心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2005年03月27日(日) 「失踪日記」を読む

ネットオークションで落札されたレーザーディスクを発送しにいきました。
ついでに、BOX-916(AAの月刊誌)のバックナンバーをセントラルオフィスに送りました。これはオフィスから矯正施設委員会に送られ、刑務所で服役しているアルコホーリクにメッセージを運ぶのに使われるのだそうです。

なにもする気がおきないので、先日買った吾妻ひでおの『失踪日記』を読むことにしました。

中身は3部に分かれていて、1989年の失踪騒ぎ、1992年の失踪騒ぎ、1998年の精神病院への入院のみっつの話であります。

まさか吾妻ひでおのマンガでAAとか、ソブラエティとかいう単語が出てくる日が来るなんて思いもしませんでした。

失踪編は、過酷な体験がシュールな笑いに昇華されていて、ギャグ系マンガ家の本領発揮といったところであります。入院編は、アルコール治療プログラムのある精神病院に入院したことのある人なら、まあ「ありふれた体験」かなぁと思われます。その治療プログラムの一環として、彼は病院外部のAAミーティングへと行くのであります。

そこに描かれているAAミーティングの様子は、まさに「・・・・・」としかせりふでは表現できないような、ちょっと不気味で気持ち悪い感じであります。それを見て僕は、うんうん、わかるわかると頷いてしまいました。客観的に見れば、AAミーティングは「異様」な雰囲気を持っていると僕も思うのです。

入院編は(失踪編と比べて)なんだかうまく笑いに昇華できないなぁ、という気もしました。それがなぜなのかはわかりませんが。

本は退院する前に終わってしまいます。続きは続編だそうですので、それが出たらまた買うことにしましょう。奥付をみたら第2刷でした。amazon.co.jpでだいぶ待たされたので、「マイナーな出版社だからかな」とか思っていたのですが、増刷待ちだったとは。結構売れているのかもしれません。

掲示板でこの本のことを教えてくれた仲間に、感謝したいと思います。


2005年03月26日(土) 新顔登場

主のいないモルモットのケージを見るたびに淋しい思いをしていました。

だから、また新しいモルモットを買うと決めたのに、家族の反対はありませんでした。
というわけで、今日はホームセンターの一角にあるペットコーナーでモルモットの品定めをしていたのです。

犬は可愛い。できるならハスキー犬みたいな大型犬を飼ってみたいです。でも食費も大変でしょうし、散歩も大変でしょう。でも、犬の目を覗き込んでいると、何か深い思考をしていそうな気がして気になります。

猫も可愛い。だが、猫様の気まぐれにつきあうのは大変です。猫につきあうエネルギーがあったら、猫のような気まぐれな性格の女性とおつきあいする方にエネルギーを注いでみたいものです。

さて、そこには合計5匹のモルモットがいたのですが、どれも娘たちのお気に召しませんでした。

先日の診察の際、「モルモットが死んでしまったのです」という僕の話に対して、精神科医は「テンジクネズミですな」と答えました。「そう、たしか英名はギニアピッグとかいうんですよね」。「マーモットとは別なんですよ」。このように問答はしばしば診察の本質からそれてしまいます。おたがいに、こうしたくだらないトリビアをひけらかす相手がいないせいなのかもしれません。

さて、ホームセンターの中で途方に暮れた僕は、ふと思いついて携帯電話を取り出し、GPS測位を行い、近くにあるペットショップに片っ端から電話をかけました。ケータイにGPSが付いている意味がいままで分からなかったのですが、こんな場合には便利なものですね。僕も最近の若い連中みたいに携帯電話を使いこなしているじゃないか、と内心けっこう得意になっていました。
が・・、しかし結果は惨憺たるもので、10件以上電話をかけたのですが、「犬猫専門」「繁殖専門」「ペットの美容室」「ペット用品店」などなど、つれない返事ばかりでした。電話代もパケット代も無駄になったというわけです。

しかたないので、ホームセンターの別店舗まで高速道路で移動して、そこで購入しました。2500円でありました。

最近ネットオークションにいくつか品を出品しています。1月に休職してから、ずっと不要品をオークションで処分することを「やろうやろう」と思っていたのでしたが、うつのせいで行動に移せずにいました。やっとそういう面倒ごとを片づける根気も出てきました。
仕事にいつ復帰できるかわかりませんが、うつは良くなってきているようです。


