィスから来る封書も、JSOから来る封書も、どちらもクロネコメール便なんだけど・・・。
最近レギュラーコーヒーや、濃いインスタントコーヒーを飲むと、気持ちが悪くなることがつづいています。飲んでいる薬と相性が悪いのかもしれません。ミーティングではなるべく薄いのを入れて飲むことにしています。
2005年03月27日(日) 「失踪日記」を読む ネットオークションで落札されたレーザーディスクを発送しにいきました。
ついでに、BOX-916(AAの月刊誌)のバックナンバーをセントラルオフィスに送りました。これはオフィスから矯正施設委員会に送られ、刑務所で服役しているアルコホーリクにメッセージを運ぶのに使われるのだそうです。
なにもする気がおきないので、先日買った吾妻ひでおの『失踪日記』を読むことにしました。
中身は3部に分かれていて、1989年の失踪騒ぎ、1992年の失踪騒ぎ、1998年の精神病院への入院のみっつの話であります。
まさか吾妻ひでおのマンガでAAとか、ソブラエティとかいう単語が出てくる日が来るなんて思いもしませんでした。
失踪編は、過酷な体験がシュールな笑いに昇華されていて、ギャグ系マンガ家の本領発揮といったところであります。入院編は、アルコール治療プログラムのある精神病院に入院したことのある人なら、まあ「ありふれた体験」かなぁと思われます。その治療プログラムの一環として、彼は病院外部のAAミーティングへと行くのであります。
そこに描かれているAAミーティングの様子は、まさに「・・・・・」としかせりふでは表現できないような、ちょっと不気味で気持ち悪い感じであります。それを見て僕は、うんうん、わかるわかると頷いてしまいました。客観的に見れば、AAミーティングは「異様」な雰囲気を持っていると僕も思うのです。
入院編は(失踪編と比べて)なんだかうまく笑いに昇華できないなぁ、という気もしました。それがなぜなのかはわかりませんが。
本は退院する前に終わってしまいます。続きは続編だそうですので、それが出たらまた買うことにしましょう。奥付をみたら第2刷でした。amazon.co.jpでだいぶ待たされたので、「マイナーな出版社だからかな」とか思っていたのですが、増刷待ちだったとは。結構売れているのかもしれません。
掲示板でこの本のことを教えてくれた仲間に、感謝したいと思います。
2005年03月26日(土) 新顔登場 主のいないモルモットのケージを見るたびに淋しい思いをしていました。
だから、また新しいモルモットを買うと決めたのに、家族の反対はありませんでした。
というわけで、今日はホームセンターの一角にあるペットコーナーでモルモットの品定めをしていたのです。
犬は可愛い。できるならハスキー犬みたいな大型犬を飼ってみたいです。でも食費も大変でしょうし、散歩も大変でしょう。でも、犬の目を覗き込んでいると、何か深い思考をしていそうな気がして気になります。
猫も可愛い。だが、猫様の気まぐれにつきあうのは大変です。猫につきあうエネルギーがあったら、猫のような気まぐれな性格の女性とおつきあいする方にエネルギーを注いでみたいものです。
さて、そこには合計5匹のモルモットがいたのですが、どれも娘たちのお気に召しませんでした。
先日の診察の際、「モルモットが死んでしまったのです」という僕の話に対して、精神科医は「テンジクネズミですな」と答えました。「そう、たしか英名はギニアピッグとかいうんですよね」。「マーモットとは別なんですよ」。このように問答はしばしば診察の本質からそれてしまいます。おたがいに、こうしたくだらないトリビアをひけらかす相手がいないせいなのかもしれません。
さて、ホームセンターの中で途方に暮れた僕は、ふと思いついて携帯電話を取り出し、GPS測位を行い、近くにあるペットショップに片っ端から電話をかけました。ケータイにGPSが付いている意味がいままで分からなかったのですが、こんな場合には便利なものですね。僕も最近の若い連中みたいに携帯電話を使いこなしているじゃないか、と内心けっこう得意になっていました。