2005年03月25日(金) 10年いろいろ

昨日次女が卒園式を迎えたということは、これからしばらくは、二人の娘が一日中家にいるということであります。
昨夜、というよりはもう今朝でありました。僕はなかなか眠ない頭で考えていました。

「もう外は明るくなってきてしまった。これからもし眠れたとしても、あと2〜3時間すると娘たちがおきだして騒ぎ出すだろう。そうすれば、ゆっくり寝ることもかなわない」

そこで、僕は布団をたたんで押し入れにしまうと、毛布だけをもってパソコンの稼働している部屋に移動しました。
座布団とクッションの上で寝るのは、体がどうも休まりませんが、家族の騒音にじゃまされずにぐっすりと寝ることができました。そして、もうそろそろ昼かなと思って起き出してみると、すでに午後3時半なのでありました。

実は昨日ミーティングから帰ってくる時に、車のヘッドライトが切れてしまったのです。右側が(スモールも一緒に)切れたのが1月でした。3月には左側が切れるとは・・・品質管理が良いんだか悪いんだか。そういうわけで、僕はあわててディーラーに向かったのでありました。
先日スモールランプを交換しに来た時は、ほとんど客はいませんでした。あのときは雨でしたから、出足が悪いのかもしれません。今日は天気が良かったせいか、ディーラーはすこし混み合っていて、ランプの交換作業もちょっと待たされました。
その間に読んでいたのが、長野県内の日帰り温泉案内です。
ディジカメを持っていて便利だなと思うのは、こうして読んでいる本のページを、いきなりマクロモードで撮影して持って帰ることができることです。これを書店の店頭でやると「ディジタル万引き」などと呼ばれて問題になるのですが、こうした場所なら問題ないでしょう。
コピーを取ってもらう必要もないし、メモ書きの必要もありません。実に手軽だし、後でいらないと思えば削除すればいいだけです。

IP電話のアダプタの不良交換の話しを先日書きましたが、以前の症状がまた発生してしまいました。こうなるとルーターとの相性を疑ってみないといけません。安物のルーターを購入して交換してみることにしました。

家族は僕が朝からAAの用事で不在だったと信じていたようです。まさかパソコンの部屋で寝ているとは思っても見なかったようで、「仕事だと朝から出かけられないのに、AAだと出かけられるなんて勝手な人だと思っていた」そうであります。
まったくの誤解であります。

さて、ホームページの最下段に新しいアクセスカウンターを設置したのが昨年の3月20日でありました。さきほど見てみましたら、カウンターの数字は3万ほどになっていました。この一年間でのべ3万人の方が「心の家路」を訪れてくださったということであります。ありがたいことであります。
日別アクセス数のグラフをみますと、「溺れる人」の放映のあった翌日にアクセスがどんと増えていることがわかります。テレビの力とはすごいものですね。
(そういえば以前、ラーメン屋をやっている仲間が「テレビでラーメンを取り上げた番組をやると、その日は店が混む」と言っていました)。

いろいろ書くついでに、もうひとつ。
1995年3月26日。つまり10年前の3月の第4日曜日。
僕が生まれて初めてAAミーティングに出席した日であります。

「あなたが、いてくれたから・・・」


2005年03月24日(木) 新会場

新しくできたAAミーティング会場へ行ってきました。
案内地図を書くためであります。

最近はCD-ROMの地図が発売されていたり、Mapfan.netなどのオンライン地図サービスもあるので、実際現地に行ったことのない地図を書くこともあるのですが、やっぱり現場主義でないと、現実から乖離した地図になりかねません。道の太さとか、一方通行とか、そういうのは行ってみないとわかりません。

明るいうちに行くつもりだったのに、昼寝をして起きたら午後5時でした。おまけに3月下旬だというのに雪まで降ってきてしまいました。こんなときは裏道を知っていて良かったなと思うものであります。