が・・、しかし結果は惨憺たるもので、10件以上電話をかけたのですが、「犬猫専門」「繁殖専門」「ペットの美容室」「ペット用品店」などなど、つれない返事ばかりでした。電話代もパケット代も無駄になったというわけです。
しかたないので、ホームセンターの別店舗まで高速道路で移動して、そこで購入しました。2500円でありました。
最近ネットオークションにいくつか品を出品しています。1月に休職してから、ずっと不要品をオークションで処分することを「やろうやろう」と思っていたのでしたが、うつのせいで行動に移せずにいました。やっとそういう面倒ごとを片づける根気も出てきました。
仕事にいつ復帰できるかわかりませんが、うつは良くなってきているようです。
2005年03月25日(金) 10年いろいろ 昨日次女が卒園式を迎えたということは、これからしばらくは、二人の娘が一日中家にいるということであります。
昨夜、というよりはもう今朝でありました。僕はなかなか眠ない頭で考えていました。
「もう外は明るくなってきてしまった。これからもし眠れたとしても、あと2〜3時間すると娘たちがおきだして騒ぎ出すだろう。そうすれば、ゆっくり寝ることもかなわない」
そこで、僕は布団をたたんで押し入れにしまうと、毛布だけをもってパソコンの稼働している部屋に移動しました。
座布団とクッションの上で寝るのは、体がどうも休まりませんが、家族の騒音にじゃまされずにぐっすりと寝ることができました。そして、もうそろそろ昼かなと思って起き出してみると、すでに午後3時半なのでありました。
実は昨日ミーティングから帰ってくる時に、車のヘッドライトが切れてしまったのです。右側が(スモールも一緒に)切れたのが1月でした。3月には左側が切れるとは・・・品質管理が良いんだか悪いんだか。そういうわけで、僕はあわててディーラーに向かったのでありました。
先日スモールランプを交換しに来た時は、ほとんど客はいませんでした。あのときは雨でしたから、出足が悪いのかもしれません。今日は天気が良かったせいか、ディーラーはすこし混み合っていて、ランプの交換作業もちょっと待たされました。
その間に読んでいたのが、長野県内の日帰り温泉案内です。
ディジカメを持っていて便利だなと思うのは、こうして読んでいる本のページを、いきなりマクロモードで撮影して持って帰ることができることです。これを書店の店頭でやると「ディジタル万引き」などと呼ばれて問題になるのですが、こうした場所なら問題ないでしょう。
コピーを取ってもらう必要もないし、メモ書きの必要もありません。実に手軽だし、後でいらないと思えば削除すればいいだけです。
IP電話のアダプタの不良交換の話しを先日書きましたが、以前の症状がまた発生してしまいました。こうなるとルーターとの相性を疑ってみないといけません。安物のルーターを購入して交換してみることにしました。
家族は僕が朝からAAの用事で不在だったと信じていたようです。まさかパソコンの部屋で寝ているとは思っても見なかったようで、「仕事だと朝から出かけられないのに、AAだと出かけられるなんて勝手な人だと思っていた」そうであります。
まったくの誤解であります。
さて、ホームページの最下段に新しいアクセスカウンターを設置したのが昨年の3月20日でありました。さきほど見てみましたら、カウンターの数字は3万ほどになっていました。この一年間でのべ3万人の方が「心の家路」を訪れてくださったということであります。ありがたいことであります。
日別アクセス数のグラフをみますと、「溺れる人」の放映のあった翌日にアクセスがどんと増えていることがわかります。テレビの力とはすごいものですね。
(そういえば以前、ラーメン屋をやっている仲間が「テレビでラーメンを取り上げた番組をやると、その日は店が混む」と言っていました)。
いろいろ書くついでに、もうひとつ。
1995年3月26日。つまり10年前の3月の第4日曜日。
僕が生まれて初めてAAミーティングに出席した日であります。
「あなたが、いてくれたから・・・」
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