おかげでミーティングの45分前についたので、こっくぼーいで夕食を取ることにしました。ダイエットすると決意したばっかりなのに、ハンバーグ和風セットを頼んでしまいました。おまけに、ビタミンC不足になるといけないからと、イタリアンブラッドオレンジジュースも頼んでしまいました。収入もない身だというのに、僕はいったい何をやっているのでしょうか。

でも、コックボーイの入り口にこの町の案内図が置かれていたので、その後の調査にはとっても役に立ちました。だから体重の増加と、財布の中身の現象には意味があったということにしておきましょう。

会場はなんと仲間の住居でありました。おそらくアメリカでAAが始まった頃には、こうしたハウスパーティ形式(?)のミーティングが主流だったのでしょう。けれど、僕が仲間を自分の家に呼ぶことは、将来もまあたぶんないだろうと思います。

そういえば今日は次女の卒園式でありました。

本日の走行距離:110Km。有料道路往復1000円。


2005年03月23日(水) 痩せたい

水曜日は医師の診察と、ホームグループのミーティングの日であります。

医師「どのぐらい太ったんだっけ?」
僕「昨年の11月から2ヶ月で10キロ太りました」

まあ、これは科学的事実を述べているだけなので、それほど心には響きません。

さて、話しはかなり回りくどくなります。
以前、駅前留学で有名な英会話教室に通っていた時のこと、Instructor が、
"You have to remember ten or twenty instructors, but we have to remember thousands of students." と言って、生徒の顔を覚えていないエクスキューズをしていたことがありました。

で、僕も同じ場所でAAをやっていると、thousands of alcoholics に出会うことになるわけです。だから、僕が久しぶりに会った相手のことを忘れていたとしても、どうか僕のことを責めないでいただきたいのであります。

AAミーティングや病院内でのミーティングでは、出席証明にはんこをつくという作業があります。これはAAが義務としてやっているわけではなくて、ボランティアの一環であります。ま、意味はともかく、僕は要求されれば積極的にはんこをついてあげるタイプの人間であります。

以前は「柊」というはんこをわざわざ用意するという周到なことをしていたのですが、ニックネームを一時期本名にした時に、はんこも本名の名字のやつに変えました。その後ニックネームを元に戻しても、はんこはそのまま本名のを使い続けております。

今日のミーティングでも求められてはんこをついたのでしたが、そのはんこの名字をみて「あら、○○さんですか? 気がつきませんでした。変わっちゃって」と言われました。僕はその理由に思い当たったので、

「ええ、10キロほど太りましたからね」

と(おそらくは陰鬱な表情で)答えたのでありました。

これが相手が女性でなかったら、さして気にならなかったのかもしれません。おまけに、ミーティングの後で寄った実家で母に「俺、そんなに太ったかな」と愚かに尋ねて、その答えが「あごのあたりが特にな」でなければ、そんな出来事はスルーしてしまったのかもしれません。

とりあえず決めたこと。

・夜食のカップラーメンは、多少コストが高くても低カロリータイプにする。
・あんこやチョコのものは食べずに我慢する。
・毎晩寝る前に腕立て伏せをする。


2005年03月22日(火) 些事いろいろ

午前中にamazon.co.jpから小包が届いていました。掲示板のほうで紹介していただいた、あじましでおの『失踪日記』であります。
残念ながら今は読んでいる気力はありません。

80年代には、吾妻ひでおとか、フィリップ・K・ディックとかは僕の大のお気に入りでありました。ディックは日本語に訳されたものは(アマチュアが訳したものも含めて)9割以上は読んでいるはずです。生涯名声と富を求めながら、それを得ることなく死んだディック。薬物は使っていないと明言しながら、どうみても薬物中毒としか思えなかったディック。
それだけに、映画『ブレードランナー』の完成を待たずに死んでしまったのが、あまりに不憫に感じられました。それにその映画がハリウッド的商業主義的ハッピーエンドに変えられてしまっている切なさも味わったものでした。その後は『トータル・リコール』『マイノリティー・リポート』と有名作が続いたのでした。

しかしもはや僕はSF者ではないし、本棚に並んでいるのはティプトリー・ジュニアだけであります。

昼飯がカップラーメンだったことに腹を立てて、一万円札を握りしめて外出しました。春休みの長女もついてきました。

最初は、NTT。エリアプラスとスーパーケンタくんを解約して、イチリッツ1を契約しました。最近のNTT地域会社の割引サービスは、よく読まないとどれが得なのかさっぱりわかりません。

次は、ペッパーランチで食事。一番安いメニューを子供とシェアしました。そんでもって、10枚500円のDVD-Rを買いました。

一月に車のヘッドライトとスモールランプが切れまして、ヘッドライトはすぐに交換したのですが、スモールランプのほうはたまたまディーラーに在庫がなかったおかげで、メーカーから取り寄せになりました。「一月末までには交換に行きますよ」とディーラーに約束したっきり、そのままほったらかしで、本日やっとディーラーを訪れることができました。
メカニックの方に「やっときたかー」と言われてしまいました。
なぜか無料でありました。保証修理でもないでしょうに。

眼科へ行って、緑内障の処方箋をもらいました。先延ばしにしていた視野検査の予約も取らされました。

帰宅して、モルモットを家族全員で雨の中埋葬。

ネットオークションにいくつか出品しました。これも1月からペンディングになっていたことです。捨ててしまえば、すぐに部屋が広くなるのに、わずかな金銭のために部屋の狭さを我慢する生活も、少しは改善されそうです。

技術書はネットオークションで売っても大した金にならないので、はじめてamazon.co.jpの古書のコーナーに出品してみました。はたしてどうなることやら。

もう明日は水曜日。医者へ行く日であり、ホームグループのAAミーティングの日であります。なんて一週間の経つのが早いのでしょうか。


2005年03月21日(月) モルモットの死

実家の母がお彼岸には子供を連れて遊びに来い、是非にでも来いと言うし、子供たちは行くのを楽しみにしているしで、計画を中止にはしづらかったので、体調は良くなかったものの1泊二日で親子3人帰省をしてきました。

地元の大学(いわゆる駅弁大学というやつだ)一本槍で受験した甥が、まあ一浪は確定だろうと周囲全員が覚悟していたのに、後期日程で合格通知がもらえたという良いニュースがありました。

帰る日の夕方までいて、お風呂に入って夕食も食べてくるというのが、僕の子連れ帰省のパターンであります。だから、帰ってきた頃はもう子供はすぐに寝ていい時間でありました。

実家からノートパソコンとPHSで自宅へダイアルアップして、サーバーに接続しようとしたのですが、うまくいきませんでした。ルーターの設定がおかしいのだろうと、深夜になるまで、自宅から自宅へダイアルアップして実験をしておりました。

作業も一段落して、トイレに行った後、ふとモルモットのゲージを見ると、「ハムちゃん」が横に寝そべっています。まるで夏の暑くてうだっているときに、すのこの上に寝そべっているかのような姿勢であり、寒い季節にそんな姿勢をすることはありません。
そういえば、1月あたりから鼻水を垂らしていたりしたこともあり、ホッカイロで暖房をいれたり、新聞紙を入れてやったりしたものでした。そのおかげか最近は具合が良くなって、鼻水もなく、息がヒューヒュー言うこともなくなっていました。
「また具合でも悪くなったかな」と触ってみたら、すでに硬く冷たくなっていました。

あわてて妻を起こして、ここ一両日モルモットの具合はどうだったのか聞いてみると、「元気だったと思うけど」というような曖昧な返事でありました。調べてみると、水をやるウォーターボトルの出口が詰まって水が出ない状態でした。こうなることはたまにあって、「喉が渇いたよ」とケージをガジガジとかむので様子を見てあげるのですが・・騒ぐこともなかったと言うし・・・。
子供があげのでしょう、ニンジンが一口もかじられずに置かれたままであります。乾き死になのかどうかはわかりません。

ネコほど知能は高くないけれど、ハムスターよりはよほど知恵があって、なかなか楽しいヤツでした。

いまGoogleで調べてみたら、モルモットの寿命は3〜5年とか、4〜6年とか書いてありました。そうすると寿命だったのかなぁ。あんまり老年期にさしかかっていたようには思えませんでしたが・・・。

僕が大学に受かって上京する前日に、車に轢かれて死んだ飼い猫のことを思い出しました。今僕の心の中には、立花ハジメの「会うは別れのハジメなり」という曲が流れています。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加